第十七話 創立記念式典 1

 そして当日、あのテルテル坊主のおかげか、梅雨つゆのただ中とは信じられないぐらいの青空がひろがっていた。


「ひゃー、まだ梅雨入り宣言もしてないのに梅雨つゆがあけたとか? セミの声が聴こえてきそー」


 アパートを出て空を見あげる。本当に雲一つない。今日は暑くなりそうだ。きっと冷たい飲み物がたくさん出るだろうなと、バイクのエンジンをかけながら考えた。



+++



「おはようございますー」

「あ、おはようございます」


 いつものようにゲートの前で一旦停止をして、そこに立っている隊員さんに入門許可証を見せた。一般開放が始まるまで一時間以上あるというのに、すでに来場者らしき人達がゲート前に列を作っている。その人達に視線をチラッと向けてから、立っている隊員さんに話しかけた。


「もしかしてあそこの皆さん達って、ここの開場待ちをしている人達ですか?」

「そうだよ。マニアさん達の朝は早くてね。他の来場者に邪魔されず展示車輛の写真を撮りたい人とか、ああやって早くから来る人が多いんだよ」

「へえ……すごく熱心なんですねー」


 そういうのを初めて見た私は、そのなみなみならぬ熱意に感心してしまう。


「まあここの行列や混雑ぶりなんて、空自の航空祭のそれに比べたら、かわいいもんだけどね」

「かわいいもんなんですか」

「あっちは多いところだと、来場者数が十万人規模になるのでね」

「じゅうまんにん……ひゃーですね」


 その数を聞いて、思わず声をあげてしまった。


「ああ、そうそう。今日は民間の人だけでなく隊員の数も増えるので、お店も大変だと思うけど、がんばって」

「航空自衛隊さんや海上自衛隊さんの人も、展示するためにみえてるんですよね」


 お店に来ていた人達を思い出しながら、うなづく。


「それだけじゃなくて、式典での観閲行進には、近くの駐屯地の隊員も参加するからね」

「そうなんですか? じゃあ今日は年に一度のかせぎ時ってやつですね! あ、すみません、じゃあ行きますー」

「はーい。ご苦労さまー」


 後ろから車がこっちに曲がってきたので、あわててバイクをスタートさせた。いつもと変わらない朝だけど、なんとなく駐屯地内の空気がざわついているように感じるのは、それだけ駐屯地の中にいる人が増えているからなんだろう。


「あ、ちゃんとお客さん用の席ができてる」


 駐輪場にバイクを止めてからグラウンドに目を向けると、紅白の幕が張られた観覧席ができあがっていた。あそこには来賓らいひんの人達が座り、こっち側でここの部隊の人達が行進したりするのを見るらしい。もちろんあれを設置したのは、ここの駐屯地の隊員さん達だ。


「なんでも自分達でやれちゃうなんて、本当に器用だよね、自衛隊の人って」


 感心しながら建物の入口に向かった。お店が入っている建物の前の空間は、売店がならぶことになっていて、そこのお店の人達が開店準備を始めている。普段は自衛隊の人達しかいない場所が、今日はまったく違う雰囲気になっていた。


「さてと。今日も頑張るかー」


 お店に行くと、すでに慶子けいこさんが開店準備を始めていた。


「おはようございます! お待たせしてすみません!」

「まだ時間じゃないから気にしないで。私はここの近くに住んでいるから、早めに出てきただけだし」


 慶子さんはニコニコしながら、レジに小銭を投入する。今日はいつもより、硬貨を多めに用意してあるとのことだ。


「雲一つないお天気ですよ。あのテルテル坊主の効果は絶大ですね!」

「でしょー? 今日はきっと暑くなるから、冷たい飲み物がたくさん出ると思うわ」

「じゃあ飲み物の在庫、整理しておいたほうが良いですね。出しやすいようにしておきます」

「お願いしまーす」


 バックヤードで着替えると、そのまま冷蔵庫の裏へと向かった。今日はバイトの学生さん二人に加え、慶子さんの旦那さんが応援に来てくれることになっている。旦那さんはレジには入らず、裏方として在庫出しをしてくれるそうだ。特に飲み物系は重たいものが多いので、男手が増えることは大歓迎だった。


「暑くなると、レモン系とさっぱり系の炭酸飲料がたくさん出るのがパターンだけど、ここは自衛官さんが多いし、ちょっと売れ筋が読めないところあるよねー」


 そんなことをつぶやきつつ、あまり出そうにないコーヒー系の箱を奥に、炭酸水やミネラルウォーターを手前に移動させた。


「あ、そう言えば今日は、コーヒーメーカーは利用できないんだっけ」


 昨日の閉店時、コーヒーメーカーに『本日は使用停止中です』と貼り紙を貼ったことを思い出す。


「コーヒー、出るかな……ま、その時はその時だよね」

「あやさん、今日のお昼はどうする予定?」


 冷蔵庫の裏から出たところで、慶子さんに声をかけられた。


「あ、ぜんぜん考えてませんでした。普通にここで買えば良いかなって。さすがに今日は売れ切れちゃいますかね?」

「実はね、永倉ながくらさんから食券をいただいたの。今日のお昼、良ければ一緒に隊員食堂で食べない?」

「良いんですか? ご主人の分とかじゃ?」


 そこだけ気になったので確認をする。


「ううん。今日のシフトに入ってくれた全員分をもらってるのよ。来賓らいひんの人達が食べるものと同じだから、メニューの選択肢はないんだけど」

「まさか、来賓らいひんの皆さんと一緒に食べるってことじゃないですよね?」

「そこは大丈夫。私達は隊員さん達と同じ場所よ」

「だったら遠慮なく!」


 駐屯地のご飯を食べる機会なんてめったにない。これを断る選択肢こそなかった。


「そう言ってくれると思ってた。じゃあ、お昼休みを楽しみにしていてね」


 慶子さんがニッコリとほほ笑んだ。そしてバイトの人達がやってきて、普段はやらない今日一日の打ち合わせをする。もちろんお昼ご飯のこともちゃんと出て、それぞれに食券が渡された。


「さて、そろそろ開場の時間ね。式典と訓練展示の間はお客さんは少ないと思うけど、それ以外は例年だとずっとお客さんが切れない状態になるから、皆さん、気を引き締めていきましょう。では今日もよろしくお願いしますね」


 慶子さんの言葉に全員が「よろしくお願いします」と声をあげる。


「あ、ところで慶子さん」

「なあに?」

「こんなもの、売れるんですか?」


 そう言いながら指をさしたのは、乾電池が置いてある場所に並んでいるメモリーカード。デジタルカメラの記憶媒体として使われているものだ。容量は小さいモノばかりだけど、普段は置かれていないものだった。


「ああ、それね」


 慶子さんがおかそうに笑う。


「実はね、去年、カメラは持ってきたのに予備のメモリーカードを忘れたって、お客さんが駆け込んできたのよ。その時は乾電池は置いてあったけど、そこまで用意してなくてね。もしかしたら今年もそういう人が現れるかもしれないから」

「なるほど、そういうことなんですね」

「まあ売れなければ返品すれば良いだけだし、ダメモトなんだけど」


 時計を見ると、ちょうど開場時間だった。


 式典は一時間後に開始予定で、それに合わせて防衛大臣さんや都知事さんなど、いわゆる来賓らいひんが到着することになっているらしい。そうこうしているうちに、一般のお客さん達がお店にやってきた。彼らの目的は、ここで売られている限定商品だ。


「いらっしゃいませー」


 声をかける私達をよそに、彼等はその一角へとまっすぐ突進する。そこは普段、隊員さん達が使う品物が置かれている場所だ。今そこには、この基地公認のいわゆる自衛隊公式グッズがならんでいる。それはうちのコンビニだけが販売を任させているもので、外に並んでいる店舗では売られていない限定品ばかりなのだ。



 実はこの限定品の販売、建物内のコンビニにお客さんを呼び込むための、慶子さんの作戦だった。


「ほら、外のお店には自衛隊グッズとかあって、マニア心をくすぐるものがたくさんあるじゃない? ここの駐屯地限定で作れば、マニアさんも喜ぶと思うのよ。で、ついでに飲み物を買ったりしてくれれば、私達も大喜びってわけ」


 最初は簡単なメモ帳や缶バッジから始まり、そこまで種類もなかったらしい。だけど最近はオンラインで、クリアファイルやカレンダーなどを簡単に作れるようになり、どんどん公認商品も増えているのだとか。


「カレンダーは一年間の広報さんの成果を発表する場でもあるから、写真選びはけっこう盛り上がっているみたいよ?」


 慶子さん的には、駐屯地公認グッズで客寄せができれば良いわけで、特に利益を出すことにこだわっていないそうだ。それでもマニアさん達には好評なようで、この創立記念式典や夏祭りでは、それなりに売れているらしい。


「カレンダーいいですね。ただ、私の部屋にはちょっと似合わない気が」

「たしかにねー。戦車や緑色の顔をした人達の写真のカレンダーは、ちょっと女の子の部屋では浮いちゃうわよね」

「ちょっとどころか、かなり浮きますよ」


 それでもこのカレンダー、けっこう女性も購入していくそうで、一体どんな感じで部屋に貼られているのだろうと、そっちのほうで気になる存在ではある。


「ま、最近は、お店への誘導目的のこっちのほうが売れ筋になっちゃって、ちょっと複雑な気分なのよね」


 そう言いながら、慶子さんは舌をペロッと出したのだった。

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