第七話 勝手にめざす脱営内?

「ところで御厨みくりやさん、カレシいるの?」


 尾形おがたさんがニコニコしながら、何気ない口調で質問をしてきた。そして私の横では、なぜか山南やまなみさんが、派手にビールを噴き出している。それを見た尾形さんは、顔をしかめながらおしぼりでテーブルを拭いた。


「きたねーな、山南。行儀が悪いぞ」

「うるさい、黙れ、既婚者」

「あ、そこでバラすのか」

「なんだ、バラされて困るのか」

「ご結婚されてるんですか?」


 尾形さんに質問をする。


「俺はね。ちなみにこいつらは、まだ悲しい独身」


 そう言いながら、山南さんと斎藤さいとうさんを指さした。


「指をさすな」

「誰が悲しい独身だ」

「営外は良いぞー。早く所帯もって、脱営内しろよー?」


 なにやら耳慣れない言葉が飛び出した。


「あの、エイガイってなんですか?」

「営外ってのは、駐屯地の外っていう意味ね。陸上自衛官は三十歳以下だと基本的に、駐屯地の中、つまり営内に住まなきゃいけないんだよ。ただ、既婚者はその中には含まれない。つまり結婚すれば、三十歳以下でも、駐屯地の外に住めるってわけだ。で、俺は結婚しているから、その営外住みってこと」

「なるほど」


 いろんな決まりがあるものだと、関心しながらうなづく。


「まあ、偉くなれば外で暮らせるようになるけど、独り身だと、営内のほうが楽ではあるんだよな。飯の心配もしなくて良いし、コンビニもあるから、門限とか諸々の縛りはあるけど、そんなに不自由なことはない」

「あ、ってことは、皆さん、三十歳以下ってことなんですね」


 気がついたことを口にたら、三人がショックを受けたような顔をした。


「え、もしかして、俺達、今の今まで三十超えてると思われてた?」

「あー……皆さん、そのぅ、いかついから、てっきり……」

「ま、そういうことを言うのは、御厨さんに限ったことじゃないですけどね」


 山南さんが、ため息まじりに言うと、斎藤さんは顔をしかめながら、山南さんを指でさす。


「なに、ものわかりの良いカピバラをよそおってるんだよ」

「だから、そのカピバラはよせと言ってるだろ」


 二人が言い合いを始めてしまったので、あらあらと思いながら、目の前にやってきた大皿から、唐揚げをそれぞれのお皿に取り分けた。


「冷めないうちにどーぞー……」

「ああ、それで横道にそれたけど、質問の続き。御厨さんはカレシがいるの?」


 ギャーギャー言い合っている横で、尾形さんが質問を再開した。


「カレシですか? 今のところ、いませんけど……」

「それは、ほしくなくていないのか、ほしいのにいないのか、どっち?」


 さらに質問をされ、首をかしげてしまった。


「どっちと言われても……あまり考えたことなくて、気がついたら、カレシいない歴イコールうまれた年になってまして」

「あ、御厨さん、おいくつ? 答えたくなかったらスルーでかまわないけど」

「二十一です。ただいま就職浪人中のバイトさんですね。あ、自衛隊に入隊する予定はありません」


 先回りして宣言をしておく。すると、尾形さんはニヤッと笑った。


「ははーん、その口調からして、あっちこっちで勧誘されたね?」

「面接に来た時に、色々な人から」

「うちは、どこの駐屯地も人が不足してるからねえ。入隊しても、しばらくしたら辞めていくのも多いし」


 ため息をつきながら、枝豆をつまむ。


「人がいなくてブラックなんですか?」

「どうかな。俺達はそうは思っていないけど、若いのが入ってきても続かないということは、そういうのもあるのかな。少なくとも、訓練はきついし、上官は厳しいからね」

「なるほど」

「それで? 自衛官のカレシ君なんてどうよ。時間的に色々と縛られるし、ロクにデートもできないけど」


 そう言って、言い合いをしている山南さんと斎藤さんに向けて、あごをクイッとした。


「どうなんでしょう。今のところ、カレシさんがほしいとは、特に考えてないんで」

「へえ。今の子ってそういう子が多いのかな」

「それこそ、どうでしょうか」


 短大の友達には、付き合っている人がいる子のほうが多かった。だけど、それを聞いても、特に焦る気分にもならなかったし、今も、それほど切実にカレシがほしいとは感じていない。


「うちの若い連中も、カノジョがいなくても、まったく焦る様子も見せなくてね。先輩としては心配なわけ。ま、下の連中が焦らないのは、年上の先輩が、カノジョを作らずに、呑気にしているせいなのかもしれないと思ってね」

「それで、山南さんと斎藤さんを、あっちこっちで紹介してるんですか?」

「あっちこっちじゃないよ。自衛官のカノジョになるには、それなりの覚悟が必要だ。そこから嫁になるなら、なおさらね。だから、それなりに人となりは見極めているつもり」

「初めて会ったばかりなのに?」

「こう見えても俺、人を見る目はあるから」


 ニッコリと笑う。そこで斎藤さんが、こっちに意識を向けた。


「おい、尾形。俺には少なくともカノジョがいる。まだ結婚の話が出てないだけだ。山南と一緒にするな」

「なんだ、聞いてたのか」

「聞いてたのかじゃない。俺にはカノジョがいる。御厨さん、俺はとっくに売約済みだからね」


 斎藤さんは私のほうに顔を向けて、少しだけ怖い顔をした。


「最近まったく話に出てこないから、てっきりふられたかと思ってた。そりゃすまない。ってことで、今のおすすめは、山南三等陸曹君ってことで。それなりに顔も整っているし、なかなかのお買い得だよ?」

「俺を商品あつかいするな」


 山南さんも少しだけ怖い顔をする。


「御厨さん、こいつの言うことを、真に受けることはないですからね。適当に、聞き流しておいてください」

「なんだよ、まだそんな堅苦しい敬語つかうのか? どこまでカピバラモードを続ける気なんだよ」

「うるさい、だまれ」


 今度はかなり怖い顔になった。だけど尾形さんはそんな顔に慣れっこなのか、まったく気にしていない様子だ。


「どうかなあ、御厨さん。こいつ、基本はカピバラだし、たまに曲者くせものなカピバラになるけど、良いヤツだよ? 一応、国家公務員だし、今のところ辞めるつもりもないし、なかなかお得だと思うんだけど。どうかなー?」

「だから尾形……」

「今のところ、私も、カレシさんは募集してないので……」

「そうなのか。じゃあ、しかたないね。脱営内を目指すにしても、無理に押し売りするわけにもいかないし。でも、その気になったら、いつでもアタックしてやって」


 尾形さんのニコニコ顔を見ていると、本気なのか冗談なのか、まったく判断がつかなかった。


「本気にしなくても良いですから。ここはひたすら、スルーってことで」

「あ、はい」


 山南さんは、真面目な顔をして言った。こっちはどうやら本気のようだ。



+++++



「今夜は急にお誘いして、本当に申し訳ありませんでした」


 アパートが見えてきたところで、それまで黙って歩いていた山南さんが、ボソッとつぶやいた。門限もあるだろうから、駐屯地最寄りの駅まででかまわないと言ったのに、山南さんは、遅い時間だから自宅まで送ると言って、ゆずらなかったのだ。


「いえいえ。こちらこそ、歓迎会をありがとうございました。楽しかったです」

「歓迎会ねえ……」


 私の言葉に、複雑な顔をする。


「ま、途中から、完全に忘れられちゃってましたけどね」


 結局お店でお会計をする時まで、山南さん達三人以外からは、すっかり忘れられたままだった。ただ、顔は忘れていなかったらしく、解散した時は、「バイトさーん、お気をつけてー」と陽気に見送ってくれたけど。


「もうしわけない。男ばかりでいることが多いので、女性のゲストに対する気遣いが、まったくできてなくて」

「でも、女性の隊員さんもいますよね?」


 女子会をするのだと、コンビニでお菓子をいっぱい買い込んでいた、隊員さん達を思い浮かべる。


「彼女達は自衛官ですから。自分が言ったのは、民間の女性に対してってことです」

「なるほど。でも皆さん、楽しそうでしたし。それにあのお店、すごく美味しかったです」

「それは良かった」


 私の言葉に、少しだけ安心したようだ。


「それと、送迎もありがとうございます。門限は大丈夫ですか? あっちの駅までで、かまわなかったのに」


 たしか三十分前にはどうとかこうとか、仰木おうぎさんに言っていたはず。


「いえ。誘ったのはこちらですし、最近は物騒になりましたから。門限のことはお気になさらず。ちゃんと時間までには、自分の部屋に駆け込みます。まあ間に合わなければ……斎藤がなんとかしてくれるでしょう」

「ぇぇぇぇ……」


 大丈夫かなと心配になったけれど、本人の顔つきからして、きっと大丈夫なんだろう、多分。


「あ、ここが私が住んでるアパートです。自衛隊さんとこに比べたら、小さな建物でしょ?」


 建物を指でさす。二階建て、学生さんや近くの病院の看護師さん達が住む、総世帯数10世帯の小さなアパートだ。


「集団で生活している自分達にとっては、小さくても一国一城の主がうらやましいですよ」

「ま、たしかに、好きなだけ寝ていられるし、好きなことできますからね~」


 駐屯地の中では一体、どんな部屋ですごし、どんな生活をしているのだろうかと、少しだけ興味がわいた。だけどここで質問をしたら、きっと門限に遅れてしまう。この質問は、日をあらためたほうが良さそうだ。


「では、ここで失礼します。おやすみなさい、それと、ごちそうさまでした」

「こちらこそ。バイクとヘルメットは心配しないでください。自分が責任をもって、駐輪場に戻しておきますから」

「お願いします。気をつけて帰ってくださいね」

「はい。では」


 山南さんは敬礼をすると、クルリと背を向けて、いま来た道を引き返していった。後ろ姿は背筋がピッとのびていて、まさに自衛官という雰囲気だった。


「ま、あの雰囲気だったら、下手に襲い掛かろうなんて思う人間は、いないかな……」


 遠ざかっていく背中をもう一度見てから、階段をあがる。明日と明後日あさってはバイトはお休み。洗濯とお掃除がすんだら、テレビでも見ながら、のんびりすごすとしよう。

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