第8話 雪乃、能登守と出会う

「若殿のおな~り。満天姫様には、すぐにお出迎えのご準備を」


 そう甲高い声が聞こえてくる。女中の松が襖を開けると茶坊主が袴を掴んで小走りに廊下を走って来るのが見えた。

 その後ろを遅れて刀持ちの少年を従えた青年が向かって来るのが見えた。


(あれが能登守様ですか……)


 雪乃はゲームを思い出した。ゲームではメインヒーローで何度も落とした相手である。イケメンの若殿様の登場だ。


「満天、よく来たな!」


 部屋に入ると開口一番に能登守がそう言った。まだ少年のようなあどけなさを残した若き殿様である。

 ちょんまげを結った髪形ではあるが、太い眉がきりり引き締まり、目元は涼やかな美青年である。

 越後一カ国三十五万石の国持ち大名である。正確には病弱な先代のお殿様が引退を決めて幕府に届け出をしている。ここ数日で後を継ぐことが確実視された若き大名である。

 年齢は十八歳。満天姫より一つ年下である。


「秋之助、年下のくせによくもわらわを呼びつけよったな。大国を鼻にかけて嫌な奴じゃ」


 満天姫がいつになくスムーズに長い台詞をしゃべった。これには雪乃も三人の女中も驚いた。

 しかも、内容は三十五万石の大大名に対してかなり無礼であった。


(秋之助って……呼び捨てでしかも喧嘩腰)


 意外な展開で雪乃も新たに仕えることになった三人も目をまん丸くした。


「相変わらず、口の悪い女だ。お前など、余の嫁候補にするつもりはない」

「ならば、すぐさま実家に返すがよいであろう」

「……ああ、そうしたいのは山々だ。だが、おじいさまの手前、そのようなことは簡単にできぬ」


 悔しそうにそう能登守がそう言った。


「ふん……。相変わらず、自分の意見をはっきり言えない情けない男じゃ。武士の風上にもおけない」

「貴様こそ、あの行列はなんだ。はん、すでに正室気取りか?」


 若殿はもはや喧嘩腰である。確かにゲームの中では、満天姫と能登守は最初から仲が悪かったが、今はそれをはるかに上回る。

 そして仲が悪いならお互いに無視していればよいのに、お互いに突っかかる。


「お言葉ですが、お殿様」


 雪乃はそう二人の言い合いに割って入った。一応、能登守の誤解を解いておこうと考えたのだ。

 そうしないと突然、お手打ちイベントが起こる可能性がなくはない。

 三十五万石もの大名に家来筋の娘に過ぎない雪乃から話しかけるのは無礼ではあるが、雪乃は 満天姫の側近であり、唯一、実家からついてきたお目付け役である。身分は下であるがその言葉は、主人の満天姫と同じ重みがあった。

 つまり、側近である雪乃は能登守に直接声をかけることが許されているのだ。


「お前は?」

「満天姫様の祐筆を拝命しております。駒場雪乃と申します」

「ふん……。生意気な姫に仕えるだけあって、小賢しい女だ」


 初対面の雪乃に対して、この言葉。満天姫に対する悪感情が従者にも飛び火した感じだ。


「お殿様。満天姫様は赤坂三万石の大名の息女。婚礼の儀にはそれなりの行列を整えねば、大名家としての尊厳を損ないます。ましてや、秋葉藩は三十五万石の大身。将軍家ともご親戚の名家。それに見合うために必要な人数でございます」


 雪乃はそう答えた。家の格に合わせての対応を正室気取りと批判されたのでは、いくら悪役姫でも可哀そうだ。


「やはり、思った通りだ。小賢しい女だ」


 雪乃の意見が正しいことは能登守も認めるしかない。しかし、それを素直に、しかも憎い女の従者に言われては武士の面子にかかわる。嫌味の一つでも言わねば収まらない。


「秋之助よ、それで終わりか?」


 満天姫はそう言った。未来の夫になるかもしれない人物。一つ年下の男とはいえ、女の立場で上から目線の言いようである。


(姫様のこの強気、一体どこから出てくるのか?)


 ここまで来ると雪乃も感心するしかない。


「終わりとはなんだ。何か余に言うことはあるのか?」

「ある」


 満天姫はずいっと一歩進んで能登守のパーソナルスペースに入り込む。能登守は体が動かない。下から上目遣いで自分を見てくる満天姫の目線から目を逸らせない


「聞けば、この度の儀。名家から姫をお集めのよう。その中に庶民の娘がいると聞いたのじゃが」

「そ、それがどうした?」

「確か江戸市中の八百屋の娘と聞いたじゃが」

「ああ……余が見つけたのじゃ」

「スケベな秋之助のことじゃから、乳にでもたぶらかされたか?」

「な……」


 能登守の顔が赤くなる。どうやら図星だったようだ。


「何を言うか、無礼な。お前みたいな乳なし……」


 そこまで言って能登守は満天姫の胸のあたり目をやり、そして黙りこくった。

 やっぱり、能登守。乳が大きい方が好みらしい。

 満天姫は着物の上からでも分かるくらいの豊かな胸の持ち主である。能登守は満天姫に『乳なし』などと口走ったが、それは失礼と言うべきである。

 どちらかと言えば、その言葉は雪乃に対して向けられたと言っていい。雪乃のものは着もののせいで目立たない程度のものだ。


(おい、若殿、私の方をちらりと見るなよ、そして安心の笑みを浮かべるなよ!)


「どうした、秋之助。わらわの胸を見て絶句か?」


 ニヤニヤとしている満天姫。弟をからかう姉のようだ。


「お前、子どもの頃はつるぺただったじゃないか」


 三十五万石の若君。随分とダイレクトに失礼なことを聞く。


「お主、いつの話をしておる。あれはわらわが十歳。秋之助が九歳の頃の話じゃ。あれから九年も時が経っておるわ」

「……ふん。九年経ってもお前の意地の悪さは変わっていない。それに比べて、お栄は違うぞ。優しくて可憐で余のいうことは何でも聞いてくれる」


 そう能登守は思い出すようにうっとりとした。これはかなりその八百屋の娘にぞっこんのようだ。


「わらわが心配しておるのは、正室には家柄が必要というものじゃ」

「家柄だと?」

「お主は三十五万石の大名じゃ。正室には家を守る後ろ盾の役割もある。正室に必要なのは、血筋の安寧と武家社会における評判じゃ。その平民の娘は秋之助に与えられぬ。そんなに好きならば、側室とするとよかろう」

「ふん。早速、寛容な妻を演じるつもりか。余は騙されないぞ」

「騙されるも何もそれが普通の考え方じゃ」


 満天姫の意見はおかしいものではない。江戸時代風のこの異世界でも、ごく真っ当な話である。

 武士と平民には無視できない身分の差と言うものがある。武士同士でも上士と下士でも同じだ。

 三十五万石の大身の大名であるならば、その正室は家柄と血筋のよさが求められる。側室であるならば、殿様の愛情次第で許されるところもあるが、それでも身分違いというのはいろいろと問題にされる。


「貴様に言われると腹が立つわ!」


 プンプン怒って若き能登守は去って行った。

 自分でやって来て、勝手に喧嘩をふっかけてきたのは若殿の方である。しかし、状況的には満天姫が激怒させたことになるであろう。

 そしてこれがまた噂になり尾ひれがつくことは間違いない。


「あの姫様……」


 雪乃は思い切って質問することにした。三人の女中の顔が再び引きつったのを感じたが、そのまま続ける。


「能登守様とは幼馴染と聞きましたが、何か嫌われるようなことがあったのですか?」


 これはゲーム設定で雪乃が知らないこと。敵キャラであった満天姫の設定では、細かいエピソードがあるわけでなく、幼馴染という情報しかなかった。そして若殿とは最初から仲が悪い。

 雪乃の知らない裏設定の臭いがプンプンする。


「……知らぬ」


 言葉少ないキャラに戻ってしまった満天姫は一言そう言っただけであった。


(あーこれは何かあった。まちがいなく幼少期になにかあったよね~)


 雪乃はそう思ったが、満天姫が話してくれないのなら、能登守に聞くしか方法がない。しかし、そっちの方も難しい。

 雪乃の目的は満天姫のお手打ちエンドの回避。そのうえで実家に共に出戻り、平穏な生活に戻ることである。

 満天姫が能登守に最初から嫌われている原因を知ることは、この難解なクエストをクリアするキーであることには違いなかった。

 しかし、キーと言うものはすぐに手に入るものでもない。それは複雑な乙女ゲーをいくつも攻略して来た雪乃の経験から分かっていた。


(とりあえず、今夜の月路の儀、一日目をどう過ごすかだよね)


 雪乃は今一度、お江戸日記のシナリオの進め方を思い出していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る