第5話 雪乃、江戸へ行く

 矢部和泉守に満天姫のお目付け役を命じられた雪乃が、姫と対面するために江戸屋敷に向かったのは翌日であった。

 特別に五人の侍に守られて、東海道を東へと旅する。

 近江から出たことがなかった雪乃は見るもの、聞くこと全て初めて。東海道を歩いて江戸へ行くという旅は面白かった。

 約十四日かかってようやく江戸にある赤坂藩の上屋敷。

 ここで一日休養を取った後、一万坪もの広大な敷地に建っている江戸中屋敷へと移動することになる。


 大名の正室と子供は人質として、この江戸に留め置かれているから、満天姫も生まれてからずっとこの中屋敷で暮らしているのだ。

 上屋敷に迎えにやって来た引き戸付きの乗り物に初めて乗った雪乃は、踏み入れたことのない広大な中屋敷の奥へと案内された。

 二十畳の畳の部屋の中央に座った雪乃。母に駒場家に伝わる桜色の打掛をもらい、それを身に着けている。豪華な打掛のせいで落ち着いて見えるが、中身は十七歳の少女である。

 だが、江戸時代風乙女ゲーを散々遊び倒した雪乃は、堂々としている。こういう場面は何度も主人公を動かして体験していた。


(問題は……正座で足がしびれることだよね)


 普通に座っていれば足がしびれる。背筋をピンと伸ばし、重心を重ねた親指に乗せる。この世界に転生して七年。雪乃の修行の成果が出る。

 襖が開いた。

 女中の声が響く。


「満天姫様のおなりです」


 部屋にいた女中たちが頭を下げる。雪乃も両手を前について頭を下げる。

 絹の擦れる音がして人が入ってくる気配がある。

 その気配は自分の正面。

 正確には五m前の上座で止まった。


「苦しゅうない。面を上げよ」


 少し甲高い、迷いのない声が部屋に響く。女中たちが頭を上げていく気配を感じながら、雪乃はそっと顔を上げた。


(ま、満天姫様だー)


 美人である。江戸時代の美人となれば、令和とは違う美的感覚であるが、目の前の姫君は令和でも通用する部類だ。

 大人数で歌うアイドルグループのセンターを張れるかわいらしさ。身長は百六十センチ足らずで残念ながら低いが、この時代ではハンデにならないだろう。むしろ、この時代なら大柄な方だ。

 ただ、顔が整い過ぎて冷たい印象を見る者に与える。

 あと、大きくてパッチリしている目であるが、少し吊り上がっているのが気の強そうな性格を予想させた。若干19歳の割には人を威圧する力は半端ない。


(さすが悪役姫、立っているだけでこの威圧感。半端ないわ~)


 そして手に持っているのは日本刀。これが威圧感に輪をかける。

 お姫様が短刀ではなく、本格的な刀をもつなんてこの異世界でもありえないことだ。

 よってこの満天姫。別名を『刀姫(かたなひめ)』と言う。武家の娘だから、武芸に秀でることは教養としてありかもしれないが、8歳ころから始めた剣術は、今や観月無心流師範の免許皆伝だと言う。

 満天姫がもっている刀は『紅椿』という銘をもち、彼女自身が著名な刀鍛冶に頼んで作ったという代物である。

 噂では気に入らないことがあると、この刀で一刀両断に相手をお手打ちにするというのだ。そんな馬鹿なと思うがこの容姿でこの刀だ。あり得ぬ話でないと思うのも無理はない。

『大江戸日記~春爛漫~』で何回も相対したライバルキャラの登場である。何度かは、この刀で斬られそうにもなった記憶がある。


「お主が雪乃か?」


 そう雪乃のことを呼び捨てにする。満天姫の方が一つ年上で身分が違うのだから当然だ。そして満天姫は上座の座布団に座ろうとしない。上座の畳の上で立ったまま、雪乃を見下ろしている。

 その目は凍り付いたような冷たさ。下賤のものを見下す目のように思える。

 それでも雪乃は口角を上げて笑顔を作った。ここで悪役姫に取り入らないと、笠張浪人の娘に転落する。


「はい。勘定奉行、駒場宇兵衛が娘、雪乃でございます。満天姫様におかれましては、ご機嫌麗しゅう……」

「よい」


 雪乃の発した定番の挨拶は一言で斬られた。

 カミソリのような一言である。見下ろされたままだから、かなりキツイ感じに聞こえる。


「この度は満天姫様のお目付け役を拝命しまして……」

「父上からの文で聞いておる」


 そう言うと満天姫は座った。雪乃を突き刺すような目である。

 横に並んで座っている五人の女中たちは、みんな顔が恐怖で引きつっている。

 噂ではこの満天姫様は気に食わない女中の顔を平手打ちするのは日常茶飯事。場合によっては無礼を働いたと言って、手にした『紅椿』でお手打ちするとのことだ。


(いくら何でも……このやり取りで殺されはしないでしょう)


 雪乃は女中たちよりは余裕があり、冷静な分析ができた。

 きつい性格を思わせる顔立ちではあるが、狂気に陥った印象はない。ただ、満天姫が話す一言一言を翻訳するとこうなるなと雪乃は頭の中で再生した。


「お主が雪乃か?」

(翻訳:なんじゃ、小娘ではないか?)

「よい」

(翻訳:そんな挨拶は聞き飽きた。)

「父上からの文で聞いておる」

(翻訳:父上ももうろくされたものよ。こんな小娘と一緒に嫁ぎ先へ行くなど、一体何を考えておいでか)


(まあ、こんなところよね)


 雪乃はゲームで出て来た満天姫のキャライメージでそう想像した。目の前の満天姫は黙ったまま刀を置いて座ると、ただ雪乃を見つめているだけである。


(やばー……何だかにらんでる……何かしゃべってよ)

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