第四話 待ち合わせの時間
「あら、なんだか桃の匂いがしてない?」
閉店30分前。顔を出した
「もしかして、誰かジュースでもこぼしたの?」
「桃の匂いなら、さっき
「山南君達なの? 女の子達じゃなくて?」
意外な使用者に慶子さんは目を丸くする。
「はい。山南さん達です。その前には司令さんもピーチの汗拭きシートを買っていったんですよ」
「あらまあ、
仕入れの数を増やしたほうが良いかしら?とつぶやきながら、バックヤードへと入っていった。
「慶子さん、外はどうですか?」
「お日様が隠れたから随分とマシになったわよ。ここを閉めて帰るころには、もう少しマシになっていると思う」
それを聞いてちょっと安堵する。
「良かった~~。昼間の暑さのままだったらどうしようって心配してたんですよ」
「さすがに熱帯夜はもうちょっと先だと思いたいわね」
「ですよねー」
レジの締めをしながらうなづいた。昼間があれだけ暑いのだから、せめて夜ぐらいはすごしやすい気温になってほしい。熱帯夜なんて聞いただけでもめまいがする。
「
そこへ山南さんがやってきた。私がレジの硬貨を数えているのを見て背を向ける。
「それが終わるまでこっちで待ってます」
「すみません。あ、なにかお買い物しますか?」
「いえ。もう閉店時間も近いですし、飲み物は持参しているので」
そう言って持っていたペットボトルをこっちに見せた。
「あやさん。ここは私がするから、先に山南君と話してきなさい。
バックヤードから出てきた慶子さんが、私をカウンターの外へと押し出す。
「え、でも」
「あやさんが来てくれるまではいつもやっていたことだから、なにも問題はないわよ。それに山南君のほうが時間に制限があるから、そっちを優先してあげて?」
そう言われて、山南さんはここにいられる時間が限られていることを思い出す。消灯時間までに自分の部屋に戻らなくてはいけないのだ。
「ありがとうございます。じゃあ、お言葉に甘えて」
「すみません、
「山南君への貸しにしておくわね」
慶子さんはニッコリとほほ笑んだ。
「仰木さんに借りを作るのはなんだか怖いな」
「まあ失礼ね。私、こんなに優しいのに」
長椅子に並んで座るとさっそく本題に入る。
「ん? 山南さん、桃の匂いがしてますよ?」
横に座った時にふんわりと漂ってきたシャンプーや石鹸とは違う匂いに、鼻をスンスンさせた。
「あー、さっき買った汗拭きシートのせいですね」
「山南さんもあれ、使ったんですか?」
「実はあの後、
尾形もなかなか疑り深いですよねと笑う。
「で、余った分は俺が消費するになって、風呂から出た後に、同じ部屋や近くの部屋の連中に、使い切る手伝いをしてもらったんです」
「へえ。他の人達の感想はどうでした?」
「匂いはともかくとして、やはり顔はやめておいたほうが良いんじゃないかって、全員が口をそろえて言ってました。根性ないですよね、あいつら。
「そこで
「そうですか?」
口には出さなかったけど、カピバラさんのような穏やかな雰囲気の山南さんも、やっぱり自衛官なんだなと思った。
「それで習志野のことなんですが。当日は陸海空の装備品の展示やあれこれ見られるんですが、御厨さんが退屈せずに回れるかどうか未知数なので、そのへんのあつかいをどうしたものかと迷ってます」
そう言いながら山南さんは首をかしげてみせる。
「展示されているものに関しては、山南さんの解説付きですよね?」
「もちろんです。だけど、解説されても興味がなければ退屈なだけなので。それに夏祭は昼からなので、外はかなり暑くなります。涼しい休憩場所には人が集まりがちで入れるとは限らない。開場と同時に入るなら、それなりの覚悟が必要ですよ?」
そう言われて考え込んだ。創立記念日があった日のコンビニの状態を考えれば、外がどんな状態になるかはなんとなく想像がついた。しかも今回は真夏。あれこれ興味があるのは間違いないけど、無理をして山南さんに迷惑をかける事態になるのは避けたい。さて、どうしたものか。
「あ、今あれこれ言いましたけど、今回は初イベントの御厨さんがメインなので、早く行くことに反対というわけではないので安心してください。見学したいものがあれば、御厨さんの気がすむまで見てもらったら良いので」
ただ山南さんとしては、初めてでしかも真夏のイベントだから、注意すべきことは言っておいたほうが良いと判断したんだろう。
「慶子さんが言うには、私に見てほしいイベントは夕方かららしいんですよ。なので、もし山南さんさえ良ければ、お昼ご飯をこっちで食べて、それから電車で目的地まで移動する、これでどうでしょう? そうすれば遅くとも夕方までにはあっちに到着できて、展示の見学もできますよね?」
「見てほしいイベント、ですか」
「もちろんアレよ~~、絶対にアレは見るべきだと思うの~~」
慶子さんが店内からこっちに向かって言った。その言葉に山南さんはものすごーく複雑な顔をする。
「アレねえ……仰木さん、花火のことを言ってるんじゃないですよね?」
「もちろん違うわよ。私が言っているのはアレよ、アレ」
「見るまでは絶対に教えない、ヒントも無しって言われてるんです。山南さんは見たことあるんですよね?」
「仰木さんが言っているのが俺の予想通りのものだとしたら、もちろんあります。あっちに行った知り合いに誘われて見に行ったので」
その時のことを思い出したのか、なんともいえない顔をした。
「その人は今も習志野にいるんですか? だったら夏祭に行くって、連絡しておいたほうが良くないですか?」
「いや、必要ないと思います。黙っていても、あっちが勝手に俺を見つけると思うので」
それってどういう?と首をかしげてしまった。
「えーっと、訓練展示とかいうのもあるんですか? ほら、前に山南さん達が緑のモサモサ君になってたやつみたいな」
「いえ。夏祭はイベント色が強いので、そっち系の展示はないんですよ。ちなみに緑のモサモサ、正式名称はギリースーツって言うんですけどね。ま、覚えなくても問題ない知識ですけど」
「一週間ぐらいしたら教えてもらった名前、忘れちゃいそうです」
「忘れてもらって問題なしです。ああ、話がそれました。じゃあ、正午に駅前にしましょうか。それが一番わかりやすいかな。どこで昼飯を食うかは、その時の気分ってことで」
「賛成です」
うなづいてからあることに気がついた。
「ところで山南さん。その日、帰る時間は大丈夫なんですか? ここから結構な時間かかるし、夕方からのイベントを見ていたら、消灯時間とか門限に間に合わないんじゃ?」
「ああ、その日は外泊許可をもらっていて、尾形の家に泊まらせてもらうことになってるんです。だから次の日、尾形と一緒に出勤なんですよ。ちょっとイヤですけど」
「ちょっと」どころか「かなり」イヤそうな顔をしている。
「すみません。うちがもう少し広かったら泊めてあげられるんですけど、あいにくと1ルームで家族が泊まるのも一苦労な状態なので」
「いえいえ、お気になさらず」
そう言ってカピバラモードになった。
「大変ですよね。門限があったり消灯時間が決まってたり」
「これも営内に住んでいる者の宿命ってやつなので。でも、俺なんて幸運な方だと思いますよ。これでブーブー言ったら、斎藤や他の営内住みの連中からどやされるかも」
「そうなんですか?」
「だって俺は御厨さんとこうやって、ほぼ毎日のように顔を合わせることができるじゃないですか。他の連中は男女問わずそれができませんからね。だからこれ以上を望んだら
「なるほど~~」
うなづいていると山南さんの腕時計のアラームが鳴った。そろそろ消灯時間が迫っているようだ。
「じゃあ待ち合わせの時間はそれで。なにか気になることがあったら、そのつど声をかけてください」
「わかりました。今日もお疲れさまでした。お休みなさい」
「お休みなさい。仰木さん、ありがとうございました」
「お気になさらずよ~~」
山南さんは私にもう一度「おやすみなさい」と言って、足早にその場を離れた。
「慶子さん、ありがとうございました」
「今も言ったけど、お気になさらずよ。こっちの締めは終わったから、シャッターをおろしてもらえる?」
「了解です」
今日は珍しく閉店直前に駆け込んでくるお客さんもおらず、閉店作業はあっという間に終わった。着替えてから慶子さんに声をかけて、原チャリがとめてある駐輪場に向かう。
「わ、生温かい」
気温はそれほど高くはなかったけど、バイクが冷えるほどではなかったみたいで、シートはなんとも生温かい。
「お待たせ、あやさん。さ、帰りましょうか」
お店の施錠を終えた慶子さんと一緒に門まで歩く。そして門に立っている人に閉店のあいさつをした。
「今日もお疲れさまでした」
「お疲れさま。気をつけて帰りなさいね」
「はーい」
生温かいままのシートに座ると、エンジンをかけて帰宅の途についた。
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