第十七話 少し距離が縮まった?

「ところで、ずっと気になっていたんですけど」

「なんでしょう?」


 おつりを受け取りながら、山南やまなみさんが私を見下ろす。


「そろそろ、その敬語はなんとかしませんか? 私のほうが年下ですし、尾形おがたさんや斎藤さいとうさんみたいに、砕けた口調で話してもらっても、問題ないんですよ?」

「は?」


 その返事から、意識して敬語を使っていたわけじゃないことが、わかった。尾形さんは、以前に『カピバラモード』と言っていたけど、山南さん自身は、それを意識していたわけじゃないらしい。


「山南さんの言葉遣いですよ。皆さんはお客さんですし年上ですから、私は敬語を使っていますけど、山南さんまで敬語にすることないんですよ? 私はもう、ここに来たお客さんじゃないわけですから」


 最初にあった日は、私もいわば「お客さん扱い」されているんだろうなと思っていた。だけど、ここでバイトを始めて数ヶ月。山南さんの敬語は、いっこうに消える気配がない。


「特に意識して、敬語で話しているわけではなくて、これは民間人さんに対する、いつもの習慣みたいなもので」

「民間人さんに対する習慣」


 山南さんは、少しだけ困ったような顔をした。


「自分達は、外から色々と言われる立場ですから。できるだけ民間の人達に対しては、礼儀正しく接するというのが、暗黙の了解みたいなもので」

「つまり、私は部外者だと」

「え、いや、御厨みくりやさんを部外者だとは思ってないですよ。ただ、最初に会った時がそうだったから、それがずっと続いているだけで」


 慌てた様子で否定をしたけれど、言葉遣いは簡単に改まりそうにない。


「身についた習慣は、なかなかやめられないというか、なんというか」

「尾形さんや斎藤さんは最初から砕けてましたよ?」

「あいつらと顔を合わせた時、御厨さんはもう、ここのバイトさんだったでしょ」


 ああ、なるほど。言われてみればそうかもと、納得した。


「じゃあ、あのお二人も、最初に会っていたら敬語だったんですか?」

「多分?」

「今も?」

「おそらく?」


 その顔を見る限り、確信があるわけではなさそうだ。


「でも、少なくともあのお二人は、敬語じゃないです。つまり私のことを、自衛官ではないけれど、ここの一員だと思ってくれているわけです。山南さんはどうですか?」

「別に自分は、御厨さんのことを、部外者だとは思ってないですよ」

「でも、敬語ですよね?」

「まいったな……努力します、ではダメですか」


 本気で困っているようなので、この話はここで許してあげることにする。


「努力ですか。わかりました。じゃあ明日から努力してください。今日は、もうすぐバイトの時間も終わりなので」

「了解しました。山南三等陸曹、明日より努力いたします」


 真面目な顔をして敬礼をすると、山南さんはお店をあとにした。


「なんだか、明日からさらに堅苦しい言葉遣いになるんじゃないかって、心配になってきちゃったよ……」


 敬礼をした時の山南さんの様子に、思わずぼやいてしまった。



+++++



「ごめんなさいね、あやさん。お待たせして」


 慶子けいこさんが戻ってきた。


「いえいえ。慶子さんこそ、お疲れさまでした。洗濯物は大丈夫でした?」

「おかげさまで、洗濯物も無事だったわ。でもすごかったのよ、道路。あやさんにも見せたかったわ、あれ」

「そうなんですか? だったら、明日の新聞に載るかもしれないですね」


 検索でヒットした、あの写真が新聞の一面をかざるかもしれない。明日の朝刊が楽しみだ。


「断水はどうなったんですか?」

「今も工事中よ。多分、日付が変わるまでには終わるだろうって」


 そこで、なにか思いついたという表情をする。


「ああ、お水のペットボトル、斎藤君がたくさん持ってきてくれたのよ。あやさんから話を聞いたと言って」

「バイトの時間は終わってるよねって話から、うっかり慶子さんちのことを話してしまって」

「気にしないで。重たいお水を運ばなくてすんで、助かっちゃったから。さすが自衛官ね、あんな重たいモノ、軽々と持ってくるんだもの。どうせなら、もっと頼めば良かったかしら」


 悪戯いたずらっぽい笑みを浮かべた。


「でも、お風呂とトイレが大変そうですね」

「その点は心配ないのよ。主人からね、万が一に備えて、沸かすギリギリまで、残り湯をためておくようにって言われていたの。だからトイレは大丈夫。お風呂は、断水してない町内の銭湯に行くことにしたわ」


 さすが元自衛官の旦那さん。なかなか、ぬかりがない。


「寒くなってきましたから、風邪ひかないようにしてくださいね」

「ありがとう。さあ、あがってちょうだい」

「はい。お疲れさまでした」


 慶子さんに言われて、バックヤードに戻って着替えた。


「あ、そうだ。慶子さんは、山南さんがここに来た時から、知ってるんですよね?」

「ええ、そうよ。それがどうしたの?」

「あの敬語って、いつものことなんですか?」

「敬語?」


 慶子さんがひょっこりと顔をのぞかせた。


「はい。尾形さんや斎藤さんは砕けた口調で話すのに、山南さん、私に対してずっと敬語なんですよ」

「どうかしら。もともと山南君、普段からあまり話すほうじゃないのよ。バイトの子と話しているところなんて、今まで見たことないわね。それこそ必要最低限。あやさんとは、おしゃべりしているほうなのよ」

「そうなんですか」


 それでも圧倒的に、尾形さんと斎藤さんのほうが、口数が多いような気がする。それと私が話しかけるパターン。


―― ってことは、お話するのが苦手なタイプの可能性もあるのか…… ――


 私も、話したくない人と話す時は、口調が慇懃無礼いんぎんぶれいになる。もしかして、山南さんもそのタイプとか? ってことは、私に話しかけられて、イヤイヤおしゃべりに付き合ってくれていたとか?


「もしかして、バイトの私があれこれ話しかけるのは、迷惑なんでしょうか? 常連さんとの会話って、雑談ぐらいなら普通かなって思ってたんですけど」


 前のお店の利用者に、病院帰りのお年寄りが多かったせいもあって、お会計中にお客さんと日常会話をすることは普通にあった。ここでも皆さん、あれこれと話しかけてくれるから、それが普通だと思っていたけれど、実は違ったのかもしれない。


「迷惑とは思ってないと思うわよ。だって、山南君、あやさんとおしゃべりしている時、すごく楽しそうだもの」

「え?!」

「ん?」


―― 楽しそう、しかもすごく…… ――


 まったくの無表情とは言わないけれど、他に人にくらべると、口調のせいもあって、堅苦しさが残っていると感じていた。それでも山南さん、楽しそうなのか。しかも、すごく。


―― まあ、他の人がフレンドリーで、元気すぎってのもあるけどさ…… ――


「私てきには、敬語をやめたら、もっと楽しくなると思うんですけどね」

「今でも十分に楽しそうよ?」


 慶子さんの返事に、そうかなあと首をかしげてしまう。


「でも、他人行儀じゃないですか」

「そうかしら。それで、そのこと、山南君には言ったの?」

「実は言いました」

「返事はどうだった?」

「明日から努力しますって」


 慶子さんは笑いながら、顔を引っ込めた。


「私、年上の人に対して、無礼だったですかね? 私が敬語をやめて、タメグチになりたいわけじゃないんですよ?」


 ロッカーをバタンとしめて、バックヤードから出た。


「どうかしら。山南君にとっては、かなり新鮮な体験だったと思うわよ?」

「そうなんですか?」

「ええ。敬語で話すのをやめろだなんて、今まで命令されたこと、なかったでしょうから」

「私、命令なんてしてませんよ?!」


 命令なんてとんでもないと、慌てて否定する。


「敬礼しなかった?」

「しました……って、え?! もしかして、命令したと受け取られちゃったんですか?!」

「さあ。それは、本人に聞いてみたら良いんじゃないかしら?」


 慶子さんはほがらかに笑うばかりだ。


「私、命令なんてしてませんから!」

「はいはい。ま、あやさんがしたのがお願いにしろ命令にしろ、山南君は気にしにいと思うけど?」

「私が気にしますよ! 本当に命令してないですからね!」

「はいはい」


 そこで、遠慮がちな咳払いが聞こえた。振り返ると、お店の入口に山南さんが立っていた。


「山南さん!!」


 あの顔からして、今の会話、しっかり聞かれていた様子だ。


「いらっしゃい。噂をすればなんとやらね。あやさん、ちょうど良いから、確かめてみたら?」

「え?!」


 慌てる私と、なんとも気まずげな山南さんの間に、微妙空気が流れた。


「それより、お客さんですよ、慶子さん! 山南さん、いらっしゃいませ! ご用は何ですか?!」

「えーと……あー、お客さんとしてきたわけじゃないんですよ。師団長から、仰木おうぎさんと御厨さんに、渡すように言われたものですから。それを届けに……」

「師団長さんから?」


 山南さんがレジ袋を二つ、私達にむけて差し出す。


「これをどうぞ、ということです」

「なんでしょう」

「あら、おまんじゅうかしら?」


 レジ袋を受け取った慶子さんが、中を見て嬉しそうに言った。


「はい。ここのはうまいと評判らしくて、是非にと」

「あやさん、ここのおまんじゅう、あんこに黒砂糖が使われていてね、とてもおいしいのよ」

「そうなんですか? 私、黒砂糖、大好きです」

「それは良かったです」


 山南さんが、ホッとした様子でほほ笑む。


「これがあったから、今日のおやつ時間は来なかったのね」

「ええ。取材が入ってましたし、コンビニを普段から利用しているとしても、対外的に色々とありますからね」


 慶子さんの問いかけにうなづいた。


「帰ったら主人といただくわね。大野おおのさんにお礼を言っておいてくれる?」

「わかりました」

「あ、私からのお礼もお願いします!」

「了解しました」


 その返事にピンとくる。


「あ、まだ敬語ですよ、山南さん!」

「それは、明日からの努力ってことで、よろしくお願いします」


 山南さんは、そう言って笑うと、手を振りながら、お店から出ていった。その時はなんとも思わなかったけれど、駐輪場でバイクにキーをさしてから気がつく。


「……そういえば、あんなふうに手を振ったのって、初めてだったかも」


 ちょっとだけ、山南さんとの距離が近づいたのかなと思った。あくまでもちょっとだけ、だけど。

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