第十六話 慣れって恐ろしい
「なんだかダメですねー」
取材班の人達が立ち去った後、ホッとしながらつぶやいた。
「なにが?」
私のつぶやきに、
「前のバイト先では、どんなお客さんが来ても、営業スマイルで対処する気持ちでいたんですよ。だけど今は、いつもと違うお客さんが来ると、なんだかソワソワしちゃって、落ち着かないんです」
「それって、さっきのテレビ局の人達?」
「はい」
慶子さんの問いかけにうなづいた。
「接客業をする人間としては、これじゃあいけませんよね。自衛官さん以外のお客さんが、わずらわしく感じちゃうなんて。一般公開で、お客さんがたくさん来た時のことを考えると、今から
「あらあら。すっかり、ここに馴染んじゃったってことなのね」
「そうみたいです」
ここにやってくるお客さんは、九割以上が自衛官さんや技官さんで、皆さんもれなく礼儀正しい。バイトを始めて、まだ数ヶ月しかたっていないのに、すっかりそれが普通になってしまっていた。
「あ、だからって、入隊希望になったわけじゃないですよ?」
最後に一言つけ加えると、慶子さんはおかしそうに笑う。
「あやさん、あちらこちらから、勧誘されちゃってるものね」
「そうなんですよ。司令さんを筆頭に、本当に油断がならないです。このポイントは、今後もしっかり、おさえておかないと」
今でもたまに、司令さんや他の隊員さんから「そろそろ入隊する気分になった?」と言われるのだ。まだあきらめてないんですか!と、いつも笑って返しているんだけど、あちらはわりと本気なのかもしれない。
バックヤードにある固定電話が鳴る音がした。普段はほとんど使われることがない電話が珍しい。入荷予定の商品で、なにか不都合でも出たのだろうか。
「私が出るわ」
慶子さんがバックヤードに向かったので、私はその間に、テレビ局の人達のせいで乱れまくった、商品棚の整理にかかった。
「こうやって見ると、ここの人達って、本当に整理整頓が上手というかなんというか。店員としては、ありがたいお客さんだよねー……」
めったにやらない商品棚の整理に、なんだか不思議な気分になりながら、つぶやいてしまった。
「あやさん、あやさん!」
「どうしました?」
慌てた様子で、慶子さんがバックヤードから出てきた。
「あと三十分で、バイト時間が終わるのはわかっているんだけど、少し延長してもらっても良いかしら? この後、なにか用事ある?」
「特にないのでかまいませんけど、どうしたんですか?」
「自宅のね、お隣さんの水道管が破裂しちゃったんですって。いま、家の前の道路が、噴水みたいにすごいことなってるらしいの!」
「えええ? 慶子さんち、大丈夫なんですか?」
道路から水が噴き出すなんて、ただこどじゃない。
「家の雨漏りは心配してないけど、二階に干してある洗濯物が心配。ちょっと家に帰ってきても良いかしら?」
「どうぞどうぞ。あ、こっちは何とかしますから、時間は気にしないでください」
「ごめんなさいね。できるだけ早く、戻ってくるから!」
慶子さんは、着替えると、急ぎ足で建物を飛び出していった。
「っていうか、お隣だったら、下手したら家に入れないんじゃ……?」
その可能性に気がつき、一体どんな状態なのか気になりだした。
「今の時代、目撃者がいたら、大抵はリアルタイムで流れるよね」
お客さんがいないのを確めてから、バックヤードに戻り、ロッカーに入れてあったリュックからスマホを取り出す。そしていつも使っているSNSを開いた。まずは、地名と水道管破裂で検索をしてみる。すると、写真を投稿している人の記事が何件かヒットした。
「あ。これか」
民家の前で、水が大きな噴水のように噴き出している写真だ。
『家に帰ってくる途中、道路から水が噴き出してるのに遭遇。ヤバい!』
『なんか近所に噴水できてた』
『晴れてるのに豪雨!!』
どうやらご近所の学生さんが投稿したものらしい。
「これ、お家の水道管が破裂したっていうより、お家の前の水道管が爆発してるっぽい」
この状態だと、慶子さん宅やお隣さんを含めたご近所が、断水になってしまうのでは?と心配になる。
「……お水、確保しておいたほうが良いかな」
近くに大きなスーパーもあるし、問題ないなと思いつつ、慶子さんが戻ってきたら、それとなく確認しておこう。
+++++
「あ、皆さん、今日はテレビの取材、お疲れさまでした!」
勤務時間が終わってしばらくして、緑色のモサモサから人間に戻った、
「あれ、
「
「そりゃ大変だ。仰木さんち、なんともないの?」
その場にいた全員が、なぜか急にお仕事中の顔つきに戻った。
「仰木さんちを含めて、ご近所の何軒かは断水中だって、さっき電話が」
それもあって、念のため、夕飯の支度のためのお水を、何本か確保しておいてほしいという連絡があったのだ。
「断水の時間はどの程度に? 御厨さん、仰木さんからそのへんの話は聞いてますか?」
山南さんが、会話に入ってきた。
「どうなんでしょう。工事に来てもらうように頼んだって話しか、聞いてないんですが」
給水車もくるらしいって話だったし、お風呂とトイレ以外は問題なさそうな話しぶりだった。ああ、でも、お風呂はともかく、そのトイレが一番問題なのでは?と思わないでもない。
「
そう言いながら山南さんは、後ろでポテチを手に持っている、斎藤さんに声をかけた。
「ああ。様子、見てきたほうが良いか?」
「そうしてくれ」
「了解。じゃあ、許可もらって至急で行ってくる。俺のポテチとコーラ、頼むわ」
斎藤さんにポテトチップとペットボトルを押しつけられて、困惑した表情になる山南さん。
「俺が払うのか?」
「別におごれって言ってるわけじゃない。立て替えといてくれって話だよ」
「あの」
お店を出ようとした斎藤さんを呼び止める。
「ん?」
「それって、災害派遣てやつですか?」
「違う違う。駐屯地の全員が、毎日お世話になっているコンビニのオーナーさんだし、旦那さんは俺達の大先輩だから。これは個人的な行動で、自衛隊は関係ないよ」
私の質問に手を振りながら笑い、少しだけ急ぎ足で立ち去った。
「ああ、なるほど」
「御厨さんも、いきなりで大変ですね」
「いえいえ。大変なのは仰木さんですよ。バイトのことは、困ったことはお互い様ですから。それに駐屯地内のお店は平和だし、みなさん、商品棚を散らかさないし、楽させてもらってます。……あれ、山南さん、耳が緑色のままですよ?」
なんとなく目に入ったのは、なぜか緑色のままになっている、山南さんの耳だった。私の言葉に、山南さんは慌てて耳に手をやる。
「ああ、忘れるところだった。これはちょっと置かせてもらいます。自分は自分で、必要なものがあるので」
そう言いながら、ポテチとペットボトルをその場に置いて、カウンターを離れた。その間に、他の人のお会計をすませていく。山南さんが戻ってくる前に、尾形さんがお会計しにきた。ポテチとペットボトルを自分の商品とまとめる。
「これは、俺が立て替えておくよ。お会計、よろしく」
「あ、はい」
「先に戻って風呂にいくから、俺が立て替えこと、山南に言っておいてくれる?」
「わかりました」
お支払いをすませると、尾形さんはお店を出ていった。それから次々と、お店に来た隊員さん達が、それぞれお菓子や飲み物を買って、お店を出ていく。山南さんはお茶のペットボトルだ。
「あれ? 斎藤の分は……?」
「尾形さんが、立て替えておくって言ってました」
「ああ、なるほど。じゃあ、これをお願いします」
カウンターに置かれたのは、お茶のペットボトルと、メイク落としシートだった。
「風呂で落とせば良いんだろうけど、こっちで前もって拭いておいたほうが良いと思って」
「それは言えてますね。お風呂で落とすにしろ、それだけしっかり塗られていたら、落とすの大変そうですよ。耳にお湯が入ったらそれこそ大変。ていうか、耳にまで塗るんですね」
「耳なし芳一と同じ原理ですね。そこだけ塗らないと、逆にものすごく目立ってしまい、標的にされやすいから」
「なるほどー……」
そんなところまで考えて、塗らなきゃけないのかと感心する。
「あれって、塗り方は決まってるんですか? 例えば、緑色が一番先とか」
「人それぞれだと。自分は入隊した時に教官に教わったやり方を、ずっと続けているんですよ。ただ、場所によっては、緑色を多くしたり、薄い色を多くしたりと、自分なりに調整はしますね」
「それは、その場所で、より目立たなくするためにってことですか?」
「そんなところです」
そして、なにも考えず、好き勝手に塗るわけでもないらしい。
「女の子のメイクに、通じるものはありますね」
「そうなんですか?」
意外だったらしく、目を丸くする。
「ええ。季節によって変えることもありますけど、行く場所によって念入りにしたりするので」
「なるほど。意外と女性隊員が楽しそうに塗っているのは、そういうのもあるのかな」
「かもしれません」
山南さんにとって、それは新しい見方だったらしく、しきりに感心していた。
「あ、ところで今日は、師団長さんのおやつのおつかい、なかったですよね?」
「ああ、そのことですか。ほら、テレビ局の取材がありましたから、師団長もそちらに時間をとられてしまって」
「こっちもいつもの時間、その人達でいっぱいでしたよ。司令さんなんて自分で買いに来るから、鉢合わせしたら、大変なことになっていたかも」
「それもあって、今日は任務はなしでした」
そう言って、悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「でも、大丈夫でした? いつもの甘いものが食べられなくて、師団長さん、ご機嫌ななめになったりしてませんでした?」
「大丈夫です。今日は万が一に備えてと、自宅近所でまんじゅうを買ってきてたらしくて。それを司令と仲良く食べてましたから、問題なしだと思います」
「なんと、ぬかりがない。さすがです」
しかも司令さんも一緒とか。私が感心すると、山南さんは楽しそうに笑った。
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