第十一話 体操して筋肉痛

 お風呂から出て、バスタオルで髪をふきながらパソコンの前に落ち着く。


「さて、と」


 遠慮なく質問してくださいと言われたものの、自分でなにも調べないで、質問するだけというのも芸がない。たまには自分から、自衛隊さんのことを調べてみようと、ネットにアクセスした。


「まずは、陸上自衛隊で検索してみるかな……」


 真っ先に出てきたのは、当然のことながら、陸上自衛隊の公式サイト。サイトをのぞいてみると、色々な部隊が全国各地にあるということがわかった。もちろん、私が通っている駐屯地も、その中に含まれている。そして、いくつか動画もアップロードされていて、幹部さんの一日とか、演習や災害派遣の時の様子などがあった。

 

「……ん?」


 サイトとは別に、検索に引っかかった色々な動画を見ていくうちに、妙なタイトルの動画を見つけた。


「自衛隊体操……?」


 興味をひかれて動画を再生してみると、お兄さんが一人、解説をしながら体操をしているものだった。どうやら、自衛隊の隊員さん達が、やっている体操らしい。


「ほんとにこんなの、してるのかな……」


 半信半疑のまま、動画を最後まで見た。見ている分にはラジオ体操のようなものだ。山南さん達が、やるような体操にはとても見えない。もしかして訓練前の、準備運動のようなものなんだろうか?


「これ、私でもやれそうだし、自衛官さん達にとっては、準備運動にもならないかも……」


 そんなことをつぶやきながら、試しに、お兄さんの解説にあわせて、その体操をやってみることにする。次に山南さん達と顔を合わせた時の、話のネタになるかもしれない、なんて考えながら。


「こ、こ、れ、は……っ」


 やり始めてすぐ、後悔することになった。見た目とは違って、この体操、かなりハードだ。ラジオ体操に毛がはえた程度だと思っていたら、とんでもなかった。でも、やり始めたからには、最後までやり遂げないと、話のネタにならない!


「いっ、息が、切れる……さすが、自衛隊体操……っ」


 本当になめてた。ごめんなさい、自衛隊体操。そんなに派手な動きはないと思っていたけれど、普段やり慣れていないせいか、お兄さんがするように体を動かすたびに、あちらこちらの筋が、ピキピキと言っているのが感じられた。


「いたたた……っ!!」


 前屈をしたら、太腿の後ろが悲鳴をあげる。


「わ、私、こんなに体が固かったっけ?!」


 たった五分程度の体操なのに、終わったとたんにその場にひっくり返ってしまった。


「こんなの体操じゃない! もう二度としない!!」


 画面をにらみながら、そう宣言した。動画の紹介には、さらにもう一つあった。


「海上自衛隊編とか! もう絶対にしないから!」



+++



 そして夜の後悔は、次の日も続くことになった。


「いたたたた、筋肉痛なんて何年ぶり?!」


 目覚まし時計を止めようと、手をのばしたところで思わず声が出る。たった五分の体操でこんな目に遭うなんて、信じられない。


「もー……運動不足にもほどがあるよ、私……」


 最近の生活は、電車を使わず原チャリでの移動ばかり。私の体は知らないうちに、鈍ってしまっていたらしい。


「もうちょっと運動しないと、ダメかな、これ……それにしても、痛い~~」


 運動するにしても、この筋肉痛がおさまってからだ。なんとか起きあがると、トイレに向かった。便座に座ろうとして、その場でうめく。太ももの後ろが引きつって、ありえない痛みが走る。


「もー、信じられないーー! トイレするにも不自由なんて!」


 壁と、タオル賭けにつかまって、なんとか便座に座る。


「はー……今日はトイレに行くのも命がけになりそう……」


 しかも朝から夕方まではバイトだ。


「大丈夫かな、今日のバイト……」


 まともに仕事ができる気がしない。憂鬱ゆううつな気分になって、ため息をついてしまった。



+++++



「おはよー……どうしたの、具合が悪そうだよ?」


 原チャリからなんとかおりたところで、声をかけられた。声がしたほうに向きたくても、わき腹が引きつって痛いので、そろそろと振り返る。


「あ、おはようございます……」


 なんとか体の向きを変える。そこには斎藤さいとうさんが立っていた。


「おはよう。顔色も悪いよ? ここ数日、急に気温が下がったからね。風邪でもひいたのかな?」

「いえ、風邪なんて、ここ十年ぐらい御無沙汰ですよ」

「そうかい? でも、いつものように元気いっぱいってふうには、見えないね」

「ええ、まあ。ちょっと筋肉痛でして。それより、斎藤さんこそ、こんな時間に珍しいですね」


 斎藤さんがお店に顔を出すのは、お休みの前日ぐらいなものだった。だから、こんな朝早くから顔を合わせるなんて、本当に珍しい。


「ああ、うん。昨日は外泊していてね。いま帰ってきたところ。ドーナツとコーヒーで朝飯にしようと」

「ドーナツとコーヒー。私の勝手なイメージなんですけど、自衛官さんらしくない朝ご飯ですね」


 どちらかと言えば、私の中での自衛官さんの朝ごはんは、ご飯に納豆、卵焼きに焼き鮭とお味噌汁系な感じだ。


「昨日の夜に見た、海外ドラマで、そんなシーンがあってね。無性に食べたくなったんだよ」

「なるほど。だったら、コーヒーマシーンのブレンドコーヒーがおすすめですよ。期間限定ですけど、どのサイズも30円引きです」

「おお、それはラッキー。ああ、山南やまなみ、おはようさん。朝から師団長のおつかいか? 可愛がられるってのも、しだな」


 斎藤さんが、私の後ろに顔を向けて、手をふる。


御厨みくりやさんに、なにかしたのか?」

「んなわけないだろ。そんな顔してにらむな」


 そんな顔って、どんな顔をしているのだろうと、そろそろと体の方向を変えた。


「具合が悪そうだ」


 私の動きがあまりにも妙だったせいか、山南さんは心配そうな顔をして、こっちを見下ろしている。


「ちょっとした筋肉痛なんだってさ。理由はまだ聞いてないけど」

「ちょっとどころじゃないような気がするけどな……大丈夫ですか? バイクで転倒したとか?」

「いえ、正真正銘の筋肉痛ですよ。昨日、ネットで自衛隊体操ってのを見つけたので、やってみたんですよ。そしたらこのざまです」


 事故じゃないとわかって安心したのか、山南さんは少しだけ表情をやわらげた。だけど、自衛隊体操のせいだとわかると、今度は山南さんだけではなく、斎藤さんまでもが呆れ果てた顔をした。


「なんでまた」

「だって、質問するばかりじゃ、芸がないじゃないですか。だから、自分でもネットで調べてみたんですよ。で、それを見つけたのでやってみたんです。そしたら」

「あれは俺達でも、きついからねえ……」


 斎藤さんが笑う。


「え、そうなんですか?!」

「御厨さんみたいに、筋肉痛にはならないけどね。あれは、素人向けの体操じゃないよ」

「動画、やる前に見なかったんですか?」

「見ましたよ。だけど見た感じ、そこまできつそうじゃなかったし」


 素人向けじゃないとか初耳だ。


「御厨さんには、陸自のより海自の体操をお勧めしますよ。あっちのほうがラジオ体操に近いので、体がぶっ壊れることはないと思うので」

「ぶっ壊れる……」

「壊れませんでしたか?」

「……あやうくトイレで、卒倒しそうになりました」

「でしょ?」


 山南さんが愉快そうな顔をした。


「笑いごとじゃないんですよ、山南さん。トイレに行くのも一苦労なんですよ? 今日はオムツしたほうが安心なんじゃないかって、ここに来る前から戦々恐々せんせんきょうきょうですよ……」

「それはお気の毒としか」


 二人ともどう見ても、面白がっている顔をしているようにしか見えない。


「意外と薄情ですね、山南さんも斎藤さんも」


 ムッとなったけれど、その場を立ち去るには、また痛い思いをして歩かなければならない。普段ならなんでもない距離なのに、今日は駐輪場からお店のバックヤードまでが、北海道から沖縄なみの距離に感じられた。


「薄情と言われちゃあ、何もしないわけにはいかないな。じゃあ、御厨さん、少しだけ助けてあげるよ。山南、そっちに行け」

「はい?」


 斎藤さんがニッコリ顔になって、山南さんにあっちて行くように手をふる。山南さんは、斎藤さんの意図を理解したらしく、そのまま言われたとおり移動した。私は二人に挟まれる形になった。


「助けるって、いったい、ひゃっ!!」


 山南さんと斎藤さんは、怪我人を抱きかかえるように私に腕を回して担ぎ上げると、そのまま駆け足で建物の玄関へと走っていく。ガクガクとなるたびに、背中やら足の筋肉に痛みが走った。


「あの、筋肉痛なんですってば! さっきまでの話、聞いてました?!」

「そろそろ歩くより、こうやって一気に走っていったほうが楽だよ! はい、到着!! ご乗車ありがとうございます!」


 気がついたら、お店の前だった。仰木おうぎさんが目を丸くして私達を見ている。


「おはよう。三人でどうしたの?」

「はようございます。御厨さん、筋肉痛なんだそうですよ」

「あらあら、それは大変。大丈夫?」

「……運ばれた振動で、泣きそうですけどね……」


 仰木さんに聞こえないように、ボソッとつぶやいた。


「ホットコーヒーが30円引きって本当ですか? さっき、御厨さんから聞いたんですが」


 斎藤さんは、私と山南さんをその場に残して、お店の中へと入っていく。そしてドーナツとコーヒーを頼んだ。


「本当にコーヒーとドーナツなんだ……」

「ところで、本当に大丈夫ですか?」


 山南さんが声をかけてきた。


「まあ、死にそうに痛いですけど、筋肉痛で死んだ人がいたなんて、今まで聞いたことないですし、大丈夫だと思います、多分」


 本当に多分、だけど。


「真面目な話、いきなりあの体操をしたのは、ちょっとまずかったですね」


 気の毒そうに笑った。


「陸上自衛隊編って言葉にのるんじゃなかったです。そう言えば、あの体操、陸上自衛隊さんと航空自衛隊さんは同じなのに、なんで海上自衛隊さんだけ違うんですか?」

「ああ、あれはね、海自は護衛艦や潜水艦の乗る隊員がいるからですよ。省スペースでできる体操になってるんです」


 なるほど、それで海上自衛隊だけが分かれていたのかと納得。


「あー、だったら、なおさらそっちにしておけば良かった! 家の中でやるなら、絶対にそっちのほうが向いてますよね」

「ラジオ体操に近いですからね、海自の体操は。まあ、もし気が向いたら、やってみてください。ああでも……」


 しばらく、なにやら思案する様子をみせる。


「御厨さんは、それより先に、準備運動を覚えたほうが良いかもしれないですね」

「え、そんなのあるんですか?!」

「動画を検索したら出てくると思いますよ」

「それを早く聞きたかった……」


 その場でガックリとなった。話のネタにはなったようだけれど、体操前の準備運動が必要だなんて、そんな話、聞いたことがないよ!

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