第二十一話 コーヒー牛乳の販売数は安泰?

 創立記念日が終わると、いよいよ自衛官候補生さん達の訓練が、終わりに近づいてきた。最初の頃は、普通のどこにでもいる男の子達だったけど、最近はずいぶんと顔つきが精悍せいかんな顔つきになってきている。


「いーきーたーくなーいぃぃぃ、俺はいきたくないよぉぉぉぉ」


 ……まあ、例外が約一名ほど存在するけど。


―― ま、コーヒー牛乳さんの変らなさは、逆に安心するよね…… ――


「最後の最後まで、よくそれだけ泣き言になるネタがあるよな、加納かのう


 あきれた声をあげているのは、同じ自衛官候補生の馬越まごしさん。


「泣き言を言わなくなったら、それはもう加納じゃないから」


 まったくフォローになってないことを、ニコニコとしながら言っているのは、同じく自衛隊候補生の青柳あおやぎさん。


「青柳が加納におごって払ったコーヒー牛乳代、いったいどれだけになったんだ?」

「さあ。まだ計算はしてないけど、レシートは全部残してあるから、そのうち計算してみるよ」

「残してるのかよ……」

「もちろん!」

「もちろんなのか……」


 馬越さんは信じられないという表情をして、ニコニコしている青柳さんの顔を見た。


「二人とも俺のこと無視してるぅぅぅ」

「無視してないって」

「もとはと言えば、コーヒー牛乳をおごらせてるお前のせいだろ?」


 この三人もやり取りも相変わらずだ。


「いらっしゃいませー。今日は加納さん、なにに対してメソメソしちゃってるんですかー?」

「あー、バイトさーん! こいつらったら本当にひどいんですよぉぉぉ」


 コーヒー牛乳さんはいつものメソメソ顔でレジ前にやってきた。その後ろからやれやれといった顔つきで、馬越さんと青柳さんがついてくる。


「俺達はひどくないぞ」

「そうだよ。別にひどいことなんてしてないだろ?」

「俺の話、聞いてくれてないじゃぁぁぁん! ひどいぃぃぃぃ!!」


 そしてヨヨヨとカウンターに突っ伏した。


「単に払ったコーヒー牛乳代がいくらになったかって、話してただけじゃないか」

「そうだよ。それに、俺以外からおごってもらった分もあるんだろ? すごいよな加納! 師団長と基地司令にまで、コーヒー牛乳をおごってもらうなんて!」


 青柳さんはニコニコしながら、まったく違うポイントでコーヒー牛乳さんをほめる。


「それで? 今日のメソメソの原因はなんなんですか?」

「ああ、それはですね。俺達が受けている自衛官候補生課程が、いよいよ終わるんです!」


 青柳さんが笑顔全開状態で言った。


「ってことは、いよいよ一人前の自衛官さんになるんですね? おめでとうございます!」

「これが終わっても、次は特技課程教育ってのが待ってるんですけどねー」


 馬越さんがボソッと続ける。


「特技課程、ですか」

「陸上自衛隊と言っても、いろいろな部署があるじゃないですか。自分が行きたいと希望した部隊の、専門的な知識を学ぶ課程です。それが終わってやっと一人前のスタート地点かな」

「へえ。まだ続きがあるんですね」

「でもとりあえず、今の課程を終えたら二等陸士になるので、候補生は卒業ですよ」

「なるほど! じゃあやっぱり、おめでとうございます! あ、もしかしたらお給料も上がっちゃったり?」


 その質問に三人がうれしそうな顔をした。


「でもその前にやることが残ってるんですよ。それが今回の加納のメソメソの原因です」

「思い出させないでぇぇぇ!! せっかく忘れてたのにぃぃぃ!!」

「忘れたからって、なくなるわけじゃないだろ?」

「あああああ、やだよおぉぉぉぉぉ……」


 コーヒー牛乳さんが、再びメソメソと泣き始める。


「加納さんが泣くってことは、やっぱり訓練なんですよね?」


 私がそうたずねると、青柳さんがニコニコしたままうなづいた。


「はい! これまで俺達がやってきた訓練の集大成なんです!」

「本格的な状況訓練で、今回は近くの演習場で二日かけてやるんですよ」

「いやぁぁぁ、こわいぃぃぃ」

「なにがこわいんですか?」


「たぶん、俺達のことじゃないかなあ」


 いきなり現われたのは、先輩のほうの三人組。山南やまなみさん達だった。


「でぇぇぇたぁぁぁ」


 ますますコーヒー牛乳さんの泣き声が大きくなる。


「俺達は幽霊か。まったく。今からそんなんでどうするんだ?」

「ま、こいつのことだ、いざ状況開始となったら、ピタッと泣きやむんだろ?」


 斎藤さいとうさんと尾形おがたさんがニヤニヤしながら言った。


「また山南さん達も一緒に行くんですか?」

「俺達は敵側になるんだけどね」


 前にあったたくさん歩く訓練の時は付き添い的な役割だったけど、今回はどうやら違うらしい。敵側。つまり山南さん達とコーヒー牛乳さん達は、敵味方にわかれて戦うということだ。


「候補生達を相手にするのって、なかなか難しいんですよ」

「だから俺達も、ここしばらくは事前の作戦会議ばっかなんだよ」

「頭つかいすぎて脳が疲れまくりだよ。甘いモノを補給しないとね」


 そう言うと斎藤さんと尾形さんは、なにやら意味深な顔をして、山南さんをツンツンと小突いている。


「?」


 山南さんは小さくため息をつくと、私の前にやってきた。


「あー……。たぶん御厨みくりやさんは見てもわからないと思うので、お知らせしておきます。実は今日、俺達三人、正式に昇任しまして、これが変わったんです」


 そう言って山南さんは階級章を指でさした。見てもわからないという言葉は正しい。知識としては、階級が変われば階級章が変わることはわかっていても、正直、言われなければどう変わったのかなんて、まったくわからない。


「昇任テスト、合格したんですね! おめでとうございます!」

「ありがとうございます」


 そう言ってから、階級章をあらためて見つめる。やはりどこがどう変わったのか、まったくわからない。


「山南さんが言う通り、言われてもなにがどう違うのか、さっぱりわかりません」

「ですよねー。まあそういうことで、今日からは俺達、二等陸曹になりました。新しい俺達のこともよろしくお願いします」

「こちらこそよろしくお願いします!」


「てなわけで、無事に昇任して今ご機嫌だから、お前達にそれぞれコーヒー牛乳おごってやるよ」


 斎藤さんがニヤニヤしながら言った。言われたコーヒー牛乳さん達は目を丸くする。


「いえ、コーヒー牛乳が好きなのは加納だけで」

「ん? 先輩のおごりをことわるのか?」


 尾形さんがいきなり無表情になって青柳さんを見つめた。


「え?! あ、いや! そういうことじゃなく!」

「だったらおとなしくコーヒー牛乳おごられてろ。もちろんデカいほうのパックな? 御厨さん、大きなコーヒー牛乳はまだ三本あるかな?」

「えーと、今日はまだ一本も出てないと思いますけど……」


 山南さん達はそれぞれ一人ずつについて、コーヒー牛乳が置かれている棚につれていく。


「おお、これだな。お前達、御厨さんとオーナーさんには感謝しろよ? お前達がここに来るようになってから、コーヒー牛乳が品切れにならないように、ずっと気をつかってくれていたんだから」

「そうなんですか? あの! ありがとうございます!」


 斎藤さんに言われた青柳さんが、こっちを見てお礼を言った。


「ああ、これも仕事ですから、お気になさらずー」


 それに対して、営業スマイルを浮かべてヒラヒラと手をふる。山南さん達は、自分達の分とコーヒー牛乳さん達の分をそれぞれ手に戻ってきた。コーヒー牛乳さん達はもちろん、大きいほうのコーヒー牛乳。そして斎藤さんと尾形さんはフルーツ・オレ、山南さんはイチゴ牛乳だった。


「本当に甘いモノが必要なんですね。しかも山南さんはイチゴ牛乳ですか」


 三人がいつものコーヒーではないのは珍しい。


「さっきからずっとイチゴ牛乳が頭の中を回ってて。これだけ頭から離れないんだから、こういう時はイチゴ牛乳を飲むべきかと思って」

「なるほどー」


 お会計をすませると、先輩後輩三人組はそれぞれ長椅子に落ち着き飲み始めた。


―― コーヒー牛乳さん達の訓練が終わったら、ここのコーヒー牛乳の売り上げ、グンと下がっちゃうよねー……お店的には、それがちょっと残念かなー…… ――


 甘い飲み物をおいしそうに飲んでいる六人をながめながら、そんなことを考えた。



+++



 というわけで、それから二週間後、最後の演習を終えたコーヒー牛乳さん達は、無事に自衛官候補生課程修了式を終え、陸上自衛隊の二等陸士になった。今年も一人として脱落することなくこの日をむかえることができたと、司令さんも教官となった陸曹長さん達もご満悦まんえつだった。


 そしてその後は、それぞれ自分達が希望する部隊のある駐屯地へと旅立っていった。


 ……わけなんだけど。


「ああああああ!! もう、つらすぎぃぃぃるぅぅぅ! いぃぃぃやぁぁぁ!! もう俺、自衛官やぁぁぁめぇぇぇるぅぅぅーー!!」

「まーだそんなこと言ってるのかよ、やっと自衛官になったばかりじゃないか」

「ちょっと最近、コーヒー牛乳のみすぎじゃないか? おなか、だいじょうぶなのか?」


 なぜかその後も、コーヒー牛乳さんの泣き言と、青柳さんと馬越さんとの掛け合い漫才を聞き続けることになった。なぜかって? 理由は簡単。三人がこの駐屯地の普通科に配属されることになったからだ。



―― うん。当分の間は、コーヒー牛乳の売り上げは安泰でなによりだよね ――


 ちょっと騒々しいけど。

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