第36話 満天姫、取り調べを受ける

「ご公儀、目付役の稲葉十兵衛様、お呼び北町奉行、大山左衛門尉様、満天姫にご事情をお聞きしたく参上仕りました」


 翌日、能登松平家の屋敷に幕府の高官二人が訪ねてきた。

 二人とも若くして要職に抜擢されたエリート官僚。稲葉は江戸近郊で一万石を拝領している大名でもあった。

 大山は旗本の次男坊であったが、将軍の刀持ちから側用人へ抜擢され、さらに町奉行へと取り立てられた青年だ。

 二人ともこれからの幕府の政治を支える若手であった。

 二人の来訪目的はもちろん、あの辻切の件である。

 町の治安は通常は町奉行の大山左衛門尉の管轄なのであるが、八剣神社の境内に縛られていた辻切の正体が判明すると、幕府の目付の稲葉のところへ情報がもたらされた。

 なぜなら、幕府内の旗本や御家人に関することは、目付の役割であったからだ。

 稲葉十兵衛は有能な官吏で、近頃、江戸で噂になっていた鬼の辻切が幕府旗本だと町奉行の大山から聞いて、すぐに行動を開始した。

 まずは目撃者、通報者への口止め。

 これは有能な大山が既に手を打っていた。

 最初の通報者は神社へ参拝に来た小間物屋の隠居であったので、奉行所へ呼んですぐに口止めをした。そして前原左近丞は即座に謹慎。但し、前原家に閉門は命じない。

 噂好きの江戸っ子に鬼の辻切が旗本であったと知られないためだ。

 噂には上っていたが、本当に旗本であったということが知れ渡ったりしたら、幕府の権威まで傷ついてしまう。

 迅速に行ったことで、鬼の辻切の正体までは知られなかったが、それを討伐した者が『刀姫』であることはばれてしまった。

 縛り付けられた辻切の傍に名前があったことが、漏れ伝わったこともあるが、『刀姫』というワードが江戸の町人たちの琴線に触れたことも大きい。

 町人たちは自分たちを襲った悪人を退治した『刀姫』という人物に共感をもつと同時に、それが『姫』という女人であるというところにある種の驚きを感じてしまったからだ。

 しかも、それらしき人物が町を徘徊し、買い食いをしていたという噂も『刀姫』伝説を作った。

 雪乃は満天姫のへんてこな兜のせいだとひどく後悔した。そして、町人にはまだ知られていない『刀姫』という言葉が、武家の間では満天姫を指すと言うことに。


「突然の訪問、ご無礼仕ります」


 そう言って十兵衛は頭を下げた。そしてゆっくりと満天姫を視界に入れる。

 上座に座る姫の横で雪乃は今後の展開を想像する。


(幕府の役人ということは、調べにきたわけよね……)


 雪乃としては、この訪問の意図が隠蔽であるのなら、少々やばいことになるのではと警戒していた。


(もし、幕府がこのことを隠蔽するとしたら、満天姫様に口止めをするはず。それに姫様が従うとは思えない……)


 雪乃は満天姫が正義感に溢れ、曲がったことは嫌いな性格であると見抜いている。町人を十人も切り殺し、留吉に重傷を負わせた旗本を許すはずがない。 


 そうなると秋葉藩への圧力や満天姫自身への危害への発展する可能性が出てくる。


「まずは八剣神社境内で、鬼の人斬りを成敗したのは姫ご自身か?」


 ズバリと幕府目付はそう聞いてきた。


「わらわじゃ」


 短く切り捨てるような満天姫の言葉。

 目付の稲葉も町奉行の大山も予想はしていたが、姫にはっきりそう言われて驚きの色が目に表れる。


「しかし、旗本の前原の剣術は相当な腕と評された猛者。姫様のような女人が成敗できるなどとは、考えも及びませぬ」


 稲葉がそう念を押したのは、本当は満天姫ではなく、秋葉藩の手練れの侍がやったのではないかという僅かな可能性を探ったからだ。


「……ちっ」


 満天姫が小さく舌打ちをした。

 気に入らないのである。

 歳からして過分な役割をしている二人の男たちはそれなりに有能なのであろう。

 その有能な者でさえ、女性に対しては下に見る傾向に満天姫が不快感を示したのだ。


(あ、これはヤバい)


 ここからお手打ちシチュエーションになるとは思えないが、トラブルに巻き込まれつつあることは間違いなく、雪乃としては口下手な満天姫に代わって話すしか選択の余地はなかった。


「あの……コホン……」


 雪乃は一つ咳払いをして満天姫の顔を見た。


(言ってよいぞ、雪乃)


 そう満天姫は言っていた。


「お目付け役様、お奉行様。主人はこう申しております」


 雪乃がそう口を開いたので、両人は雪乃を見る。

 やんごとない姫君が、知らない男たちに直接話すことはしないと思ったのであろう。

 こういう場合は、指示を受けたそれなりの身分の女官が代理で話す。


「あの人斬りは満天姫様が成敗しました。私もお栄様も、人斬りに斬られた留吉も見ています。確かに人斬りは強そうでしたが、姫様の剣の前では赤子同然でした」


 そう言って雪乃は戦いの様子をつぶさに話した。

 見た通りであったから、その描写にはリアリティがあり、両者ともやはり成敗したのが目の前のやんごとなき姫君であることを納得せざるを得なかった。


「そ、そういうことでござるか……」

「いやはや、お強い」


 二人はそう言って感心するしかなかった。

 しかし、満天姫はその二人をにらみつけたままだ。


「んん……」


 そう口ごもって、雪乃の着物の裾を軽く引っ張る。雪乃は満天姫が言いたいことが分かった。 

 それは雪乃も同じ気持ちだ。


「姫様はこう言っておられます。その方らよ……。まさかとは思うが、あの人斬りの旗本を無罪放免とするのではないよな」


 雪乃がまるで満天姫がそう言ったかのように話した。その後ろで畳んだ扇子でぱちぱちと畳を打ち付ける満天姫。

 満天姫が威圧感を全開にして、両人をにらんだので、稲葉も大山も慌てて頭を下げた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る