第7話 雪乃、輿入れに同行する

 百人を超える供を伴い、満天姫が秋葉藩三十五万石の江戸屋敷に移動したのは昨日のこと。華やいだ行列に江戸市中の民は湧きたち、行列の素晴らしさは話題になった。

 庶民の間では赤坂藩の満天姫についての噂は意外と多かった。

 これはこの時代としては異例中の異例。

 普通、大名のお姫様について、町人が知ることができることはほとんどない。

 情報がなければ、噂など立つはずがないが満天姫は噂のオンパレードであった。


「まるで氷の彫像のように美しいお姫様とのことだ」

「質素を旨として、贅沢をなさらないお方だというぞ」

「いやいや、我ら平民を見下す気位の高さは日本一と聞くぞ」

「いやいや、かなりのじゃじゃ馬だという話じゃ」


 こんな噂なら大名のお姫様という言葉で、想像から勝手に流される噂としてはあり得るものだ。


「別名、刀姫かたなひめと称されるそうじゃ」

「刀姫?」

「女だてらに刀を振り回し、その腕は師範並らしい」

「一度、屋敷に忍び込んだ泥棒を捕らえたこともあるらしい」


 こんな噂は信ぴょう性があり過ぎると雪乃は思った。

 実際に刀を手放さないし、腕はかなりのもと聞く。

 泥棒だって捕まえそうな威圧感を身にまとっている。

 そして江戸の町では若い娘たちからは、密かに憧れの存在として人気が少しずつ高まっていた。


「本当ならかっこいいわ~」

「あこがれちゃう」


 ちょっとしたアイドル扱いである。

 そりゃそうだ。

 深窓のお姫様が刀をもって、悪者をばっさばっさと退治する。

 こういう話は人間誰でも好きだ。

 江戸の民は噂好きだし、そういう心理を商売にする瓦版というメディアも繁盛していた。

 瓦版にとって、芝居の役者に関する情報や市中の治安に関する情報は売れ筋だが、こういう支配階級の情報もよいネタであった。

 やり過ぎると発禁処分になるが、小大名のお姫様に関する他愛もない噂は、娯楽として見過ごされていた。


(いくらなんでも根も葉もない噂だわ……)


 そう雪乃も思っていた。雪乃が初見で知った満天姫は、もって生まれた悪人顔とコミュ障で全力で誤解される可哀そうなお姫様なのだ。

 しかし、雪乃の満天姫に関する評価は少々早かったと言える。

 それは後程、思い知らされることになる。

 そんな噂を知ってなのか、行列がついた秋葉藩の侍たちの方が緊張しているようであった。

 漆塗りの豪華な引き戸付きの籠に乗ってきた満天姫は、屋敷の正門をくぐり、そのまま屋敷の北へと向かった。

 秋葉藩の江戸屋敷は、さすが三十五万石の大身だけあって、広さは赤坂藩の五倍。広大な敷地に建てられた屋敷は、北部分のエリアだけで部屋の数が三十を超えていた。

 その中のいくつかの部屋をもらうのだ。満天姫の寝室。昼間過ごす居間。仕える女官の部屋等である。

 雪乃も狭いながら、専用部屋をあてがわれた。唯一の側近であるから、一人部屋の個室である。

 雪乃は満天姫の籠の傍らを歩いて、赤坂藩の屋敷からこの秋葉藩の屋敷まで歩いて来た。

 一昨日まで二週間にも及ぶ旅までしてきた。靴ではなくてわらじで歩いたから、もう足はずるむけ、筋肉が悲鳴を上げていた。

 それでも雪乃は満天姫の唯一のお付きの女官である。屋敷の中へ入ってからは、花嫁衣裳や道具を置くと行列を作った家来はみんな返された。

 あとに残ったのは雪乃と満天姫だけだ。

 もちろん、それだけでは荷解きもできない。

 二人して呆然としていると、三人の女中がやってきた。


「わたくしたちは満天姫様付きを拝命しました奉公人でございます。私はお松といいます」


 そう代表であいさつしたいという女性。年齢は三十代後半であろうか。

 聞けば、秋月藩の足軽組頭の女房と言う。

 あとの三人はそれぞれ足軽、小者の娘であり、今回の月路の儀に参加する姫君たちの身の回りの世話を命じられていた。


「わたしはお竹」

「お梅と申します」


 そう名前を名乗った。雪乃は(おいおい、松竹梅とは適当な名前ですね。完全にモブキャラだろ)と思ったが、満天姫はそれを聞いても顔色を変えない。

 それにしても、満天姫は全く知らない他藩の屋敷に来たと言うのに動じる気配がない。

 満天姫は十九歳。大名のお姫様として嫁に行くには少々遅れてしまったが、他家に花嫁修業で行くなんて経験は初めてである。それなのにこの度胸はすごい。

 ちなみに満天姫が今まで縁談がなかったのは、自分で破談にしたということもあったが、彼女の悪い噂のせいもある。縁談が持ち上がるたびに男の方から断ることが続いたと言う。


(そりゃそうだ。冷たい表情で常に刀を手放さない姫様なんか、みんな遠慮するわよね)


 当の満天姫も嫁に行く気がなく、ここまで来てしまったのだ。今回は幕府の命令もあったし、父親の和泉守の推測によると幼馴染の能登守に惚れているので、今回は承諾したとのことだ。


「三人……」


 満天姫が口に出したのはそれだけ。それだけに、三人の女中は凍り付いたようになった。


(翻訳:わらわの侍女ですって? たった三人で、しかも家臣の娘と奥方って、金をかけていないですわね)


 翻訳を感じ取った三人の女中は、汗をたらたらと流している。本音が分かる雪乃にはこう聞こえる。


(本音:三人も女中を手配してくれようとは、能登守様もわらわのことを思ってくれているのか……うれしいぞよ)


 ポッと桜色に染まる満天姫。

 三人の女官はそれを見てもちろん誤解する。


(怒りで赤くなられた)

(癇癪もちって本当のようだわ)

(やばい……お手打ちにされる!)

(終わったわ。父上、母上、梅はここで死にまする……)


 三人の様子を見た雪乃はお約束のように誤解されている満天姫を気の毒に思いつつ、まずはこの三人に満天姫の本質を理解してもらうにはどうしたらよいか考えた。

 これからずっと付き従う家来である。誤解されたままでは、ここから悪い噂が広がってしまう。

 それがお手打ちフラグにどうつながるか分からない。

 だが、雪乃の考えがまとまらないうちに事態が動く。


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