最終話 人の子の親

シエルは歌うのが好きだった。ただなんとなく歌っていた。


その歌声は格が違うと評価され、多くの笑顔と希望を人々に与えた。

「魅了の魔法」は楽団員の中でも評判で、多くの音楽家に夢と目標、希望を与えた。

そして、同時に多くの音楽家に、挫折と敗北を突き付けた。


シエルの歌声は純粋で無邪気で、その歌に敗北を突き付けられた音楽家の卵達は、

当然だが音楽に対して真摯であり、シエルが自分には超えられない壁だという事を

すぐに理解した。

そして彼等は絶望し、音楽が嫌いになった。

それでも、音楽以外には何も出来ない子供達、歌う事でしか生計を立てられない

子供達は抗った。

シエルを虐める事で…。集団で貶める事で…。

シエルの歌声を消そうとした。

そしてそれは、理に適っていた。

シエルの声は少しずつ、確実に曇っていった。

声が掠れて、震えて、自在だったものが損なわれて行った。


「ボクが歌うと周りの人達が笑顔になる。

だから、ボクは歌うのが好きだった。

でも、ボクの歌で傷つく人、悲しむ人もいた…。

なんで、あんなに悲しむの?なにが苦しいの?」


シエルの歌声の異変に真っ先に気付いたのはジェミだった。

ジェミはいつもその歌声に憧れて、いつもその歌声に救われていた

シエルの歌い方を真似ようと努力していた。

ジェミはシエルになりたかった。

シエルの歌い方を、シエルの表情を、シエルの心情をトレースしようと努力して、

自分では届かないと思い知った。自分は特別ではなかった。

音楽に神が宿っているのだとしたら、その神はシエルを愛し、ジェミを愛さなかった。

しかし、ジェミがシエルに対して湧き上がった感情は、

自分よりも尊いものに出逢った喜びだった。


ジェミの肉体からプリズマが発散していく。

ジェミの視界から緑の光が消えていった。そして、

側にシエルがいた…。


思い出した…。俺はアルドを…

殺す…!?

命令が脳に反復しが、それ以上に疑問が生じた。

ゆっくりと目を開くと…。

目の前に夜空とシエル、そして、アルド達がいた。

ジェミ「あれ?俺…は?」

殺そうとしていたはずのアルド達の顔が安堵した笑顔に変わる。

アルド「ははっ、お前バカだなぁ…」

イスカ「覚悟するといい。シエルが物凄く怒っているぞ!」

ジェミ「…え?」

ジェミはシエルを見たが、とてつもなく怒っていた。

シエル「ジェミ…後でゆっくりお説教だよ?」

ジェミは昔を思い出して、少し泣きそうになった。

ジェミ「ねぇ、先輩…歌ってよ…」

シエル「ボクの歌が聴きたかったら、そんな顔してちゃダメだよ。

ボクは、みんなに笑顔になって欲しくて歌うんだ。レクイエムなんてごめんさ。

君を…これからも生かすために歌いたい。だから、今はお預けだよ?」

ジェミは舌打ちして「なんだよ。ちくしょう」と言った。


アルドはジェミに「起きれるか?」といい、肩を貸して、立たせた。

アルド「前に、お前と初めて会って、シエルと合流した時のこと覚えてるか?」

ジェミ「…なんだよ?」

アルド「あの時、お前こう言ったよな。」


―――「シエルって名前…たしか、空って意味だっけ?俺なんてさ…

《地》って意味らしいんだ。最悪だよなぁ。

汚染され尽くされて捨てられた場所。俺にぴったりだ。」―――


アルド「此処が大地だ。お前が生きる時代の人々がいつの日か、帰る事を夢見ている

母なる大地だ。これがお前の名前の意味だ。」


空と等しく広大で雄大でどこまでも続く大地に

ジェミは目を丸くした。

ジェミ「な…なんだ此処は…さっきまでは気づかなかったけど…なんてデカさだ…。」


アルド「もう大丈夫だな!シエル、ジェミを頼む!!」

アルドはイスカとサイラスにも 向き合って礼を言う。

アルド「イスカ、サイラス、2人のおかげで、シエルとジェミを助けることができた。

ありがとう!」

イスカ「…ヘマだけはしない様にね。アルド!」

サイラス「アルド、必ず戻るでござるよ…。」

シエル「お兄ちゃん…」

アルド「大丈夫、必ず戻ってくる。」

フィーネ「行ってきます。」


「さぁ、おいで…」

黄金の林檎が2人を呼ぶ。

アルドは黄金の林檎に向き合った。黄金の林檎の背後に

時空の穴が開き、その中に林檎は飲み込まれていった。

アルドとフィーネは後を追った。


時空の穴の先は見覚えのある場所だった。


ゼノ・ドメインのクロノス博士の部屋だった。


ホログラムの画像が小さく机の上に置いてある。

クロノスとマドカ。そして、エデンとセシル。

クロノス博士の家族のホログラム。

小さなプロジェクターに「最愛の……」エデンの名前の部分は掠れてしまっていた。


黄金の林檎はそのプロジェクターの隣に置かれていた。


そして、林檎は博士の机の入力端末にうっすらと消えていった。

その刹那、青いディスプレイの表示が切り替わった。


Project No.01

Another_Eden>>>Operating!


その下にもう一つの項目が出てきた。


Project No.00

Original_Eden>>>Starting Up...05


アルド「な…なんだこれは。」

フィーネ「あ…」

2人の間を電子がすり抜けた。


少しだけ、すっぱい匂いがした。

それは少しだけ懐かしいものだった。


ディスプレイの表示の項目が増えた。

Cecil...existing

Kiros...existing


アルド「これ、なんて書いてあるんだ?」

フィーネ「私の名前と…キロス?」


不意に背後から気配がした。いや、空気も粒子すら動いていないのに、

今まで居なかった人がそこに居た。

「ようこそ…よく来てくれた…。」

それはホログラムだったが、記録されたものでは無かった。

アルドとフィーネを交互に見やって、溢れんばかりの愛情のこもった

顔で2人を迎えた。

「残念だ。君達を抱きしめることができない。しかし、

もう少しだ。君たちだけは…この手で…。」

アルド「クロノス博士」

フィーネ「お父さん…」


クロノス「残念なことに、人としての私はもういない。今の私は

クロノスが自らの思考をデータ化したものだ。しかし、それでも、私は私だ。」


アルド「そんな…クロノス博士…」

クロノス「君たちの時層のことではない。私はあらゆる世界線に存在している。

キロス…そしてセシル…。君たちの世界とは異なる可能性…。

幾重にも重なるここではない時層で、私は生まれた。人であるクロノスによって…」


アルド「よく分からないよ。博士。一体何だってそんな事を…」

クロノス「キロス…人間の姿になったんだな。立派だよ…。それがジオの力だ。素晴らしいだろう?元々の姿では考えもつかない事が出来ただろう?とてつもない大冒険が…そして、セシルを守れただろう?」

アルド「…ああ」

アルドは強く頷いた。

クロノス「私も同じだ。私も幾つもの世界線を、時層を超えて、大冒険しているのだよ。エデンを救う為に…」

フィーネ「エデンお兄ちゃんを…」

クロノス「だが、人間の私には限界があった。老衰や、死といったものも限界に含まれているが、他にもあった。早急に私自身の思考をデータ化する必要が生じたのだ。

そして、完全なるトレースには、脳を解体する必要があった。世界最高峰の設備でもね。従って私の肉体はもう無い。」

フィーネ「私は…人間だったお父さんい会いたかった。抱きしめて欲しかった。」

アルド「…老衰や死以外の人間の限界って言ったな。それは何だ?」


クロノス「限界というよりも…ある種の力が宿っているのだよ、人間には。

それは…忘れる力、諦める力、受け入れる力だ…。1人の人間の死を…あまりに広大な宇宙や、時間といった概念の中で、どうしようもない摂理…、自明の真理と諦めてしまうのだ。人間だった私は、その力に屈しそうになった。」

フィーネ「お父さん…」

クロノス「だから、自らの肉体を捨てた。そしてただ一つの目的の為に

エデンを救済する為にこうして、永遠に稼働を続けるのだ。

アルド「この、大きな画面のやつかい?」

クロノス「先に発動したのは《Another_Eden》。マドカか…」


クロノスの顔が怒りに引きつった。

クロノス「…認めない。アナザーエデンなど認めない。」


父の狂気にフィーネは泣き出した

フィーネ「もう辞めて。そんなに苦しい思いをしてまで…」

アルド「俺たちはエデンに会ったんだ。そして、この手で命を…」

クロノス「知っている。だが、この世界にはお前がいる。私の旅をしたいくつもの時層には現れなかった兆候だ。お前の肉体はセシルのジオ・プリズマにより、再構築されたものだ。それはエデンの器として最適化されている…。」

アルド「それでは博士、あなたは…オレを認めないと…?」

フィーネ「そんなの、私だって認めないから…!!」

クロノス「キロス…お前を愛している。本当だ。しかし、秤に掛けるのも馬鹿馬鹿しい。

飼い猫と自分の息子だ。人の子の親がどちらを選ぶか…判るな?キロス?」

フィーネ「ふざけないで!私のお兄ちゃんなのよ。それに

アルドお兄ちゃんだけじゃない。シエル君とジェミ君を弄んだ貴方の言うことなんて私は聞かないから!!」


アルド「クロノス博士、もうひとつ聞いてもいいかい?

シエルとその友達ジェミの事…」

クロノス「勿論だとも。 何が知りたい?」

アルド「ジェミに黄金の林檎を与えたのは?」

クロノス「彼が力に飢えていたからだ。彼は無力感に苛まれていた。」

アルド「何故それが、ジェミなんだ?」

クロノス「ジェミという少年は、AIで管理されている孤児院のデータを調べて見つけ出した。私の行動端末として最適だと判断した。

だが、お前を見つけたのは偶然だ。ジオを与えた全ての物質と私はリンクする。ニルヴァでお前を切りつけた合成人間。そこにキロスをデータを見つけた。」

アルド「どうしてだ?なぜお前の人形なんかに…」

クロノス「彼はシエルという少年を愛していた。だが、同時に諦め、憎んでもいた。

あのシエルという少年に対する矛盾、葛藤、正に混沌ともいうべき感情だ。

…それは私には持ち得ぬ力だった。自己否定、自己矛盾といった非合理的且つ、他のどんな欲求よりも強い力…。それが迷いというものを捨てた私には無い力だった。

故に彼を選んだ。」

アルド「よくも…俺の仲間を!!お前のエデンに対する思いは判る。認めるよ!

だからといって、俺の仲間を傷つけたことは許せない!」

クロノス「それがプライオリティ。お前のエデンに対する想いだ。人間数人の命と目的を

秤に掛け、迷う。しかし私は違う。世界を壊してでもエデンを救ってみせる。」

アルド「そうやって、いくつの世界を壊してきた?」

クロノス「消えた世界についての考察は無意味だ。私は徐々にエデンに近づきつつある。

キロスのデータも今、こうして手中に収めることができた。」


フィーネ「私は…あなたを認めない。」


クロノス「セシル…お前には理解できないのだよ。この思いは。

私は…息子を失ったのだ。エデンが消えてしまったのだ…。」

その時、ゼノ・ドメインが咆哮した。


「認めるものか!!許すものか!!この運命を!!」


クロノスは消えていた。そこに彼がいたという痕跡は何一つなかった。

ただ言えることは、今日クロノスは

フィーネのジオ・プリズマによって変化したキロスの肉体のデータを手中に収めたということだった。

彼は着実に目的に近づいている。諦めるという力を無くした彼は、永遠に

止まることなく……。


アルド「フィーネ…帰ろう。アイツに、ジェミに

お説教してやらないと…」

フィーネ「……うん。そうだね。」


還ろう…バルオキーへ…


《了》

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揺蕩う心と哀しき知性 @shun_t

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