第2話

住宅街を進み、藤白の家の前に着いた。しかし藤白は家に入ろうとしない。

「実は今日、親いないんだ……」

「ふぅん、そう」

「どうする?あの……上がっていく?」

「いや帰るよ」

カチンと頭にきながら、藤白は田上に背を向け門扉に手をかける。

——まぁね、予想通りではあるけどね。

このくだり何回め?という田上の声は無視してやった。

別れの挨拶もせずに扉を閉めて、ささやかな復讐を果たしてやることにする。

そこで藤白のスマートフォンが震えた。

「あ、まずったぁ」

「どうしたの?」

まだそこにいた田上が訊く。

「今日、カブもっちゃんと約束あったの忘れてた。マックで待ってるって」

「へぇ、いつした約束?」

「えと、昨日かな。今日の放課後に話があるって」

今から自転車を飛ばせば十分でいける。

遅れると謝罪のメッセージを送って、車庫から自転車を引っ張り出す。田上に声をかける。

「じゃあね田上。気をつけて帰って」

「僕も行くよ」

「え!?」

予想外の言葉に藤白は驚く。

「でも田上の自転車ないよ」

「僕が漕ぐから、2ケツしよう」

——こんなことって、最高じゃん!

突然の奇跡に、にわかには信じがたくなる。

「ほんとにいいの?」

「大したことでもない。迷惑ならいいけど」

慌てて首を振り、荷台に乗ってスタンバイする。

「お願い!」

家に上がるのは断っておいて、頼んでもない送迎を買って出るとはどういうことか。

しかしこれは田上の優しさ。

藤白がひとりぼっちにならないよう、配慮してくれたのだ。


この霧の町では、しばしば人が消える。

その前兆として、独りの行動が増える、と言われている。

以前より人付き合いが悪くなった、独りで先に帰宅するなどの行為が見られたら、その者は神隠しのターゲットになる。

町に行方不明が多いのとは違い、この話にはデータがあるわけでもなく信憑性はない。

しかし多くの人がこの迷信を無視できずにいるのが現状だ。

だからこの町の人間は、極端なほど独りを避け、誰かと行動を共にしている。例えば藤白たちの高校で、独りで登下校している生徒はほぼいない。

街中でもみんな誰かと連れだって歩いている人が多い。独りを恐れている。

誰でも一時的なひとりぼっちは避けられない時がある。

それでもこの迷信を忘れられない人は多い。

藤白もどちらかというとそのタイプだった。


「え……」

藤白が田上を連れて現れたのを見て、株元は困惑の表情を浮かべる。

藤白は自分の迂闊さに呆れたくなる。

二人で約束していたのに、そこに彼氏を連れてきてしまうなんて。女子同士でしか話しにくい内容かもしれないのだ。

「カブもっちゃん、ごめん。こいつに自転車乗せてもらったから連れてきたけど、もう返すね」

藤白は田上に犬を追い払うように、しっしっと手を振る。

「別に、いいのよ……彼にも聞いてもらってもいいかもしれない」

「え?」

なにやら相談があるとのことだった。

藤白も田上とコーヒーをセルフサービスで注文し、席に戻る。

株元はなかなか話を切り出そうとしない。緊張している、または覚悟を決めかねているのだろう。

真剣な相談なんだな、と藤白は気を引き締める。

その横で田上は、「コーヒー一杯百円だなんて、安すぎやしないか?」とブツブツ言っていた。

無視した。

「実はわたし、レズなの!」

そう言い切って、株元は大きく息をつく。

「……そうなんだ」

「レズとは?」

——知らんのかコイツ。

「同性愛のことよ」

株元はもじもじと恥ずかしそうにしていた。田上の無知が追い討ちなようになってしまい、藤白は申し訳なくなる。

「わたし……女の子が好きなんです」

「へぇ、僕もどちらかと言うと女の子が好きだよ」

「いやそういう事じゃないでしょうが!」

——お前のことはどうでもいいって。というか男が好きだったら私が今死んでる。

「ごめんね。この人ズレてて」

「でもそれで何が問題なの?」

「え?あぁ分からないわよね」

株元は疲れたように微笑む。

「誰もそのことを知らないから。それが辛くなっちゃうの。例えば同じクラスの後藤っていう男子と仲いいんだけれど、周りがね、囃し立てたりするの」

藤代は思わずため息をつく。その光景は容易に想像できた。

「わたしたち二人をつき合わそうとする空気があるっていうか……それに最近、後藤もまんざらデマなく思っているのかなってね。もしわたしに好意を持っていたとしたら……申し訳なくて」

「それはあるかもね。カブもっちゃん綺麗だもん」

「ありがとう」

株元は優しく微笑む。なかなかこんな笑顔できなよな、と藤白は思う。

「でも後藤も私の本当のところを知ったら。ものすごく、怖い。だって変だって思うでしょ?」

株元はカップをギュっと握り、二人を窺うように見る。

「そんなことない。でもごめんね、何にも知らなくて。今まで無神経なこと言ってないといいけど」

「佳奈に話せただけでも楽になった……誰か一人でも知っている人がいて欲しかったんだわ」

「でもプラス面が大きいと思うけどなぁ。男の場合だと嫌悪感を抱かれそうな行為も、同性なら抵抗ないってことがありそうじゃないか」

「どういうこと?」

「例えば、こうやって接触したり」

私の肩に手を置いてきた。

「あぁ、まあ女の子に触られてもそんなに嫌とは思わないかな」

「つまり好きな相手へのアプローチの面から見たら有利だ。男はそれがとても難しいんだ。下手なことをすると、かえって嫌われる」

そんな考えが田上にあったとは意外だ。その割に全然スキンシップしてこないではないか、と藤白の一部は拳を構えた。

「そうか、なるほどね!田上くんって変わってるわね」

そう言ってクスクス笑う。

田上は何のことだと言わんばかりに、ジロジロ株元を見ていた。

そこからはくだらない雑談、女子トークになって藤白はとても楽しかった。

以前よりも株元がずっと砕けて話すようになった気がして、より距離が縮まったと感じた。秘密の共有の効果かもしれない。

暗くなる前に株元と別れ、帰ることにした。

大型スーパーや家電量販店があるこの町で唯一、店舗が集中しているエリアを出る。

大きな町ではないが、一つだけある大学のキャンパスのおかげでこの町の経済は回っている。

田上との出会いもこんな所だった。


もう一年前になるが、藤白がおつかいでスーパーを訪れた時のことだ。男の人がぶつかってきてよろめいたその時に、肩を掴まれた。

そのおかげで藤白は倒れずにすんだ。

そしてそれが田上だったのだ。

霧のせいで突然現れたような、劇的な登場だった。

しかし田上は触ってしまったことを謝って、すぐに立ち去ってしまった。感謝を伝える暇もなかった。

今にして思えば、実に彼らしい行動だった。

それから同じようなことがもう一度あって、その時また立ち去ろうとする彼の袖を思わず掴んでしまった。

よくよく話してみれば、同じ高校に通う同級生であることがわかった。

二回も助けられた上に同級生だったこともあり、藤白は柄にもなく運命という言葉を連想した。

しかし後にそのことを田上に話すと「偶然だよ。僕には、運命の意味がよく分からない。どういう意味?」と返された。

田上とはこういう人間だ。


例えば、この町で消えていった人は、その前触れとして独りの行動が増えていたという話。

しかし田上はそれは逆だと言う。

「消える前兆とかではなくてね。集団、群れにいることに嫌気がさした人が、自ら距離を置きだして、そしてさらに究極の孤独を求めて、みんなの前から姿を消すという選択をしただけのことだと思うよ」

「じゃあ失踪者のみんな、自分の意思で姿を消したっていうの?なんでそう思うの?」

「僕の観察と推測だよ」

「神隠しとか信じてないわけ?」

「そうだな。今の所は信じられるほどの確証がない」

「オカルト系は否定派なんだ」

「そうじゃないよ。実は、幽霊なる存在は僕は認めている。一度、そういう体験をしたからね。つまり自分で目撃するなり、体験が伴えば信じることもあるんだ」

「そんなことより、え、幽霊見たの?」

「うん」

「どんなどんな!?」

「山の中で見たんだけど、顔はなくて……よそう、思い出したくない」

「なによ、もったいぶってぇ」

「とにかく僕はその時体調も良好で、何かの薬を飲んだとか寝ぼけていたとかいうこともなかった。あれを幻だと言える材料がないんだ。ま、そういうこと」


この町の人間では例外的に、田上は独りが好きだ。

藤白と過ごす時間もほぼ登下校の時間に限られる。

よく独りで家の裏山に入っているのだ。

そこでする事といえば、ただそこに生えている植物を見たり、動物の痕跡を探したりしているらしい。

それが何より楽しい、と言っている。

また山の中の絵を描いてもいる。

そんなに楽しいのであれば連れて行って、と藤白は頼むのだが、拒否される。

「これは孤独だから味わえるんだ。独りぼっち、生身の人間として行くからそこの自然の一部に仲間入りさせてもらえる。矛盾してるようだけどね。人間社会の臭いを消さないといけないって感じかな」

そう言って彼は今日も山に入るのだ。

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