第35話  満天姫、ブリ大根をデスる

「それでは次は満天姫様。料理は……大根餅……何ですか?」

 そう司会の御用人が首を傾げる。 

 それも仕方がない。

 そもそも大根餅は中国の料理で、江戸時代には知られていない食べ物なのだ。

 荒くすりおろした大根に米粉を練り込み、ここに乾燥した桜エビと長ねぎを刻んだものを混ぜている。

 それを炭火であぶってポン酢を付けて食べるのだ。


「うほっ……うまい。なんだ、これは大根か?」

「もちもちで美味しいのう」

「初めて食べる料理でござる……」


 能登守と高徳院は思わず感嘆して誉め、家老の五木は美味しさに言葉を失っている。


「これはいい。これは姫のご実家の料理か?」


 九郎はそう質問してきた。

 もちろん、これは転生者である雪乃の知恵によるものである。

 満天姫に目で合図されて、雪乃は自分が思いついたものだと答えた。


「なるほど。確かにありそうでなかった料理ではある。お女中、なかなかの知恵物でござるな」


 そう九郎は褒めた。

 だが、料理自体は洗練さに欠けている点は否めない。満天姫はこの料理対決で勝つつもりが全くないので、雪乃も気楽ではあるがその点を能登守が指摘した。


「大根の形が見えないのはいかがなものか。それに餅を焼いたものと考えれば、これは町人が食べる料理。月路の儀にはふさわしくない」


 口に入れた時には思わず褒めたくせに、そう難癖をつける。

 この男、どうしても満天姫に勝たせたくないらしい。

 町人が食べる料理とか酷評しながら、それが自分が推すお栄のおでんを貶めることになることにまで頭が回っていない。


「いいや、これは武士の食べ物ぞ」


 先ほどまで何も言わなかったご隠居が感心したように言った。

 白い髭を撫でつつ、大根餅を頬張る。


「これは軟らかい。そして美味。それだけではないぞ。これは戦場でも食せるものじゃ。米が足りなくなった時に大根でかさましすれば、兵も満足する。飢饉の時もこれは重宝する」

(なるほど……)


 雪乃は感心した。ご隠居が言うことも最もだ。


「月路の儀はご内室を決める儀式と聞いたが、なるほど……単純にうまい飯を作るわけではないのですね」


 そう九郎が持ち上げたので、何だか大根餅がここまでの一位みたいになってしまった。

 確かにふろふき大根もけんちん汁もおでんも美味しかったが、みんなが知っている料理という点では驚きがない。


「い、いや……。食べたことがないというだけで、食感はともかく味は単純。お栄のおでんほどの工夫はない」


 このままでは満天姫が勝ちそうなので、慌てて能登守が推しのお栄の料理をほめつつ、大根餅をデスるが、食べたことのない食べ物の印象は強烈だ。


 興奮冷めやらぬ中、最後の料理が発表される。


「次は香姫様。料理は『ぶり大根』」

(やっぱり、そう来たわね)


 三番目に披露する香姫の料理名が告げられた時、雪乃は予想どおりだと思った。

 秋葉藩の領地は越後及び越中。令和で言う氷見の海を抱えている。氷見と言えば、ブリの産地。

 香姫は秋葉藩の財力をフルに使って、氷見の港に上がったブリを凍り漬けにして、江戸まで運ばせたのだ。

 ブリは日持ちする魚で、山間部に運ばれている。ブリが内陸部へ運ばれた道をブリ街道とも呼ぶくらいだ。

 香姫はそのブリと大根を煮たブリ大根を提供した。

 これはなかなかの御馳走である。味付けもなかなか良さそうだ。

 雪乃は箸を使ってブリの身をつまむ。そしてその白い身を口に入れた。

 とろけるような触感。


(これはなかなか……。ブリ自体がとてもいい……。けど……)


 美味しいのであるが雪乃は少し違和感を覚えた。

 周りを見るとやはりブリの身の美味しさに驚嘆している様子であった。

 作った香姫は自信満々で心なしか顎がツンと上に向いている。

 雪乃の違和感はわずかなものであったが、続いて味の染みた大根を箸で切って口に運ぶとその原因が分かった。


(生臭さが消えていない……)


 それは大半の人間には分からない程度のものであろう。

 醤油や酒で味付けされているから、生臭さは隠れている。

 しかし、舌の肥えた人ならば気づく。


「これは御馳走だのう。今が旬の北の恵み。それを新鮮なままにこの江戸まで運ぶ手間。努力がよくわかる」


 そう口にしたのはご隠居様。

 香姫の顔がさらに明るくなる。

 ご隠居様はなんとなく満天姫推しだと感じていた香姫は、この勝負でご隠居の心を変えるきっかけになると期待したようだ。

 しかし、続く言葉で香姫の顔は曇ることになる。


「しかしじゃ。せっかくの御馳走も料理の下手さによって台無しじゃ。食えないわけではないが、貴人に出せるものではない」

「え……どういうことですか、おじい様」


 香姫は少し震えている。

 いつも自信に満ち溢れた態度の香姫でも、この頑固で考えていることが分からない元当主のことが苦手のようだ。


「能登守はわかるか?」


 ご隠居は香姫の質問を能登守に流した。

 そう問われても能登守は首を傾げるだけ。


「といわれも、おじい様。少し味に違和感があるのは分かるのですが、その原因とまでなると分かりません」


 そう答えるのが精いっぱいである。

 息子を助けようと高徳院が何か言いかけたが、やはり原因が分からないので口を閉じた。

 家老の五木大善は自分に回ってこないように目を下に向けている。

 もう一人の食客の九郎はにやにやと笑っている。

 自分に当てられることはないと思っているのであろう。

 その根拠は見ている雪乃には理解できない。


(幕府から遣わされている食客という身分であんな余裕が生まれるものか?)

「では、満天姫。お主なら香の失敗を説明できるであろう」


 突然、ご隠居様が満天姫に話を振ってきた。


(き、きた~)


 雪乃の心臓が高鳴る。

 これはもしかしたら、お手打ちフラグかもしれない。

 満天姫の答えによっては、お手打ちフラグが立つかもしれない。


「生臭いのは料理が下手なせいじゃろう」

(言った~っ。ズバリ、言っちゃったよ、この人!)


 感じた違和感は同じだと雪乃も思った。

 僅かな生臭さがせっかくのブリ大根のおいしさを台無しにしている。


「具体的にはどう失敗したと姫は言うのだ?」


 そう聞いてきたのは九郎。

 ニヤニヤいているから、雪乃はこの青年は答えが分かっているのに敢えて聞いていると感じた。


「それはこの雪乃が答える」


 満天姫はそう雪乃にめちゃぶりをした。

 振られた雪乃も混乱する。

 確かにわずかな生臭さが繊細な味付けのブリ大根の旨さを台無しにしている。

 ブリ自体は新鮮で申し分ないから、料理を作る過程でのミスなのであろう。


「はい……。恐らく、仕込みの段階で丁寧さに欠いたことが原因でしょう」


 雪乃はそう答えた。実際のところ、香姫の調理方法をじっくり見ていたわけではないので、細かいところダメ出しはできない。

 だが、おおよその失敗原因は分かる。恐らく、ブリを下ろした時にしっかり洗わなかったか、最初に煮た時に出るアクを丁寧に取らなかっただろう。

 香姫のことだ。作り方は聞いただけで、実際に何度も作ったわけではないから、そういう小さいことを無視したのだろう。


「何を勝手なことを!」


 香姫は怒り心頭である。

 ご隠居に指摘されるのならまだ我慢できる。

 それをライバルの満天姫に言われ、あろうことかその家来の女官にズバリ言われてはプライドが傷つく。


「ふふふ……。なかなか面白い。では、このブリ大根。満天姫が作り直すがよい」


 そうご隠居が命じた。

 ブリの次の入荷は二週間後。

 ブリの入手を待ってから、満天姫と雪乃がブリ大根を作ることになってしまった。


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