第十話 たまには静かな時もある

「……?」

「どうしたの?」


 お客さんが来ない間にと、商品性の後にモップで床拭きをしていた私は、なんとなくいつもと違う空気に首をかしげた。レジ横で、ストローやスプーンの片づけていた慶子けいこさんが声をかけてくる。


「なんだか今日、静かじゃありません?」


 いつもならお昼ご飯を食べた後、追いデザートをしにくる隊員さんの姿もなく、やけにお店が静かだ。


「ああ、そうね。今日からゴールデンウイークだから、ここに残っている子達も少ないのよ」

「あ、そっか。今日からでしたっけ」


 レジ上のカレンダーに目を向ける。今日はゴールデンウイークがスタートする日。全員がいっせいに休むことはないけれど、自衛隊の人達にも私達と同じように、ちゃんと連休はあるのだ。


加納かのう君達もお休みよ。今頃は実家に戻って、のんびりしているんじゃないかしら」

「もしかして、入隊してから初めての休暇なんですかね?」


 週末に出かけることはあっても、門限までに戻ってくる隊員さんがほとんどだった。慣れるまでは外泊もできないのかなと気の毒に思っていたけど、ゴールデンウイークは別物らしい。


「そんな感じね。昨日の晩は浮かれ騒いでいて、山南やまなみ君達にしかられてたわ」

「そうだったんですか。それは見たかったなー」


 きっと楽しい風景だったに違いない。そんな日に限ってシフトに入っていないなんて、もったいないことをした。


「そう言えば、山南君はお休みはどうなの?」

「あ、今回は昇任試験があるので、気分的には無いそうです」

「さすがに山南君達も、試験勉強はしておかなくちゃってことなのね。ってことは、御厨みくりやさんとのデートもおあずけなのかしら?」

「そんな感じですね。シフトに入っていない日は、皆さんと同じように、自宅でのんびりする予定です」


 せっかくの連休なのにと、山南さんはとても申し訳なさそうな顔をしていた。でも、昇任試験があると聞いたからには、そっちを優先してもらわないと私だって落ち着かない。プライベートを犠牲にするとまではいかなくても、昇進するための試験は大事だ、うん、すごく大事だと思う。


「実家には帰らないの?」

「お正月に帰ってますし、今回はイマイチ気が乗らなくて」


 帰ったらまた父親から、就職がどうとかこうとか言われるだろうし、母親は防波堤ぼうはていになってくれそうにないし。当分は「君子危うきに近寄らず」戦法でいこうと思う。仰木さんも私の気持ちを察したのか、そのことについてそれ以上なにも言わなかった。


「あ、そうそう。今日は三時から、お客様が来るのよ」

「また大臣さんや偉い人が来るんですか?」


 大臣さんや副大臣さん達は、平日は議員さんとして仕事をしていることが多いからか、視察は休みの日を利用してやってくることが多いらしい。もちろん駐屯地には、二十四時間365日誰かしら人がいるから問題ないけれど、なにも休みの日にまで来なくてもと、その手のお仕事には無縁の私は思ってしまう。ま、ちょっとでもお店の売り上げに貢献してくれるなら、もんくはないけど。というか、来るからには貢献していけと思う。


「ううん。今月末に創立記念の式典があるでしょ? そこで出店する業者さん達との打ち合わせなの」

「ここが一般開放されるんでしたっけ」

「そうなの」


 創立記念式典は、ここの駐屯地が一般の人達に開放される数少ないイベントの日だ。普段は関係者しか入れない駐屯地も、その日だけは大勢の見学者がやってくるらしい。


「ここは通常営業なんですか?」


 外に屋台が出るのであれば、そこまでお客さんは増えないかな?と呑気に考えていたけど、慶子さんの顔を見る限りそんなことはなさそうだ。


「御厨さん、コンビニで修羅場しゅらばは経験したことある?」

「えーとですね……私が経験した修羅場は、泥酔でいすいしたおじさんが自転車で突っ込んできて、その場でおしっこをしようとしたことですかね」

「……それも十分に修羅場しゅらばね。警察24時的な」

「はい」


 その時は一緒にシフトに入っていた男の子が、おじさんを店の外に押し出してくれたおかげで、お店の中は汚されずにすんだ。ただ、お巡りさんが何人も来て大変な騒ぎにはなったけど。


「そういう修羅場しゅらばじゃないんですよね?」

「そういう修羅場しゅらばじゃないけど、当日はレジを三台にして対応する予定よ」


 それだけお客さんが押し寄せるということらしい。


「レジのことより、品出しのタイミングが難しそうです」

「品出しは、バックヤードで先に商品登録をしてから出さないといけないのよ。人が多すぎて店内で作業する場所もないし、コンテナから未登録商品をレジに持っていくお客さんがいたりするから」

「ああ、なるほど」


 その日だけは、普段とは違う対応マニュアルで、動かなければならないということだ。


「当日の品出しに関してはそれ専用の応援を頼んであるから、御厨さんはレジのほうでお願いね?」

「わかりました」



+++



 そして三時。そろそろ約束の時間だなと時計を見ていると、玄関口からそれなりの人数の人達が入ってきた。


仰木おうぎさん、こんにちはー!」


 その人達はまっすぐお店にやってきて、慶子さんに声をかける。


「お久し振りねー。皆さん、元気にしてた?」

「おかげさまで! 皆とは他の駐屯地のイベントでも顔を合わせていたんだけど、仰木さんとは一年ぶりよね。あ。新しいバイトさん、定着したんだ? よかったねー」


 その人達の中の一人が、私を見てニッコリと笑った。


「ええ、おかげさまで。コンビニでのバイト経験もあるから助かってるわ。御厨さん、こちらの皆さん、次の一般開放の時に、お店を出店する人達よ」

「はじめまして!」


 紹介されてペコリと頭をさげる。


「はじめまして。しばらくオーナーさんをお借りしても大丈夫かしら?」

「はい。こちらは私がいますので、お気になさらず」

「じゃあ御厨さん、私達、ここの広報さんと打ち合わせをしてくるから、お願いね。決まったことは後で報告するから」

「わかりました」


 そう言って、慶子さんを含めたその人達を見送った。


「さて……なにをしてようかなー……」


 今日はいつにもましてお客さんが少ない。お掃除も品出しも商品棚の整理も、やり尽くしてしまった。前のお店でも、たまにこうやってお客さんがパッタリ途切れてしまうことがあった。そういう時って、なにもすることがないと時間をつぶすのが結構つらい。深夜帯ならバックヤードに引っ込んでいることもできたけど、昼間からそれをするのはちょっと気がひける。


「こんにちは、御厨さん」


 声がしたので顔を上げると、私服姿の山南さんがいた。


「あ、こんにちは、山南さん。あれ? 今日もお仕事でしたっけ?」

「いえ。今日は休みですよ。そうでなかったら、こんな時間から私服で、ウロウロなんてしませんから」

「あ、そっか。どうしたんですか? お勉強してるはずじゃ?」

「もちろん、勉強してますよ。でも息抜きは必要でしょ? ちょうど三時だし、甘いものを買いにきました」


 ニコニコしながらスイーツの棚へと向かう。まっすぐ向かったところを見ると、社交辞令しゃこうじれいでもなんでもなく、本当に甘いものが食べたかったらしい。


「残念ながらプリンアラモードはないですよ?」

「みたいですね。今日は司令も師団長も休みだから、きっと残ってると思ってたんだけどな」


 山南さんは棚を見て、残念そうに笑う。


「残念でしたー。そういう時を狙う人もいるんですよ」

「じゃあこの前、斎藤達と買えたのは、運が良かったのかな」

「そういうことですね」

「今このスイーツの棚にある商品で、御厨さんがおすすめはどれですか?」

「私のおすすめですか? 私、そこまでデザート系の商品、網羅もうらしてるわけじゃないんだけどな」


 そう言いながらカウンターから出た。


「そう言えば仰木さんは? 今日は来てるはずですよね?」

「設立記念日に出店するお店の人達と一緒に、広報さんと打ち合わせ中です」

「ああ、そうか。記念式典、今月だったっけ」


 なるほどとうなづいている。


「あ、このイチゴロールケーキってのもおすすめですよ。バナナのもあるんですけど、あっちよりこっちのほうが私は好きかな。山南さんなら、ぺろりと1個丸ごといけちゃうのでは?」

「これは今まで買ったことなかったな」


 私がさしたロールケーキ。それなりに大きいけど、プリンアラモードを完食できた山南さんなら問題ないと思う。


「だったら一度ためしてみては? あ、コーヒーとそれで三時のおやつってアリだと思いますよ?」

「なかなかの商売上手ですね、御厨さん」


 山南さんがニヤッと笑った。


「だって、今日はお客さんが少ないですし、せめて私が働いた分ぐらいは売り上げがないと、お給料もらうの申し訳ないじゃないですか」

「それだけの売り上げをしようと思ったら、俺一人では難しいですね」

「もちろんですよ」

「ふむ」

「なに考えてるんですか」


 思案顔になる山南さん。こういう顔をする時て、たいていロクなこと考えていないんだよね、山南さん達って。


「しかたないですね。でも、我が駐屯地の厚生施設維持のためです。戻ったら残っている連中に声をかけてきます」

「え? ちょっと、なにもそこまでしなくても」

「御厨さんの時給がいくらかは知りませんが、少しでも売り上げに協力しますよ。あ、コーヒーのMサイズをお願いします。砂糖はなしで」


 山南さんは笑いながら私の背中を押して、レジに向かった。

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