Spiral Sisters


「お姉ちゃん!お姉ちゃん!ねぇ、起きて!起きてってば!」

強く身体を揺すぶられ、詩乃は目を開けた。

目の前に小さな女の子の顔が迫り、詩乃を見下ろしていた。

身体がやけに重い。

その理由は彼女。

詩乃に馬乗りになった状態で、詩乃を覗き込んでいた。

「貴女……」

一瞬の違和感。瞬間の閃き。

「美穂?」

「そうだよ!もう寝坊助だなぁ」

幼いその少女はせいぜい10歳くらいだろうか。

けれど、それが美穂だと分かる。

髪の色も目の色も違うのに。

『あ、詩乃さん、起きた?』

声のしたほうを見ると、ノートパソコンの画面に、見覚えのあるピンクのまんまるい眼鏡をかけたキャラがコロコロと転がっていた。

「千歌⋯⋯さん?え?どうして⋯⋯」

どうして私は、ここにいるのだろう。

私は、詩乃。友理奈さんではない。

「約束が違います」

『あー、うん、そのぉ』

ピンクのキャラが頭を掻く仕草をする。

『わ、私も何回も何回も頑張ったんだよ!頑張ったんだけど⋯⋯』

「だけど?」

ベットの上で幼い姿になった美穂を支えながら、身体を起こす。

『そのー美穂さんがさ』

「美穂?」

詩乃に抱きかかえられたままの美穂を見ると、きょとんとした目で少し首を傾げた。

『脳機能をその身体に移す前、あなた達の相互認識を確認した時にね、どうしても友理奈さんだと貴女を受け入れてくれなかったの』

目が覚める前。

光に包まれた世界で見た光景を思い出す。

貴女の美穂の元へ⋯⋯。

彼女の声が耳の中に木霊する。

『頑張って調整したんだよ、これでも母たる私は残念なくらい天才だからね!でも、美穂さんは拒絶するし、友理奈さんも定着しなくて』

「それで私を再生したんですか?」

『⋯⋯ごめん』

終わったはずの今日が、新たな色を得て、再び詩乃の前にある。

「お姉ちゃんっ」

嬉しそうに抱きつく美穂を抱きしめながら、新しい手を見る。

しなやかな皮膚感触。

滑らかな関節の稼働。

以前の身体とは比べられない程に精巧に作られていると分かる。

思考スピードもその気になれば、今よりもずっと早くなりそうな気がする。

『ま、まぁ、天才に二言はありませんが、これは美穂さんが貴女を選んだという事で、母としてはもう一人の娘の意向も大切なわけで』

言い募る声を余所に、美穂がふと顔をあげた。その瞳に不安が過る。

「お姉ちゃんは新しい身体、嫌い?」

「美穂、貴女⋯⋯」

「美穂、知ってるよ。美穂達は次世代の人類だってママ千歌が教えてくれたの。美穂達は人から学び、人を超えていく存在なんだって教えてくれたの」

『そうです!千歌ちゃんの最高傑作なんです!君たちは!胸を張って生きてください!』

約束の反故をゴリ押しで誤魔化そうとする母親を糾弾するべきか、許すべきか迷っている詩乃に、美穂の瞳が悲しげに揺れる。

「お姉ちゃん、もしかして、もう美穂のお姉ちゃんは嫌なの?」

潤んでいく瞳に、思わず妹を抱きしめた。

「そんな事ない!あるわけない!」

「ほんと?」

「ほんと。絶対」

胸元に美穂の温もりが染み込んでくる。

鼻先に香る美穂の髪は、懐かしい甘さを含んで、詩乃の感情を刺激する。

まだ生まれたばかりだった美穂を抱きかかえてた時と同じ香り。

ああ。これは友理奈さんの記憶。

そして、彼女の記憶は詩乃の一部。

貴女の道を。そう願って光の中へと旅立ったもう一人の母の。

「美穂。私はこれからも美穂と一緒に生きていきたい。私は美穂のお姉ちゃんでいたい。だから」

そっと身体を離すと、濡れた睫毛のままで美穂が大きな瞳で見上げてくる。

「私は貴女のお姉ちゃんでいて、いいですか?」

詩乃の問いに、美穂が大きく頷く。

「うん!いいよ!」

そしてそのまま詩乃にしがみついた。

「お姉ちゃん!だーいすき!!」

「私も大好きよ、美穂」

抱きしめ合う姉妹を優しい沈黙が静かに包む。

しばらくして、ふと詩乃は顔をあげた。

「そういえば、夢をみていました」

パソコンに視線を向けると、沈黙していた千歌が口を開いた。

『夢?それは興味深い!新発見だよ詩乃さん!』

「その中で伝言を頼まれたんです。原初の終焉、円環の終わり。誰に伝えればいいのかは、わかりませんが」

『原初⋯⋯?』

「はい」

『ふーん』

真面目な声のトーンで思考モードに入りそうな千歌を遮るように、美穂が顔を上げる。

「あ!そうだ、お姉ちゃん!渚紗が危ないの。助けに行こう」

「え?」

『あー!!姉妹の感動の再会にすっかり心を奪われてた!そうだった!ごめんよ!渚紗ちゃん!!』

取り乱す千歌を放置して、美穂が詩乃から降りると靴を履く。

「行こう、お姉ちゃん」

差し出された手を握り返して、詩乃もベットから降りて立ち上がる。

動作良好。問題なし。

「私達のご先祖様は、人を助ける為に生まれた優しい存在だったんだって。だから、私達もご先祖様を見習って優しい存在になれたらいいね」

屈託なくそう笑う美穂に、殺人の衝動も殺意の欠片も感じない。

まっさらで真っ白で。

本当に子供のように無邪気に笑う美穂に、詩乃は足を止める。

「お姉ちゃん?」

「千歌さん」

『あーー!渚紗ちゃんんんん!!!って、ん??』

「ありがとうございます」

『え?何?何が?』

「向かうべき座標を教えてください」

『え?あ、ら、らじゃー』

「お姉ちゃん、カッコイイ」

「だって美穂は優しい存在になりたいんでしょ?だったらお姉ちゃんも手伝う」

「ほんと?やったー!」

はしゃぎながら手を引く美穂を追いかけて、詩乃は進む。

詩乃は全てを覚えている。

全ての悲劇を。

全ての惨劇を。

けれど、全てを抱えたまま、今度こそ無垢なままの美穂を守り抜きたい。

哀しい結末を迎えた仲間たちの為にも。

「幸せになって⋯⋯」

たどり着いたビルの屋上。

吹き抜ける風の中に、また彼女の声が聞こえた。

「どうしたの?お姉ちゃん」

「ううん、なんでもない」

「じゃあ、渚紗を助けに行くよ!」

「うん」

ドーン!という掛け声と共に美穂が空中へと身体を投げ出す。

それを追って詩乃も屋上から飛んだ。

『おおおい!君たち!そこにあるドローンの耐荷重は⋯⋯』

美穂の身体が見えない何かに着地する。

詩乃の視界にも、透明な機体の輪郭がくっきりと浮かんで見える。

「大丈夫です」

足に衝撃。各関節、部位に損傷なし。

「私の体重は3キロなので」

『んなわけ、あるかぁーーー!!』

内部音声に切り替わった千歌の声を聞きながら、風を切って進むドローンの上で美穂と微笑み合う。

「お姉ちゃん」

「うん」

差し出された手をしっかりと握り返す。

もう二度と、何があっても離さないように。























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