第2話 再会

人類が地上を捨てて数百年。

淀んだ大地は放射性物質で汚染されている。

半減期は2万年だそうだ。

しかし、空は変わらずはどこまでも穏やかで静かだ。

ここ、浮遊街ニルヴァは人類の黄昏を詠っている。

地に足を下ろせない人々は世代を変えて、最早地上に戻ろうなどと

考える人間は居なくなった。

母なる大地からの巣立ち。その決意と痛み、悲しみを時の流れが優しく包み、

人々の記憶から洗い流した。

人々は母なる大地を忘れつつある。


廃道ルート99で窮地に陥る2日前。


闇リンゴ事件がひと段落し、イスカ、サイラスと共に何気なく立ち寄ったニルヴァで

シエルと待ち合わせたのだ。

プランターに咲く、培養された白い花の横にシエルがいて、

アルドの姿を見かけるや否や、「お兄ちゃ〜ん!」と呼び

うさぎの様にアルドに飛び込んできたのだった。

シエルはアルドが、冒険を始めた当初。

星の夢見館という不思議な場所で出会った初めての仲間だった。

冒険といえば聞こえはいいが、星の運命に巻き込まれ、

時を超えるという禁忌を幾度も犯しながらも、唯一の肉親とも言えるフィーネを

救うことを目的としたものだった。

妹のフィーネがなにかひとつ間違えたら、この世界から

消えてしまう事態もあり得た。あまりに過酷なものだった。

そんな旅を最初から支えてくれたのがシエルだった。

否 今もずっとアルドを支えている。

シエルはアルドの一回りも小さく、年齢も幼いせいか、

時折甘えを含んだ目でアルドを見る。

長く流れる様な金髪に、人形のように白い肌を持つ美少女。

Cielとはどこかの国の言葉では「空」という意味だそうだ。

その瞳はアルドが育った村、バルオキーの澄んだ空の様だ。

そんなシエルが「男」だったと知った時は驚いた。

世界が180度変わるかと思ったが、あまりの衝撃に360度変わって

結果的にシエルとアルドの関係は何も変わらなかった。

アルドはギクシャクして「いやいやいや…聞いてないぞ?」と問い詰めたが、

あっさりと「聞かれなかったし?それにボクが男でも

困るわけじゃないでしょ?」と返されたことがある。

空を舞う鳥の様に自由だとアルドは思った。

以降、アルドとシエルの絆はさらに深まり、アルドにとっては

掛け替えのない存在となり、またシエルもアルドのことを

「お兄ちゃん」と呼び、さらに慕うようになった。

ニルヴァという街の楽団に所属していたと

聞いて、歌ってもらったことがあるが、

まさに噂通りの「魅了の魔法」だった。

どこまでも透き通るような声だった。


「ボクって、今まで、ただ歌が好きだから気ままに歌ってただけなんだ。

ニルヴァの楽団を辞めたのも、なんとなく 飽きちゃったからだし…

でも……

ボクね、誰かのために歌ってみたいって思ったんだ。

またニルヴァの楽団に顔を出してみようかなぁ…」

そう言ったシエルをアルドは当然、応援した。

「いいんじゃないか?オレも賛成するよ。初めてシエルの歌を聴いた時にオレ

本当に感動したんだ。沢山の人がシエルが歌うのを待っているのもわかるよ。」

アルドがそう言うと、シエルは無邪気に「ありがとう、お兄ちゃん♪」と喜んだ。

そして、なぜかふと視線が揺れて、一瞬表情が曇った。


アルドは翌日、夕暮れ間近の酒場の前で、ニルヴァの楽団のことを聞いてみると、

やはりシエルの事が噂になった。

ニルヴァの楽団は少年達による混声合唱団である。

楽団内では合唱の他にも楽器を弾けるようにならなければ

一人前とは言えないということだった。

シエルの歌声は楽団の中で「魅了の魔法」と言われ、

ソプラノでのソロパートを受けもつ彼の声は、

多くの人の心を捉え、想いを共有した多くの男女が恋に落ち、結ばれるという奇跡を起こした。

また、ハープの奏者としても注目を集めていた。


輝かしい噂話を聞かされて、アルドはシエルの事を誇らしく感じた。

それほどまでに、シエルの事を語るこの小太りな少年は

生き生きと熱意を込めてシエルについて語っていた。

まるで推しのアイドルを語るように目をキラキラとさせて褒め称えている。

自分の仲間を誇らしく思う気持ちもあるが、この小太りな少年の

熱意は純粋で、シエルの歌声について、音楽について、

何がどうすごいのか、どうしてすごいのか、

そういう所を的確に、繊細に述べていた。

アルドはむしろ、少年の語り口や着眼点に、素直に感心した。

少年は饒舌で、面白く、出会って20分程になるが、

アルドはこの少年にとても好感を持った。

アルドは夢中に語る少年に聞いてみた。

「そんなにすごい才能がありながら、なんで辞めちゃったんだろうな?」

小太りの少年は「まぁ、天才様だからねぇ…」とわざとらしく肩をすくめた。

この少年の熱意に乗せられて、時間を忘れてしまう所だった。

アルドはぐーっと背伸びをした。ニルヴァの時間の流れ方は他と比べ、少し

緩やかな気がする。マクリミナル博物館といい、シエルが所属していた楽団といい、

ここには過去の人々の文化的な息遣いを感じる。

それがアルドには心地良く感じられたのだろう。


「お兄ちゃーん♪」

噂をすれば…。

アルドはシエルを見たが、シエルは大きな目を更に大きく見開いて

アルドの隣の小太りな少年を見ていた。

シエル「…ジェミ?」


アルドは小太りな少年――ジェミと呼ばれた少年を見る。

ジェミ「へへへ…久しぶり、シエル先輩〜」

アルド「ははっ、なんだ。2人とも知り合いだったのか?早く言ってくれよ!」

ジェミ「あんちゃんだって言ってないじゃん? 何?シエル先輩の兄貴なの?」

アルド「え?いや違うけど…まぁ色々とだな…」

シエルは何故か視線が泳いで居心地が悪そうにしていた。

アルド「今更だけど、オレはアルドだ。改めてよろしくな。」

ジェミ「俺はジェミ。シエル先輩とは同じ楽団にいたんだ。ね、先輩?」

シエル「えっ!?…う、うん。久しぶり…」

シエルは不器用にはにかんだ笑顔を見せた。


酒場でしばらく和気藹々と話していた。

というより、ジェミが話をして、アルドとシエルは聞き役だったが、

アルドにとっては、自分の知らないシエルの一面と音楽というものに

詳しいジェミの話は再び時間を忘れる程に楽しく、充実したものだった。

ジェミが話すことはシエルの事ばかりだった。

ただ、時々言葉に棘があり、その棘はシエルに向けられていた。

いや、正確に言えば、シエルとジェミ自身に…。


「先輩はいいよな〜俺とは違ってさ…」

「俺なんてさ、シエル先輩を引き立てることもできなかった…」

「シエルって名前…たしか、空って意味だっけ?俺なんてさ…」

アルドは知っている。ジェミが本気でシエルに憧れている事を。

シエルがここに来るまでは目をキラキラさせて、シエルの事を語っていたからだ。

だが、シエルが現れた途端、シエルとジェミ自身を比べるようになり、

シエルを引き立て、自分を貶めるような話し方をするようになった。


そして30分がたった…。


日が傾き、周囲が血のような朱色に染まる頃。

ジェミ「そろそろ日が沈むな。まだこの街に居るんだろ?明日も合わないかい?

シエル先輩とも久し振りに話したいしさ!」

アルド 「ああ、しばらくはこの時代…じゃない!この街に居るつもりだよ。じゃあ、また明日な!」

ジェミ「またなー、あんちゃん、先輩!」といい、無邪気に少年は帰っていった。

ジェミの熱意のこもった話を聞いていたアルドは改めて感心してシエルに言った。

アルド「分かってたつもりだったけど、改めて本当にシエルってすごいよな。

あのジェミって子も、オレなんかよりもずっとシエルのすごさが分かってるよ。

あんなに人を熱中させるなんて、オレにはできないよ。本当にすごいな!」


その日、最後までシエルは俯いて、いつもと違う作り笑いをしていた。

だが、その事に人が好すぎるアルドは気付けなかった。


次の日

宿屋の階段を騒々しく駆け上がる音が聞こえたと思ったら、

乱暴にドアが開いた。

ジェミ「た…大変だー!…あんちゃん、聞いてくれよ!」

突如として、宿屋に入り込んできたジェミに対して冷静にイスカが言い聞かせる。

イスカ「落ち着きたまえ…寝室でないとはいえ、まずは部屋に入る前に

ノックはするべきだ。

それと、ここで大声を出しては他の宿泊客の迷惑になる。

取り敢えず、酒場に移動してはどうだろう?」

ジェミ「あ…えへへ。すいません。白いオネエさん…」

サイラス「うむ…なにやら慌てている様子。困りごとなら相談に乗るぞ。

シエルの友人という事ならば拙者は元より、アルドも放っておかんでござる。」

ジェミ「あ…えへへ、ありがとう。緑のカエル…」

サイラス「サイラスでござる!」

イスカ「私はイスカだ。よろしく。」

アルド「ジェミ、オレたちもすぐに酒場に行くから、先に行って待っていてくれ。」

ジェミ「お…おう、急いでくれよ?あんちゃん。」

ジェミは逃げる様に去っていった。

イスカ「やれやれ、とんだモーニングコールだな。」

アルド「なんだろうな。あんなに慌てて。急いで酒場に行ってみよう。」

イスカ「そういえば、シエルは?」

アルド「実家に帰っている。でも、お昼前には戻るっていってたから、

ニルヴァに着いていると思う。」


そう、昨日ジェミと別れた後、シエルはアルドに理由も告げず、

「お家に帰りたい!」と言った。

空中庭園の広大な敷地の中心にシエルの実家はあり、

ニルヴァとは目と鼻の先にある小さな浮島だ。

家が恋しくなった幼いシエルの、微笑ましいわがままだと思い、

アルド達は快く受け入れた。

ニルヴァから逃げた…などとは考えもしなかった。


宿を出て、酒場に向かおうとしたアルド達が聞いたのは、

甲高い女性の悲鳴だった。

アルド、イスカ、サイラスの3名は同時に頷き、悲鳴のした方に向かう。


角を曲がると、女性が倒れている。傍らには合成人間が立っていた。

サイラス「行くでござる!」

アルド「ああ!!」

合成人間はアルド達を怪訝な顔で見た。

合成人間「ん?なんだお前達は?わざわざ殺されにきたのか?」

イスカは合成人間がアルドとサイラスに気をとられている隙に、

倒れていた女性に駆け寄り、女性を抱き抱えて距離を取った。

アルド「いいぞ、イスカ!これであの人を巻き込まずに済む。」

サイラス「ナイスでござる!さぁ、合成人間!覚悟なされよ?」」

合成人間「ほぅ?俺達の邪魔をするのか?いいだろう。

この小さな街で憂さ晴らしするか…。」

アルド「そうはさせない!!」


イスカもアルド達の元に戻る。

イスカ「…俺達って言ったね。つまり…まずいことになりそうだ。」


アルド達は合成人間と戦うことになる。

だが、単独の合成人間はアルド達の敵ではなかった。


合成人間「ぐはっ! バ…バカな…!?」

アルド「観念しろ!お前に勝ち目はない!」

合成人間「くっ…!やむを得ん!」

合成人間は小声で呟いた。

「…やってくれ」


刹那、緑色の光が合成人間を包む。

アルドはその光に親近感を覚えたが、得体の知れない恐怖が上回った。

何をしだすかわからない敵にとどめを刺さないのは愚策だった。

アルド「サイラス!!」

サイラス「合点承知!!」

アルドとサイラスは完全に息を合わせ、エックス切りを炸裂させた。

…だが、合成人間の腕は2人の刃を容易く受け止めた。

アルド「…な!!」

サイラス「やるでござるな!」

緑色の発光は収まったが、同時に合成人間からは一切の意思や

思考を読み取れなくなった。それは不気味だった。

イスカ「気をつけろ!こいつはただの合成人間じゃないよ!」


間合いを詰めかねていると、後ろから声がした。

シエル「お兄ちゃん!!」

アルド「シエル!」

イスカ「いいタイミングだ!」

サイラス「持つべきものは仲間でござる!」

アルド「シエル!敵は1人!だが気をつけろ。ただの合成人間じゃない!」

シエル「わかったよ!お兄ちゃん!みんな!!」

その合成人間はとてつもなく強かった。

ニルヴァは一時パニックになり、大勢の人が逃げ惑う。


異常な硬さと速度を併せ持つ合成人間は

緑色の発光以前とは打って変わって、単身でアルド達を追い詰めた。

そして、アルドが不覚を取った。

大きな斧を重力を無視するかの如く振り回す敵にアルドは腕をわずかに斬られたのだ。

大したダメージでは無かったが、相手が相手だった。

この戦いの最中に動きが鈍るということは致命的だった。


シエル「ぁ!!…このッ、よくもお兄ちゃんを…」

イスカ「シエル、冷静に…!」

アルドは自分の傷を確認し、問題がない事を伝えた。

アルド「俺は大丈夫だ!」

アルドはパーティーの混乱を避けるために、虚実の強がりや報告はしない。

ダメな時はダメだと言う。

それを分かっているから、アルドが大丈夫だという事を皆は理解した。

今は戦闘に集中しなければならなかった。

ところが…。


サイラス「む…待たれよ!様子がおかしいでござる!」

アルドを斬りつけた途端、合成人間は動かなくなったのだ。

正確には、アルドのわずかな返り血が合成人間に触れた時から…。

そして、その場に倒れて動かなくなった。


アルド「…え?」

イスカ「…何が…起こったんだ?」

サイラス「此奴…事切れたのか?」

シエルは倒れた敵を凝視しながら、呼吸が整わずに「ハァ…ハァ…」と言っている。

異常な力を持つ合成人間はあっさりと事切れていた。


アルド「とんでもない奴だったな…」

イスカ「問題は、こいつが《俺達》と言っていたことさ。単独犯じゃない

ということだね。」


その合成人間がアルドの僅かな返り血を浴びた時に

発した最期の言葉は誰の耳にも届かなかった。


「……見つ…け…た…エデン」


イスカとシエルは倒れている女性に駆け寄るが、幸いにして

足の捻挫、擦り傷程度で済んだようだ。

女性の無事を安堵するアルド達を、少し離れた酒場の窓辺から

つまらなそうに視線を送る小太りの少年がいた。


「…大変だー!って言っただろ?あんちゃん?

まぁでも、お前等が《只の》合成人間に負けちゃうような雑魚どもじゃなくて良かったよ。巻き添いを食らうなよ?先輩?…‥けけけ…」


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