第6話 雪乃、満天姫を知る

 雪乃は表情を変えず、にこにこと笑顔で満天姫を見つめる。身分が低い雪乃の方から話すことはできない。


「姫様、お菓子とお茶をお持ちしました」


 襖が開いて女中がそう言って菓子盆とお茶を持ってきた。微妙な沈黙を破ってくれたおかげで雪乃は視線を満天姫からお女中へ移せた。

 あのまま、見つめあっていたら、姫からどんな言葉を投げつけられたか分からない。

 かすかに震える手でまずは満天姫にまずお菓子を配る女中。雪乃の前にもそれは置かれた。


(おや?)


 雪乃はお菓子を一目見て笑顔になった。


「これはうさぎ餅ですね。うれしいです」


 思わず声を出してしまった雪乃。

 部屋にいる女中たちに緊張が走るのが分かった。

 しかし、出されたお菓子は近江の国、赤坂城下の老舗菓子司、扇屋の餅菓子である。懐かしい里の銘菓だ。

 ぎゅうひを兎の形にし、白あんを中に入れた餅菓子。餅の軟らかさと上品な甘さの餡が人気のお菓子である。

 結構な値がするので三百石取りの中級侍の雪乃の家では、滅多に食べられない代物であった。

 後で分かったことだが、このお菓子は扇屋の職人が江戸屋敷で作ったものだ。

 扇屋の職人は修行のために年に二回ほど国元から江戸にやってくる。

 その時に藩主の江戸屋敷で本店と同じ技法で、このウサギ餅を作ることが慣例であった。


「お主はウサギ餅が好きなのか?」


 そう呟くように満天姫が口を開いた。


(翻訳:お主のような下賤のものには過ぎたる菓子じゃ)

「は、はい……」


 雪乃は心の中で翻訳してやっとそう返事した。余分なことを話すと満天姫にお手打ちにされそうである。


「たくさんある。たくさん食べるがよい」

(翻訳:そんなに好きなら死ぬまで食べるがよい。この豚め!)

「あ、ありがたき幸せ」


 雪乃はそう答えて周りの様子を伺う。一応、客人扱いの雪乃にお茶とお菓子が出されたのは分かるが、なぜか部屋にいる女中たちまで配られている。

 どの女中もどうしてよいのか分からない様子だ。


「何をしておる。早く食べるがよい。皆の者も遠慮する必要はないぞよ」

(翻訳:このわたしが取り寄せたのじゃ。這いつくばって食うがよい)


 満天姫がそう鋭い目つきで各々を見るものだから、ますます固まる。それを見ている満天姫の表情が変わる。何だかイライラしているようだ。

 雪乃はウサギ餅を懐紙ご左手に乗せた。そして竹製の楊枝で四つに切る。その一つを刺して口に放り込んだ。

 ねっとり軟らかい触感が口の中に広がり、それを歯で噛むと僅かに抵抗する弾力。それを断ち切る歯の心地よい感覚。その後に来る甘い餡の味。


「うううう……たまりませ~ん」


 思わずそう言葉を発してしまった。この場の正客である雪乃が食べたので、女中たちも勇気が湧いたようだ。恐る恐る手を伸ばしてウサギ餅を口にする。

 甘いお菓子は人間の心を和ませる。徐々に場の雰囲気が変わっていく。


「今日のウサギ餅は格別よのう……」


 満天姫もまんざらではない表情をしたが、そこは持って生まれた悪人顔。年相応の無邪気な感じがしない。


(翻訳:こんな美味しいお菓子を恵んでやったのだ。感謝せい)

「あ、ありがたきしあわせでございます!」


 満天姫が言葉を発した途端に、五人の腰元は平伏する。きっと、みんな正しく翻訳したのであろう。

 雪乃も合わせて平伏しようとしたが、満天姫の表情に違和感を覚えて、思わず顔を見た。わずかであるが、ぴくぴくと目じりが痙攣している。


(あれ?)


 雪乃には何だかわかってしまった。


(もしかしたら、この姫様……)


 雪乃には満天姫の台詞が見ている光景の下に黒い窓が出て、そこに翻訳文が表示されているとすると、さらに赤字で『本音』と書かれた文字が見え始めたように思えた。

 ゲーム脳がなせる業である。


「他国へと嫁いだら、このウサギ餅も食べられなくなるよのう……」 

(翻訳:お前ら一週間に一度は買って届けよ。さもなくば、手打ちじゃ!)

「は、はははっ。そのように……」


 五人の女中が畳に額をくっつける。言っている言葉は、翻訳したものに対してで正しくつながっていないから違和感がある。

 満天姫はそれを氷の目で見る。

 しかし、翻訳の他に本音が見える雪乃には、その表情が困惑しているように見えた。

 そして本音の文字。そこにはこう書かれていた。


『なぜ、そうなるのじゃ。わらわが嫁に行ったら、このウサギ餅が食べられなくなり、さみしいと思っているだけなのに……』

(な、なんて健気なの……悪役姫様なのに……)

 

 雪乃は理解した。

 この悪役姫。

 本当は心優しい姫なのに、悪役に見える人相とコミュ障の言葉足らずで全力で誤解されているのだ。

 そして見え隠れするツンデレ属性。

 雪乃は心に決めた。

 この姫様が不幸な運命を回避する手伝いをしようと。


(そうじゃないと、私も巻き添えになりますから)

「満天姫様、この駒場雪乃、もとより、若輩者ではありますが、及ばずながら月路の儀に同行し、姫様の幸せのために全力を尽くす所存です」


 ぴくぴくと目じりが動く満天姫。

 周りの女中はみんなぎゅっと目を閉じた。

 雪乃の無礼な言葉に満天姫は激怒し、平手打ちをしたのち、蹴倒す姿を想像したのだ。


(雪乃とやら、お手打ちの上、お家断絶だわ~)


 みんなの頭に『断絶』の二文字が浮かぶ。

 しかし、満天姫は一言発しただけであった。


「よきに計らえ」


 そしてすくっと立ち上がると無表情で部屋を出る。少し顔に朱が差したように見えたが、みんなは怒りのあまりでそうなったと解釈した。

 しかし、雪乃には本音は分かっている。


(よ、よろしくたのむ……)


 あの赤い顔は恥ずかしさから来たものなのだ。

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