第八話 そろそろホットドリンク

「おはようございまーす」

「おはよう」


 開店準備をしていた仰木おうぎさんが、顔をあげてニッコリとほほ笑んだ。


 24時間営業じゃないここは、開店準備と閉店準備を、オーナーの仰木さんが毎日やってくれている。そのおかげで、バイトの私達はとても楽をさせてもらっていた。こんなに条件が良いのに、なんで長続きしないんだろうと、本当に不思議でならない。


「今朝は、ずいぶんと涼しかったわね。さすがに残暑も、もう終わりかしら」

「もう九月ですからねー。バイクで走ってきたら、寒いぐらいでしたよ」


 そう言いながら時計を見た。勤務開始までには、もう少し時間がある。


「冷えちゃったので、カフェラテ一杯、お客さんしても良いですか?」

「どうぞ。サイズはどれにする?」

「Sサイズで」


 お金を払うと、コーヒーマシンに向かう。最初にこれが導入された時は、どうやって自分の飲みたいものを出したら良いのかわからなくて、ずいぶん迷ったものだ。


「最近のマシン、タッチパネルで、わかりやすくなりましたよね」

「そう? 私、いまだにチンプンカンプンよ。あ、ついでに私にも、お願いできる? アメリカンのSサイズで」

「了解でーす」


 カップを置きボタンを押す。しばらくすると、コーヒーのいい匂いが漂った。


「バカにできませんよねー、コンビニのコーヒーも。どうぞ」


 カウンターにカップを置く。


「ありがとう。そろそろドリンクもホットを増やした方が良いかしらね」

「ですね。それとスイーツ系は、そろそろ季節限定が出てくる時期ですよね。今から楽しみです」

「しばらくはまた、にぎやかになると思うわよ。ここの駐屯地、甘党さんが多いから」


 朝一に運び込まれたコンテナには、コードを読み込むのを待っているスイーツ達がぎっしり詰まっていた。もちろん、どこかの偉い人達が奪い合っているプリンもある。この量が、ほぼ廃棄されることなく売り切れるんだから、ここの駐屯地には、甘党さんが多いのは間違いないだろう。


「おはようございます」


 カフェラテを飲んでいると、挨拶する声がして、山南やまなみさんがお店にやってきた。久しぶりにその姿を見た気がする。ここしばらくは来店していなくて、プリン担当から解放されたのかと思っていたんだけれど。


「おはようございます。あ、プリンはまだ登録してないので、売れないんですが」

「いえ。今朝はプリンではなく、ココアを御所望なんですよ、うちの師団長」

「今朝は寒かったものね。そろそろスイーツからホットドリンクに、鞍替えかしら?」


 しかもココアとは。まだ一度も姿を見たことがないけれど、師団長さんは、かなりの甘党のようだ。


「ってことは、師団長さんと司令さんのプリン争奪戦は、しばらくお休みですか?」

「どうでしょう……うちの師団長は気まぐれなので」


 山南さんが、困ったように笑う。


「でも、ここ最近はプリンの購入ないんですよね。もう飽きちゃったのかなって、思ってました。そのおかげで、司令さんは喜んでますけど」


 そして司令さんの、嬉しそうにプリンを買っていく姿がまた、実に可愛いのだ。あの姿が見れなくなるのかと思うと、ちょっと残念。


「昨日まで自分達、冨士にいましたからね」

「出張だったんですか。それはそれは、ご苦労様です」


 仰木さんと山南さんが黙りこんだ。そして妙な空気が流れる。


「なんですか?」

「いや、うん、興味ない人にはそんなものなんだろうなって、実感しているところです」

「?」


 なんのことかわからず、首をかしげた。


「昨日まで、冨士の演習場で大きな演習をしてたのよ。ここの師団長さんも、そっちに行ってたのよね」

「はい」

「ああ、なるほど。それで山南さんも、行ってたってわけですね」


 どうりで姿を見かけなかったはずだ。


「そういうことです。もちろん居残り組もいたわけで、全員ってわけじゃないけどね」

尾形おがたさんと斎藤さいとうさんは、たまにいらっしゃってましたよ。なるほど、あのお二人は居残り組だったんですね。山南さん、演習、お疲れ様でした」

「いえいえ。ねぎらいのお言葉、ありがとうございます」


 話によると、それは一ヶ月ほど続く、陸上自衛隊の大規模な演習なんだそうだ。その中で何日か、一般の人が見学できる日があるらしく、その界隈では大人気で、見学席の応募の当選確率は、かなりの倍率らしい。で、私がその存在を知らなかったので、妙な空気が流れたというわけだ。


「あやさんも、一度は行ってみるべきね。陸自さんがどんな訓練をしているのか、よーくわかる演習だから」

「でも、すごい倍率なんでしょ? コンビニのくじですら当たらないのに、そんなのに当たるとは思えないですけど」


 仰木さんは、ニコニコしながら山南さんを見る。山南さんは、仰木さんと目があって焦ったような顔をした。


「え? 俺にはそんなコネはないですよ?」

「山南さんにはなくても、師団長さんなら招待枠を持ってるじゃない」

「ええ?!」

「お、仰木さん、そこまでしなくても」


 さすがに私もその言葉に慌てる。駐屯地のコンビニのバイトってだけで、自衛隊に特に興味があったわけじゃないのに、そこまでしてもらうのは、いくらなんでも申し訳なさすぎる。しかも、いまだに顔を合せたこともないのに。


「プリンのおつかいを頼むぐらいだもの、そのぐらいの話は、聞き入れてくれるんじゃないかしら? ほら、おつかいのお駄賃がわりに、請求してみるとか?」


 妥当な報酬だと思うけど?と、仰木さんは、可愛らしく首をかしげてみせた。


「上官に報酬を請求するのは、ちょっと……」

「でも、プリンを買いに来させるのも、いわば上官命令なんでしょ? ちょっと職権乱用すぎだと思わない?」

「仰木さん……」


 そんなことを話していたら、バイト開始の時間5分前になっていた。慌ててバックヤードに駆けこんで、ロッカーに荷物を放りこむ。そして制服の上着に袖を通しながら、お店に出た。そこではまだ、仰木さんと山南さんが、あれこれ話し込んでいる。


「まあ、話せる雰囲気だったら、話してみますよ。三等陸曹が陸将に頼みごとをするなんて、考えただけでも恐ろしいですけどね……」

「だから、そこは職権乱用じゃないですかって、もっていくのよ」

「いやいやいや……そんなこと、ますます恐ろしくて……」


 山南さんは、カップを受け取りコーヒーマシンの前に立つ。


「考えたら、コンビニのおつかいが上官命令って、すごいですよね」


 しかも山南さん、その命令で、ほぼ毎日ここに来店しているのだ。


「そうでも言わないと、勤務時間中に、コンビニに来るなんてできないでしょ?」

「え? ってことは、言葉のアヤってやつですか?」

「そうみたいよ?」


 はー……と感心していると、山南さんがカップにフタをして、こっちを見た。


「では、これで失礼します」

「お買い上げありがとうございまーす」


 そう言ってから、ふと思いつく。


「あの、山南さん。今日のプリン、私がお昼に買っても問題ないですかね。師団長さんと司令さんが奪い合うぐらいですし、どのぐらい美味しいか、気になります」


 私の問い掛けに、山南さんはその場で立ち止まり、考える素振りを見せた。


「あ、それはちょっと……。三時のおやつの時間まで待ってもらえませんか」

「りょうかいでーす」


 返事をしながら敬礼をする。


「……」


 立ち去りかけた山南さんが、急に足を止めると、いきなり引き返してきた。


御厨みくりやさん」

「は、はい?!」


 敬礼はまずかったかな?とビクビクしていると、いきなり手をとられる。そして手を顔の横で角度をつけた状態にされた。


「敬礼の角度は、こうです。さっきのは海自風ですから、陸自ここではダメです」

「え、あ、はい」


 なにがどうダメなんだろうと思いつつ、山南さんに言われた通りに、敬礼をしなおす。それを見た山南さんは、満足げにうなづくと、そのままお店を出ていった。


「現役自衛官に、指導されちゃったよ……」


 ボソッとつぶやいた私の横で、仰木さんが笑い転げていた。



+++



 そして、今朝が寒かったと感じたのは、私達だけではなかったようで、今日はコーヒーマシンを使う人や、ホットドリンクを買う隊員さんが多かった。


「あ、尾形さん、こんにちは」


 そんな人達にまじって、尾形さんもホットドリンクを買いにやってきた。尾形さんのお目当ては、ホット柚子。これもなかなかおすすめの商品だ。


「あー、御厨さん。朝からずっとかい?」

「平日の学生さんは、学校のほうが大事ですからね」

「それは大変だ」

「ここは、来店するお客さんが限られてるので、大したことないですよ。おかげさまで、店内の清掃もはかどります」


 お昼休み前には、ヒマな時間を見つけて床のモップがけもしたし、きちんと商品棚の整理整頓もした。これなら自衛官さん達にも文句をいわれないはずだ。


「なるほど。たしかに床がピカピカだ。あ、そうだ、今日は山南、ここに来た?」

「はい。朝一に。師団長さんのおつかいで、ココアを買っていかれましたよ。師団長さん、かなりの甘党さんなんですね」

「師団長ともなると、けっこう頭も使う役職らしくてね。俺の脳みそには、山盛りの糖分が必要なんだって、前に言ってたな」


 甘党なだけではなく、けっこうユーモアがある人かも。


「へー……。でも、山南さん、自分ではなにも買わないんですよね。あ、一度は、あれを買ったかな、ドーランてやつ」

「ドーラン、どんなふうに使うか知ってる?」

「いえ。一度、聞こうと思ってたんですよ、あれの使い道。尾形さん……」

「なら、今度、山南が来たら質問してみな」


 教えてもらえませんか?と言いかけたところで、言葉をさえぎられた。


「えー、今ここで教えてもらえないんですか」

「俺、ちょっと時間がないから」

「あ、まだお仕事中ですもんね。山南さんがおつかいに来た時、時間があるようなら聞いてみます」

「うん。それが良いと思うよ」


 そう言いながら、尾形さんがカウンターに置いたのは、ホットドリンクの他に、なぜかメイク落とし用シートと、女性用のストッキングだった。


「……?」

「あ、これについても、質問は山南によろしく」

「え?」

「なんでこんなものを買うんだろうって、顔してるよ?」


 私がレジに通している商品を指でさす。


「ここで買うってことは、奥さんではなく、尾形さんに必要なモノってことですよね?」

「さあ、どうなんだろうね」

「ここで質問したらダメなんですか? めっちゃ気になりますけど」

「俺はとても忙しいから、質問は山南に」

「山南さんだって、同じように忙しいと思いますけど……」

「まあまあ。そこは俺の事情ってことで」


 尾形さんの事情もわからないけど、駐屯地内のコンビニって、本当に謎な商品が多い……。

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