間一髪

 はっきりと口に出された、拒否の叫び。


 ぱりん、と続け様に聞こえてくるのは食器の割れる音だ。


 賑やかだった筈の店の空気はそのグラスの砕け散る音によって切り裂かれる。


 俺を含め、店にいる客の視線は自然とその音のする方へと向かった。


 その先にはガラの悪そうな男に手を掴まれる───猫の獣人の店員だった。




「いいじゃねぇか頼むぜ。なぁ、お前らもそう思うだろ?」




 紅蓮(ぐれん)の如く赤く、短く切り揃えた髪をした男は、その両端を引き裂いたような青いノースリーブから突き出た引き締まったもう片方の腕を広げ、テーブルに座る仲間であろう二人に声をかけた。


 ダメージの入ったジーンズ、椅子に掛けられた赤い上着、ギラリとした目つきに薄赤い瞳。


 このド派手な服装はまさにヤンチャ……そんな雰囲気を垂れ流していた。




「辞めてやれゼーベック。店員が嫌がっているだろう。その手を離してやれ」




 ヤンチャな男をゼーベックと言う藍色鮮やかな長髪の男はそう手を組みながら窘(たしな)めた。


 肩まで伸びる癖のない髪はその茶色く暗めのローブにかかるまで長く伸び、ゼーベックとは対称的な印象を受ける。




「そ、そ、そうだよ!こ、ここには情報収集に来たってロスもオラも行っただねか!」




 長髪の男をロスと言う、どもりながらも両手をテーブル上でぐっと握りしめた恰幅の良い緑のバンダナを頭に巻いた男が独特の方言で憤慨(ふんがい)した。


 ゆったりとした動き易そうな袖口の広い長袖に、首元にもまたふんわりとした薄緑のスカーフが巻かれている。


 しかし、それとは逆に、丸太の様に太く、逞しい脚を覆うように装甲が付いた黒い改造カーゴパンツが目立つが、その怒り慣れていないような表情はまるで威圧感が無かった。




「新しい出会いも…って言ったろダグ。なぁ頼むよお嬢さん。あんた見たところ【身体系】だろ?ウチのパーティーに来てくれよー。身長超える程の食器の山を全くブレさせない実力を持ったあんたが欲しいんだ」




 ダグ、と威圧感のない男をそう呼んでゼーベックは再び店員の猫の獣人に声をかけた。


 どうやらこの三人はパーティーで、情報収集、そしてあわよくば新たな仲間を勧誘…という事らしい。


 しっかりとテーブル上にはいくつかの料理が並んでいる事から食事も兼ねているらしい。




「お断りします!そもそも仕事中ですしそういう事は店長を通して下さい!」




 ランさんと同じウェイターのような服装に、お尻の所からしなやかに伸びていたであろう三色の尻尾はぶわりと逆立つ。


 仕事中。さっきヤンチャな男事、ゼーベックも言った通り彼女の右手の上には身長を悠々も超える食器のタワーがそびえ立っている。


 全く揺れていなかった筈のそのタワーは男に片手を掴まれるという非常事態にバランスを崩し掛けていた。




「なぁ頼むよ。〝こんな店〟じゃなくてウチ等のパーティーに───」




「あっ───!!」




 その刹那、バランスという堤防が決壊した。


 僅かだが男に手を引かれたのであろう───そのタワーが傾く。




 誰も居なかったならまだ良かっただろう。


 食器が少なかったならまだ良かっただろう。


 見えていたならまだ良かっただろう。


 しかし、不幸とは、偶然という現象が重なった悪魔なのだ。




 それは真っ直ぐに、確かに向かった。




 割れたグラスの破片を片付けている───




───ランさん目掛けて。







「あぶねぇッッ!!!!」




「ランさんッッ!!!」




「え?───あ」




 考えるより早く、身体が飛び出した。


 飯の旨さも、していた会話も。


 全て差し置いて、全ての神経、全ての技術、全てを持ってテーブル、椅子を躱し、そこへ行く。




 ランさんの身体を覆うように背中を崩れたタワーに預けた。




 息が上がる。


 汗が噴き出す。


 鼓動が早くなる。




 その結果───…訪れたのは───




「いでっ」




───〝俺の〟後頭部へとぶつかる鈍い痛みだった。




「…ごめん、兄ちゃん。ちょっと〝間に合わなかった〟」




 声がする方を見ると、カウンターから真っ白な糸をぐいぐいと引っ張っているルギくんがいた。


 糸の方向を見ると食器タワーを数本の糸で近くのテーブルからハンモックのようにささえ、上の梁(うちばり)へと引っ掛けている。


 なるほど?反射とかでもさせたのかな?ナイスコントロール。


 ところでシラタマや?お前はいつまで食ってるんだ?


 あ、居ない、食べちゃおーみたいに俺とルギくんの飯に手を付けるな食うなおめー。




「いやいや、ナイスよルギくん。いてて、ランさん大丈夫?」




「あ、ありがとうございますカナタさん。結構鈍い音がしましたけど…大丈夫ですか?」




 顔を少し紅潮させ、ランさんが片付けていた手を止めておずおずと両手を俺の顔元へと差し出した。




「だいじょぶだいじょぶ。良かったー怪我人出て無くてー」




「良くやったぞ青年!」




「がははは!片付けも早く終わりそうだなこりゃ!」




「おら!そのまま押し倒せ!…ヒック、うぃ〜」




 怪我人が居ないようでほっと一息。


 俺?のーかんのーかん。


 とんでもなヤジも聞こえたけど気のせいか。そうだな。




「あっ、兄ちゃん危ない」




「あっ」




 息を着くのも束の間。食器タワーの隙間へと隠れていたフォークやらがずるりと俺の目の前へ。


 あっ、ちょっ。オワタ。




「───ふっふっふ。爪が甘いぞぼーず。気を抜くのは最後まであかんぞ?」




「あ、ありがとうおじさん」




 びたりと止まったその凶器の雨。


 カウンターに座ったまま片手を向ける老人は楽しそうに酒を煽っては笑った。


 どうやら助かったようだ。




「助かっ───ぐあ!汁が俺の目にィ!!!」




「カナタさん!?」




 刺激物(スパイス)たっぷりの汁がおめめへとダイブ。


 ぎゃあああ!!





「おお、これはいかん。店長さんや、〝大丈夫だと分かっていた〟ようだが流石に収集を頼む」




「ええ。分かってるわ───全く…こういう事が無ければお祭りは大歓迎なんだけど。シラタマちゃんは食べてていいわよ?」




「にゅやっ!」




────────────

カナタ


「目がぁ!!!目がぁ!!あぁああ!!」




ルギ


「バルムさん早くしてあげてー…あ、シラタマ、オレの完食してる」




シラタマ


「にゅっふい」

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