少女と巡る心霊スポット

かっぱかめ

第1話

曙光都市エルジオン

未来ミグレイナ大陸の中心に位置する浮遊都市の一つ。科学の粋を集めて作り出されたこの都市は人工の光で溢れ返っていた。

巨大スクリーンには広告がめまぐるしく映し出され、至る所に設置された案内板が淡く光っている。

まさに近未来の世界だ。

とはいえ、都市のすべてが科学で埋め尽くされている訳でも無い。

辺りを見渡せば、目に優しい自然の緑が都市を鮮やかに彩っている。

「いつ来ても壮観だな」

エルジオンの一画、シータ区画に足を踏み入れるや否や、開口一番にアルドはそう呟いた。

アルドが生まれ育った時代にはこれほど高度な技術は存在していなかった。

だからこそアルドが感心するのも無理ない話だ。

そうしてアルドが門の前で佇んでいると――

「みぁーちゃん!待って~」

何処からともなく女性の声が聞こえてきた。

「みぁ!」

アルドが声のした方へ顔を向けると、少女が猫を追いかけている最中だった。

ご主人様から逃げ出した、悪い猫かもしれない。

丁度、猫はアルドの方へと逃げていたので、アルドは進路を塞ぐようにその場で屈み、腕を開けた。

「お~い、こっちだ」

「みぁ――ッ!」

勢いよく胸へと潜り込んできた猫をアルドは抱きかかえて何とか押さえる。

「うおっと」

何とも元気な子猫ちゃんだ。白い毛並みは手入れが行き届いている。

この世界には猫型のロボットも多く存在しているが、この猫は本物のようだ。

「もう……みぁちゃん速い!」

遅れること数秒、少女も追いついた。

少女は赤色のおかっぱ頭に茶色を基調とした服を着ていた。

「ほら、飼い主さんだぞ?」

胸の中でゴソゴソと体を動かす白猫へアルドは声を掛ける。

しかし、そんな事知らんぷりの様子で、白猫はアルドの背中へと器用に這って行く。

「あっ、おい!」

手を伸ばそうにも背後に廻られてはどうしようも出来ない。

「みぁ!」

慌てるアルドを面白がるように、白猫は鳴き声を上げた。

「すまない、どうにも懐かれたみたいだ。後ろから離してくれないか?」

正面に立った少女へと、アルドは声を掛けた。しかし――

少女はぱちぱちと瞬きを繰りかえすだけで、一向に動く気配が見られない。

「……聞こえなかったか?どうにかしてほしいんだが……」

もう一度アルドが問いかけると、ようやく少女は口を割った。

「もしかして、あたしに話してる?」

妙なことを聞くものだとアルドは首を傾げた。

「キミ意外に誰がいるんだ?」

どう考えてもアルドの話し相手は目の前の少女以外有り得ない。

少女は又もや瞬きを繰り返すと、口元に手を当てて何やらブツブツと呟き始めた。

「……そうだよね」

なんだか考え込んでいるようだが、アルドからすればいち早く今の状況を何とかしてほしいところだ。

「あっ、ごめんなさい」

アルドの気持ちを察したのか、少女は短く指笛を吹いた。

瞬間、白猫は動きを止めて大人しくなった。

そしてアルドの背中から滑らかに降りて行くと、少女の足元までゆっくりと歩み寄る。

「助かったよ、ありがとう」

少し時間は掛かったが、晴れて猫の悪戯から解放された。

「ねぇ、お兄さん」

「ん?」

そこで一瞬ためらいの表情を見せた少女だったが、覚悟を決めたように目を見開いた。

「……あたしはお兄さんの頼み事聞いてあげたからさ、お兄さんもあたしの頼み事聞いてくれない?」

「……」

余りにも唐突過ぎて、アルドは面喰らってしまった。

「だめ?」

悲しそうに口をきゅっと閉じて、少女はアルドを見上げる。

そんな顔を見せつけられては、頷くしか選択肢は残されていない。生憎アルドにはこの後、予定という予定も無かった。

「……ああ、分かったよ」

「やった!ありがと!」

口元に手を持って行き、少女はとても嬉しそうに微笑んだ。

「それで何をすればいい?」

子供の頼み事だ。それほど無茶な要件ではないだろう。

「あたしね、行きたい場所があるの」

「……行きたい場所?」

てっきり何か欲しいものでもあるのかと予想していたが、アルドの勘は外れたようだ。

「うん!それはね……心霊スポットだよ」

少女の無垢な表情とは裏腹に、放たれた言葉の響きは穏やかで無かった。

「心霊スポット?また物騒な所だな」

心霊スポットと聞けば思い浮かぶのは古代ガルレア大陸にある船墓場や、現代ガルレア大陸にある荒れ寺。そして何と言っても、この世界に存在するホーンテッド・シャトーなどが挙げられる。

「あたしホラー映画が好きなんだけど、画面越しじゃ満足できなくて……」

だから生身で体験したいという訳か。それにしても、この年齢でホラー好きとは、人は見かけによらないものだ。

「なるほど……理由はよく分かった。それで肝心の心霊スポットっていうのは……」

アルドに頼むということは即ち、少女一人では立ち入ることが出来ない場所であろう。

「まずはね……工業都市廃墟がいいかな!」

少女が指定してきた場所はやはりアルドの予想通り、モンスターの出現する危険スポットだ。

「事故で死んだ作業員の霊が出るらしいの!」

目をキラキラと輝かせて少女は頬に手を当てた。

「ははは……」

本当に怖いもの知らずの嬢ちゃんだ。その幼い見た目とのギャップに、アルドは少し腰が引けてしまった。

「連れて行ってくれるよね?」

純粋無垢な瞳がアルドへと向けられる。

「う~ん、連れてあげたいところだけど……危険な場所だからなぁ」

顎に手を当てて、アルドは考え込む。

アルドの実力からして少女一人を守ることくらい他愛無いが、万が一何かあったら大変だ。

霊が怖いから、などと言う理由では決して無い……はず。

「大丈夫だって!それにお兄さん、強いでしょ?」

見透かすように少女が首を傾けて、上目づかいでアルドを見つめる。

「……そう見えるか?」

アルドの服装などは周りから浮いているだろうが、それだけでは実力など測れないはず。

まして、それが子供というなら猶更。

「うん!他の人とは違ったオーラが見えるの」

さも当然とばかりに、少女は言い切った。

「そ、そうか……」

この少女なら本当に幽霊が見えるかもしれない。そんなことを考えたせいか、突如アルドの全身に身震いが生じた。

「ふふ、お兄さん……もしかして怖いの?」

「そ、そんなことないぞ!」

怖がりのエイミだったらまだしも、アルドは幽霊など恐れていないと自負している。それに自分よりも幼い少女の前で、かっこ悪い所なんて見せられない。

にもかかわらず、胸騒ぎがするのはどうしてだろうか。

「だったら一緒に来ても平気だよね?」

「……ああ、その代わり俺の傍から離れるんじゃないぞ」

「は~い!」

元気よく手を挙げた少女は満面の笑みを浮かべている。

これ程までに嬉しそうな表情を見せられると、アルドも引き受けた甲斐があると言うもの。

「……そう言えば、キミの親は心配しないのか?」

外で遊んでいることは把握していたとしても、幽霊スポット巡りをしているとは誰も思わないだろう。

保護者に何も告げず消えたとなっては大事に成りかねない。

帰って来たら騒ぎになっていた、なんてことは笑えない話だ。

「大丈夫だよ、だってあたしは……」

「……?」

その時初めて、終始明るかった少女の表情に影が差し込んだように見えた。

「ともかくお兄さんは心配しなくて良いから、早く行こっ!」

「……あ、ああ」

少し不安な要素が拭えないアルドだが、深く尋ねたところではぐらかされるだけだろう。

それならば少女を信じてみようとアルドは気持ちを切り替えた。

「少し待っていてくれ」

アルドは軽く装備を確認した後、少女へと合図を送る。

「よし、準備OKだ」

「それじゃあ、みぁちゃんはお留守番ね」

少女の傍らでずっと背を正していた白猫は一度、少女を見上げた。

優しい微笑みを少女が返すと、白猫は小さく鳴いて路地裏へと消えていった。

消えゆく背中に最後まで手を振っていた少女はアルドへと向き直る。

「仲、良いんだな」

アルドもヴァルオとは仲が良い方だが、2体の関係はそれ以上に見えた。

「あ~、うん……私が飼い主じゃないけどね」

「そうなのか⁉」

その割には少女に懐いているように見えたのだが。

(まあ、本人が言うのなら間違いないか……)

ただ野良猫と仲が良いだけの、単純な話かもしれない。

そうして白猫を見送った後、2人はシータ区画を上って行った。

工業都市廃墟に行くためには転移装置を使って、一度ガンマ区画まで行かなければならない。そこから廃道ルート99を通ってようやく目的地までたどり着く。

るんるんと鼻歌を歌っていた少女が転移装置に入るや否や、ふと口を開いた。

「そうだ!これから一緒に過ごすんだし、お兄さんの名前教えてよ」

それもそうだとアルドは頷き返した。

アルドも新たな仲間を迎える際にはいつも互いに名乗り合っている。

「俺はアルドだ。まあ、しがない旅人さ」

本当のところは一言で表現できないが、今はこれで十分。

「あたしはミア。う~んとね……幽霊と猫が好きな可愛い女の子かな」

それは彼女も同じだった。

しかしその事実にアルドが気づくのは、もう少し後のこと――

「短い間だけどよろしくね、アルドお兄さん!」




「どうしても前に来てはくれないのか?」

「いやだよ~。もしかして……アルドお兄さん、怖いんじゃないの?」

困り果てる青年に不敵に笑う少女。

そんなどこかちぐはぐなコンビは、工業都市廃墟の入口まで辿り着いていた。

しかし2人はまだ中に足を踏み入れていない。

「ミアに何かあった時に心配だから、頼んでいるだけだぞ……」

後ろに居られると終始目を配ることが難しい。そのため前を進んでくれないかとミアに頼んでいるアルドだったが、あえなく断られていた。

終いには前を進むのが怖いからじゃないのか、と疑いを掛けられる始末。

「お兄さんは心配性だなぁ。大丈夫だって!何かあったらすぐに悲鳴を上げるからさ」

「……分かったよ。でも勝手に離れたりしないでくれよ」

流石にそこまで無茶なことはしないと思うが、アルドは念を入れて釘を刺しておく。

「はーい」

一応の返答を貰ったところで、アルドは入口の扉に手のひらをかざした。

工業都市廃墟の扉はエルジオンなどの居住地とは異なりセキュリティチェックを必要としない。

元は存在していた機能かもしれないが、廃墟となった今ではどの道必要のないことだ。

入口は難なく解放された。

「どこにモンスターが潜んでいるか分からない。油断するなよ」

中に足を踏み入れると、廃墟と呼ばれるにふさわしい光景が待っていた。

至る所に機材の残骸が置かれ、液晶ディスプレイも壊れたモノばかりだ。電気も辛うじて生きてはいるが、やはり薄暗い。

幽霊が現れずとも十分と雰囲気を味わうことは可能だろう。

「どうだ、幽霊は見えるか?」

何気なく、アルドは尋ねてみた。

「うん、いっぱい」

予想外の回答が帰って来た。

「そ、そうか……その、なんだ」

アルドはどう反応すべきなのか分からず、言葉を濁すしかなかった。

「アルドお兄さんには見えないの?」

「ああ、まったくだな」

幽霊のゆの字も感じられない。

「そう……なんだ……」

アルドの言葉を聞いたミアは地面に視線を落とした。

お目当ての幽霊が見えたと言うのに、ミアの機嫌は余りよろしくない。

「どうしたんだ?あまり嬉しそうじゃないな」

少し心配になったアルドが立ち止まり、声を掛けた。

「う~ん……幽霊っていきなり現れて驚かすから怖いの。うろちょろされるだけじゃ全然怖くないね」

「なるほど……」

幽霊が見えていないアルドでも、その気持ちは何となく理解できた。

何もない、そう油断していたところを驚かされるからこそ、そこに恐怖が生まれる。

「きゃーーっ!」

そう、まさに今のように。

「⁉どうしたっ!」

アルドは肩を跳ね上がらせた。

間髪入れずにアルドは剣を抜きながら周囲に視線をやる。

「……」

壊れかけのディスプレイが不快な電子音を刻み続ける。それに重なるように、アルドの鼓動も速度を上げ続ける。

「……何もいない」

アルドはそっと剣を鞘に収める。

周囲を見渡したが、何もおかしな所は見当たらなかった。

それが余計に恐怖を演出している。

「ミア、何が見えたんだ?」

アルドは周囲への警戒を怠らないよう、傍らに佇むミアを横目で見ながらそう尋ねた。

「……ミア?」

しかし叫んだ当の本人は俯いたまま、動かないでいる。

「ミア、大丈夫か?」

アルドが心配して手を伸ばそうとした瞬間――

「わッ!」

ミアは顔をパッと上げて手を大きく広げた。

「うわっ!」

いきなり驚かされたアルドは腰を抜かし、終には尻もちをついてしまった。

「うっ……痛たたた」

「アルドお兄さん、良い反応だね~」

尻を床に付けたままのアルドが顔を上げると、ミアが白い歯を見せてにやにやと笑みを浮かべていた。

アルドは尻をはたいて立ち上がると、腕を組みながらムスッとした表情を浮かべた。

「ミア、これは一体どういうつもりだ?」

「幽霊さんたちはやる気が無いみたいだから、私が驚かそうかなって」

口元を手で隠しながらミアはそう呟いた。手の中からは微かに笑い声が漏れている。

「……じゃあ、叫んだのも」

「うん、わざとだよ」

悪びれる様子も無く、ミアは淡々と答えた。

「先に言っておくけど、驚かしたら駄目、なんて言われてないからね」

「うっ……」

アルドとしては痛い所を付かれた。

思い返してみてもアルドがミアに注意していた事と言えば、勝手に傍を離れないよう言い聞かせたことくらいだ。

しかしまさかミアの方から驚かしてくるとは思いもしていなかった。

「ならこれからは驚かすことも禁止」

後出しで言うのもカッコ悪いが、ここで言っておかなければ目の前の少女は際限なく驚かして来るに違いない。

「怖いから?」

上目遣いに見ながら、ミアは口角を上げた。

「……それでいいよ」

アルドは潔く折れることにした。

これ以上否定し続けても、ムキになったミアが再び驚かしてくるかもしれない。

それにミアはホラー好きなだけあって驚かすのも上手い。動かなくなった状態などは本当に悪寒が走ったものだ。

アルドは素直な気持ちとして、これ以上ミアに驚かされることが怖かったのだ。

「なんだ、面白くないの」

簡単に折れたことが不満だったのか、ミアは頬を膨らませて視線を逸らした。

そうしてしばらく両者無言のまま時が過ぎていった。

「……ミア、これ以上奥に行きたいか?」

ミアが言うには、ここに居る幽霊たちは人を驚かすことに興味が無いようだ。であれば長居する必要も特に無い。

「う~ん、あんまり。……ん?」

ミアの視線が一点に釘付けになった。

流石にもう驚かして来ることは無いだろうとアルドは背後を振り返った。

「……な――ッ?」

そこあったのは一枚の液晶ディスプレイ。

しかしその画面上には場違いな広告が流れていた。

ブゥン――

「……今度はこっち⁉」

今度は隣のディスプレイに広告が流れ出した。

そして流れるように、次から次へと周りのディスプレイが光を点し始める。

「ミア……」

「ん?」

アルドは一度ミアに目を落とした。しかしすぐに首を振った。

(いや、流石にミアが犯人だと考えるのは無茶だ)

こんな子供にディスプレイを起動させること自体難しいだろうし、何よりミアはここから一歩も動いていない。

「幽霊は何かしているか?」

ダメもとでアルドは聞いてみた。

「……ううん、何も」

「そうか……」

こんなことを聞いても意味ないことは分かっていた。

それでも聞かずにはいられない程、目の前では不可解な現象が繰り広げられている。

――バチィ!

「きゃっ!」

「今度はなんだ⁉」

アルドが音の聞こえた天井付近を見上げると、蛍光灯が一つ消灯していた。傍で剥き出しになったケーブルからは火花が散っている。

「なんだがここは危険だ、今すぐ逃げるぞ」

「え~、ここで逃げるようじゃホラー好き失格だよ」

焦るアルドとは対照的に、ミアの表情には期待が溢れている。

「そんな事言ったって――」

その時、通路の奥から電子音がけたたましく響き渡った。

「ピピピ、不審者発見、不審者発見」

「不審者一名、不審者一名」

通路の奥から顔を見せたモノは全身赤色のロボット、レッドサーチビットだ。それも2体。

「ディスプレイに異常あり、ディスプレイに異常あり」

「犯人を目の前の少年と認定、排除します」

どうやらこちらの言い分は一切聞く気が無いようだ。

すぐにでも制圧に掛かって来るだろう。

「ミア、物陰に隠れろ!通路には絶対出て来るなよ!」

「わ、分かった!」

流石のミアも事態の深刻さを把握してくれたようで、言う通りに巨大ディスプレイの裏へと身を隠してくれた。

「よしっ」

レッドサーチビットに再び向き直るアルド。それぞれ2丁ずつ、合計で4丁の銃口が向けられている。

レッドサーチビットの放つ弾丸は、さほど威力が高くない。分厚いディスプレイを貫通することは不可能だろう。そのためミアの身の心配はしなくても大丈夫だろう。

しかしアルド自身はダメージを覚悟しなければならない。この狭い通路の中ですべての銃弾を避けると言うのは無茶な話だ。

出口までの道のりも直線の通路が続くため、逃げる選択肢も取れない。

「仕方ないか……」

剣を鞘から抜き、腰を下ろしたアルドが地面を蹴り上げようとした瞬間――

「「異常事態発生、異常じタィ……」」

その音声と同時に、2体のレッドサーチビットの動きが止まった。

「お兄さん!今だよ!」

振り向くとディスプレイから顔を覗かせたミアが叫んでいた。

「ミア――!……いや説教は後だな」

すぐさま頭を切り替えたアルドは停止したままのレッドサーチビットの下へと駆け出した。

「「……状態回復、状態回復」」

どうやら目を覚ましたようだ。

だが――

「もう遅い!」

振り上げた剣身は右側のレッドサーチビットのコアを切り裂いた。

金属の塊となった亡骸が無造作に転がり落ちる。

だが相手はロボット。野生のモンスターと違って、仲間を倒されても動揺するような素振りは見られない。

「敵確認、排除――」

だが、ここまで詰めていればこちらのものだ。

「はっ!」

銃弾が発射されるよりも前に、アルドの剣戟が赤色の金属を裂き切った。

「排除、ハイ……ジョ……」

ブゥン――

完全に機能を停止したようだ。

「ア、 アルドお兄さん大丈夫?」

「ああ、心配ない」

ディスプレイから姿を見せたミアがアルドの下へと駆け寄る。

そうして思い出したようにアルドはミアに鋭い視線を向けた。

「ミア、危ないから隠れていると言っただろ?」

アルドはすべての弾丸を剣で弾くような芸当は出来ない。躱した弾丸が姿を晒したミアに当たる可能性は十分にあった。

「でも大丈夫だったでしょ?」

「まあ、結果的には、な……」

本当にこの少女には緊張感が駆けているようだ。ホラー映画の見過ぎで、死に対する恐怖感が薄れているのかもしれない。

「ともかくここは一旦離れよう、騒ぎを聞きつけて他のロボットが現れないとも限らないからな」

「うん、もうここは満足したしあたしも賛成」

2人はお互いに頷き合うと、ひとまず工業都市廃墟を後にした。




「ふぅ、何とか逃げ切れたな」

背後から警報音らしき音が響いていたが、何とか廃道ルート99にまで戻って来ることが出来た。

「ふふ、ゾンビから逃げるみたいでゾクゾクした~」

相変わらずミアの調子は変わっていない様子。

「本当にミアは……だがこれで満足できただろ?」

回帰現象も見ることが出来たし、アルドとしては十分おなかいっぱいだ。

「う~ん、まだ足りないなぁ。」

「え……っ」

この少女はどこまで心臓が強いのだろうか。流石のアルドもその発言には腰を抜かしてしまった。

「お願い、今度は絶対、お兄さんの言う事聞くから!」

手を顔の前で合掌させ、ミアがお辞儀をする。

ここまでされて断ると言うのは余りにも大人気ない。

「……分かった、これで最後だからな」

しぶしぶといった様子でアルドが呟いた。

その言葉を受けたミアはパッと顔を上げて満面の笑みを浮かべる。

「流石アルドお兄さん!それじゃあ次は……マクミナル博物館で!」

「ああ、あそこか」

マクミナル博物館はアルドにとって思い入れの深い場所だ。なんて言ったって、今、マクミナル博物館が存在しているのはアルドたちのおかげと言っても過言ではないからだ。

そしてミアが行きたいと申し出る理由も何となく察しが付く。

「マクミナル博物館はね、物が勝手に動くらしいの。絶対お化けが居るんだよ!」

「……ああ、そうかもな」

その正体はモンスターだったりするのだが、ここで正体をバラしてはミアに悪いのでアルドは敢えて黙っておくことに決めた。

「……アルドお兄さん、あんまり乗り気じゃない?それとも、もしかして――」

「いや!そんなことないぞ!」

変な様子を見せていてはミアに感づかれてしまうかもしれない。アルドは大袈裟なくらいに声を張ってなんとか誤魔化す。

「……ふ~ん、まあいいや!早く行こっか!」

なんだか疑いの眼差しは残っているが、ひとまず切り抜けたようだ。

「それじゃあ出発だな」

そう言ってアルドは懐から携帯端末を取り出した。

これは次元戦艦を呼び寄せる装置だ。今いる場所を伝えればどこにでも飛んで来てくれる。

現在地を廃道ルート99に設定してアルドは呼び出しのボタンを押した。

「あれ、お兄さん戻らないの?」

立ち止まったままのアルドを不思議に思ったのか、ミアが振り返って声を掛ける。

「ん?ああ、そうだったな……」

アルドはいつもの癖で次元戦艦を呼んでしまった。とは言え、時空さえ越えなければただ巨大な移動装置に他ならない。別段隠しておく存在でもないだろう。

「もう少ししたら良いものが見られるぞ」

「……こんな場所で?」

意味も分からずにミアは首を傾ける。

「すぐに分かるさ」

アルドは腕を組んで、彼方の空を見つめた。つられるようにミアも目線を上げる。

すると――

薄汚れた黒い雲海の中から一筋の光が差し込んだ。

その隙間から現れるは黒色の鉄塊、次元戦艦。

「えっ、何あれ……」

目を丸くしてただ一点を見つめるミア。その様子を見てアルドは誇らしげに笑った。

「今から俺たちが乗る船だ」

クジラのような形をしたその巨艦はみるみると大きくなって行く。

そして――目の前にまで降り立った。

廃道ルート99の道に付けるように留まった次元戦艦からハッチが伸びて来る。

「ミア、乗るぞ」

アルドが横目で様子を窺うと、流石のミアも口をあんぐりと開けて固まっていた。

「やっぱり……お兄さん、普通の人じゃなかったんだね」

そうしてミアは口角を上げた。

「オーラが出ているくらいだからな」

冗談半分にアルドが返すと、それもそうだねとミアは小さく笑った。

戦艦へと足を運ぶとミアは辺りを見渡しながら感嘆した。

「へ~、こんな風になってるんだ……」

剥き出しになったパイプに回転を続ける歯車。足元の床にはまるで血管が伸びるかのようにピンク色の液体が通っている。

「なんだが生きているみたい……」

壁に目を近づけながらミアがそっと呟いた。

「強ち間違ってないぞ。この戦艦は合成戦艦だったか……まあとにかく今も生きている戦艦だからな」

確か合成鬼竜自身も艦内は自身の肉体だと言っていた。改めて艦内を眺めてみても、体内という説明には納得が行く。

「えっ⁉」

驚いたようにミアは壁から離れた。

「このおっきな戦艦、丸ごと生き物なの?」

「詳しくは知らないが、そうなんじゃないのか?」

アルドも機械に関してはリィカに頼りっきりで知識不足だ

「なんなら話してみるか?」

この艦の本体である合成鬼竜に聞けば簡単な話だ。丁度アルドも目的地を伝えに甲板へと上がるところだった。

「話せるんだ!……う~ん、私はいいや」

ミアは頬を膨らませてどこか複雑な表情を浮かべた。

「……そうか」

好奇心旺盛なミアの事だ。アルドはてっきり喜んでついて来ると思っていた。

「危険は無いと思うが余りうろちょろするなよ」

「うん、分かった!」

元気な返事を残してミアは通路を駆けて行く。彼女にしてみればこの艦内を探索する事の方が興味をそそられるのかもしれない。

「よし、行くか」

アルドはエレベーターに乗り込み甲板へと躍り出る。今はまだ戦艦が停止したままなので問題無いが、移動中に甲板へと上がりでもすれば、いつも強風で吹き飛ばされそうになる。

長い甲板をゆっくりと進むと、前方から声を掛けられる。

「おうおうおう!アルドじゃねえかぁ!」

真っすぐに伸びた角のような銃口、その下には赤色の目が左右合わせて6つ赤く光っている。加えて鋭い牙が生え揃っており、耳も鋭利に尖っている。全身にくっついたコードやら何やらが無ければ、今にも襲い掛かってきそうだ。

「すまないな、いつも世話になって」

「ははっ、問題ねえぜ!俺達、暇だからよ!なあアニキィ!」

だがそんな見た目とは裏腹に、至って陽気な性格。これが主砲という奴だ。

そして――

「ああ、そいつの言う通りだ」

アニキと呼ばれた存在、それこそこの次元戦艦の主、合成鬼竜。

主砲と似た紫の色合いに鋭く伸びた角と顎。6つの目は淡い紫色に光っている。体の中心にはコアと思しき赤色の液体が露になっている。

合成鬼竜の真下まで進んだアルドは顔を上げた。

「合成鬼竜、ネルヴァまで飛んでくれるか?」

「了解した……それにしてもアルド一人とは珍しいな」

「いや、今日は少女を連れてきているんだ。今は艦内で遊んでいると思う」

「……」

どうしたのか、それっきり合成鬼竜が黙ったままでいると背後から大声が響いた。

「デートにでも行くのかぁ⁉」

「……そんなわけないだろう」

間髪入れずに言葉を返すと主砲は意地悪く笑った。

「鬼竜のアニキはどう思いますか?」

主砲が鬼竜に問いかけるも、鬼竜は未だに反応する素振りを見せない。

「合成鬼竜、どうしたんだ?」

心配したアルドが声を掛けると――

「……ん?ああすまない。少し気になったことがあってな……」

鬼竜にしては珍しい光景だが、何かトラブルでもあったのだろうか。

「何か問題でも起きたのか?」

ミアが何かやらかしていてもおかしくない。やはり一人にしたのは不味かったか。

「いや、俺の気のせいだろう。気にするな」

鬼竜の勘違いとして話は切り上げられた。

後でミアに直接問いただした方が良さそうだとアルドは心に決める。

「行先は……ニルヴァだったな」

「ああ、よろしく頼む」

アルドが答えるや否や、次元戦艦は移動を開始した。

艦内に入ることも出来たがアルドはそのまま甲板に居続けた。飛ばされる危険性もあるが、あの疾走感は何物にも例え難い爽快感を誇っている。

戦艦は徐々に速度と高度を上げて行く。

アルドは突風に飛ばされないように取手を強く掴んだ。

黒い雲を突き抜けた先には青一色の空が広がっていた。

そして次の瞬間、次元戦艦は一気に加速。

冷えた空気がアルドの全身に襲い掛かる。だがそれを打ち消す程の爽快感がアルドを覆いつくしていた。

――

「付いたぞ」

「ありがとう、やっぱり次元戦艦は速いな」

未来の世界にはホバーボートのような移動に優れた乗り物が存在するものの、次元戦艦の速度には到底適わない。

「帰るときにまた呼んでくれ」

「ああ、よろしく頼む」

アルドはそう告げて甲板を後にした。

***

アルドが完全に姿を消したのち、主砲が鬼竜へと問いかける。

「アニキ、どうかしたのか⁉」

「ああ、何かがおかしい」

アルドの時とは違い、鬼竜は即答した。

「アルドは少女が艦内に居ると言っていた」

「そんなこと、言ってたな!」

これはどちらも聞いていた。間違いようもない。

「だがそんな奴、どこにもいない」

艦内は鬼竜にとって体内のようなものだ。生体反応や異常があれば簡単に察知出来るようになっている。しかし、どこにも少女らしき存在は確認されなかった。

「アルドが嘘を付く訳もない。艦内に異常があるのかもしれない」

「なら合成人間呼んでこねぇとな!」

2体は戦艦に連結しているため動けない。そのため艦内の設備を点検するためには他の者の手を借りなければならなかった。

「……そうだな」

鬼竜の放った言葉は風に運ばれて消えていった。




ウィーン……チン

エレベーターが開くとそこにはミアが立っていた。

てっきりミアを探し回る羽目になると思っていたアルドは少し面食らった。

「ミア、大人しいな」

「だってここでお兄さんの機嫌を損ねても、良いことないでしょ?」

ごもっともだ。心霊スポットが間近に迫っていると言うこともあって下手な行動は慎んでいるようだ。

一応の事だがアルドは尋ねてみた。

「艦内で何か変な事は起きなかったか?」

「……?変なこと?」

この様子ならミアが関わっている可能性は薄そうだ。

となると、本当に合成鬼竜の気のせいだったということか。

「いや、何でもない」

アルドはそれだけ言うと先導するように歩き出した。

次元戦艦から降り立ったそこは浮遊街ニルヴァ。浮遊街と言うことだけあって、家も植物もすべてが浮遊する円盤の上に設置されている。

白色基調の建物と植物の緑が街を彩る中、どこか不釣り合いな建物が一軒。

それこそ今回の目的地であるマクミナル博物館だ。

ニルヴァの北西にあるその建物は年期を感じさせる風貌を保っており、まるでこの近未来な世界から切り離したような感覚を覚える。

「ここか~!ふふ、楽しみ」

くすくすとミアは笑みをこぼす。本当に緊張感の欠片も感じられない。

「ミア、もう一度確認するぞ」

アルドは正面の入口の前で腕を組み、事前にミアへと伝えていた内容を再び口にした。

「館内は走らない、展示品には触らない、大声で喋らない。分かったか?」

「うん!3ないだね!」

ばっちしというようにミアはピースを作って見せる。

マクミナル博物館において守らなければならない最大の掟、それがこの三つの行動なのだ。

これらを守りさえすれば、基本的に問題は起きない……はずだ。

「守らなかったらすぐに連れて帰るからな」

「分かってるって」

緩み切った表情は抜けきれないが、ここまで念押しすればミアも従ってくれるだろう。

最後に力強く頷いたアルドは見事な装飾の入った扉を引いた。

中には博物館特有の変わった臭いが充満していた。

目の前には受付カウンターが設置されているが、人の気配は感じられない。それもそのはず、現在この博物館は臨時休業中なのだ。

そしてその原因が――

ウィーン

その音が聞こえると同時に、アルドは反射的に顔を上げていた。

視線を向けた先には、廊下を曲がってこちらへと近づいて来る茶色の円形ロボット、セキュリティドローンの姿があった。

そう、ここマクミナル博物館にはモンスターが潜んでいるのだ。

だがそう警戒する必要もない。なぜなら――

攻撃を仕掛けてこないからだ。

「あれが、走らないだね」

小声で囁くミアにアルドは頷きを返した。

ここに生息するモンスターたちはむやみに人間を襲ってはこない。違反行為をした時に限り、攻撃を繰り出して来る。

その違反行為こそアルドが事前に伝えていた「3ない」、走らない、触らない、喋らないという博物館で守るべき基本原則だ。

これさえ守れば先ほどのセキュリティドローンのように、何事も無く通り過ぎてくれる。

他にも展示品に触れようとすれば、絵画から飛び出した異形の女性、グリーディが手を掴んできたり、大声を出せばツタンカーメンさながらのエンシェントカースが目を覚まし襲ってきたりする。

しかしこれらもやはり禁止事項を守れば、こちらに干渉してくることはまずあり得ない。

これらの習性は博物館という特殊な環境に身を置いているためなのだろうか、詳しいことは分からないが、助かる限りだ。

アルドは気を少し緩めて館内を見て回った。古代の置物や食器類が展示されているが、時を渡るアルドからすれば別段目を惹くようなモノ何一つ見当たらない。

「アルドお兄さ~ん」

展示品をぼーっと眺めていると、ふと背後からミアが小さく声を上げていた。

「どうした……っておい!」

たまらずアルドは語尾を荒げてしまった。それもそのはず、ミアがエンシェントカースの目の前でアルドに手を振っていたからだ。

そして当然、エンシェントカースはアルドの声に反応する訳で、赤色の双眸がアルドをじっと見つめる。

「――ッ!」

まるで銅像のように、アルドはただひたすらに固まってその視線をやり過ごす。

そして――エンシェントカースはそれ以上動くこと無く、静かに目を閉じた。

瞬間、アルドの全身から冷や汗が溢れ出た。

アルドがミアに鋭い目線を送るとミアは小さく舌を出した。

取り敢えずエンシェントカースの死角にまで移動するよう、アルドが目で促す。

ミアは大人しくアルドの指示に従うが開口一番に切り出した。

「お兄さん、怒られてた~」

「それはお前――」

「しーー!だよ、お兄さん」

またもや大声を出しかけたアルドがミアに窘(たしな)められる。口元に指を立てるミアは三度(みたび)、愉快気に笑った。

「先に言っておくけど、言い付けは守ってるからね」

「くっ……」

アルドは又もや押し黙るしかなかった。

実際ミアがやったことと言えばアルドに声を掛けて、手を振っていたにすぎない。

「俺が怒ると分かっていただろう?」

「……そんなことないよぅ」

肝心なところをミアはとぼけて見せる。

「……はぁ」

これ以上追及したところで無駄なことはもう十分と分かっている。

「ふふ、やっぱりお兄さんといると退屈しないや」

はにかんだミアの表情は大層晴れやかだ。

対するアルドはというと、髪をむしゃくしゃと掻きむしった。

本当にこの子は油断も隙も有りやしない。

これ以上ミアのペースに飲み込まれてはたまらない。ふーっと息を吐いたアルドは話を変えようと、ずっと気にしていた質問を投げかけた。

「そう言えば……幽霊は見えるか?」

尋ねられたミアは改めて空中を見上げる。

「うん、予想していたのとは違うけどね。なんか変わった服の幽霊ばっかりなんだよね……」

それはもしかすると古代や現代の幽霊なのかもしれない。

展示物に憑いていたと考えれば合点が行く。

「そうか……」

彼女は本当に幽霊が見えているのかもしれないとアルドは薄々思い始める。

「けど残念、モノが動くのとか期待してたのに……」

「そう言えばそんな噂だったな。まあ、その正体はただのモンスターだからな」

モンスターだと知らない者が見れば、幽霊と間違えてもおかしく無いだろう。

「それじゃあそろそろ帰るか?」

これ以上進展もなさそうなので、切り上げるようにアルドが声を掛けたその時――

カタッ、カタッ

不意にショーケースの中から音が聞こえた。見るとどうやら、展示物が震えているようだ。

「……ん?」

これはもしや――

アルドの予想はすぐさま的中することになる。

展示物は一つ、また一つと振動の波を伝えて行く。いつの間にか辺りでは振動音の合唱が始まっている。

「ふふ、ふふふ」

待っていましたとばかりに、ミアの口角が吊り上がる。

こんな不可思議な現象が一日に二度も起こるなんて通常では考えられない。

「ミア、やっぱりキミが――」

ミアに問いかけようと口を開いたアルドだったが、言葉が途中で途切れた。

なぜなら、さらなる振動がアルドを揺らしたからだ。

「これは……建物自体が揺れている⁉」

まさか振動が重なり合って、この建物丸ごと揺らすまでに至ったのだろうか。

「いや違う……この音は」

振動音とは異なる、何か別の大きな音。

「……まさか!」

アルドの想像を裏付けるかのように、前方からセキュリティドローンが逃げるように2人の頭上を通過した。

「ミア!走って外に逃げろ!」

禁止事項などお構いないしにアルドは鋭く叫ぶ。

「えっ、どういう事?それに走ったらダメなんじゃ――」

マクミナル博物館における例外的な存在。そいつを前にすれば、他のモンスターたちは我関せずとばかりに大人しくなる。

「いいから!」

アルドが叫ぶと同時に、振動の正体が姿を現した。

「クッソ!」

古代に生きていた恐竜の化石。それが魂を得て覚醒した化石型モンスター、ダイナヴィラン。

本来は手で触れない限り起きないはずだが、先ほどの振動が目覚めのトリガーになったのかもしれない。

骨だけで構成されているせいかダイナヴィランはとても素早い。逃げたところで追いつかれるのがオチだ。

剣を抜いて腰を低くするアルド。

「――こい!」

アルドを目視したダイナヴィランがその巨体を揺らして、ただひたすらに駆けて来る。

剣を握る両手に力を込め、床を踏み出そうとしたその時――

「お兄さん勝てるの⁉」

「⁉ミアどうして逃げていない!」

予想外の出来事にアルドの反応が遅れた。

「グルァァァ――!」

視線を前に戻した時には、眼前まで近づいた大きな口がまさにアルドを喰らいつくそうとしていた。

寸のところで剣を繰り出すアルド。直後、衝撃が全身に襲い掛かる。

「――くっ!」

骨だけで出来ているとは到底考えられない程のパワーだ。長い間積もった邪念が力となっているのだろう。

「ミア、いいかから逃げろ!」

じりじりと後ずさるアルドが心の底から叫ぶも、遠ざかる足音は響いてこない。

「いいから、勝てるの⁉」

キレ気味で叫ぶミアにどこか真剣さを感じたアルドは、ひとまず答えることにした。

「無理だ!俺の剣じゃこいつの心臓に届かない――ッ!」

言葉を力に乗せるように、アルドは剣を振り下ろす。

ダイナヴィランの顎が地面に叩きつけられるが、何事も無かったかのように起き上がる。

このモンスターを倒すには、内部にある紫色のコアを叩くしかない。

しかしそれを囲む骨は斬撃を受けてもびくともしない。骨の防御をこじ開けるには、拳鍔やハンマーなど打撃系の武器が必要となる。

リィカやエイミがいないこの状況ではどうしようも無かった。

「くっ……」

今のアルドでは抑えつけるだけで精一杯なのだ。だからこそアルドはミアに逃げろと命じていた。

「中心にある骨さえどうにかできれば、何とかなるんだが……」

「……お兄さん、今なんて?」

どうやらアルドの心の声が漏れていたらしい。

「いや……中心の骨さえなくなれば俺でも倒せるんだけどな……」

そんなたらればを言ったところで状況が好転するはずない。

そう思っていた矢先、目の前で異変が起こった。

「グァ?――ッ!」

突如ダイナヴィランが声を上げて悶え始めたかと思うと、今度は骨が軋む音が聞こえた。

「グァァァーー!」

そして終には腹を裂いたように腹の骨が左右に開いて行く。

「な、なんだ……⁉」

余りの出来事にアルドも戸惑っていた。

考えられることと言えば魔法攻撃くらいだが、辺りを見渡しても何者かが潜んでいる気配は感じられない。

「お兄さん!これなら!」

ミアの声を聞いて、アルドははっと意識を取り戻した。

これ以上のチャンスはない。ダイナヴィラン自身も戸惑った様子で、隙が出来ている。

床を蹴り上げてアルドは一直線に駆け抜ける。

ダイナヴィランもアルドの接近に気付いた様子で、鋭い爪を振り上げる。

振り下ろされた鈎爪が頭上へと降り注ぐ直前、アルドはスピードを上げた。

懐へと入り込んだアルドは開けた腹に向かって剣を振り切った。

「はッ!」

プシュ――

ガスが噴き出るような音を発した後、ばらばらと骨の雨がアルドに降り注いだ。

「グルァ!グルァ!」

頭には体とはまた別のコアがあるようで、顎をガクガクと揺らしている。だが体が崩れ落ちた今では何ら脅威ではない。

剣を鞘に収めたアルドはミアの傍まで駆け寄った。

「ミア、逃げるぞ」

「……倒さなくていいの?」

ばらばらになった骨の山をちらりと見て、ミアがポツリと呟いた。

「ああ、あいつは不死身だからな。魂を切ってもしばらくすれば骨が集まって魂も再生する」

それだけ積年の邪念が詰まっているのかもしれない。

「へ~、なんだが幽霊みたいだね」

ミアの言う通り、モンスターとはどこかかけ離れた存在に思える。

「ほら、いつまでも見ていないで帰るぞ」

「は~い」

急かすようにアルドが声を掛けると、ミアは小走りでアルドの後を追って行く。

マクミナル博物館にはいつもの静寂が戻っていた。




「はぁ、災難だった……」

まさかダイナヴィランに襲われるとは夢にも思っていなかった。マクミナル博物館を出るや否や、階段に座り込みアルドは大きく息を吐いた。

「殺人鬼が襲ってくるみたいですごい迫力があったね!」

「こっちの身にもなってくれ……」

キラキラと目を輝かせるミアだが、アルドはその意見に賛同することは出来なかった。

とは言え、あれほど凶悪なモンスターを目の前にしても怖気づいた様子一つも見せないとは、本当に肝が据わっている。

(この子は冒険者に向いているだろうな)

危機を前にしても決して逃げない性格、今から将来が楽しみだ。

そんなことを頭の片隅で想像しながら、アルドは次元戦艦に連絡を送った。

「それじゃあ、船に戻るとするか」

膝に手を当てて立ち上がったアルドが視線を送ると、ミアは小さく笑みをこぼした。

彼女も十分満足したことだろう。

「そう言えば……」

浮遊するニルヴァの通路を通りながら、アルドがふと思い出したように口を開いたが――

「けどやっぱり、まだ物足りない!」

「……おいおい、嘘だろ」

直前に言おうとした言葉などすっかり忘れて、アルドは顔を引きつらせていた。

「ほんと~に、最後だから!ぜ~ったい悪さしないから!」

ミアは両手をぶらぶらと伸ばして小さな顔をアルドへと突き出す。

「ミア、流石にこれ以上は……」

「――いけず」

俯いたミアがぼそりと吐き捨てた。そして僅かに肩が震えている。

「……ミア?」

覗き込むようにアルドがしゃがむと、ミアは目元に両手を当てていた。

「……お兄さんのいけずぅ!ミアがこんなに頼んでるのに!」

うえ~んと大声をあげて、ミアが泣き叫ぶ。

「え、えっ……いや」

まさか泣くとは思っていなかったので、アルドは戸惑ってしまう。

騒ぎを聞きつけたのか、ネルヴァの住民が訝しげにアルドへと視線を向けている。

「わ、分かったから。泣かないでくれ」

アルドは慌しく手のひらを振って、ミアを落ち着かせる。

「ほんと!」

その言葉を聞いて、ミアはぱっと明るい顔を取り戻した。目元には涙の痕などこれっぽちも見当たらない。

「……ミア、だましたな!」

「ん?なんのこと~?……ふふ」

陽気にはにかむミアは立ち尽くすアルドを残して一目散に走って行く。

アルドは腕を組んだまま、小さくなっていく背中に目をやった。

「……」

ミアに甘いのは、彼女のようにおてんばな妹がいるせいかもしれない。

そうして小さく笑みをこぼしたアルドは次元戦艦が待つニルヴァの西端へと歩を進めた。




「ん~!やっぱり最後はここだよね!」

次元戦艦から降りるや否や、ミアがうっとりとした表情を浮かべた。

そう、最後の目的地は聞くまでも無かった。

「本当に似ているよな……」

アルドが生きる現代の中でも有数の建造物であるミグランス城。それを未来の世界で再現した建物こそ、ここホーンテッド・シャトー。

遊園地のアトラクションとして建設されたらしいが、今はもう潰れたようで、すっかり廃屋と化している。

「う~、ゾクゾクしてきた!」

幽霊城、すなわちお化け屋敷として建てられただけあって、建物そのものが不気味さを保っている。

今はまだベランダに立っているため安全だが、中に入れば恐怖の連続間違いなしだ。

ただでさえミアと一緒に居ると奇妙なことが起きるのだ。

そんな彼女がホーンテッド・シャトーに入ればどうなるのか、アルドには想像もつかない。

「アルドお兄さんでも、流石に怖いんじゃない?」

「……どうかな」

アルドはここでの出来事はモンスターの悪戯だと割り切って進んでいた。だからこそ恐怖もそこまでだったが、今回ばかりはそうも言ってられない。

だがここまで来てしまった以上、腹を括るしかない。

「よし、それじゃあ中に入るぞ。分かっていると思うが変な行動はするなよ」

「うん!」

その返事を聞いて、アルドは割れた窓から屋内へと侵入した。

足を踏み入れた先、ミグランス城の王室にあたる部屋は酷い有り様だった。床板は黒ずみ、カーペットは焼け焦げたようにちぎれている。ベッドのシーツは薄汚く埃を被り、本棚には蜘蛛の巣が張っていた。

ただこれは荒廃した訳では無く、そのような演出なのだろう。

このような作り込みが、より一層不安感を煽ってくる。

「暗いな……」

重厚な扉を開けた先には薄暗い玉座の間が広がっていた。

「ふふ、ふふふ……」

突如ミアが奇怪な笑い声をあげ始めた。

「……どうしたんだ?」

「ここの幽霊は一味違うよ!……気配は感じるけど、まだ見えない。きっと驚かす気満々なんだよ!」

どうやらここの幽霊はミアのお眼鏡に適ったようだ。

「……そうか」

聞かなければ良かったと後悔すると同時に、何だが肩が重くなった気がした。

渦巻く負の気持ちを振り払うように、アルドは足早に階段を駆け下りる。

「あれ……夜みたい」

4階へと降り立ったミアが開口一番に呟いた。

彼女の言う通り、外はまだ明るいはずだ。しかし辺りは暗闇に包まれ、窓からは月の光が差し込んでいる。

「外を見てみろ、理由が分かるぞ」

そう言われてミアは窓枠に手をかけて外を覗き見た。

「……もしかして、映像?」

「ああ、その通りだ」

良く観察していれば雲の動きが不自然なことに気付く。

お化け屋敷だと言うのに、外が明るいままでは興が削がれると考えたのだろう。未来の世界ならではの工夫と言える。

「ふ~ん」

幽霊と関係がないせいか、ミアはあまり興味なさそうに鼻を鳴らした。

その後、アルドとミアは慎重に進んで行く。

独りでに徘徊する肖像画や、瞳が動く絵画。鎧の像が勝手に向きを変えていることもあったし、鏡に映った虚像がおかしな動きを取ることもあった。

所々モンスターの悪戯では済まされないような出来事も経験していた。

「残り一階だな」

今アルドとミアがいるのはホーンテッド・シャトーの2階層。あと一階を回り切れば完全制覇となる。

「ふふ、やっぱりここは最高だね!」

どんな怪奇現象に見舞われても、その都度ミアは嬉しそうに顔を綻ばせていた。

初めからこの場所に来ていれば、ミアは十分満足して、それ以上は要求しなかっただろう。

そうすれば数々の出来事に巻き込まれずに済んだかもしれないと思うと、アルドは複雑な気持ちに陥った。

だがそんな少女との旅もここでもう終わりだ。

(色々あったが、まあ楽しかったな……)

そんなことを思っていると、消えゆくような微かな女の声がアルドの耳へと届いた。

「ん?何か今悲鳴が聞こえたか?」

「……?お兄さんの気のせいじゃない?」

どうやらミアには聞こえなかったようだ。

幻聴が聞こえるなんてことも、ホーンテッド・シャトーではありふれた怪奇現象の一つだ。

「……そうかもな」

そんな些細な現象をいちいち気にしては埒が明かない。

「きゃーー!」

「「⁉」」

しかし今度の声はミアにも確かに聞こえたようだ。

声のした暗闇の通路へと二人が顔を向ける。

「今の声って……」

幻聴にしては余りにもリアルな悲鳴にアルドは胸騒ぎがした。

しかしそれ以上に驚くべきことは、横目で見たミアの表情が強張っていたことだ。

どんな怪奇現象を前にしても顔色一つ変えなかったミアが、先程の悲鳴には強く反応した。

心配になったアルドが手を伸ばして、ミアへと声を掛けようとした瞬間――

声の聞こえた闇の中へ、ミアが一目散に駆けて行った。

「⁉待て――ッ!」

アルドの静止も聞かずに、小さな背中は暗闇に消えていく。

すぐさま追いかけたアルドだったが、視界は悪く、入り組んだ構造のせいでミアを見失ってしまう。

「そうだ、足音だ」

アルドは息を殺して耳に神経を集中させた。

「……聞こえない⁉」

あれほど慌てているはずだというのに、足音一つ聞こえないとはおかしい。

戸惑うアルドを導くように、再度悲鳴が木霊した。

「……下か⁉」

アルドは記憶を頼りに階段を目指して通路を走り抜ける。

「――あった!」

ようやく見つけた階段を駆け足で下りると、何やら近くで物音が聞こえてきた。この階であることは間違いないようだ。

「お母さん!」

「⁉今のはミアの声か!」

これまでの叫び声とは違って、その声は確かに先ほどまで隣にいた少女のものだった。

2,3の廊下を曲がった先、そこでは通路の角に立ったミアが全身を震わせていた。

「ミア!」

その声にハッと顔を向けたミアは、それまで眺めていた廊下を指さして叫ぶ。

「アルドお兄さん!お母さんたちを助けて!」

ミアのところまで走り、最後の角を曲がるアルド。その視線の先には――

「⁉」

肩から血を流して片膝をつく男性。

その傍では女性が心配そうに体を寄せていた。

「あなた、大丈夫⁉」

「ああ……」

そして2人の前にはナイフを持った道化師姿のシャトークラウンが三体、ケタケタと高笑いしている。

ホーンテッド・シャトーに生息するモンスターの中には人間を驚かすことに興味が無く、襲ってくる奴も一定数存在する。

人間に危害を加えるようなモンスターは切るしかない。

アルドは床を蹴りつけて剣を引き抜いた。

「大丈夫ですか⁉」

間に入ったアルドが背後の二人に声を掛ける。

「はっ、はい!」

「危ないですから後ろに下がってください!」

アルドはそれだけ言ってシャトークラウンの群れを見据え直す。

「「「クヒヒヒィーー!」」」

シャトークラウンの群れはナイフを高く掲げて奇怪な声を上げた。そして――

地面を飛び跳ねると一体は柱に片手で捕まり、もう一体は天井から垂れ下がった布切れにぶら下がる。そして残りの一体は地上で跳ねながらこちらの様子を窺っている。

流石、道化師モンスターなだけあって器用な動きだ。

「クヒィーー!」

地上に残ったシャトークラウンがナイフをアルドへと向けると同時に、残りの二体がアルドへと襲い掛かかる。

「「クッヒィーー!」」

周辺を利用したアクロバティックな攻撃。普通であれば避け切るのは難しい。

しかし、相手が悪かった。

「はっ!」

ナイフがアルドの体へ到達するよりも前に、アルドの斬撃がシャトークラウンの体を両断。

ぐしゃっという不快な音と共に、シャトークラウン二体の残骸が通路に転がった。

「ヒ――ッ」

唯一残されたシャトークラウンはすぐさま危険を察知。脇目もふらずに通路を疾走する。

だがそれ以上の速さでアルドが近づいて来る。

足掻くようにナイフやボールを投げ付けるが、造作も無く弾かれた。

「――終わりだ」

「!グィ……ッ」

背後から切りつけられたシャトークラウンは断末魔をこぼして絶命した。

「ふっ……」

アルドは一つ息を吐いて、ゆっくりと剣を鞘へと収めた。

「大丈夫ですか?」

廊下の隅で小さくなった二人組にアルドは安心するように声を掛けた。

「あっ、はい。深い傷ではないようですので……」

見ると傷を負っていたはずの男性の肩にはぐるぐると布が巻かれていた。

どうやら身近にあった布をちぎって包帯代わりにしたようだ。

「本当に助かりました」

体を起こした女性が何度もお辞儀を繰り返す。

命にかかわるような怪我が無くて、アルドも安心した。

「それにしても、どうしてこんなところに来ていたんだ?」

この遊園地はすでに廃園しており、ミアのような物好きを除けば、決して立ち入る機会など無いはずだ。

女性は少しためらった様子を見せた後、男性の顔色を伺った。

「助けてもらったんだ……言ってもいいだろう」

「……そうね」

そうして女性は懐から一枚の写真を取り出した。

「……ミア⁉」

受け取った写真には、あろうことかミアの姿が映っていた。

だが思い返してみれば、先ほどミアは彼女の事をお母さんと呼んでいた。つまりこの二人はミアの両親と言うことか。

「⁉どうして名前を?」

母親と思しき女性が食い入るようにアルドへと近づき、声を荒げる。

「いや、さっきまで……」

ここまで言ってアルドは言い淀んだ。こんなところに連れて来たと両親に知られたら、二人共ども叱られるかもしれない。

「その……知り合いなんだ」

今日一日旅をした仲だ。あながち間違った説明でもないだろう。

「……そう、ならあなたもこの子の願いを叶えに?」

「願い?」

アルドが聞いた願いと言えば、心霊スポットを巡るよう頼まれたことだが、そのことについてだろうか。

「そこまでは知らないようね……」

写真に目を落としながら、母親はぽつぽつと語り出した。

「この子はね、とっても幽霊が好きだったの。家でもホラー映画ばっかり見ていてね、いつしか本物の幽霊を見たいと言い出すようになったわ」

ここまではアルドがミアから聞いた話の内容と同じだ。

「そんな中でも特に、このホーンテッド・シャトーはこの子が一番行きたいと言っていた場所だったの」

実際ホーンテッド・シャトーはミアが最後まで取っておいた場所だ。一番行きたいと思っていても何ら不思議ではない。

「けど、私たちはあの子の願いを聞き入れはしなかった」

「ここがとっくの昔に廃れて、今は魔物が住んでいると聞いていたからな」

アルドのように力のある者ならまだしも、彼らのようにモンスターと戦う術を持っていなければ反対するのも無理はない。

「だから、せめてもの罪滅ぼしに、あの子の生前の願いを叶えてあげようと……」

母親は俯いて写真をそっと握りしめた。

「……ん?生前?どういうことだ?」

不穏な単語が入っていることを、アルドは聞き逃さなかった。

「もしかして、それもご存じないのですか……」

母親は唇を噛みしめてそれ以上何も言わなかった。アルドが父親へと視線を移すと、小さく息を吐いた。

「死んだのさ、機械に巻き込まれてな……」

心のどこかで、アルドは予期していたのかもしれない。それでもやはり驚きは隠せなかった。

「死んだ……⁉」

アルドは反射的に通路の角へと目をやった。しかしそこには誰の姿も無かった。

これまで以上にアルドの鼓動が跳ね上がる。

「俺たちは本当にバカな親だ。ミアの願いを一つも聞いてあげやしなかった……」

拳を床に打ち付けて、父親が体を震えさせる。

「どうして⁉本当に死んだんですか⁉」

「ああ!何度も言わせるなよ!猫なんかと遊んでいたから……」

「……猫」

猫と言えば、エルジオンで出会ったミアに懐いていた白猫を思い出す。

「この子はね、幽霊と同じくらいに、猫にも興味を持っていたの」

懐かしむような表情を浮かべながら、母親が言葉を紡いでいく。

「それで猫が飼いたいと駄々をこねていたのだけれど、この人が猫アレルギーでね。だからロボットの猫しか飼うことが出来なかったの」

「けれど、それだけじゃ満足できなかったのでしょうね。あの子はよく外で野良猫と遊んでいたわ……」

アルドが初めて会った時のように、ミアが猫と戯れている情景が目に浮かんだ。

「けれどあの子が死んだとき、傍には……」

「……そうか」

例の白猫がミアの傍(そば)にいたのだろう。それは傍(はた)から見れば猫と遊んでいた最中、事故に逢ったように見えたに違いない。

「結局あの子を殺したのは、私たちなのかもしれません……」

猫を飼ってあげればこんなことにはならなかった、そう言いたげな様子だった。

「すみません、こんな話を聞かせてしまって」

「……」

何か気の利いた言葉を送ろうとしたアルドだったが、何も思い浮かばなかった。

それだけアルドにも精神的に来るものがあった。

「それじゃあ私たちはこれで失礼しますね。本当に助けて頂いてありがとうございました」

それでも一つだけ、アルドは尋ねることができた。

「……最後にいいか?」

「はい、何でしょう?」

その場に立ち止まり、二人はアルドへと振り向いた。

「もしも、ミアに言葉を伝えられるなら、なんて伝えたい?」

「そうですね……」

口元に手を当てて、母親はしばし考え込んだ。父親は腕を組んで目を瞑っている。

「愛していたわ……かしらね」

絞り出された思いは、謝罪ではなく愛情だった。

「……俺も同じだ」

照れ臭そうに頬を掻いて父親が呟くと、一足先にこの場を去って行く。

最後にもう一度お辞儀を返し、母親もその後を追った。

二人の背中を最後まで見送ると――

「……アルドお兄さん」

背後で少女の声が響いた。

振り返ったそこには、先ほど写真で見たばかりのミアが立っていた。

「ミア、お前は……」

「うん、お兄さんの思っている通り、私は幽霊だよ。ほんとは最後に種明かししようと思ってたんだけど……ざんね~ん」

目の前で気さくに笑う少女が幽霊だとは未だに信じ難い。

しかしミアがアルドの方へ手を伸ばすと、見事にアルドの体をすり抜けた。

「⁉」

それはこれ以上ない証明だった。

「今の今まで全く気付かなかったよ」

幽霊が見えるといった特殊な能力があったとはいえ、まさか幽霊そのものとは思ってもみなかった。

「バレないように、出来るだけお兄さんの後ろにいたからね」

彼女が前を行くことを嫌がっていた理由はそのためだったのか。今思えば、扉の開け閉めを行っていたのも全てアルドだった。ミアでは自動ドアも反応しなかっただろう。

「あの怪奇現象の数々はミアの仕業だったのか?」

工業都市廃墟でのディスプレイ点灯や、マクミナル博物館で展示物が揺れたことなど、人間のミアなら到底出来ない芸当だが、幽霊というのであれば話は別だ。

「あれは他の幽霊さんたち頼んで、色々して貰った!」

なるほど、周りの幽霊たちも驚かす気満々だったと言うことか。

「今回の旅はね、お兄さんのビックリする様子を楽しむためのものだったから!」

「……そうだったのか」

だとすればアルドはミアの術中にまんまと嵌められていたと言う他ない。

何度彼女の行動に驚かされたことか。その都度ミアは心の中でしめしめと笑っていたに違いない。

「沢山してやられたな……」

「お兄さんは良い反応してくれるから、とっても楽しかった!」

アルドの反応を思い出したのか、ミアがぷぷぷと噴き出した。

「それにしても、まさかミアの両親に会うとはな……」

「あっ、そうだ」

そこでミアは真剣な表情を作って――深く頭を下げた。

「お母さんとお父さんを助けてくれてありがと!」

「!……感謝されるほどたいした頃はしていないぞ」

困った人がいれば助けるのは、アルドにとって至極当然のことだ。

「けど、ほんとにありがと」

ミアの純粋な感謝の気持ちがそこには現れていた。

「ああ、そう言えば2人から――」

「聞いたよ。ばっちりとね……」

あの時この通路上にはいなかったが、どこかに隠れていたのだろう。

「私ね、この姿になってから、お母さんたちの傍に近づいたことが無かったの。死んでくれて良かった、なんて言葉を聞くかもしれないと思ってさ……」

「そうだったのか……」

ミアと両親との関係が上手くいっていなかったことは、話を聞くだけでも薄々感じ取れた。

それは偏に両親のミアに対する思いやりによるものだったが、幼いミアには嫌われていると誤解されてもおかしく無かっただろう。

「けどさ……嬉しかったな。本当の気持ちが聞けてさ。幽霊なのに涙が出そうになったよ」

その時――

ミアの体がぼうっと光り輝いた。

「⁉」

「えっ、何これ⁉」

突如生じた発光。それに追い打ちをかけるようにミアの体がだんだんと薄れ始める。

「えっ、えっ!」

自分自身の手をまじまじと見つめながら、ミアは慌てふためく。

しかしアルドには一つの予感があった。

「もしかして……ミアは成仏しようとしてるんじゃないか?」

「えっ、成仏⁉幽霊の友達に聞いたことあるけど……それってやり残したことが達成された時に起こるものなんでしょ?」

彼女の言う通り未練が無くなった時、幽霊は成仏すると言われている。

「だって私はまだ猫ちゃんとも遊び足りてないし、心霊スポットだってまだたくさん行きたい場所が――」

ミアが勢いよく捲し立てるが、アルドは彼女の言葉を遮るように手のひらをかざして首を横に振った。

「それは多分違うんだ……」

じゃあ何が!と急かすような視線がアルドに突き刺さる。

「ミアが本当に望んでいたことは……両親と仲直りすることだったんじゃないのか?」

本心ほど自分では気付きにくいモノだ。

思い返しても、ミアが両親との仲について触れた後、この発光が始まった。

「……そう、なんだ」

ミアは肩を落として足元を見つめた。

「ねえ、アルドお兄さん。最後のお願い」

「なんだ」

「ぎゅっとしてくれる?」

「……ああ」

アルドはその問いに頷くと、ミアの傍まで寄った。

そしてミアの体をゆっくりと抱きしめる。

アルドの胸に顔を埋めたミアは、ただひたすらに大声で泣いた。

抜け殻の体からは一滴の涙も零れない。それでもミアの心の底から、涙は溢れていた。

消えゆく背中をアルドはゆっくりとさすった。

感触は伝わらない。それでもアルドの思いがこの少女に届くと信じて。

***

それからどれくらい経ったのだろうか、ミアがアルドの名前を呼んで体を離した。

「……ありがと」

「ああ、お兄さんだからな」

やはりミアの姿がどこかフィーネに重なる。

だからこそ余計に、アルドの心も悲しみで包まれていた。

「もうすぐだね……」

もうミアの体をほとんど透けている。

終わりの時が近づいているのは明らかだった。

「それにしても、なんでアルドお兄さんは私の姿が見えたんだろ?」

最後の最後でミアは衝撃的な真実を口にした。

「俺だけだったのか⁉」

「うん」

なるほど、それならニルヴァで浴びた訝し気な視線は、一人で話しているように見えたせいだったのか。

「幽霊か猫ちゃんにしか見えないはずなんだけど……もしかしてお兄さんも幽霊だったりして」

冗談気味に笑うミアにアルドは苦笑するしかなかった。

「あー、それがな……実は俺、猫なんだ」

一瞬アルドの言っている意味が分からなかったのか、ミアは固まった。

「……ほんとに?」

瞳を大きく見開いて、口をパクパクと開くミア。

「だから俺にもミアが見えたんだと思うぞ」

そんな二人を引き合わせたくれたのは、あの白猫だった。あの白猫の目にもアルドが特別に映っていたのかもしれない。

「幽霊の私を驚かすなんて……お兄さんも中々やるね」

「ミアほどでもないよ」

互いの視線が交錯し、同時に小さく笑い合った。

「……それじゃあ、アルドお兄さん、バイバイ!みぁちゃんのこともよろしく!」

「ああ、ミアも元気でな……」

最後まで笑顔を貫いたミアの頬に、一筋の涙が光って見えた。

そして――

目も開けていられない程、一面が白く輝き出す。

***

「……ミア」

目を開けるとそこにはもう、誰の姿も無かった。

ただアルドの放った言葉が重く重く、響くだけだった。

「……また来るからな」

ここに来れば、ミアがどこかで驚かしてくれるかもしれない。

そんなことを思いながら、アルドは次元戦艦の待つ最上階へと歩き出した。

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少女と巡る心霊スポット かっぱかめ @iekknh3-5-4

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