第十話 意外な使用目的

「あ、山南やまなみさん!」


 バイト時間が終わり、閉店まで入ることになっている学生さんと交替をした。外に出たところで、山南さんが歩いているのを見つけた。


「?」


 私の声に立ち止まり、不思議そうな顔をして、こっちを見ている。急いで走っていくと、手前で立ち止まった。


「呼び止めてしまってすみません。ちょっとお聞きしたいことが!」

「……なんでしょう?」

「いくつか質問があるんです。今、大丈夫ですか? って、寒そうですね……」


 山南さんは、いつもの緑色の迷彩柄のズボンに、似たような色の半袖Tシャツ姿、そして帽子をかぶっていた。最近は残暑がだらだらと続く年が多いとはいえ、もう季節は秋。さすがにこの時間にTシャツは、寒いのではないかと思う。


「体を動かしてますから問題なしです。どうかしましたか?」


 建物の向こうでは、走っている人達や、格闘技みたいなことをしている人達がおおぜいいる。とっくに就業時間は終わっていたけれど、まだ訓練中のようだ。


「大丈夫ですよ。今やってるのは、訓練というより自主トレみたいなものですから」


 私の視線に気がついたのか、山南さんはそう言って、にっこりと笑った。


「自主トレ」

「ええ。今日、防衛大臣が来られたのは知ってますか?」

「はい。コンビニでも、チョコと飲み物を買っていかれました」

「その大臣の前で、ちょっとしたデモンストレーションをしたんですが、いまいち納得できないデキだったのでね。それぞれが、どこが良くなかったのか、ああやって確認し合っているんですよ」


 言われてみれば、格闘技みたいなことだけでなく、銃のようなものを持って、話し合っている人の姿もある。それぞれが真剣な表情で、ああでもないこうでもないと、さまざまな議論をしているようだ。


「もしかして、師団長さんとか、えっと、ほら、先任さんでしたっけ? 上の人達に、ダメ出しをされたんですか?」

「まさか。師団長からも先任陸曹からも、なにも言われていませんよ。逆によくやったとほめられたぐらいです。だけどデキがイマイチだったのは、やった自分達が、一番よくわかっていることですからね」

「なるほど~~」


 なにをしたのかわからないけれど、自分達に厳しい人達なんだなと、感心した。


「それで? 聞きたいことってなんですか?」

「ああ、そうでした。聞きたいことは三つあります」

「はい」

「一つ目はドーランについて。二つ目はメイク落としのシートについて。三つめはストッキングについて。です!」


 私が三つの質問項目を宣言すると、山南さんはおかしそうに笑った。


「あー……二つ目と三つ目は、なんとなく理由がわかった気がします。質問をしたくなった原因は、尾形おがたですよね?」

「そうなんですよ!」


 きっと、山南さんも尾形さんが買ったものを見たに違いない。私がうなづくと、山南さんは「さて」とあごに手をやった。


「どれから答えましょうかね。尾形、今日はドーランは買ってないですよね?」

「私がここに来てからあれを買ったのは、山南さんだけですよ」

「なるほど」


 沈黙の時間が少しだけ続く。


御厨みくりやさん、このズボンが迷彩柄だってのはわかりますよね? その理由はわかりますか?」


 山南さんは、自分がはいているズボンを指さした。


「はい、それぐらいは。えーとたしか、その模様は、遠くから見ると草木にまぎれるので、相手に見つかりにくいんですよね?」

「正解です。それと同じことを、顔にするんですよ」


 顔を指でさされ、首をかしげる。


「迷彩柄をですか?」

「そうです。自分達は色白ではないですが、それでも顔はやはり目立ちます。だから、顔にも同じような色を塗るんですね。それに必要なのが、自分が店でドーランなんです」

「ってことは、あれには何色か入ってるってことですか?」


 ズボンの柄は、緑一色だけではない。濃い緑や薄い緑、さらには茶色。パッと見ただけでも、少なくとも三色だ。


「そうです」

「へー、こんな模様に塗るんですか?」


 ズボンの柄をのぞきこむ。


「まあ大雑把にいえば、これと同じですね」

「女性も、ですよね?」

「職種にもよりますが、もちろんです」


 これは好奇心がかき立てられる。塗る順番とか、決まった模様とかあるのだろうか? これは是非とも、塗るところを見てみたい。


「それは一度、塗るところを見せてもらいたいかも」

「機会があれば。一つ目はこれで解決ですね」

「はい!」


 「そして」と山南さんが言葉を続けた。


「二つ目は、ドーランと関係しているものなんですよ」

「あ、もしかして?」


 そこでピンとくる。メイク落しのシートの使い方がわかった気がした。


「そうです。ドーランを落とす時に使っているのが、メイク落としのシートなんですよ。俺達が使うドーランは、役者さんが舞台で使うドーランと同じで、顔を一度洗ったぐらいでは落ちないのでね」

「ってことは、けっこうギトギトなやつなんですね?」


 聞くだけでも、落すのが大変そうだ。


「かなりね。だから、あのシートはとても重宝するんですよ。最近の若い隊員は、クレンジングオイルも使ってますよ。スッキリ落ちるのと、肌に優しい成分がどうのこうのと言って」

「山南さんだってまだ若いじゃないですか」


 まだ三十歳前なのだ、いかつい見た目はともかく、十分に若いと思う。


「いやあ、自衛官になって七年ですからね。もう若いとは言えないかも」


 少しだけ残念そうな顔をして笑った。


「そんなことないです。三十前なら十分に若いですよ」

「そうですか? そんなこと言ってくれるの、御厨さんだけかもしれないなあ」


 私が力説すると、アハハと笑う。


「これで、二つ目までの謎は解決ですね。残りの一つですが……」

「どう考えても、最初の二つとは、つながらないんですけど」

「それは正しいです。こっちは俺達の顔とは関係ないですから」


 ドーランが少しでも落ちやすいように、石鹸を泡立てるために使うのかな?と思ったけれど、どうやら違うようだ。


「三つ目は、ここに使います」


 山南さんが、自分の足を指さした。


「足? え?! やっぱり履くんですか?!」


 でもあれはMサイズだった。尾形さんはそこまで大柄ではなかったけれど、伸縮性はあるとはいえ、さすがにMサイズのストッキングは無理な気が。


「違う違う。足じゃなくて、その外側のブーツ。靴やブーツを磨くのに、ちょうど良いんですよ、あれ。だから正解は、靴磨きに使う、ですね」

「あー……前にネットで読んだ生活の知恵に、それ、あった気がします。なるほど、靴磨きに使うのか」

「これはずっと昔からやってることですから、きっとネットより、自分達のほうが先だと思いますけどね」


 ニヤッと笑う。


「ただ、新品を使うのはもったいないでしょ? それもあって、古くなったのを奥さんからもらい受けるために、尾形は新しいのを買ったわけです」

「つまりトレードと」

「そんなところです。外で買ったら、変な人認定されるので、ここで買っているんですよ」

「私、認定しかけました」


 正直に白状すると、山南さんは愉快そうに笑った。


「まあ、御厨さんは知らなかったんだから、無理はないですけどね」


 自衛官さんて、意外なものを便利グッズとして使っているんだなあと、ますます感心してしまった。


「尾形のブーツも、俺のブーツと同じで今はドロドロですけど、夜にはピカピカに戻ってますよ。もちろん、自分達のブーツもですが」

「それって、身だしなみ大事ってやつですか?」

「そんなところですね」

「へえ……私のブーツもピカピカになるかな」

「たぶん? でも御厨さんなら、普通に靴磨きの布を使えば良いと思いますけどね。自分達は磨く頻度が高いから、安価で手軽に使えるものに落ち着いただけで」


 休みの日にでも、一度、試してみよう。


「あ、まさかここにいる全員が、使い古しのストッキングを使うわけじゃないですよね?」

「そりゃあ、独身の隊員も多いですから。自分も知識としては知っていますが、使っていませんし」

「さすがに、尾形さんの奥さんからはもらえませんものね……」

「尾形が使わせるわけないじゃないですか。嫁のモノは俺のモノなヤツだから」


 そう言って笑った。たしかに、いくら捨てるものだったとしても、旦那さんならともかく、他の人には渡したくないと、私でも思うものね。


「他になにかご質問は?」

「今のところありません。おかげさまで三つの謎が解決してスッキリです」

「それは良かった」


「あ、バイトさんだ!」

「バイトさーん!!」


 私達の前を、一緒に居酒屋に行った隊員さん達が、手を振りながら目の前を走っていく。


「山南三曹、先手必勝っすよー」

「バカ、自衛隊なんだ、専守防衛だろ?」

「えー、でもそこはやっぱり見敵必殺だろー?」


 なにやら意味不明なことを話しながら、走り去っていった。それを見送る山南さんは、舌打ちというかため息というか、とにかく、なんとも言えない顔をしている。そして私は、山南さんが自主トレ?と途中だったことを思い出した。


「あ、すみません、自主トレの途中だったんですよね! 呼び止めてしまって、すみませんでした!」

「いえいえ、お気になさらず。またなにか気になることがあったら、遠慮せずに質問してください。自分にわかることなら、いくらでもお答えしますから」

「ありがとうございます!」


 この調子だと、色々と聞きたいことが増えそうだ。


「では、気をつけて帰ってくださいね」

「はい! お先に失礼します!」


 山南さんは、隊員さん達を追って走っていき、私は駐輪場の原チャリも元へと向かった。ヘルメットをかぶって、エンジンをかけようとした時、向こうのほうから、さっきの隊員さん達がわーわー言いながら、全速力でダッシュしてくるのが見えた。


「?」


 さっきは呑気に手を振ってきたのに、今度は私のほうには目もくれず、全速力のまま通りすぎていく。そしてそばらくして、山南さんがリラックスした顔をして、ランニングをしながら戻ってきた。


「あの……?」

「お気をつけて」


 たったいま走り去っていった隊員さん達とは違い、山南さんはいたって普通だ。


「あ、はい。では」


 だけど質問をしてはいけない気がして、そのまま頭をさげると、エンジンをかけ、原チャリをスタートさせる。


「……まあ、見方によっては、けっこう楽しい職場かも」


 山南さんと他の隊員さん達になにが起きたのはわからないけれど、けっこう仲は良さそうだし、厳しいだけじゃないんだなと思った。

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