第十九話 創立記念式典 3

 一般開放の時間が終わり、一般のお客さん達の姿も消え、応援のバイト君達も帰り、やっといつもの静かなお店に戻った。


 展示のために来ていた航空自衛隊と海上自衛隊の人も、展示していたものを手早く片づけて、早々に自分達の基地に戻っていったらしい。もちろん観閲式に参加していた近所の陸上自衛隊の人も同様だ。


「ほんとに素早く撤収しちゃったんですね。私、チラッとも見ることができませんでしたよ。おいしいお昼ご飯はいただけましたけど」


 そう言うと、本日二度目のレジ締め作業をしていた慶子けいこさんが笑う。


「あやさんはここで見るのはあきらめて、別の駐屯地の創立記念式典に行くしかないわね。やっぱり山南やまなみ君にお願いして、習志野ならしのにつれていってもらいなさい」

「習志野の創立記念日はもう終わったぞ。それに習志野に行くなら、やはり夏祭りだろ」


 限定グッズの片づけをしていた仰木おうぎさんが言うと、慶子さんが謎の笑みを浮かべた。


「あー、あの夏祭りね。行くならそっちのほうが面白いかしらね。あやさんには刺激が強すぎるかもしれないけど」

「刺激って?」


 イヤな予感がしないでもないので、その点を詳しく聞こうと質問をする。


「それは見てのお楽しみというやつね。その日はシフト入れないであげるから、山南君に休みをとってもらって、是非とも見てきなさい。うちの人がどうして夏祭りをおすすめするか、わかるから」

「あの、ものすごく怖いことをするわけじゃないですよね?! ほら、パラシュートで飛ぶ体験があるとか、そういうの」

「いいところに気がついたね、御厨みくりやさん。習志野にはパラシュートの降下訓練の施設はあるから、体験したいなら是非とも言ってくれ。私が話を通しておくから」


 仰木さんがニヤニヤしながら言った。まさかのヤブヘビだ。


「いえ、けっこうです。そういうことすると、また、やっぱり入隊しない?って話になるので!」

「一度は経験してみても良いと思うわよ? 私もやったことあるの。あやさん、高いところは嫌い?」

「いえ、特に嫌いってことはないですけど」

「じゃあ決まりね。夏祭り、アトラクションだと思って体験してきなさいな」


 なぜか夏祭りに行くことは決定事項で、さらに私が何かしなければならないことも決定事項のようだ。おおいに困惑している私を前に、慶子さんは笑いながらお金を入れた封筒をリュックに入れた。


「じゃあ、この売り上げを銀行に入金してくるから、しばらくお願いね。うちの人、グッズの片づけが終わったから、もう引き上げても大丈夫? まだすることがあるなら置いていくけど」

「いえ、もう大丈夫だと思います。大金を持ち歩くんですから、慶子さんにこそ、仰木さんがついていくべきです」


 普段は昼すぎに、銀行から一日の売り上げを本社に送金するのだが、今日は普段以上の売り上げがありレジがパンパン状態なので、もう一度、銀行に入金しに行くのだ。


「あ、そうだ。会議室に移動させた隊員さん達の用の商品ですけど、あれはどうしたら?」

「ああ、あれね。もうすぐ山南君達がくるから、お任せしちゃって」

「わかりました。じゃあ行ってらっしゃい。仰木さんも今日はお疲れさまでした」


 二人を見送ると、シーンと静まり返った。朝からザワザワしていたのが嘘のようだ。


「グッズも売れたよねー」


 何箱もあったグッズの入った段ボール箱も、小さな箱が二つだけになった。これはまた次の時に売ることになるので、それまではバックヤードの倉庫でおねんねだ。お客さんが来ないうちにと、その箱をバックヤードに運ぶ。そして、一番奥にある空きロッカーの中に入れた。


「みーくりーやさーん」


 店頭で私を呼ぶ声がする。まだお仕事が終わる時間じゃないのに、まさかのお客さんだ!


「はーい、ちょっと待ってくださーい!」


 ロッカーをバタンと閉めて、足早にお店に出る。


「お待たせしました!」

「あ、いやいや。買い物じゃなくて、移動させた商品をこっちに運んでるんだけどね」


 そこにいたのは、商品を並べる棚を運んでいる尾形おがたさんと斎藤さいとうさんだった。


「ああ、すみません、ありがとうございます!」


 そして荷物をかかえた山南さんが遅れてやってくる。


「山南さんもありがとうございます! えっと、並べ順番ですけど」

「だいたいは覚えているので、お気になさらず。ああ、自分達の使い勝手がいいように、並び替えても良いですか?」

「それはもう。そこの商品、どういった並びなのか、私はさっぱりなのでお任せします」

「了解です。じゃあ、こちらは俺達がするので、御厨さんは自分の仕事をしてください」


 そう言われたので、そこの商品陳列は山南さん達にお任せして、私はどうしても気になっていたことをすることにした。


 それは、お店前から玄関口にかけてのモップがけ!!


 普段はそこまで気になることはなかったのに、今日はやけに砂だらけというか泥だらけというか。お店の中に入る通路にはマットが敷いてあるので、そこまで気にならないのに(いや、それでも気になるけど!)、お店前と長椅子が置かれた場所と、玄関口がやけに汚れている。


―― やっぱり一般の人達がたくさん来たからだよねー ――


 あれだけの人数が押し寄せれば、いくら皆が足元を気をつけていても、砂だらけ泥だらけになるのはしかたがない。


―― 普段は皆さん、気をつかってるんだなあ…… ――


 隊員さん達が押し寄せてきても、そこまで汚れが気になったことはなかった。ということは、隊員さん達はそれなりに気をつかって、この建物に入ってきているということなんだろう。


 モップがけをする前に、ホウキで砂や泥を外に掃き出していく。玄関口を出て外を見れば、リヤカーに物を乗せて運んでいたり、ゴミ袋を片手にゴミ拾いをしている隊員さんの姿があった。


「終わってからも大変だ」


 早めの時間で終わる理由がわかった気がする。準備もそうだけど、これだけ広い場所だと後片付けも大変だ。チリトリに砂と泥を掃きこむと、近くを歩いていた隊員さんがゴミ袋を差し出してきた。


「ゴミ、こちらにどうぞ」

「ありがとうございます。あ、コーヒー牛乳、じゃなくて、加納かのうさん!」


 ゴミ袋を差し出したのは、コーヒー牛乳さんだった。


「今日はお疲れさまでした。私は見れなかったんですけど、皆さんも観閲行進をしたんですよね?」

「しました。めちゃくちゃ緊張しましたよぉぉぉ」


 そして相変わらずの泣き言が始まった。偉い人がいっぱいだったとか、祝辞が長すぎてめまいがしたとか、とにかくそんなことだ。


「そう言えば、甥っ子さんが来てたんですって?」

「はい。姉と甥っ子が。あれ? なんで知ってるんですか?」

「食堂前で、リンゴジュースがいいって泣いているのが聞こえてました」

「あー……」


 コーヒー牛乳さんが少しだけ恥ずかしそうな顔をする。


「即席のスポーツドリンクを作ってあげるなんて、優しいオジチャンですね!」

「小さい子の水分補給は、大人よりも気をつかってあげないといけないので。あ、オジチャンとは呼ばせてません。オニイチャンです!」


 コーヒー牛乳さんは、ちょっと鼻息あらくしつつ胸をはった。


「オニイチャンのカッコいい姿、甥っ子さんに見てもらえて良かったですね。お休みなのに頑張ったかいがあったじゃないですか」

「運動会とか代休があるのに、ここにはそれがないんですよぉぉぉ。明日は普通に訓練あるし、つーらーいぃぃぃぃ」

「あー……がんばれーがんばれー」


「あ、まーたこんなところで! ほら、加納、こっちにもゴミが残ってるから!」

「まーたメソメソしてるのかー。あとちょっとだろー?」


 青柳あおやぎさんと馬越まごしさんがやってきて、コーヒー牛乳さんを引きずっていった。


―― やっぱりコーヒー牛乳さんはああでないと ――


 そんなことを思いつつ、建物の中に戻る。隊員さん向けの商品コーナーはほぼ元通りになっていた。さすが自衛官さん、仕事が早い。


「いま、加納の泣き声がしていたような気がしましたけど?」

「気のせいじゃないですよ。休みがつぶれてつらいんだそうです」

「あいかわらずだなあ、あいつは」


 山南さんがあきれたように笑った。


「あ、そうそう。御厨さん、コーヒーメーカーは今日は使えないのかい?」


 斎藤さんがコーヒーメーカーを指でさしながら質問をする。


「すみません。今日はお休みです。明日からは使えるようにするので」

「そっか。仕事の終わりの一服を楽しみにしていたんだけど、しかたない、今日はがまんするか」


 三人とも心なしか無念そうな顔をした。


「缶コーヒーならありますけど?」

「コーヒーメーカーのコーヒーの味を知ってしまうとねー」


 尾形さんが笑う。気持ちはわからなくもない。


「そうですねえ……今すぐってわけにはいきませんけど、皆さんが仕事が終わる時間には、なんとか準備完了にはできると思いますよ?」


 時計を見る。いつもの終業時間まであと四十分といったところだ。


「「「まじ?」」」


 三人の声がはもった。どんだけコーヒーが飲みたいんだか。そりゃ気持ちはわかるけど。


「だったら、終業時間まで頑張ってくるよ」

「あの一服がないと、一日が終わった気がしないんだよー」

「じゃあ御厨さん、コーヒーメーカーの準備たのみます」


 三人はうれしそうな顔をして「じゃあ後ほど~」と言いながら立ち去った。

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