come how
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第1話
夕焼けの乾いた空に、下校を促すチャイムが広がっていく。
校舎屋上のソファでくつろいでいると考えてしまう。人は落ちるとき、腹を下に到達する地を見ているのだろうか。それとも重力に背を向けて昇るべき天を見るのだろうか。
「やっぱりここにいた」
声のした方を見れば、女生徒が腰に手を当て、威圧感を表し立っていた。
女生徒の名は和泉ミサゴ。クラスメイト、生徒会長、肩書きがいろいろあるやつだ。
「おう、文化祭の準備は終わったのかい」
「終わってないから呼びに来たのよ。これ、校長室にあったやつでしょ。どうやってここまで持ち込んだの」
ミサゴが歩み寄ってきて、ソファの背もたれをつつく。
「何千年前の人類が数トンの石を百メートルの高さまで運んでいるんだぜ。数十キロのモノなんざ、造作もないさ」
視線を外して取り合う気がないことを示したつもりだった。
「ツーツクバーング」
叫び声とともに後頭部を叩かれた。軽い衝撃の割りに派手な音が鳴り響く。
振り向けばそこに少年たち憧れの特撮ヒーロー、キャプテン・レジナルドがいた。いや、いるわけがない。
手に持っているハイパーチクワブレードは子供用のオモチャではなく、精巧に作られた通販限定の高い方だ。
「お前、ヨタカだろ」
「よくわかったな」
バイクのヘルメットを改造したのであろう被り物を取り、隣のクラスの瀬川ヨタカが顔を見せる。役者やスタントではなく本物のヒーローになろうとしているやつだ。
「ウチのクラスの出し物だよ。ヒーローショーをするんだ」
そう言ってヘルメットをかぶり直し、人差し指を立てた手を額に当てる勝利のポーズを取った。腕の角度、腰のひねり、さすがに完璧だ。
「いや、なんでここにお前までいるんだよ」
「私がお願いしたのよ。どうせ言うこと聞かないだろうから。瀬川君、よろしくね」
「任せてください。さぁ、カケス。教室に戻るぞ」
キャプテン・レジナルドに肩をつかまれる。ヒーローごっこで鍛え上げられたヨタカの身体能力はそこいらの運動部員より高い。おとなしく従うしかなさそうだ。
教室には誰もいなかった。飾り付けの装飾品が雑然と置かれている。
「仕上げはカッちゃんにしてもらうことにして、明日の準備もあるから、みんなには帰ってもらったよ」
「俺一人でやれってのか。なにがなにやらさっぱりわからねぇぞ」
「私がわかっているから大丈夫」
間仕切りに使うのか、大きくて持ちにくそうな板がいくつもある。ミサゴに無理はさせられないし。
「ヨカタ。お前も手伝ってくれるんだろうな」
「それは構わないけど、良いのか。せっかくの夫婦水入らずなのに」
「夫婦じゃねぇし」
「でも婚約してるんだろ」
「してねぇよ」
このやり取りは何度目だ。そうなのか。とヨタカはミサゴに伺いをたてる。
「在学中に苗字が変わるとややこしいでしょ」
ミサゴ、それは否定になってないぞ。
てな具合の、一連の流れが平和をタイクツと読む理由だ。
母親同士が仲良かったため、それぞれが同じ年に男と女を授かった時点でお互いを許婚にすると決めたらしい。
その約束事が今も続いている。容姿端麗、文武両道、高嶺の花であるミサゴにとっては都合の良い虫除けなのかもしれないが、俺にとっては死活問題だ。
男子は冷やかしてくるし、なにより女子からまったく相手にされないのは、そのせいだ。そう思いたい。
作業が一段落したころには、すっかりと日が沈んでいた。残りは当日に済ませるそうだ。
窓をふさいだだけに思えるが、参加する気はないから下手な質問はしないでおこう。
「その格好のままで帰る気じゃないだろうな」
ヨタカは今だにコスプレ中だ。
「ん、宣伝をかねてこのまま帰ろうと思ってるけど、着てみたいのか」
高価な玩具の剣には興味あるが、もう恥も外聞も備わった、サンタクロースを信じる子供じゃない。
「いいか、ヒーローとは目にも留まらぬ者だ。一般人と歩調を合わせるなんてもっての外だ。わかるな」
ヨタカを学生服に着替えさせ、家路につく。まずはミサゴを送り届けなければ。
「まったく、その気になれば世界のどこにでもいける時代に、行事だの、祭りだの、仕来りにこだわるから関税が高くなる」
「でも、その仕来りのおかげで明日、ジョバンニさんが来てくれるのよ」
「ジョバンニだ。個人名じゃなくて、グループ名な。その点に関しては評価しよう。感謝に値する」
「そこは、よくやった。ありがとう。で良いんじゃないの」
ジョバンニは二人組の音楽グループ名だ。楽器は、ガットギターとアコーディオンをメインにリコーダーや鍵盤ハーモニカを使う。
とはいえ、ジョバンニ名義のオーディオトラック媒体は一切ないため、世間での知名度は皆無。
俺がジョバンニを知ったのは、たまたま見た深夜の低予算情報番組からだ。古い地下道や町外れの公園、普段、人の目が向かない景色をハンディカメラで撮る。そんな番組の音楽を担当していたのがジョバンニだった。
テーマ曲はなく、毎回、新規録音している。ほとんどがクラシック音楽などのカバー曲だけど、映像に合わせて即興が入ったりする。編集なしの一発弾き。もちろん、サウンドトラックなんて販売していない。
思うにジョバンニの音楽はプロらしくない。技術もセンスも不安定なのだ。それが魅力なのだろう。人気作家の超大作よりも、読み書きがまともに出来ない子供の一言に心揺さぶられることもある。完璧なモノはどこか退屈なのだ。
メディア露出を極端に避けているような音楽グループが片田舎学校の文化祭に来てくれるなんて、どんな奇跡だろう。ミサゴが言うには番組の制作事務所に手紙を送っただけらしい。
ジョバンニのことなら何時間でも語れるけど、残念ながら興味を持ってくれる人はいない。ミサゴの自宅に着いてしまった。
「晩御飯、食べていくでしょ。瀬川君もいっしょにどう」
「俺は大人の男だからな。飯は自分で調達するようにしてるんだよ」
「アルバイトしているわけじゃなし、お小遣いでお菓子ばっかり食べてちゃダメよ」
断り方を間違えた。とにかく長居は無用。玄関前でまごついていたら、ミサゴの両親がやってきそうだ。家が近所じゃなくてほんと良かった。
星の見えない夜空の下、飲食店が連なる大通りから、ふと、わき道の人影が目に付いた。
足取りのおぼつかない女の子を男が引っ張って駐車場へ入っていく。親子とかそんな雰囲気じゃない。事件の予感がする。
「あれ、ウチの学校の制服だよな」
ヨタカも気づいていたようだ。
男は、力なく抵抗している女の子を車に押し込もうとしている。やばい。通報しなきゃ、車のナンバーを確認しないと。
「おーい。何をやってんだぁ」
我ながら情けなく取り乱していると、ヨタカが声を張り上げて足早に近づいていった。さすが、本物のヒーローを目指しているだけあって行動に迷いがない。
ヨカタの一喝にあせった男は女の子を残して車に乗り込むと急発進させた。
「あ、待てコラ」
逃げる車を追ってヨタカが駆け出す。ヒーロー気取りのことだ、追いついて止める気なのだろう。あっという間に姿が見えなくなり、遠くでクラクションが数回鳴り響いた。
女の子はその場に座り込んだまま、野次馬たちはクラクションしたほうばかりを見ている。
「大丈夫か」
ほったらかしにしたら後でヨタカに殴られる。体裁だけはつくろっておこう。
ケガはしてなさそうだ。うつろな瞳がこっちを見た。その顔に覚えがある。
一つ下の学年、ポストミサゴとささやかれている子だ。名誉なことではないだろうけど。名前は、なんだったけ。
同じ学校の生徒であること、制服を強調して怪しいやつじゃないとアピールしたおかげで、警戒はされてないようだ。
どういう子なのかまったく知らないけど、反応が悪い。正常な状態ではないのは確かだ。
「救急車呼んだほうが良いか」
彼女はとっさに首を振った。そして立ち上がろうとするが、平行感覚を失ってふらついている。危なっかしさに耐えかね、支えようとした腕にしがみついてきた。これは、オスの習性を呼び覚ますぞ。
キミを守る。ボクだけはキミの味方だ。歌にでもしなきゃ出てこない台詞が沸いてくる。
そのまま慎重に近くのベンチへ連れて行き、座らせた。
「あの、しばらく、そばに居てもらえますか」
力なくベンチの上で横になった彼女がつぶやいた。もちろん。と即答すれば良いはずなのに、言葉に詰まる。俺はヒーローになれない。結局、返事を待たずに彼女は寝息を立てていた。
起こさないよう気を使いながらベンチの周りをうろついていると、ヨタカが息を切らして戻ってきた。逃げられた。と悔しがっている。
「それで、車のナンバーはなんだったんだ。車種とか」
場所を変えて問い詰めれば、ヨタカは首をかしげて肩をすくめた。特撮番組ばかりじゃなくて刑事ドラマも見ろ。
こちらの事情も話しておく。
「そっか。じゃあ、オレは先に帰るよ。後は任せた」
「なんだよ。こういうときこそヒーローの出番だろ」
「オレの役目は敵を倒すこと、味方を守るのがお前の役目だ」
それ、キャプテン・レジナルド最終回の台詞じゃないか。仲間を戦いから遠ざけるための、なんでお前が遠ざかっていく。
現実に戻ろう。こういうときに助けてくれるのはヒーローじゃない。警察だ。
そもそも、なぜ、俺に見張りを頼んだのだ。警察を呼べば良いだけなのに。やましい事でもあるのか。
今一度、彼女の状態を確認しようとしたら、横になりながらもすっかり目を開け、こっちを見ていた。
「起きてたのかよ」
「はい、ご迷惑をおかけしました」
上体を起こして座りなおした彼女が携帯電話を取り出す。親に迎えに来てもらうのだろうか。ここの場所を告げている。
やってきたのはタクシーだった。
「家まで送ります。乗ってください」
「ああ、いや、歩いて帰るから」
タクシーなんて乗ったことねぇし、気が引ける。
一礼した彼女は馴れた感じで運転手に話しかける。あいつ、もしかして金持ちなのか。少しばかりの後悔の念から走り去っていくタクシーをしばらく眺めていた。
「おう、おかえり」
ようやくの帰宅、居間で父親がくつろいでいた。
「和泉さんのトコで夕飯よばれてきたんじゃないのか」
「世話になってばかりもいられないよ」
冷蔵庫を開けたら、ラップされた作り置きがあった。パイン・アップル入りの酢豚か。
「婿養子のことを気にしてるのか。ジャーは切ったばかりだからまだ暖かいと思うぞ」
「そういうのをやめてくれって言うんだ。もう子供じゃねぇし、俺たちにも将来があってだな」
「お前も言ってたんだぞ。ミサゴと結婚するぅって。そのときのビデオ見るか。それともなんだ。他に気になる子が出来たのか」
覚えてないし。小さいときの言葉に責任能力なんてありゃしない。
「誰であれ気になるよ。そういうものだろ。ミサゴだって同じはずだ。あいつは真面目だから親を裏切れないだけで」
「それで嫌われようと不良の真似事をしているのか。親が言うのもなんだが確かにミサゴちゃんはお前にはもったいない子だ」
わかっちゃいるけど、面と向かって言われるとヘコむな。
「ミサゴちゃんがお前以外の誰かと幸せになるのなら誰も反対しないさ。でも、不安がっているときはお前がそばに居てやらないとな」
上手いこと言ったつもりらしい。得意げに腕組なんかして一人でうなずいている。俺も年を取ればこうなるのか。
文化祭当日、いつもの時間どおり学校に着いたら、すでに真っ盛りといった賑わいだ。客寄せ花火が快晴の空に煙と音を立てている。
町を挙げてのイベントでもあるし、一般開放された校庭には本物の屋台が並んでいる。
教室も様変わりしている。ロウソクと提灯の明かりだけで薄暗く、クラスメイトの衣装はバラバラで統一感がない。包帯ぐるぐる巻きや、頭に釘の刺さっているやつもいるぞ。
壁の模様が血のりみたいだし、飾り付けがクモの巣とか、きらびやかとは程遠く、オドロオドロしい。
「あ、やっときた」
トカゲの黒焼きパン。目玉団子のぜんざい。等々、立て札のおかれた入り口でまごついていたら、鴇色の着物のミサゴが歩み寄ってきた。
「なんなんだ。この有様は」
「なにって、お化け喫茶をするってみんなで決めたじゃない」
なぜ、お化けを付け足した。アレは人造人間と即身仏か。
「ウサギ女とか、メイド娘とかはいないのか」
「カッちゃんはコレね」
羽根の着いた帽子と骸骨の描かれたコートを渡してきた。
「タコ男爵の衣装だよ」
タコ足を模した付けヒゲまである。吸盤の一つ一つまで、よくもまぁこだわったもんだ。
「君たちの努力のほどはよくわかった。影ながら応援させてもらうよ」
衣装を高めに放り返す。慌てて受け取ろうとするミサゴを尻目に隣の教室に駆け込む。
「カケス、良いところに来たな」
一息吐く間もなくヨタカの声がして、顔を上げればクラス中の視線を集めていた。あれ、タイミングが悪かったか。
「病欠が出ちまってさ。怪獣役が足りないんだ。頼むよ」
がっちりと腕をつかんでくる。
「冗談じゃない。自分のクラスの仮装パーティから逃げてきたところなのに。俺は今日、客に徹するんだ」
「まぁ、そう言わず。あれを見ろよ」
ヨタカが教室の隅に置かれている布包みを指差した。近くの生徒が覆いかぶさっていた布を取る。
「うぉ、ヒューリじゃないか」
包みから出てきたのはキャプテン・レジナルドに登場する敵役のなかでも、特に人気の高い怪獣の着ぐるみだ。簡単に言えば、レジナルドが唯一倒せなかった相手。にしてもすごい造形だ。思わず叫んでしまった。
「すげぇ作り込みだな。本物なのか。これ」
「イベント用のレプリカだけどな。貸してもらった」
内側はメッシュが多く施されて通気性が良さそう。このあたりが撮影用との違いかな。隠れミノとしてこれ以上に適しているものはない。なによりこいつはヒューリだ。
「本番のサプライズにする予定だったけど、演じるヤツが半端じゃ納得できないだろ。それならいっそお前にやってもらおうと思ったのさ」
「それはそれとして、その本番はどうなるんだよ。ヒューリを倒しちゃうのか」
「お前のがんばり次第だよ」
ヒューリの戦い方は、罠を仕掛け、人質を取り、だまし討ちを得意とする。敵も味方も欺いて美味しいところだけかっさらっていく。
最初の印象は、悪いヤツではなく卑怯なヤツ、嫌なヤツであったが放送回数を重ねるごとに潔いまでの私利私欲っぷりが心地よくなっていた。美しい人の大抵が、自分勝手、自意識過剰、自己中心的であることと一緒だ。
ライバルではないが、人間のために戦う、自己犠牲のレジナルドとは対を成す。反社会的な存在だから、ちょっと背伸びした子供から指示されている。
暴力を苦手をしているため、レジナルドとの直接対決はなかった。となればドリームマッチでもあるわけだ。
そんなショーの内容は三下怪獣たちと乱戦をした後に一騎打ち。あとは流れのままに。
ヒューリをまた布でくるんで会場となる体育館へ運び、幕の下りたステージの裏で準備や打ち合わせをする。要するにキャプテン・レジナルド談義だ。俺らの直撃世代だから、誰もがなにかしらのレジナルドグッズを持っていた。話題は尽きない。
校内放送がヒーローショーの開演を予告する。隙間から場内をのぞけば、観客は親子連れが多い。今でも続編やリメイク、スピンオフが定期的に作られているけど、今時の子の認知度はいくばかりか。
幕が上がり、テーマ曲とともに簡単なあらすじがナレーションされる。人類に危機が迫っているってやつ。
まずは、キャプテンを冠することが出来なかった三下怪獣たちの登場だ。本来ならレジナルドと同じレーシングスーツ姿になるのだが、予算の都合でツナギを着た五人が出て行く。
ステージを徘徊する三下たちの動きに合わせ、光と音で破壊活動を演出する。
そしてしばらくの暗転の後、一筋のスポットライトがステージ中央で腕を組むキャプテン・レジナルドを照らす。子供たちの歓声が上がった。まだまだ人気は衰えていないようだ。
格闘技の経験者ばかりらしいので、むやみに攻撃せず、しっかりと間合いを取っている。アドリブの殺陣が良い具合に迫真めく。
さて、レジナルドが二人やっつけたところで出番だ。視野をさえぎらぬように布をかけてもらう。全身が隠れていることを確認して、こっそりとステージへ上がった。
得体の知れないものの乱入に子供たちが騒ぎ出す。ヨタカは三下怪獣相手の立ち回りでこっちを気に留めていない。
動きが止まったところを見計らい、背後からレジナルドを蹴り飛ばす。着ぐるみのせいで力加減がわからず強めになったが、ヨタカは前転しながら受身を取って向き直る。ちくしょう。カッコいいな。倒れ方も様になっているじゃないか。
両手を命一杯伸ばして被っていた布を振り払う。満を持して姑息怪獣ヒューリの登場だ。
場内がどよめく。そりゃそうだ。この着ぐるみは学芸会の代物じゃない。遠目からじゃ本物に見えるはず。
体勢を戻したレジナルドが臨戦に構えているけど、真っ向から突っかかっていくのはヒューリらしくない。やっつけられて寝そべっている三下役を引き起こして、けしかける。
起こされるとは想定してなかったのだろう。戸惑いながら再戦が始まる。その間に一度ステージから離れて、控え室で困惑している裏方に頼んでバレーボール用だかのネットを持たせてもらう。
現場へ戻り、乱戦の真っ只中にネットを放り投げた。思いのほか上手くいき、敵味方もろともに一網打尽。身動きが取れなくなったレジナルドを引き倒して踏み潰す。
「ズルっけー」「ヒキョウだ」子供たちのわめき声が賞賛に聞こえる。悪役って楽しいじゃないか。気分良く何度もヒーローを足蹴にしていると、「がんばれ。レジナルド」罵声の中で一際大きく誰かが叫んだ。
それを端にして子供たちのレジナルドコールが沸き起こる。これはもう文化祭素人劇の盛り上がりようじゃないだろ。
あっけに取られて棒立ちしたのがまずかった、ヨカタに足元を引っ掛けられて無様に転倒してしまう。着ぐるみのおかげで痛みはほとんどない。
ネットの振りほどいて立ち上がったレジナルドが声援に応じるよう片手を掲げる。こっちも体をゆすってダメージがないことをアピールしておく。さて、次はどうしたものか。
レジナルドが一気に間合いをつめてきた。突きと蹴りを連続して叩き込んでくる。痛ぇ。ヨタカの野郎、本気になってるな。
反撃しようとしたところにカウンターをもらい、着ぐるみがズレて視界が悪くなる。容赦ない猛攻は続き、衝撃が骨に響く。痛ぇ。
こうなりゃ、こっちも本気になるしかない。ステージから飛び降りて客席へ割って入る。子供たちの悲鳴と視界の利かない中で誰かを捕まえた。人質だ。
「卑怯だぞ。女の子を離すんだ」
いつのまにかレジナルドがマイクを手にしている。む、人質は女の子なのか、トラウマにならなければ良いが。
「ぐわぁ、瀬川君。助けてくんろぉ」
すぐ横で声がした。このなまりのあるしゃべり方は、まさか。強引に首をひねって手元を確認する。
「げっ」視界に入ったのは菊池ツグミ。女子柔道全国大会の覇者。もっとも危険な女生徒だ。
身の危険を感じ、人質を解放しようとした瞬間、天地が逆さまになった。
姑息怪獣ヒューリ、女学生に倒される。
しまらない幕切れに首がムチ打ちになったみたいだけど、皆は着ぐるみの損傷具合を気にしている。
その場を抜け出して、ふらふらとたどり着いた校舎と校庭をつなぐ石階段に腰掛けた。
「清水先輩」
首のストレッチをしていたら声をかけられた。見覚えのある顔があった。
「あぁ、昨日の、タクシーの」
「氷室セツカです。昨日はありがとうございました」
明るいところで会うと印象が変わる。この子、俺より一年下なんだよな。落ち着いていると言うか、自信にあふれていると言うか、こういうのを大人って言うんだろう。
ミサゴみたいな弱い生き物が持つ愛らしさではない。トゲがあるなんとかって感じだ。それに、カブトムシのにおいがする。
「それで、昨日のことなんですが」
なるほど、釘を刺しに来たのか。良く言えば氷室の弱みを握っているわけだ。
「やっぱりアレはアレか。誰にもしゃべってないし、しゃべる気もないから安心して良いよ」
周りに人目がないことを確認して尋ねた。こんな口約束、信用しないだろうけど。
「はい。男の人と買い物をしたり食事したりするアルバイトです。それで、昨日は飲み物に睡眠薬を入れられたみたいで」
「あぶねぇな。もっと警戒心持ったほうが良いぜ。よく知らない男の前で眠りこけたり」
「清水先輩のことはよく知ってますよ。生徒会長の旦那さんだって」
「旦那じゃねぇよ」
「ごめんなさい。許婚でしたね」
「それも違ぇ」
ムチ打ちのこともあって、イラついた答え方になってしまったかな。氷室は目をぱちくりさせている。
「違うんですか。じゃあ、私にもチャンスがあるってことですね」
「チャンスって。お前、コレなのか」
手の甲を反対のほほに当ててみる。ん、コレだと男同士か。
氷室は口元を緩ませ、俺の右隣に座り込んだ。
「カッちゃん、女の子に投げ飛ばされたっけ聞いたけど、大丈夫なの」
うわさをすればミサゴが息を切らしてやってきた。座敷わらしの格好ではなく、制服姿だ。
「あ、えっと、そっちの子は」
今、氷室に気づくとか。そんなに慌てて俺を笑いに来たのか。
「はじめまして、和泉会長。氷室と言います。これからカケスさんとどこを回ろうか相談してたところなんです」
氷室が肩を寄せ、腕を組んできた。コレってアレか。手持ちなんてまったくないぞ。学割してくれるのかな。
ミサゴの表情が今まで見たことがないほどに強張っている。説教の一つでも飛んでくると覚悟していたが、何も言わず、逃げるように走り去っていった。
「追いかけなくて良いんですか」
「あいつは自由を選んだんだ。その必要はないよ」
上手いことを言ったつもりだったが、氷室の反応は鈍い。
「先輩もマザコンなんですね」
先ほどと違う冷めた口調でつぶやいた氷室は手を離して立ち上がった。確かに、ミサゴが俺に接してくるのは義務からだ。ドラ息子の世話を焼く母親のソレだ。
「大変ですね、生徒会長も。気をつけてくださいよ、先輩。ちょっとしたはずみで何もかもがどうでもよくなってしまう時がありますから」
氷室は忠告めいたことを言い、軽い足取りで階段を上っていった。
結局のところ、氷室の目的はミサゴなんだ。俺を自分になびかせることでミサゴより優れていることを証明したいのだろう。恐ろしい。
文化祭も午後の部になり、いよいよメインイベントが始まる。ジョバンニの演奏会だ。すくなくとも俺にとっては。観客動員数も気になるが、冷やかしがこないことを祈るだけだ。
もしかしたら本人に会えるかも。淡い期待を持って体育館の下見に行った。
もう準備は終わっているようだ。館内の中央にマイクが置かれ、そこを中心点にして椅子が幾重もの円状に並んでいる。ステージは使わないんだ。いかにもジョバンニらしい。
リハーサルなしのブッツケ本番なんだろうな。
「あの、清水君」
一人でニヤついているところを見られたかもしれない。副会長の雨宮ヒバリに声をかけられた。
「和泉さんを見かけませんでしたか」
「ミサゴですか、見てません」
「お昼から連絡がつかないのですよ。演奏会の前に生徒会長の挨拶があるのですが」
「それがないと始まらない。とか」
「いえ、その時は私が代行するので開始時間は同じです」
なら安心だ。と言うわけにもいかず、心当たりをあたってみます。そう答えて場を後にした。
心当たりなんてあるわけがない。人目のつくところにはいないだろうと思うけど、帰ったか。いや、責任感のあるやつだからサボリというのも腑に落としかねる。
どこかあるか。人気がなくて、あいつが行きそうなところ。あぁ、あそこかもしれない。時間が迫り、体育館へ向かっている最中で思いついてしまった。
「やっぱりここにいた」
ミサゴは校舎屋上のソファにうずくまるよう座っていた。
「カッちゃん、どうしてここに。もう演奏会が始まっちゃうよ」
慌ててずり落ちそうになっている。不貞寝してたのか、目元が赤い。もっとサプライズ的に声をかけるべきだったな。
「そりゃ、お前がアイ・キャン・フライしないかを見に来たんだよ」
「ごめん。心配かけちゃった」
「書き置きなんかあったら大変だ」
「もう大丈夫だよ。ジョバンニさんを見に行ってきて」
「今更、良いんじゃないかな。俺は一人でじっくり聞きたい派だし」
ちゃんと皮肉として受け取ったミサゴはばつ悪そうに両手で顔を隠す。こんこんと説教してやりたいところだが、しっかり反省しているようだ。
「カッちゃんに好きな人が出来たときは応援してあげなきゃって決めてたんだけど、ダメだ。思い返すだけで自分が嫌になる」
「そういうことなら大丈夫だ。その、嫌な自分。の相手をするのが俺の役目だからな」
「え、どういうことなの。よくわからない」
「皆まで言わせるな。ジョバンニじゃなくてこっち来たのはそういうことなんだよ」
「なんか、ヒーローみたいだね。ピンチのときに助けに来てくれる」
すっかり機嫌を直して目を細めたミサゴがソファの左隣を空け、座るように催促する。
並んで座っていると俺の肩に頭を預けてきた。
「なんだよ」
「上書き」
ミサゴがささやく。遠くから歓声と拍手が聞こえた気がした。ジョバンニの演奏会が盛況しているのだろう。
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