第九話 駐屯地のお客さん

 朝からホットドリンクを買っていたお客さん達がはけた後、急に客足が鈍くなったような気がした。今日は平日で就業時間中だし、普段から限られた人しか来ない場所だから、もともとお客さんがそこまで多いわけじゃない。だけど、今日はいつにもまして、少ないような気がする。


「なんだか今日は、お客さんが少なくないですか?」


 バックヤードで、売り上げのデータを打ち込んでいた仰木おうぎさんが、ひょっこり顔を出した。


「そう言えば、そうね。お給料日前でもないのに、珍しいわね」

「ですよねえ」


 お客さんがいない時間を利用して、お掃除をすることにする。バックヤードからモップを出してきたところで、お店に誰かが駆け込んできた。


「いらっしゃいませー。あ、司令さん」


 お店に入ってきたのは、駐屯地司令の永倉ながくらさんだった。


「ああ、おはよう。ちょっと探し物なんだ。髭剃りとシェービングフォーム、あるかな?」

「もちろんありますよ。この棚の向こう側です」

「ありがとう」


 せかせかした足取りで、商品が置かれている場所へと向かう。


「最近のはローマ字ばかりでわからんな、これか?」


 なんとなく怪しい雰囲気だったので、そっと様子をのぞいた。案の定、永倉さんが手に取ったのは、シェービングフォームではなく、制汗剤だ。


「それじゃなくて、シェービングフォームは、こっちです」


 その横に置かれているビンをさす。


「こっちか。ありがとう。それと髭剃りは、これだな。意外と安いな……」

「そりゃ、電動じゃないですからね、それ」

「なるほど」


 それを手にすると、レジへと向かったので、私もついていった。


「急にどうしたんですか?」

「ん? 今日は昼から、ここに来客があってね。そのことを、すっかり忘れていたんだよ。駐屯地司令が、不精髭をはやしたまま、お客さんの前に立ったら失礼だろう?」


 そう言って、自分のあごに手をやる。


「お髭、のびてるようには、見えませんけど?」

「念には念をいれておかないとね。身だしなみは大事だから」

「なるほど。駆け込んできたから、てっきり、先を越されないうちにって、プリンを買いに来たのかと思いましたよ」


 私がそう言うと、お財布を持つ手がピタリと止まった。


「……もしかして、まだあるのかい?」

「はい。師団長さんのおつかいの山南やまなみさんが買ったのは、今朝はココアだったので」

「なるほど。大野おおの陸将も、来客を出迎える準備で忙しいんだろうな。そうか。ちょっと待っててくれ」


 そう言うと、髭剃りとシェービングフォームを置いて、スイーツが置いてある場所へと引き返す。そしてプリンを二つ持って戻ってきた。その顔が、とても嬉しそうで可愛い。


「じゃあこれで、お会計をよろしく」

「はーい」


 レジに通し、レジ袋に入れる。


「スプーン、どうしますか?」

「二つ、入れておいてくれるかな」

「了解しました」


 引き出しからスプーンを出すと、それを袋に入れた。そしてお会計をする。


「じゃあね」

「ありがとうございました~」


 急ぎ足で戻っていく司令さんを見送る。


「さて、お掃除を再開、と」


 万が一、お客さんが前を通った時のために、商品の整理も念入りにしておこう。モップがけをしながら、限られた人しか来ないと平和だなあと、しみじみ感じた。前のバイト先も、比較的、平和だったけど、ここは別格だ。


「司令さんが慌てて髭剃りをして、師団長さんまで出迎えの準備をするなんて、一体どんなVIPが来るのかな……」


 少しだけ興味がわく。


「仰木さん、質問ですけど良いですか?」


 カウンター越しに、バックヤードに声をかけた。


「なあに?」


 声だけが返ってくる。


「駐屯地に来るお客さんて、一体どういう人が多いんですか? 司令さんが、大慌てで髭剃りを買いに来るような人ですけど」

「そうねえ。一番偉い人だと、総理大臣とか、外国の大統領さんや首相さんじゃないかしら?」

「え、そんな人まで来るんですか?!」


 外国の人まで来ると聞いて驚いた。


「私は詳しい事情はわからないけれど、この駐屯地が、視察するにはちょうど良い場所にあるかららしいわよ?」

「ちなみに、二番目に偉い人だと、どんな感じなんです?」

「防衛大臣とか副大臣さん? あとは、そっち関係の部会に所属している議員さんとか、そんな感じかしら。あとは、モニターさんかしらね」

「モニター?」


 これまた聞き慣れない言葉に、首をかしげる。


「商品のモニターみたいなものですか?」

「そんな感じ。行事やいろいろな自衛隊の施設を見学して、アンケートに答えたりするのよ。最近じゃあ、人気だって話ね」

「その手の人達にってことですか?」


 マニアさん達の存在が頭に浮かんだ。


「もちろん、真面目にやってる人のほうが多いと思うけどね」

「今日のお客さん、どれなんですかねー……」 

「さあ、誰なのかしら。有名人だと良いわよね、ほら、テレビの取材とか」


 床拭きを終えると、商品の消費未期限が切れているものがあるかどうかの、チェックに入る。スイーツ系は、期限切れ前にほぼ売り切れてしまうけど、スナック菓子などは要注意だ。たまにお客さんが、うっかり置いてある順番を変えてしまうので、油断ができない。だけど、ここは駐屯地内のお店。今日も、どの商品棚も順番が乱されることなく、きちんと並んでいた。


「ほんと。あきれるぐらい、きれいに並んでる。私が品出しした時よりも、きれいに並んでいるかも」


 ここのお店にいる限り、とんでもなく散らかった商品棚にお目にかかることは、当分なさそうだ。



+++++



 バイトの時間中は、途中の休憩時間以外、建物の外に出ることはなかった。だから、外でなにが起こっているかなんて、話を聞かせてもらうまでは、まったくわからない。それもあって、司令さんが慌てていた原因のお客さんも、どんな人が来ているのかわからないまま、その存在を半分ぐらい忘れていた。


「ん?」


 急に人の気配がしはじめた。しかも、さっきからお店の前を通りすぎていくのは、制服の人ではなく、背広姿の人達ばかり。


「もしかして、お客さん関係の人達……?」


 横目でチラチラとそれを見ながら、コーヒーマシンに貼りつけるポップを描いていると、慌てた様子でスーツ姿のお姉さんが駆け込んできた。


「すみません!」

「いらっしゃいませー」

「あの! ストッキング、ありますか?」

「あります。左手奥の棚です」

「ありがとうございます!」


 小走りに棚のほうへと向かう、チラリと足に電線が走っているのが見えた。そして戻ってくるとお会計をすませる。


「あの、こちらのお店は、店内にお手洗い、ないですよね?」

「あー、自衛隊さんのトイレを使っているんですよ」

「ですよねー……」

「あの、レジ袋をお渡ししますので、捨てるものはそこのゴミ箱に入れてください」


 ごみ箱つきのカウンターを指でさしながら言うと、お姉さんはあきらかに、ホッとした顔をした。


「助かります!」


 そう言って、お手洗いがあるほうへと走っていく。


「……今日はもしかして、駆け込みさんと、ストッキングの日? だったら、もうちょっと出しておいたほうが良いかな」


 ピンク色のマジックでポップの縁取りをして、それをマシンの角に貼りつけた。そしてバックヤードに入ると、在庫を置いてある棚から、お姉さんが買っていったストッキングをいくつか出して、棚に持っていく。


「おお、乱れている……」


 さっきのお姉さん、よほど慌てていたらしく、重ねてあった商品の列が乱れていた。


「陳列の乱れ、まさかこんなに早く見ることができるなんて」


 そんなことを呟きながら、思わず笑ってしまった。


「すみません、ありがとうございました! 助かりました!」

「いえいえ、お気になさらずー」


 お姉さんの声がしてから十分後、駐屯地に来ていたお客さんが誰か判明した。


「あ、防衛大臣さんだ……」


 大勢の人がわらわらと、お店にやってきた。広報の人が、説明をしながら店内の商品を一緒に見て回っている。その相手が、テレビで見たことがある議員さんで、今の防衛大臣をしている人だったのだ。


「……いらっしゃいませー……」


 ここに来るなら、司令さんも事前に知らせておいてくれたら良かったのにと、心の中でぼやく。


「お弁当は売ってないんだね」

「ああ、こちらには自衛官用の品物があるんだ」

「値段はどんな感じで決めてあるのかな?」


 見て回りながら様々な質問をし、それに広報の人が答えている。店内を一通り見た後、大臣さんは、ホットドリンクとチョコレートを持って、レジにやってきた。


―― えええ、買うの?! ――


 とは言え、ここで買うなら大臣もお客さんだ。お店の売り上げが一円でも増えるのはありがたい。


「電子マネーは使えますか?」


 大臣さんは、上着のポケットからお財布を出しながら、私にたずねたてきた。どうやら自腹らしい。


「あ、はい。ご利用できます。こちらにカードをタッチしてください」

「その点は、他のコンビニと同じだね。隊員達は現金払いがほとんど?」


 まさか質問をされるとは思っていなかったので、飛びあがりそうになる。


「そうですね。だいたいは皆さん、現金ですね。電子マネーを使っているかたも、いるにはいますけど」

「なるほどね。ここのバイトさんなんだよね?」

「はい。ちなみに、入隊希望の気持ちは微塵もありません」

「先回りされちゃったか、まいったな」

 

 うっかり口が滑ってしまったけれど、大臣さんは気を悪くした様子はなかった。アハハと笑いながら、カードをピッとタッチさせる。


「大人数で押し掛けてしまって申し訳ありませんでした。これからも、隊員達の厚生施設の維持に、ご協力お願いします」

「はい」


 大臣さんはニッコリほほ笑むと、大勢の人達を引き連れて、お店を出ていった。そしてその中にさっきのお姉さんがいることに気づく。お姉さんは私と目が合うと、会釈をして大臣さん達と立ち去った。


「……はぁ」


 人の気配が感じられなくなったところで、思いっ切り息をはく。


「びっくりしたぁ……変な汗、かいちゃったよ……」


 まさか自分が大臣さんと会話するなんて。芸能人と話をするより緊張したかもしれない。

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