第4話
「体育倉庫の赤い線が出るラインカー? あー……それはちょっと本物かどうか怪しいところだねぇ」
昼休み。郡上翠が暢気に語る。
怪奇絡みの話題を持ち帰った藍の、その持ち帰り先が彼女だった。オカルト好きの彼女は帰宅部だが、よく放課後も学校に残って校内を散策している(それが何のためか、何の目的をもって行われているのかは定かでない)。当然朱殷怪奇譚に関しては、原典も贋作もひっくるめて知っていた――が、元々これが元だという書物のようなモノも無い朱殷怪奇譚だから、『全て』というのも無ければ原典と贋作の線引きもない。知識の量だけがこの怪奇譚の界隈では『全て』だ。
「あたしも体育倉庫には行ったことないんだよねー。だから今なんか言えるってわけでもないんだけど」
「別に、結論は今求めてないからいいんだけど」
少し言葉を頭の中で選んで、藍は訊いた。
「翠は怪奇を見るって言った後休んだ後輩がいたらどうする?」
「そりゃ、その怪奇を調べる」
当然でしょう。翠は首を傾げた。
「その話題で部活の時間棒に振ったの? 悩むんだったら確認すりゃーいいのにい」
「立ち位置が問題だったんだと思う、ラインカーの。だってそれがホントに原典なら怖、近寄らないでおこうってなるし。贋作だったらまあそんなこともあるよねってなるじゃん。ちょっと曖昧にされると本当に対処に困るわけ」
藍は頭を大袈裟に抱えた。
「それにちょっとそれっぽいこと起こるし! ……確認しようにも怖くて行けないよ」
「怖い。怖いってどういう?」
「……呪い的なのもそうだし、こんなことにマジになってんのみたいな冷ややかな意見も、少し」
藍は肩をすくめた。視線が泳ぐが、翠の目線はしっかりと、藍を一直線に貫いている。翠は立ち上がっていて、大きな目が座っているこちらを上から見ていた。
「ふーん。じゃあ、いいじゃん」
「何が」
「藍は正解だよ。こいつなら大丈夫、みたいな仲間にかけあうのは、とても賢い人の証拠ってこと」
放課後。部活も終わり、日が沈みかけている校庭の隅。
藍と翠は、体育倉庫の目の前に立っていた。翠は堂々としていた。
「……何でハサミ持ってんの?」
「保険」
「お得意の彫刻刀は?」
「あれはちょっと本気で危ないから」
怪奇どころかこっちがほんの不注意でホラーだよ、と早口で藍は説明した。
校舎が影となり、辺りは驚くほど暗い。体育倉庫の古びた風貌も相まって尚更に不気味さを醸し出していた。鍵は開いている。つい最近壊れたようで、鍵の開け閉めが出来なくなっていた。恐怖の世界寄りの空間に足を突っ込んでいる今の藍は、これも何か不吉な予兆なのでは、と無意識に勘ぐってしまう。
「開けるよ。いい?」
「う、うん」
翠は小さな手を倉庫の扉にかけた。力を入れるが、錆びたそれはびくともしないでこちらを威圧している。
藍も扉に手をかけた。それによって、ようやく道は開いた。
「うーん、暗いねぇ」
翠が小型の懐中電灯で中を照らす。どこから持ってきてるんだ、と藍が懐中電灯に気を取られているうちに、翠は「これでしょ」と、奥の方で物に通路を遮られたラインバーを示す。
確かに不気味だ。側面に赤い印のような、落書きのようなものがある。それだけで背筋は凍るのに、確かめるにはそれの近くまで行かなければならなかった。
藍は唾を飲み込むと、少しずつ備品を跨いで近づいた。
「足元気をつけなよ~」
遠くで自分とラインカーを照らす翠の声が聞こえる。そんなに広くないはずの倉庫なのに、その声は遠いトンネルの奥から聞こえてくるような気がした。深呼吸を挟む。空気は埃っぽかった。
ラインカーの近くまで来て気づいたのは、普通のそれにならある、白い粉を入れる場所の蓋が無いことだった。
「……確かに、白い粉しか入ってない」
「そうなの? 見たいなあ」
「来ればいいじゃん……」
藍はぼやきながらラインカーを少し動かした。粉が落ちるのを止めるバーは下がっていなかった。だから、床には白い粉が落ちるはずだった。
「……!!」
「藍?」
噂通りに、確かに落とす粉は紅かった。小学校の頃に見たピンクでなく。血のような、紅。
「……翠、ちょっと、怖」
振り返ってそう言いかけたのと、後ろで物音がしたのは同じタイミングだった。
「藍逃げて!」
「!?」
ラインカーが暴れている。誇張、比喩なしの表現だ。文字通り暴れている。
「ひ……!!」
藍は備品を飛び越えて翠の近くまで逃げた。それでも尚ラインカーは暴れ、寧ろこちらに迫ってくる。
翠は何も言わない。彼女も焦っているようだった。藍は正常な思考ができなくなった。
「――――ッッ!!!」
夢中で、手に持っていたハサミをラインカーに投げつけた。
ガン、という無機質な音。
朱殷怪奇譚~第一中学校の事件簿~ 神埼えり子 @Elly_Elpis_novels
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