二 『アルクマ神殿』の守護兵

 ほとばしる火花で出来たゲートは、それを作り出した精霊パシオネが紛れもなく火の精霊であることを証明している。アルドも実際、そのようなゲートをくぐるのは初めての経験であった。

 だが驚いたことに、その新種のゲートをくぐる時の独特の魔力のうねりや、中を通過しているときの、胸や腹、頭の中や内蔵を、外から内から縦横無尽に鈍く押し上げられ続けるこの感覚は、これまでくぐり抜けてきた時空の裂け目と全く同じなのであった。そうしてしばらくすると全身の感覚が麻痺して、自身を見失う錯覚に陥るのだが、抜ける先の空間がゆらりと視界に認知され始めると次第に四肢の感覚が蘇ってくる。そして、悪夢から覚醒した時にも似た感覚と共に視界がはっきりすると、いつもそれはゲートを抜けたことを意味していた。

 今回もその感覚を通してアルドたちは火のゲートを抜け、かなり開けた空間に降り立った。


「ここは……ッ!?」


 上空を見上げると白、というより多少鼠色がかった曇天で地上は薄暗く、周囲は近くに建物や森など高さのあるものは見えず、地面は大岩を並べただだっ広い広場のようであった。

 一歩二歩踏み出してみると、自分の足音以外は奇妙なほど何も聞こえないがためにどこか生命の気配が乏しく息苦しさがあり、周囲は円形と思われる形状に開けているが、その地平線が海向こうのそれと比べればいやに近くに見え、どうやらどこかの円形に突き出た台地の上にいるのだろう、とアルドには思われた。


「アルド! 気をつけろよ、君も多少は剣に覚えがあるようだが……俺ほどには、まだ強くはない。来るぞッ!!」

 言うが早いか、ヴィルフレードは「ムネメ! メレテ! お前らの相手は、この俺だ!!」と叫んで、まごつくアルドよりも早く、台地の中心に向かって駆け出した。

 と。台地の中心には、確かに二つの人影がアルドの位置からでも確認できた。ヴィルフレードが名前らしきものを叫びながら走っていったのは、もちろん敵の意識を自分より弱い(と、思っている)アルドに向けさせないためだろうが、しかし。


「ちょ、ちょっと、待て! その二人は、子供じゃないか!!」


 もちろん、アルドもすぐにあとを追ってはいた。自分の脚力にはそれなりに自信があったが、それでもヴィルフレードの剛脚は尋常ではない。神速猛虎の如く、すでに抜き放たれた長剣の先から流水のような残像がこぼれている。

 アルドが全く追いつけないまま、もうはるか前方に飛び込んでいった彼の周りにはすでに土煙の他に大きな爆発が起こり始めていた。

 魔術詠唱の妖しい光が、戦場のあちらこちらに出現するところからして、それらはヴィルフレードが起こしているだけのものとも思われない。アルドが全速で向かっているその戦場は土煙にまみれて視認しづらいが、信じられないことに、先ほどちらついた子供の人影が強烈な魔術を駆使しながらヴィルフレードに相対しているようであった。

 いくつかの連鎖爆発を起こす魔術をこちらへバックステップでかわしてきたヴィルフレードの側にようやくアルドが追いつくと、彼は「子供だと思って、油断するなよ。あいつらは、この『孤独の霊峰』の守り神みたいなものなんだ」と早口で伝えてきた。

 アルドが息を飲み、前方の噴煙から出てくる人影を警戒していると、声がした。


「なんだか、懐かしい匂いがするなあ。メレテ」

「そうだね、懐かしい匂いがするよね。ムネメ」


 噴煙が旋風を受けて晴れると、そこには二人の男の子が立っていた。二人は奇妙な笑みを浮かべてはいるが、見た目はどう見たって純真な子供そのもの、服装は白一色のなめらかな一枚布を全身にまとっているような独特なものではあっても、やはりその無垢な見た目の印象を覆すには及ばない。だが、その両手に蓄えられた莫大な魔術陣の光は、明らかな殺意の表明だった。


「虎髪の兄ちゃんよ。お前、アオイの匂いがするぜ」赤い髪の少年、ムネメが言った。

 続けて、「うん、するね、アオイの匂い。ああ、懐かしいよね」緑の髪の少年、メレテが応じる。


 戦いを忘れたかのようにケタケタと笑い合っている無邪気な姿が、逆にとても恐ろしくアルドには映った。冷や汗が、背中を伝うのを久しぶりに自覚する。

 剣の柄をアルドは握り直したが、ヴィルフレードが意外なことを囁いてきた。


「アルド。少し、こいつらのお喋りの相手をしていてくれないか。『一発で』片付ける」

「はあ? 何を言って……」

 アルドが狼狽すると、「こちらを見るな……!! 気取られる。俺が力を溜める間、ほんの少しだけでいい。大丈夫だ、安心してくれていい。こいつらを片付けるのは、これで四度目なんだ」ヴィルフレードは落ち着いた低い声でそう続けた。

 四度目という意味もよくわからずに、仕方なく頷いたアルドだったが、何をどうすれば良いのかはやはりわからない。

 お喋りって言ったって……試しにアルドはムネメ、メレテに正面から「君たちは、いったい誰なんだ?」とうわずった声をかけてしまい、すぐに自分の間抜けさを呪った。

 恐らくは先制攻撃をかけたのはこちらだろう。それでいて、自分はいまさら悠長に何を敵に聞いているのか。

 だが、意外にも二人は笑顔を崩さなかった。むしろ、よくぞ聞いてくれた、と言わんばかりに二人で呼吸を合わせて姿勢を正した。


「オレは、この『アルクマ神殿』を守る『古のアルクマ守護兵』が一人、ムネメ」

「同じく、ボクはメレテ」

 二人はそれぞれに赤、緑という独特な色の髪を戦場の風にたなびかせながら、腕を組んで胸を張る姿勢を見せた。その姿は先ほどまでの凶悪な魔術を駆使していた姿に比べて滑稽で、アルドは率直に、どこにでもいるような少年らが、どこか無理をして背伸びする印象を受けて、つい、戦闘中にも関わらず吹き出してしまった。


「あ、こいつ、いま笑ったぞ!?」「うーん、くやしいよう。そりゃ、二人しかいないんだから、ポーズが上手く決まらないのは、わかっているよう!」


 本気で地団駄を踏んでくやしがる二人の姿には、敵意のかけらも感じられない。少しほっとしたアルドは、それでも構えを崩さずに、懸命に会話を続けた。


「二人しか……て、他にも守護兵とやらはいるのか? ここは、神殿なのか?」


 赤い髪のムネメがちっちっと指をふった。

「黒髪の兄ちゃん、足が震えているぜ。それに、俺たちのこと、何も知らないんだな」

「そんなら、なんで突然攻撃してきたんだよう。そんな一辺には答えられないよう」緑のメレテが口を尖らすと、「おい、メレテ。情けない声は出すなよ。オレらの威厳が無くなっちゃうだろ。そんなだから、元気なくなっちまうんだよ、今のアルクマ神様が」とムネメが腰に手を当ててメレテを叱り始めた。

「そ、それはボクのせいじゃないよう! アオイが勝手にアルクマ神様の弟を次元の彼方へすっ飛ばしちゃったからだよう!?」慌てた様子で緑のメレテが両手をバタバタさせると、「それを言うな! アオイも、長女のくせにオレらを捨てて、そいつとすっ飛んでいっちゃったんだ!! 守護兵は三姉弟そろっての称号ってのを忘れてな。いい気なもんだ」と赤い髪のムネメは不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「な、なあ。つまり、ここは『孤独の霊峰』ってところの、その『アルクマ神殿』とか言うところで、お前たち『古のアルクマ守護兵』ってのは、三人いて、ただ、今はその『アオイ』って子がいなくなって、二人だけ、ということでいいのか?」


 我ながら情けない声で情けない内容を反芻はんすうしているとアルドは思ったが、他に言葉が思い浮かばないのだから仕方がない。何しろ、この二人から感じる魔術の波動は、こうして和気あいあいに見える会話中も一切の隙を見せてはくれない。悔しいが、今はヴィルフレードが力を溜めるために少しでも会話を引き伸ばすしかなかった。


「お。黒髪の兄ちゃん。察しがいいね、そのとおりだ」「へえ、お兄ちゃん、あったま良いんだねえ」


 多少、コミュニケーションが取れてきたか。アルドは続けて、「そう言えばさっき、アオイの匂いがするって、言ってたけど、どういうことだ?」と聞いた。その瞬間。


「それは、なあ?」

「それは、ねえ?」


 二人の周囲の空気が凍りついた。いや、それは正確な現実の描写ではないだろう。

 赤い髪のムネメの魔術は炎で、緑髪のメレテが扱うのは風を応用した雷だ。

 だから、アルドが一瞬で察した心の奥底まで凍るその感覚は、微笑を浮かべた二人から吹き出す、無邪気なほど旺盛な殺気だった。


「……くッ!!」アルドが死を覚悟して構えなおすと同時に、背後から「大きく右に避けて、頭を下げて這いつくばれ!!」と声がした。

 それが自分に向けて発せられた言葉なのだと反射的に理解して、アルドはすぐに従った。


「ムネメ、メレテ、そんなに『アオイ』に会いたいか! それならば、今すぐ会わせてやろう! 茶番は、終わりだッーー!!」


 ヴィルフレードのその声が背後からしたのを、アルドは覚えている。だが、そのあとのことは曖昧だ。いや、もちろん網膜には彼が放ったであろう恐ろしい剣技の余韻は、しっかりと焼き付いているが、現実味のないほどの威力を目の当たりにさせられた。

 『アオイ』の声にわずかに反応した相手二人が避ける間もなく、周囲は水没した。その時のアルドにそう錯覚させるほどの深いマリンブルーの光。それは敵もろとも見渡す限りの周囲を包み込んだと、そうアルド自身が知覚する一瞬の間に、強烈な閃光を放つ衝撃波をまとう剣撃が幾千、幾万もの死を運ぶ直線の光のレールとなって、相手の二人がいたであろう空間に収束していった。

 そして、アルドは見た。宇宙創生を思わせるほどの閃光がマリンブルーの海底に取って代わった最後の瞬間、ゆらぐように現出した悲しみの表情を浮かべた少女の幻影を。その青い髪の少女は正面を向いたまますぐに消えてしまったが、その間際に、ごめんね、と言っているようにアルドには感じられた。

 うつ伏せていた状態の彼が呆然と立ち上がったときには、辺りにもう土煙すらなく、いくつか地面の岩をスプーンでキレイにすくい取るようになめらかに穿たれた大小の穴が、戦闘の激しさと最後に放たれたヴィルフレードの技の威力を物語っていた。もちろん、敵対していたあの二人は、今はもう、どこにもいない。

 文字通り、周囲の空間から塵一つ残さず消滅させたデタラメな威力の剣技に、現実感が伴うはずもない。


「い、今のは、なんだ……お前の、技、なのか?」そうヴィルフレードに聞くのが、精一杯だった。


「ああ、そうだ。俺の剣に埋められている宝玉は、俺をこの世界からすっ飛ばして姉と生き別れにさせた、『アオイ』の成れの果ての姿なんだ。すっ飛ばされている間にいつの間にかこの姿になって以来、そのままさ。今の俺は、それを自在に扱える」

「あの二人以上の、強烈な力だな。でも、一体なぜ、『アオイ』はそんな宝玉になってしまったんだ?」

 守り神のようなもの、『守護兵』と言うだけあって、あの二人の少年だけでもかなりの強さだった。それを、一撃で倒してしまうほどの力。『アオイ』はその中でも長女なのだと、あの二人は言っていた。確かにそれに相応しい力だと言えるが、同時に、なぜその人物は宝玉になってしまったのか。

「よくはわからないが、パシオネの話では、恐らくはこの『孤独の霊峰』から、アルド、君のいた『外の世界』へ飛ばすには、相当量の魔力が必要らしい。座標? もなしにそんなことを行うなんてのは、精霊にとっても魔族にとっても自殺行為、まさに神業だとか……そんなことを言っていた。だから、自分という概念そのものを極限までコンパクトな宝玉に圧縮したのだろう、とか何とか。いずれにしろ、おかげで俺は、楽にこいつの兄弟を何度も倒すことが出来る。皮肉なものだが、宝玉に成り果てたこいつは、長年俺たち姉弟を騙していた。いい気味だ!」

 ピンっと、ヴィルフレードが指先で鋭くマリンブルーの宝玉を弾くと、一瞬、その色が濁ったように、アルドには見えた。


「……あれは、錯覚、だったのか?」


 まるで感情を沈ませたかのように輝きを一瞬鈍らせた宝玉の様子と、先の技の最後に見た少女の面影が重なって、アルドの胸の内は少し複雑に波だった。

 しかし、広場の中心に出現した光の柱へ向かったヴィルフレードに呼ばれて、それに応えるようにアルドはすぐその気持ちをしまい込んで、駆け出していた。

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