第34話 雪乃、秘策を思いつく

 月路の儀の競演で大根をおろしただけのものを出していたら、下手したらお手打ちにされるかもしれない。

 それにしても満天姫のやる気のなさ。雪乃としては満天姫の父である矢部和泉守から、満天姫を正室にも側室にも選ばれず、無事に家に戻すという任務を与えられている。

 その任務達成のためには、やる気のないのは結構なのであるが、限度と言うものがある。

 ただでさえ、いろいろと地雷を踏んでお手打ちになるキャラだ。悪目立ちは得策ではない。

 雪乃は手持ちの材料を満天姫様のご厚意だと言って、両陣営に手渡した。両方とも驚きの顔でこちらを見る。

 両陣営とも満天姫の妨害とは思っていなかったから、やはりそうかと思ったであろう。

 以前、饗宴で助けてもらった燈子姫は扇越しに目を出し、ぺこりと会釈したし、澄姫は深々と満天姫に頭を下げた。


「二人の姫君には感謝されましたが、満天姫様。私たちはどうします?」

「だから、大根おろしにせよ」

「姫様、いくらなんでもそれはないです。そんなものを出したら、お手打ちにされますよ!」


 満天姫はまな板に置かれた形のよい大根を手で抑えると包丁でストンと三つに切った。


「大根おろしも部位によって味が違うのじゃ。この先の方は辛味が強く、もっとも大根おろしにふさわしい。真ん中は煮物にはよいが大根おろしだと味にキレがなくなる。頭の方はダメじゃ。で、秋之助には頭の方を食わせろ」

「姫様、よく知っていますね……じゃなくて、なんで能登守様に喧嘩を売る必要があるのですか!」


 雪乃はため息をついて机の上を眺める。あるのは大根と町で買った米粉。明日の昼でも餅でもついて食べようかと思って買ったものだ。


(あ!)


 雪乃にひらめくものがあった。


(そうだ。大根おろしと米粉があれば……)


 醤油と炭火はある。


「満天姫様。ある料理を思いつきました。急いで大根おろしを作ってください」

「おお……。大根おろしを出すのじゃな」

「……いえ、そのままでは出しません」


 雪乃は大根の真ん中部分をすりおろした。そしてそれを絞るとそれに米粉を混ぜる。


「満天姫様、これをこねてください。姫様も手伝わないと月路の儀になりません」

「おお……やわらかくて気持ちがよいのう」


 満天姫と雪乃によって、雪のように白い大根おろしがもちのようになっていく。


「これはなんじゃ?」

「大根もちでございます」


 これを丸く成型した後、少し潰してお焼きのようにする。

 三女中に炭火の用意をさせていたので、網を乗せて焼く。

 やがて表面が香ばしく焼けていく。


「それでは姫様方、料理をお出しください」


 中庭にしつらえた急ごしらえの調理場に、競技開始を告げる呼び人がそう合図した。料理は中に面した部屋に座る審査員役の五人。

 そこで料理を試食し、五人の判定人によって勝負が決められるのだ。

 料理は参加した姫君とその女中も食べる。

 これは判定に対して文句を言わせないためだろう。実際に食べてみれば、自分より劣るか勝っているか分かるからである。


「それではまずは燈子姫様から。料理は『ふろふき大根』」


 大根を下茹でした後に昆布でコトコトと煮る。この煮具合が大事で箸を入れるとホロホロっと崩れるくらいがよい。

 茹で時間が足りないとゴリゴリした触感になり、茹で過ぎるとぼろぼろと崩れる。

 この上に京の味噌だれと鶏肉のそぼろがそれられている。得てして淡白な味わいのふろふき大根に鶏肉のうま味が加わり、食べ応えのある一皿になる。


「うむ。これはうまい」


 まず口火を切ったのは能登守。彼は心の中ではお栄推しであるから、燈子姫の料理を褒めるのは本当に美味しいからであろう。

 それに家老の五木大善がすかさず追従する。


「これは上品な味です。さすがはお公家様。洗練された出汁のうま味。そして鶏肉の肉味噌が京の味噌の甘みとうまく合わさっている」


 能登守の生母である高徳院も褒めた。

 雪乃が見たところ、高徳院は公家出身の燈子姫を正室候補と考えているようで、その褒め方はかなり贔屓がかったものであった。


(ご生母の高徳院様自身が公家出身だから当然だろう……)


 雪乃も出されたふろふき大根を食べる。

 審査員だけでなく、参加している姫やそのお付きの女中にも振舞われているのは、この勝負が公平に行われているということを示すためだろう。


「ふうふう……熱っ……」


 冬の寒い時に熱々の大根は体が温まる。

 そして京味噌の甘みと鶏肉の淡白であるが、噛むとじわっと染み出すうま味がたまらない。


(ただ……)


 雪乃には気になる点がないわけではない。大根自体の味が気になる。


(ちゃんと面取りして煮崩れしないようにしているし、味が染み込むように隠し包丁も入っている。けれど、大根のえぐみがわずかだけど残っている……)


 これは大根を下茹でしていないのが原因。

 米を加えて水から茹でて置くとえぐみは取れる。


(まあ、わずかなえぐみだから、気が付かない人がほとんどでしょうけれど……)


 顔を上げて見るとどの審査員も女中も満足そうに微笑んでいるが、ご隠居だけは渋い顔をしている。

 ご隠居は公家の姫が嫌いであるから、そういう顔をしているとも思えるが、雪乃が感じた大根のわずかな味に気が付いたのかもしれない。


「つぎは澄姫のけんちん汁を食します」


 お椀に盛られたこれまた熱いけんちん汁が運ばれてくる。

 けんちん汁は一説に建長寺という寺で始められたという精進料理である。

 精進料理であるから、肉類は一切使わない。具材は大根、ゴボウ、ニンジン、里芋と根菜類がたっぷり。

 澄姫のけんちん汁は、さらにキノコがたくさん入っている。ここから出た出汁が加わってなかなか深みのある味に仕上がっている。

 これには先ほどまで表情のよくなかったご隠居も満足そうな表情をした。公家推しの高徳院も文句をつけようがない。

 雪乃もこれは美味しいと評価した。

 元々、汁物は失敗が少ないし、いろんな具材と煮れば味も複雑になり、うま味も増す。素人でも十分に美味しく仕上げることができる。


(でも、きっとプロの料理人ならもっと違う味に仕上げるとは思うけど)


 雪乃は贅沢なことを考えた。澄姫もそのお付きの女中も普段、料理などはしない。

 家庭の味レベルで美味しいと言えるものは作れるが、これを店で出せるかと言うとそのレベルではない。

 今は月路の儀といういわばコンテスト。

 素人が集まったコンテストではあるが、試されているものは単なる『料理の味』だけではないような気がしていた。


「次はお栄様。料理はおでん」


 そう告げられると周りがざわついた。

 おでんは江戸市中の屋台で提供される料理の一つだ。

 おでんと言うとだし汁で煮たものを想像するだろうが、江戸時代のおでんはいわゆる田楽といわれるものである。


「よりによっておでんとは……」


 そう馬鹿にしたような口調で口を開いたのはご隠居。この爺はお栄のことを認めていないので、この発言は予想通りである。


「そんな江戸市中の町民の食べ物。この月路の儀の場にはふさわしくない」


 そう言って顔をしかめたのは、能登守の生母、高徳院。彼女もお栄のことは認めていない。食べる前から拒否反応がある。


「おでんは市中でもよく食べられていますからな。庶民の味というのも新鮮ではないでしょうか」


 家老の五木大善は能登守の顔色を窺ってそうフォローを入れる。

 ご隠居や高徳院の側につきたいが、現当主の能登守の機嫌を損ねるわけにもいかず、板挟みで気の毒な立場だ。


「ん……いやはや、これはうまい」


 そう言ったのは五人目の審査員。指南役の九郎である。

 この男はしがらみがない。よって、最も公平な立場で審査ができると雪乃は見ていた。


「ご隠居様、高徳院様。食べてみてくだされ。このつけてある味噌。ただの味噌ではありませぬぞ」


 そう九郎は指摘する。

 雪乃も食べる前の香りでもう理解していた。

 味噌には柚子が入っている。柚子味噌である。

 柑橘類の爽やかな味がはんぺんによく合う。

 そして大根。出汁がよくしみてこれだけでもうまいが、お栄はこれに辛し味噌を付けた。

 鼻を刺激する辛子の鮮烈さに加えて、包み込むような味噌の味がたまらない。


「これはなかなかの味ですね」


 雪乃はそう満天姫に向かって感想を言ってしまったが、満天姫も同じ思いだったらしく深く頷いた。


「さすがお栄だ。このおでんはすばらしい!」


 満面の笑みでそう喜んだのは能登守。

 材料が手の入らなかっただけでなく、人斬りにも襲われた経緯もあって、お栄がこの勝負にまともな料理を作ることができて安心したらしい。

 そして何とか作った料理がなかなかの味。先ほどまで文句を言っていたご隠居も高徳院も黙りこくった。

 辛口のこの二人を黙らせただけで、お栄の作ったおでんの評価が高いことが分かる。

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