第十八話 二輪車講習やってみる?
その日、午後からのバイトだったので、昼から職場に顔を出すと、グラウンドに警察の人がいるのが見えた。
「ん? まさか事件ですか?」
エンジンの音がして、白バイに乗ったお巡りさんが走っている。よく見れば白線のラインがひかれ、コーンがいくつも並べられていて、教習所のようなコースが作られていた。
「なにしてるんだろ。もしかして、偵察隊さんのバイクの訓練かな……」
ここの駐屯地に所属している偵察隊では、隊員さんがオフロードタイプのバイクを使っていたはず。もしかして、その訓練をしているとか?
「……でも、なんでお巡りさん?」
原チャリをいつもの場所にとめると、ヘルメットをぬぎながら、グラウンドが見える場所に移動する。そこには、何人かの隊員さんが、さまざまなバイクと一緒に並んでいた。
「……?」
隊員さん達が見ている前を、大きなバイクに乗った白バイ隊員さんが、コースを走っている。コーンが等間隔で一列に並んでいる場所では、スムーズにスラロームをして走り抜けていく。隊員さんからは「おー、すげー」という声が聞こえてきた。
「さすが白バイ。いつ見ても、かっこいい」
こっちがうっかり交通ルール違反をしない限り、公道を走る私達にとって、白バイ隊員さんは実に頼もしい存在だ。
「やあ、
やってきたのは
「おはようございます。皆さん、なにをしてらっしゃるんですか?」
そう言いながら、グラウンドの人達を指さした。
「ああ、あれのこと。見ての通り、バイクの講習だよ」
「まさか駐屯地の中で講習があるなんて、びっくりです」
「営内で生活していると、外で走る時間があまりないからね。冬期休暇で外に出る前に、安全運転の講習を受けているってわけさ。うちでは、夏期休暇の前にもあるんだよ、これ」
説明してもらっている間に、隊員さん達が、それぞれ自分のバイクに乗って、コースを走り始める。コースの途中には何人かのお巡りさんが立っていて、隊員さんが前まで走ってくると、指示を出してブレーキをかけさせたりしていた。
「かなり本格的。いたれりつくせりですね」
「事故を起こしたら、色々と言われる立場だからね」
「なるほど」
私はそこまで意識していなかったけれど、世間の自衛官を見る目は、良い意味でも悪い意味でも、とても厳しいらしい。
「あの中に、
「え、本当に?! どこですか?」
「あそこ」
尾形さんが指さした先に、山南さんが立っていた。横には大型バイクがとまっている。
「わー、山南さんのバイク、かなりの大型ですね。私、あんなのが倒れたら、起こせそうにないですよ」
「わかるわかる。あれは俺でも大変だったからねー」
山南さんがこっちを見たので、尾形さんと二人で手をふった。
「おお、ガラにもなく照れてるじゃないか、カピバラ君は」
尾形さんが、ヒヒヒッと人の悪そうな顔をして笑う。それに気がついたのか、山南さんはものすごくイヤそうな顔をした。
「え、照れてますか?」
「照れてる照れてる。一瞬だけ手を振ろうとしたの、気がついた?」
「まったく」
「そうなんだ。いやあ、あいつを見てると楽しいな」
楽しんでいるのは尾形さんだけで、当の本人は見た感じ、まったく楽しそうじゃないけれど。
「そう言えば、あいつの敬語はどうなった?」
「まったく変わりませんよ。もう年内はあきらめました」
「あららら」
尾形さんの質問に、ため息まじりに返事をする。そうなのだ。山南さんは努力すると言ったものの、あれから二週間。今のところ、敬語が消える気配はまったくない。それどころか、ますます堅苦しい口調になっている気がする。
「山南さん、努力するって言ったんですよ? なのにまーったく、あらたまる気配がないんです。どう思います?」
「いやまあ……なんて言ったら良いのか。あいつなりに、葛藤があるんじゃないの?」
「なんの葛藤ですか。年下の私に対して、なんの遠慮がって話だと思いますけど」
「いろいろと複雑なんですよ、男の子の心は」
「男の子の心……」
尾形さんは、本気なんだか冗談なんだか、よく分からない口調でそう言った。そんな私達の前を、山南さんがバイクで走っていく。大きなバイクなのに、まったく危なげがない。
「すごく安定した走りですね」
白バイ隊員さんがスラロームしたコースも、山南さんはすんなりとクリアした。それを見ていた他の若い隊員さんが、「おー、さすが山南三曹」としきりに感心している。
「なかなかの腕前だよ。偵察隊がほしがるだけあってね」
「へえ……」
白バイ隊員さんに指示されて、急制動をかける時もピタリと止まった。ダラダラとブレーキをかける私とは大違いだ。
「御厨さん、免許は原チャリだけ?」
「ええ。だってほら、原チャリなら、筆記と簡単な教習だけじゃないですか。あまりお金もかかりませんし」
もちろん、将来的にはもう少し大きなバイクに乗れるようになりたいし、車の免許だってとりたい。だけど私は、ただいま就職浪人でバイトの身。自分で稼げる範囲で、家計をやりくりしなくてはならない。そう言う事情もあって、もろもろの免許取得は、もう少し先になりそうな予感。
「そっか。ま、女の子ならそれで十分かもね。でも、嫌いじゃないだろ?」
「そりゃまあ。でも、まだまだ先になりそうです」
「だったらさ、一度、山南の後ろに乗っけてもらうと良いよ。なかなか爽快だから」
「乗せてもらえますかね?」
大きなバイク、後ろでも良いから一度は乗ってみたい。だけど、さすがに図々しいお願いになってしまうのでは?と心配になった。
「俺が後ろに乗っても問題ないんだから、御厨さんぐらい軽いもんでしょ」
「そういう意味じゃなくて」
「ん? 女の子を後ろに乗せて走るのを、イヤがる男がいるとでも?」
「いるような気がします」
「少なくとも、山南は御厨さんを乗せるのを、イヤがることはないと思うよ? 大きなバイクに乗ってみたいって言ったら、きっと乗せてくれると思う。一度、聞いてみな」
コースを走る山南さんの姿を追いながら、乗ってみたいという気持ちが、ムクムクとふくれあがってくる。一度、話してみようかな。そして、ふと我にかえった。自分が今、どうしてここにいるか思い出す。
「あ、見てる場合じゃなかった! バイト時間!!」
「おお、気がついて良かった」
気がつけば、バイト時間が始まる十分前だった。今日は、仕事前のほうじ茶ラテはあきらめるしかなさそうだ。
「じゃあ尾形さん、失礼します!」
「はいはい。バイト、頑張ってねー」
ヒラヒラと手をふる尾形さんに見送られ、お店に急ぐ。ダッシュで駆け込むと、午前中のシフトに入っていた学生さんが、顔をあげた。
「おはようございますー!」
「おはようございます。そんなに慌ててどうしたんですか?」
「だって、もう十分前切ってるじゃないですか!」
バックヤードに駆け込んで、ロッカーにリュックを投げこむ。
「まだ五分以上ありますよー」
「いやいやいや。一応は、申し送りとかする時間をですね……」
制服を着て、髪の毛がはねてないか確認してから、お店に出た。
「どうも! お待たせしました!」
「そこまであせらなくても。えっと申し送りですが、今のところ、特に問題はないです。商品の品切れもありません」
そう言って、商品管理の端末を渡してくれる。
「
「了解です。あがってもらっても大丈夫ですよ」
「はい。じゃあ、後はよろしくお願いします」
「はーい」
学生さんがお店を出ると、三時のおやつやドリンクを買いに来る隊員さん達が増えてきた。
「御厨さん、見ました?」
「なにがでしょう?」
声をかけてくれたのは、ここで経理を担当している年配の女性隊員さん。元は銀行員さんで、そこを退職して自衛隊に入隊してきたという、私からすると少し変わった経歴を持つ人だ。
「二輪講習に来ている、白バイ隊員さん達ですよ。イケメンぞろいで、超絶さわやかでしたよ!」
「そうなんですか?」
「もー、眼福ですよ。私、寿命がちょっとのびたかも」
思わず笑ってしまった。
「ここの駐屯地にも、さわやかな隊員さんはたくさんいるでしょ?」
「見慣れちゃってますからね。今日は確実に、一年は寿命がのびましたね。たまに異業種のイケメンさんを間近で見るのも、よい経験かも!」
「そんなこと、司令さんに聞かれたらどうするんですか。きっと泣いちゃいますよ?」
「お互い様ですよ。あちらだって、きっと似たようなこと言ってますから」
取材やイベントでやってくるアイドルさんに対しての、男性隊員さん達の反応のことを言っているのだと思う。
「もしかしたら、あとでここに来るかもしれませんよ? 来たらしっかり堪能して、寿命をのばしてくださいね!」
「はーい」
笑いながら、その隊員さんを見送った。そして笑いながら首をかしげる。
―― 本当に寿命がのびるのかな……? ――
そして入れ替わるように、若い男性隊員さんが駆け込んできた。よく見る顔で、たしか山南さんと同じ小隊にいる人だ。
「いらっしゃいませー。珍しいですね、こんな時間に」
「ああ、バイトさん! ここって黒いビニールテープってありましたよね?!」
「ありますよ。皆さん、よく買っていかれるので、売り切れてなければ、いつもの棚にあるはずです」
「ちょっと見てきます!」
ビニールテープが置かれてる棚のほうへと走っていく。あの黒のビニールテープは、この店でもよく売れる商品の一つだ。実のところ、どうしてそこまで売れるのか、さっぱり分からない商品の一つだった。
「あったー!!」
そう言いながら戻ってくる。
「自分のこれをのぞいて、残数一個でした」
「だったら、明日には新しいのが入荷すると思います。一個で足りますか?」
「大丈夫です! これでなんとか修理します!」
「修理……」
「講習中にずっこけたんですよ。あああ、俺のバイク……」
「あー……バイクさん、お大事に……」
どうやら、そのビニールテープでバイクの応急処置をするらしい。
「まさか、あんなところで転倒するとは。情けない……」
「ドンマイです。誰でも一度は転倒を経験しますから」
「はい。以後は厳重に警戒しながら運転します。はぁぁぁぁ、俺のバイク、やっとローンが終わったばかりなのに、まさかここでカウルを割るなんて……」
男性隊員さんは、ため息をつきながらガックリと肩を落とし、お店を出ていった。
「お店に修理にしにいくって選択肢はないんだ……」
まあ、ビニールテープの修理も、あくまでも応急処置なんだろうけど。
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