第43話 雪乃、完璧なブリ大根を作る

 ようやく秋葉藩の領地、越後からブリが届いた。

 ご隠居の命令で満天姫と雪乃たちが、ブリ大根を作り直し、みんなに振舞うのだ。


「それにしても見事なブリじゃのう……」


 2週間前よりもブリは脂が乗っている。これから雪乃が作るブリ大根が、香姫が作ったものより美味しくても、ブリの差だと言い張ることも考えられたが、

 問題は料理の仕方。

 ブリの差ではないことを全員に分からせれば、何も問題がないだろう。

 料理は藩主の能登守、ご隠居様。能登守の生母、高徳院。そして家老の大善を筆頭とする秋葉藩の重鎮。

 そして月路の儀に参加している4人の姫とその女中たちも参加している。

 これだけの人数に食べさせるだけのブリ大根を作らないといけない。


「それでは満天姫様、始めます。お松さん、お竹さん、お梅さんもお願いしますね」


 雪乃はこの時まで、ブリ大根の作り方のコツを伝授していた。香姫が作ったブリ大根は決して不味くはなかったが、ほんの少し生臭さが残った。

 その部分を解消すれば、これだけよいブリが手の入ったのだ。みんなを満足させるものはできる。


「まずは大根を下茹でしておきます」


 大きな鍋にお湯を沸かし、その間に大根を準備する。まずは皮をむいて三~四センチほどに輪切りにする。

 三~四センチと言っても、メートル方じゃないこの江戸時代風の世界では伝わらないので、小指の第二関節くらいと指示した。

 この時、大根の厚さをそろえて置かないと大根に味が染み込まないものが出たり、煮崩れしてしまったりするものが出る。


「いいですか、料理というものは一つ一つの作業を丁寧にやることで味がよくなっていくものなのです」


 そう雪乃は力説する。料理はプロの腕が大きく味を左右する。

 しかし、素人でもレシピに書いてある内容をきちんと理解し、そして丁寧に繊細に実行すれば美味しいものはできる。

 要は美味しくするために妥協をしないということだ。


「姫様、姫様には大根の皮をむくのは無理です」


 満天姫は先ほどから大根の皮をむいているが、どういうわけか剥き終わった大根は芯しか残っていない。


「そ、そうか……わらわには無理か」


 満天姫は、隣でお松やお竹が上手にむいているのを横目で見て、少し悔しそうな表情をしている。

 役に立ちたいが、自分ではどうにもならないと自覚しているのであろう。

 お松やお竹は秋葉藩士の奥方と娘であるが、禄高が少ない下士の出なので、自分で料理を作っている。だから、料理番と同じくらいにてきぱきと作業を進めている。


「満天姫様は輪切りにした大根を半分に切ってください。それならできるでしょう」


 主君に対して少しばかり無礼な指示だが、満天姫は雪乃の言葉にパッと顔が輝いた。家来にすべてさせて満足という性分ではないから、自分ができることがあって嬉しそうなのである。


(しかし、これだけの人数のブリ大根を作るのは大変だわ……)


 総勢三十人ほどに提供しなくてはいけない。満天姫はおまけみたいなもので、即戦力は三女中のみ。

 司令塔である雪乃の判断、指示で料理の成功は左右されてしまう。


「ほう、これは面白い1」


 トントン……。

 リズミカルに輪切りの大根が正確に半分されていく。

 満天姫の剣の技がここで生きる。

 どんどんと大根が切られていく。


「そうしたら、大根を下茹でします。時間は四半刻(約30分)。竹串を刺してすっと入るようになったら、すぐに水を張った桶に移してください」


 そう火の番をしているお梅に命じた。次はブリの下ごしらえだ。


「まずはブリをぶつ切りにします」


 ブリは運ばれてくる前にすでに鱗取り、内臓は除去されている。腹の中に雪を詰め、さらに箱に雪ごと敷き詰められて運ばれてきている。

 頭を落として三枚卸しにし、それをぶつ切りにしていく。

それをお湯に入れる。表面がさっと白くなったら水を張った桶に移す。そして流水で残った鱗やぬめり、アクを洗い流す。

 この作業を丁寧にやらないと生臭さが出てしまう。


「ふん……。あのような作業、わたくしでもちゃんとやりましたわ」 


 そう雪乃たちの作業を見ていた香姫が聞こえるような大きな声で話す。

 正確には香姫は下女にこの作業をさせていたのだが、下女たちは言われた通り、この作業をきっちりとやったと思われる。


(香姫様の失敗の原因は……おそらく)


 雪乃は香姫がブリ大根を作っていた様子を観察していた。確かにブリを沸騰した湯に入れていたし、その後も丁寧に水で洗っていた。

 下準備は家来にやらせていたから、おそらく完璧であろう。


(だから、この作業の手抜きが原因)


 雪乃は鍋にブリを入れると、酒と昆布を入れて煮る。酒の効果で生臭さが取れるが、それは香姫もやっていたこと。

 鍋にはブリが煮られて湧き出ていた白い泡、そして薄茶色の泡が出て来た。


「お栄さん、お梅さん、この茶色い泡を徹底して取り除くのです」


 そう雪乃は指示し、自分もそれを行う。

 この薄茶色の泡がアク。

 これを丁寧に取りぞくことで生臭さがなくなる。


「取れたら水を足します。昆布を入れて煮ます。また、茶色の泡が出るのでそれを取り除きます」


 アクを取ったら、醤油、砂糖、大根を鍋に入れる。


「これで落し蓋をして弱火で半刻弱煮ます」


 時間がかかるので、その間に笛やら踊りやらの演目が行われる。

 その間は火の番をしながら、雪乃の休憩。

 やがて煮上がると今度は鍋を火から下ろした。


「もうできあがったのか?」


 そう言う満天姫の言葉に雪乃は首を振る。


「ここから冷まします。煮物は冷めて行くときに味が染み込むのです」


 これは煮物の鉄則である。

 雪乃は作ったブリ大根を半刻(約1時間)寝かせた。

 本当はもっと冷ましたかったが、さすがにそれ以上は待たせられないだろう。

 ブリ大根以外の料理が供されているが、本日の主人公は『ブリ大根』なのだ。

 再び、鍋に火をかけて温めると雪乃はできたことを告げる。

 器にブリ大根が盛られる。仕上げに柚子の皮を散らす。


「うん、うまい。これは素晴らしい」


 最初に声を上げたのはご隠居。藩の重鎮たちも「うまい」の声を思わず上げてしまっている。

 当の能登守はあまりの旨さに固まってしまっている。

 これはどう見ても先日の香姫が作ったブリ大根よりも美味しい。

 月路の儀に参加している燈子姫陣営も、澄姫陣営も口々に美味しいと賞賛しており、香姫陣営はそれに対抗する術がない。

 香姫もブリの味が染み込んだ大根を一切れ食べて、一言も発していない。

 食べる前は因縁をつけてやると息巻いていたが、その勢いはなかった。

 箸をもったまま、ピクリとも動かない。


「これは勝負あったのう。ブリ大根は満天姫の方が圧倒的に旨い。よって、この勝負は満天姫の勝ちじゃ」


 そうご隠居が宣言した。

 香姫を推す一族もこの判断に文句が言えない。


「うっ……」


 しかし、ここでとんでもないことが起こった。

 ご隠居の言葉が終わるか終わらないうちに、香姫が箸を落としたのだ。

 顔は真っ青である。

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