第5話 洞穴

 ある日の晩。

 栗林が寝ている時だった。

 耳元で何かささやかれるような感覚を覚える。


「うぅん……。うるさいなぁ……」


 最初は聞き取れないほどであったものの、それは次第に大きくなっていく。


『……めて、目覚めて』

「なんだよ……」

『本当のあなたに目覚めて……』


 繰り返すように聞こえる女性の声。

 それはだんだんと栗林の耳元に近づいていくように感じ取れる。


『あなたは誰……?』

「俺は栗林……」

『違う……。それは本当のあなたじゃないわ』

「俺は……」

『あなたは……』


 誰だ?


「はっ!」


 まだ薄暗い室内。太陽の光が今まさに出てこようとしていた。


「……夢?」


 先ほどまでの声には、まったく聞き覚えのないものである。

 それが聞こえたという事実に、栗林は悪寒のようなものを覚えた。

 しかしそんなこともすぐに忘れ、栗林は日常へと溶け込んでいく。

 この日は授業の一環で、魔術学校がある街のすぐ近くにある森へとやってきていた。


「今日からはこの森で実戦的な授業を行う。これまで習ったことが重要だから、しっかりと話を聞くように」


 そういって、エルは森の奥へと生徒たちを連れていく。


「ここにはモンスターがいる。しかし強いモンスターは定期的に駆除されているから、君たちが相手するのは、比較的弱いモンスターだ。まぁ座学でもやったと思うが、時々弱いモンスターが強いモンスターに成長することもあるから注意は必要だ。その辺りの引き際というのも考えて行動してくれ」


 そういって、エルはずんずん奥へと入っていく。


「さて、そろそろ目的地だ」


 そういって目の前に現れたのは、大きな横穴である。


「我々が今いる街が作られる前に人々が使用していた人工の洞穴だ。山の中をくりぬくように作られていて、それなりに頑丈だ。今は人は使っておらず、小型モンスターの巣窟になっている。この前作ったペアで今からこの洞穴に入ってもらい、中にある壁画を模写してきてほしい。地図は今から渡す。地図は学校の備品だからなくすなよ?」


 そういって、栗林ペアに地図が渡される。

 地図を見てみると、それなりに遠いようだが、迷いはしないだろう。


「それじゃあ、最初の組から行こう。名前の順からいって、アインとアリアのペアからだ」


 そういって二人は洞穴に入っていく。

 最初の組が入ってしばらくしてから、二組目が洞穴に入る。

 そうして順番になるのを待っていた。

 その時である。


「うわぁぁぁ!」


 洞穴の中から叫び声が聞こえる。

 それを聞いた生徒たちはざわめきだす。


「何の声?」

「何かに巻き込まれた?」

「壁でも崩れたのかな?」


 そう心配する生徒を前に、担任のエルが立ち上がる。


「俺が中の様子を見てくる。みんなはここで待機していてくれ」


 そういってエルは洞穴に入っていく。

 栗林はそれを、ただ見守っているだけしか出来なかった。

 しばらく経ってから、洞穴の中から、何者かが出てこようとしている。

 しかしその影は異様なまでにガタイがよく、そして足音は鈍く大きい。

 洞穴の入り口をくぐるかのように出てきたそれは、醜い緑色をしていた。


「あ、あれは……」

「まさか、ゴブリンキング……!」


 そう、今まで教書でしか見たことがなかった、比較的強いモンスター。

 ゴブリンの上位互換種であり、通常より長い時を生きるゴブリンが魔力を大量に蓄えて生まれるとも言われているが、その生態は現在までよく分かっていない。

 そんなゴブリンキングが、今目の前に現れたのだ。

 生徒たちはもちろん、栗林も混乱する。


「に、逃げろー!」

「逃げるったってどこに!?」

「先生は!?先生はどうしたの!?」


 そんな混乱がすぐに広まる。

 一方のゴブリンキングは、辺りの様子をキョロキョロ見渡すと、生徒たちの方向に向けて歩き出す。

 一歩踏み出すと、生徒たちからは悲鳴が湧き上がる。

 しかしそれに対抗するように、とある男子学生が前に出た。


「ふん。こんなモンスター、俺が一撃で葬り去ってやる」


 そういって男子生徒は詠唱を開始する。


「火の精霊よ、その力を存分に 顕現させ、そして我を救いたまえ!ファイアーアロー!」


 そういって人の大きさもある火でできた矢がゴブリンキングに向かって飛んでいく。

 それを正面から受け止めたゴブリンキング。

 火が消えると、そこにはなんともないような雰囲気のゴブリンキングがいた。


「なっ!まったく効いてない……!?」


 ゴブリンキングは肌をパッパッと振り払うと、近くの木に向かう。

 そして素手で木を折り倒すと、引っぺがすように、一本の太い枝を手に取る。

 そして咆哮を上げた。


「ヴォォォ!!」


 その咆哮に、生徒たちは思わず体が硬直する。

 逃げると言っても、最悪の展開しか予想できない。

 しかしそこで引き下がらない人が数名。

 もちろんそこに栗林のペアもいた。


「これが効かないのなら、こっちはどうだ!?」


 そういって再び詠唱を開始する。


「風の精霊よ、今こそ空気を解き放ち、かの体を引き裂かんとせん!ウィングブロー!」


 空気の斬撃がゴブリンキングに向かって飛んでいく。

 現状、この程度の魔法で切り裂かれないモンスターはいない。

 ゴブリンキングはそれを真正面から受け止める。

 あたりは土煙によって覆われた。


「やったか?」


 男子学生が確認のために少しずつ近づいていく。

 その時、大きな咆哮とともに、ゴブリンキングが襲ってくる。

 体長2m超えのゴブリンキング。筋肉質で覆われた体は、まさに肉の壁。

 そんなものに突進されたら、誰だって無事ではすまないだろう。

 その時だった。


「マナよ、我に力を与え、そして加護せよ」


 栗林が素早く自分自身に身体強化の魔法をかけ、男子生徒のことを助けに行く。

 栗林がいた場所とゴブリンキングのいた場所ではそこそこの距離が空いていたが、それも身体強化の効果によって簡単に詰めることができる。

 そのまま、ゴブリンキングの突進を受け止めた。


「レオ・ロイド!」

「早く下がれ!」


 男子生徒は、この場は任せたと言わんばかりに下がる。

 一方で栗林はゴブリンキングを蹴り飛ばし、距離を取った。


「ゴブリンキングに勝つにはどうしたら……」


 栗林はものすごいスピードで思考を張り巡らせる。

 この思考の速さもマイクロチップのおかげだ。そしてこれまでのことを学習していたマイクロチップの超小型万能スパコンが最適解を提示する。


「これしか方法はない!」


 栗林は体を半歩下げ、集中する。

 一方で、ゴブリンキングのほうは、栗林にやられていたせいなのか、怒り狂っていた。

 手に持っていた大きな枝を振り回し、怒りをあらわにする。

 そこに集中していた集中していた栗林が突撃する。

 そのまま素手による攻撃を開始する。


(超小型万能スパコンがはじき出した答え!それは、身体強化による近接戦闘!)


 魔法による身体強化には一定の効果がある。それは身体機能を数倍から十倍程度に増加させるというものだ。もとの身体機能の能力が高ければ高い程、身体強化による恩恵は大きなものになる。

 今回スパコンがはじき出した手段とは、マイクロチップによって栗林自身の身体にかかっているリミッターを外すことにある。人間の体は、自分自身の体を傷つけないように、本能的に一定のリミッターがかかっている。高校生が外で運動していたらいつの間にか自分の筋肉によって骨折していたという話もあるくらいだ。

 つまりスパコンは、栗林の無意識化のリミッターを外し、一時的に身体強化をより強化するという方法を栗林に提示したのだ。

 その方法により、栗林の身体機能は本来の数十倍にもなり、結果としてゴブリンキングと対等に、いやそれ以上に戦うことができるのだ。


「うぉぉぉ!」


 ゴブリンキングに対して連打を叩き込む栗林。

 その圧倒的な力によって、ゴブリンキングは確実に押される。


「す、すげぇ。あんな巨体を相手に対等に戦ってる……!」


 その様子を見ていた他の生徒も、自分ができることをしようと決断する。


「土の精霊よ、その揺るがぬ大地を持って、敵を締め付けよ!グルーグロウ!」

「風の精霊に告ぐ、その力を持って貫け!ウィングスピア!」


 地面が盛り上がり、そしてゴブリンキングの足を固定する。

 風の詠唱が聞こえたとき、栗林はさっと身を翻し、風の魔法を通らせた。

 その風の魔法は鋭い針のように、ゴブリンキングの体に穴を穿つ。

 その穴を見た栗林は、そこに拳を叩き込む。

 そして詠唱した。


「火の精霊よ、その内なる力を今解き放て!デトネーション!」


 そういうと、栗林の拳の先から炎が出て、そして爆発した。

 それにより、ゴブリンキングの腹部に穴が開き、そのまま脱力する。


「終わった……?」

「やった!ゴブリンキングを倒したぞ!」


 生徒たちの間で歓声が沸き起こる。

 その一方で、栗林は全身の脱力感と、ひどい筋肉痛に襲われていた。

 それもそうだ。身体の限界まで酷使したのだから、相応の報いを受けるべきだろう。

 しかしそれもすぐに楽になる。


「水の精霊よ、かの体を癒し、回復させよ。ヒーリング」


 シンシアが回復魔法をかけてくれたからだ。


「あぁ、ありがとうシンシア」

「……別に」


 そういうシンシアの顔は少し紅くなっていた。

 その時拍手が聞こえる。

 洞穴から出てきたエルが拍手していたのだ。


「素晴らしい活躍をしたな。まるで最終試験をやっているようだったぞ」

「先生見てたんですか?だったら助けてくれてもよかったのに」

「そういうのは生徒の自主性に任せる。それが俺のやり方だ」


 そういって栗林のもとに寄ってきた。


「よくやったなレオ。今回の武勲は君だ」

「……!はい!」


 そうして、この日の一大事件は終了した。

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