第十三話 体操は攻略できたもよう
「うむ、今日も快調だ!」
朝、起きて体がどこも痛くないのを確認すると、飛び起きた。あの筋肉痛の朝から一ヶ月。季節は秋から冬になろうとしていた。
「私、一般の人にしては、けっこう進歩してるよね」
最初のころは、準備運動もおっかなびっくりだったけれど、動画よりもゆっくり体を動かすように心がけていたら、いつの間にか、問題なくこなせるようになっていた。まあ、やり終えると疲れるのは、あいかわらずだけど。
「朝ごはんも食べられるようになったし、本当に運動不足だったのかもしれないな、私」
それまでは抜きがちだった、朝ごはんを食べながら、バイトに出かける準備をする。体操をするようになってから、間違いなく食べる量が増えていて、じゃっかん体重が増加傾向にあるけれど、なぜか体が軽く感じられた。
「自衛隊体操さまさまだねえ……」
筋肉痛になって、自衛隊体操め!とムカついていた日々が、嘘のようだ。
「さーて、今日も頑張って働くぞー」
出かける準備ができたので、姿見の前で服装のチェックをしてから、玄関に向かった。
+++
「おはようございまーす!」
門で警備をしている隊員さんに声をかけた。
「おはようございます。今日も朝からご苦労様です」
「皆さんも寒いのに、警備ご苦労様ですー」
警備室の横で一旦停止をして、中にいた隊員さんに、入門証を見せる。
「はい、たしかに。今朝はいちだんと、寒くなったねえ」
「ほんとうに! 原チャで走っていると、顔が凍っちゃいそうですよ」
「風邪、ひかないようにね」
「ありがとうございます!」
原チャリを再発進させた。いつもの場所に原チャリをとめると、手袋とヘルメットをぬいで、ぐるぐる巻きにしていたマフラーをはずす。
「はー、冷たかった! バイク通勤がつらい季節になってきたよねえ……そろそろ電車通勤に変更しようかな……」
すっかり冷えてしまった。仕事に入る前に温かい飲み物を飲んで、体を温めよう。
「おはようございまーす!」
「おはよう、あやさん。あらあら、鼻が真っ赤よ?」
私の顔を見たとたん、
「寒かったですからねー。マフラーを巻いてきたんですけど、鼻から上は吹きっさらしでしたから。仕事に入る前に、お客さんをしても良いですか?」
「毎度ご利用ありがとうございます。今日はなににする?」
「ほうじ茶ラテがおいしかったので、それにします。
「そうねえ。じゃあ私も、ほうじ茶ラテをお願い」
そう言ってSサイズのカップを二つ、カウンターに置いた。勤務時間が同じなことが多い私と慶子さんは、すっかり仲良くなって、今では名前で呼び合うようになっていた。
「ほうじ茶に牛乳って、いったい誰が考えついんですかねー」
カップを置いて、牛乳が出るスイッチを押す。
「気がついたら出てたわよね。まあ、麦茶ミルクがあるぐらいだから、不思議じゃないけど」
「え、そんなのあるんですか?」
それは初耳の飲み物だ。
「あら、知らないの? 私、よく夏場に作ってるわよ。麦茶と牛乳に、少しだけお砂糖を入れるの」
「初耳です。それ、うちのドリンク商品にはないですよね?」
「ないのよね、残念なことに。すごくおいしいのに。あ、もしかしてこれって、年寄り限定で知られている飲み物なのかしら」
慶子さんはショックを受けたような顔をしている。
「慶子さんの世代が、年寄りってことないでしょ。まだまだお若いですよ」
私はもうお婆さんなの?となっている慶子さんを慰めた。
「そう? でも、昔だったらお婆ちゃんよね。人生五十年って、信長さんが言ってるじゃない?」
「それは日本史の時代で、今とじゃ、平均年齢が違いすぎますよ。少なくとも六十代をすぎるまでは、お年寄りじゃないです」
「そうかしら。うちの旦那さんなんて、退官する時に、隠居生活の計画を立ててたわよ?」
「それ、気が早くないですか?」
自衛隊の人達の退職する年齢は、一番偉い人だと六十歳プラスアルファ。それよりも下の人達は、だいたい五十代後半までには退職するらしく、慶子さんの旦那さんもそうだったんだとか。もちろん隠居生活などせず、そこから再就職をして働いている人が、ほとんどということだ。
「もちろん、隠居生活なんてとんでもないから、今も働いてもらってるけど」
だけど、司令さんや山南さん達の話を聞いていると、自衛隊の人達って、本当に色々なことができる人達の集団なので、今の時代、体力が必要な部署はともかく、五十代で定年だなんて実にもったいないと思う。
「でも、あやさん、麦茶ミルク、飲んだことないのよね? お母さんから聞いたこともないのよね?」
「少なくとも、我が家では出たことはないですね。今度、母親にそれとなく聞いてみます」
牛乳を入れたカップをカウンターに置いた。開店までの短い時間、私と慶子さんは、ほうじ茶ラテを飲みながら、まったりとする。
「あ、そうだ。そろそろ、カイロの発注数を、増やしたほうが良いかもしれませんね。警備に立ってた
皆、人の目につくところに立っているせいか、ポーカーフェイスな人が多いけど、今日はかなり寒いと感じていたに違いない。これからどんどん寒くなるのだ。あの場所でじっと立っているなら、手袋やインナーを身につけるだけでなく、服に貼りつけるカイロは必須だと思う。
「あやさんがお休みだった
「慶子さんの旦那さんも、外が多いんですよね?」
「うちはもう、ズボンの下にモモヒキをはいてるの。年には勝てないって言ってね」
その言葉に、笑いながらほうじ茶ラテを飲み干すと、バックヤードに行って制服に着替えた。そして、おろしてあったシャッターをあげる。それを待っていたかのように、司令さんがやってきた。
「おはようございます」
「おはよう。今日は寒いね~~」
司令さんは、両手をこすり合わせて暖をとっている。部屋からここまで歩いているうちに、すっかり手が冷たくなってしまったらしい。
「本当に。今日のホットドリンクは何になさいますか?」
ここ最近の司令さんは、プリンより暖かい飲み物に御執心だ。
「ホットチョコレートにするよ。あれはうまい。冬場だけの限定商品だなんて、もったいない話だよ」
「夏の暑い時に、ホットチョコレートを飲みたいなんて言うのは、
慶子さんが笑う。
「そうかなあ……
「ええ、まあ」
夏場でも、たまに温かい飲み物を飲みたくなるのも事実。だけど、コンビニで定番化するほど買う人がいるか?と言われると、少しばかり自信がない。
「夏は夏限定のおいしいものがたくさんですからね。マンゴーフランペチーノとか、ハワイアンフランペチーノとか」
「なるほど。御厨さんはそっち系か。僕的には、昔みたいなクリームソーダがあれば、非常にうれしいんだけどねえ」
「それ、アイスクリームとメロンソーダを買えば、お部屋で作れるんじゃないですか?」
「まあ、そうなんだけどね。うっかり作っているところを見られたら、駐屯地司令としての威厳がなくなってしまうだろ?」
「んー……なにをいまさら感が」
思わず本音がポロリと出てしまう。だけど司令さんは、私の言葉に気を悪くした様子もなく、「たしかにね」と笑うだけだった。
「ところで師団長に聞いたよ。御厨さん、自衛隊体操、攻略したんだって?」
「あ、お耳に入りました?」
正確には、山南さんから師団長さん、そして師団長さんから司令さんへ、という具合に伝わっていったんだと思う。
「入った入った。湿布の活躍も、最初の三日間ぐらいで終わっちゃったみたいだし、最近の若い子にしてはすごいねって、感心してるんだ」
「感心してもらうのは嬉しいですけど、入隊はしませんからね?」
まずはクギをさす。
「え、まだその気にならないのかい?」
「なりません。皆さんに誘われるんですけど、今のところ私は、コンビニのバイトさんの立場に、満足してます」
「そうなのかー。有望な隊員だと思ってるんだけどな」
司令さんは、残念そうな顔をした。
「それにですね、入隊してしまったら、こんなふうに司令さんや師団長さんと、楽しく会話する時間が、なくなっちゃうじゃないですか」
「そんなことないよ」
「いえいえ、そんなこと大ありですよ。ここ、上下関係が厳しいんでしょ? だからこれからも、お客さんとバイトさんの関係でいたいと思います」
それは私の本音だ。ここにいる人達と楽しくおしゃべりができるのは、きっと少しだけ外側にいるからだと思う。だから私はこれからも、この立ち位置が希望なのだ。
「ふーん……まあ、僕や団長はそれでもかまわないけど、山南君や女子隊員は、きっとガッカリすると思うけどな。御厨さん、けっこう皆に好かれてるし」
「だからそれは、バイトさんだからです」
「どう思います、仰木さん?」
司令さんは、慶子さんに声をかけた。
「そうねえ……あやさんの人当たりのよさは、接客向きだと思う、とだけ言っておきましょうか。おかげでうちのお店、例年より売り上げが良いんですからね。申し訳ないけれど、うちの大事なアイドルさんを、つれていかないでほいわ」
「仰木さんにそう言われると、無理にスカウトもできないねえ。残念だ」
司令さんは、カウンターにお金を置いて、私からカップを受け取ると、マシンのほうへと歩いていく。
「司令さんが直々にリクルートするなんて、どうなんですか? これって人事さんのお仕事では?」
「しー。口は災いのもとよ、あやさん。そんなこと言ったら、司令さんが採用担当さんをけしかけてくるから」
「あ、それは困りますね。お口をチャックしておきます」
「ま、採用担当さんが来ても、私が追い返しちゃうけど」
「お願いしまーす」
もちろん私達の声は司令さんの耳にも届いていて、司令さんは背中を向けたまま、オーマイガーな格好をしてみせた。
「あ、そうそう」
司令さんは背中を向けたまま声を上げた。
「今日はテレビの取材が入るんだ。午後からは、見知らぬ人がお店に来るかもしれないけど、それは、そっち関係の人だと思うので」
「了解しました。せいぜい皆さんのことを持ち上げておきます。ね、あやさん」
「はい。たくさん持ち上げておきます!」
「よろしく頼みます。それと、なにか迷惑なことをされたら、ちゃんと僕に報告するようにね」
一体、どこのテレビ局が来るんだろう。少しだけ興味がわいた。
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