第42話 満天姫、密かに事を運ぶ

 雪乃はどうやって説明したものかと少し思案したが、隠してもいつかはばれると思い、満天姫の耳元でかいつまんでごにょごにょと説明した。

 聞いているうちに満天姫の顔が徐々に赤く染まっていく。


「け、けがわらしいぞ、アル!」


 満天姫が急に立ち上がる。手には愛刀の紅椿。

 慌てて土下座するアルトの頭を右足で踏む。


「あ、いや、会ったとは言っても別に、何もせず……」

「うるさい。そのような場所に行ったのにわらわの前に姿を見せるとは!」


 ぐいぐいとアルトの髪の毛に足袋越しの指を絡ませて、満天姫は踏みつける。

 女性にこんな感じで頭を踏まれるのは、男にとっては屈辱以外に何もない。いくら身分差があっても激高するのが普通だ。

 だが、雪乃は南極海で寒さに耐える皇帝ペンギンの目で、踏まれるアルトを見ている。


(この人……こんなキャラだったけ?)


 アルトは『大江戸日記~春爛漫~』では、2週目から現れる隠しキャラである。出現状態によっていろいろな立場で現れるが、性格はスマートでかわいいイケメンキャラは変わりない。

 それが満天姫に踏まれて屈辱に身を震わしているというより、どうやら喜々としてその行為を受けている。


(へ……変態……。おお……神よ。ここに道を踏み外した変態イケメンがいます)

「おおお……満天姫様~っ。も、もっと……踏んでくだされ~」

「こ、この、この、汚らしい豚め」

「姫様、もう止めた方がよいと思います。それは罰になっておりません」


 雪乃は満天姫の着物の裾を掴んで止める。

 満天姫は振り返って雪乃を見る。


「これが罰でなくて何なのじゃ?」

「はい、かの者にとってはご褒美です」

「そんなわけがない」


 満天姫は踏みつけているのを止めて、手でアルトの被っている頭巾を掴んで持ち上げた。

 踏まれて畳に顔を打ち付けられ、鼻血が出ているアルトであったが、顔からは笑みがこぼれ、口元はだらりと垂れさがり、実に気持ちよさそうな表情だ。


「こ、これはどういうことじゃ?」

「そういう性癖なのです」

「変わった奴じゃ」


 満天姫は踏みつけるのを止めた。


「それにアルトは、その女郎から聞いただけと申しておりまする」


 雪乃は一応、そうフォローした。

 満天姫がどういうつもりで伊勢屋の手代である源蔵の調査を依頼したのかは、雪乃にも分からないが、調査方法の一つとして女郎から事情を聴いたアルトの行動は正しい。


「そ、そうです……。僕は決して邪なことはしておりません。僕が初めてを捧げる相手は、満天姫様しかおりませぬゆえ」

(この男、さりげなくとんでもないことを言う)


 雪乃はジト目でアルトを見る。

 尻尾が生えてゆらゆらと振っている犬にしか見えない。まったく、残念イケメンである。


「ならば、聞いたことを申してみよ」

「はい。源蔵は週に1度、気桔梗屋のお由良という女郎を買っています。そのお由良から聞いたのですが、源蔵は秋葉藩絡みの訳ありな取引に関わっているので金回りがよいのだと自慢していたそうです」

「金回り……?」


 雪乃は疑問に思った。

 源蔵は伊勢屋の手代。

 伊勢屋は秋葉藩と取引をしている。

 訳ありな取引が何であれ、その利益は伊勢屋に帰する。

 手代の源蔵がそれを得ているということは、これは裏営業である可能性があると考えられる。

 源蔵は店には内緒で不当な利益を得ていると考えられる。


「最初に尾行した時は、源蔵は店を休んでいた日だったのです」

(店を休んでいるのに、秋葉藩と取引……)

「なるほどのう……。わらわの思った通りじゃ」


 そう満天姫がにんまりと笑ったので雪乃は驚いた。

 どうやら、満天姫は何かを知っているようだ。知った上でアルトに調査をさせている。


「あの……満天姫様。少し、お伺いしますが、その手に持っていらっしゃるのはなんでしょうか?」


 雪乃は満天姫が何か鼠色の土のようなものを握っているのに気付いた。


「鍵の型じゃ」


 事も無げに満天姫がそう言った。


「鍵の型?」


 雪乃は驚いた。

 姫様が持つにはこれほど違和感のある物はない。


「な、なんで、そのようなものを……」

「アル、これで合鍵を作ってまいれ」


 雪乃の質問は無視して、満天姫はそうアルトに向かって鍵の型取りをした粘土を放り投げた。


「はい、姫様。しかし、前回と同じように合鍵ができても、それまでに変えられえてしまう恐れはありませんか?」


 そんなことをアルトが答えた。ますます、雪乃には分からない。


「ど、どういうことですか!」


 そのように声を荒げることは、姫様に向かって少々、無礼ではあったが、事は事である。しっかりと把握しないと『お手打ちフラグ』になってしまうかもしれない。


「雪乃にはまだ話さぬ……」


 そう言ったきり、満天姫は黙り込んだ。

 雪乃はますます混乱する。


(え、え、え~っ……どういうこと!)

(満天姫様の考えていることが分からない!)


 どうやら、満天姫はどこかの鍵を開けたくて、粘土で型取りをしているらしい。

 いつ、そんなことをしていたのか、全く分からないが、恐らく、夜中にこっそりと起きてやっているのだと推測された。


(そして開けたい鍵は……この屋敷の中)


 雪乃は嫌な予感がした。

 どうやら、伊勢屋の手代の源蔵は、店には内緒で秋葉藩と訳ありな裏仕事に携わり、美味しい汁を吸っている。当然ながら、秋葉藩の中にも美味しい思いをしているはずだ。


(それを満天姫が探っている……)


 そう考えるといろんなことがつじつまが合う。


(なぜ、満天姫様が月路の儀に参加しているのか……。結婚もしたくはないのにこの藩邸に来たのか……。そしてアルトに命じてこのような捜査をしている)


 そして自分の家から付けられた雪乃でさえ、信用していない慎重さ。

 最近雇ったアルトの方を信用しているのは解せないが、恐らく、アルトにも真意は明かしていないに違いない。

 おバカなアルトは満天姫の命令の目的など、一切考えずに盲目的に従っているだけなのだ。


「アルト、教えなさい。姫様が型を取った鍵はどこの鍵なの?」


 満天姫の部屋から下がった雪乃は、すぐにアルトに詰問する。

 側近としては捨て置けないことだ。


「そんなことは雪乃には教えられない」


 そう甲賀者はぶっきらぼうに返す。この年下の少年は満天姫の崇拝者。

 雪乃のことなんか、全く気にしていない。

 だが、雪乃にはそんな甲賀の少年を扱う術を知っていた。


「あら、そう。私に話したとなると、きっと満天姫様はお怒りになるわ。頭を踏まれるだけではないわ。全裸にされて手足を縄で縛られ、いろんなところを足で蹴られるでしょうね」

「えっ!」


 素っ頓狂な声が上がった。そして何だか顔を赤くして息が荒い。


(うわっ……。気持ち悪い!)

「満天姫様は縄を用意するように私に命じられましたから。悪いことをすれば、絶対にそうなるでしょう」


 しめしめ、食いついたと思いながら、雪乃は表情を変えない。


「だ、だからと言って、やはり満天姫様を裏切れない……」

「姫様はどうやら危ないことをなさろうとしています。姫様を助けられるのは私とアルトしかいませんことよ。私に話すことは満天姫様のためでもあります。きっと、姫様は分かってくださるでしょう。しかし……」

「しかし……でござるか?」


 もうアルトの目はハートで息が徐々に荒くなっている。興奮が高まっているようだ。


「私に話せば、満天姫様は一時的に怒りに駆られるでしょう。きっと、あなたは縛られて踏まれて恥辱を味わう。それが例え、姫様のためであっても……」


(よよよ……)っと悲しむ素振りを見せる雪乃。

 アルトはそんな雪乃に口走った。


「は、話すでござる!」

(ふん、ちょろいはこの男!)


 雪乃はペロっと心の中で舌を出した。


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