みつあみ

@1640

第1話

 ある衒学者が物語る。

 今よりちょっと昔の、旅客機が音速で飛んでいた時代。都心に行けばイントネーションの違いを指差して笑われる、そんな地方に住む女生徒の話。


 女生徒の名前は立花音子。将来を決めかねている娘だ。

 部屋で一人、学校に行く支度を済ませ、鏡の前で肩まで伸びた黒髪をつまんだり、持ち上げたり、引っ張ったりしている。

 鏡に映る表情はどうにも楽しんでいる様子じゃない。髪やヒゲを伸ばすのは力の象徴だ。力には見せつける。見せかける。の二つがある。

 学校にはもれなく指定の制服がある。目立ちたいなら良いことよりも悪いことをするほうが他人の気が引けるけど、出るクイを打つための校則が認めない。

 音子の身なりは校則に沿った、世間からはマジメとホメられる生徒の一人だ。それで本人が喜ぶわけではないけど。

「音子、ご飯が冷めちゃうよ」

 母の呼ぶ声で居間に下りればテーブルに一人分の朝食が置いてある。

 母はテレビの報道番組に夢中だ。スポーツ選手の試合結果に一喜一憂している。観戦、応援、自分では出来ないこと、成しえなかったことを才能ある者にたくす。同じ境遇の人々とテレビを通じての一体感。娯楽というにはさみしいものである。

 そんな母の背に音子は挨拶をすることなく、静かに食事を始めた。

「昨日、学校でケンカがあったんだって。女の子が上級生の男の子を殴ったとか。あんたのクラスの子じゃないでしょうね」

 振り返った母と顔を合わすも、音子はなにも答えない。

 親子特有の距離感、親なら子の悩みを理解して当たり前、必要以上に意思の疎通を願っているが故の弊害だ。そんな認識のズレで母は追求を止めた。

 ごく一般の家庭で親が子に望むことはささやかなもの。大きなケガや病気をせず、人様に迷惑をかけない。世間を騒がすスポーツ選手ほどの期待はない。自分の遺伝子を受け継いでいるのだから、人生の反省になってしまう。

 土を耕していた頃なら子供は労働力だったが、文明が開化した後は老後の支えになるかも怪しい。親から期待されない子というのも、さみしいものである。

 朝食を食べ終えた音子は弁当をカバンに詰め込み、そっと玄関へ向かう。

「ほら、そこに座って」

 靴をはいたところで母がやってきた。音子は言われるままに玄関のフチに腰を下ろす。その背後で両ヒザを付いた母が娘の髪をすくい、持っていたクシを数回通した。そうして手早くみつあみを作るのだ。

「さあ、出来た。いってらっしゃい」

 得意げな母は音子の肩を叩いて送り出す。

 朝、母が娘の髪をみつあみにする。物心付いたころから続く親子の日課だ。今では親から自立できないわずらわしさの印になっているが、それを強く拒めない自分を嫌っている。ささやかな無言の反抗期に迎えるわけだ。

 反抗期は巣立ちの兆候なのか、親の愛情に子が答えられず、耐え切れなくなることか。

 善意は与えるものでなく受け入れるものだ。目に前で助けを求められたときにだけ手を差し出せばいい。そうでなければ、押し付けと勘違いされ、離れてしまう。


 音子が向かった先は開店前の小さな薬局店。数台分の駐車場で同じ制服を着た女生徒が体をのばしてストレッチをしていた。待ち合わせの同級生、江夏千絵だ。

 千絵が音子に気づき、飛びつきそうな勢いで駆け寄っていく。

「おはよう、ネコ」

 千絵は音子のことをネコと呼ぶ。挨拶を交わした二人は並んで学校へ向かう。

 千絵の髪はクラスのおしゃれな男子より短い。性格も男勝りで刑事モノなら銃撃戦、時代劇ならチャンバラで解決するドラマを好む。襲い掛かってくる相手の武器だけを弾き飛ばし、怪我はさせない。そんな子供っぽい美徳を持っている。朝食のときの話題、上級生の男子とケンカした女の子だ。

 実家がトレーニングジムを経営していて店の手伝いをしているうちに利用者に気に入られ、格闘技の選手などから護身術の手ほどきを受けている。腕力はないが人間の急所を心得ているので痛みに耐性のない相手をわずかな刺激で無力化できる。よって髪を伸ばして力を誇示する必要がない。

 力は勝利のためじゃない。最大の敗北を先延ばしする余裕を得るためだ。

 音子も千絵の家へ遊びに行ったときにジムに案内された。屈強な大人の男性たちがうめき声を上げながら額に汗している様子は地獄絵図にしか見えなかった。そんな人たちとすれ違うことが怖くなり、トイレを借りることも出来ずに年の離れた千絵の妹、利奈の人形遊びに付き合っていた。

 道すがらに音子はケンカ騒動のことをそれとなく問うた。千絵は「ヘーキ。ヘーキ」と笑って右手コブシを突き出した。

 年下の女子にケンカで負けた。男子にとっては話題にされたくないだろう。そんな意向もあって学校側も公な処分は控えた。

 ケンカ騒動は学校中に知れ渡っていたが、千絵にはもともとそういったウワサや気があった。想定内であるなら事件ではないようだ。当事者の一人が登校してきても騒ぎにならない。昇降口ではむしろ英雄視されている感じだった。

「じゃ、ネコ。またお昼に」

 階段を上がったところで音子と千絵は左右に別れる。

 教室に入った音子は、数人と短い声かけをして自分の席に着いた。

 学校とは学ぶ場ではなく慣れる場なのだが、音子は集団生活に苦手意識がある。人付き合いを頭で考えてしまう。同級生との何気ない雑談でも慎重に答えを選んでしまうのだ。寂しがり屋なので愛想は良いのだが、自分から輪の中に入ろうとはしない。

 買ったときに付いていた液晶画面の保護フィルターをいつまでも剥がさずにいる。そんな感じだ。人は人と関わることで劣化していくと本能で思っているのだろう。

 出来る限り脳を使わないよう、教室の誰にも、どこにもピントを合わさず、ぼんやりと過ごす。


 昼休みのチャイムが鳴った。

「ネコ、行くよ」

 廊下から千絵が呼びかけると音子はカバンを持って教室を出た。

 二人の向かった先は視聴覚準備室。広さは教室の半分くらい。真ん中に机を寄せ、数人の女生徒がくつろいだ姿勢で雑談をしていた。

「アンタら、また授業サボってたな」

 そう声をかけた千絵が空席にこし掛け、となりに音子が座る。

 集まっているのは髪を染めたり、光り物を身につけたり、校則に反した身なりをしている、いわゆる不良生徒だ。みんなとは違う優越感でアウトローを気取っている。

 同級生だけどクラスメイトとは違う。千絵を介したグループが昼休みをここで過ごす。机には持ち寄ったお菓子やら雑誌が散らかっている。持ち込みは当然、校則違反だ。

 世の中には二種類の人間がいる。自分のことを話したがる人間と他人のことを聞きたがる人間だ。ここにいる生徒は前者ばかり。

 引っ込み思案な音子がそんな流れに乗れるわけがなく、黙々と弁当を平らげて、雑誌を眺めていた。

 ここでの会話に仲間意識の同調はあれど、誰かの発言に興味を示すことはない。へぇ、そうなんだ、ところでさ、軽い相づちだけでコロコロ変わる話題が、音子にはテレビのコント番組よりも面白く聞こえるのだ。

「ネコ、髪型を変えちゃうの」

 音子はヘアースタイルを特集しているページを開いていて、となりの千絵が覗き込む。

 熱心に読んでいたため、声をかけられるまで気づかなかった音子は反射的に雑誌を閉じた。

 打ち明けにくい悩みがある。自分にとっては深刻でも、他人からすれば大したものではない。ガラクタを大事に抱えているだけとわかっているからだ。

「立花さ、いつも髪上手に編んでるよね。自分でやってるの」

 他の女生徒の一言で話題の中心が音子になった。

「あたしも編んでもらおうかな」

 音子は愛想笑いを浮かべて返事を保留する。親にしてもらっているなんて恥ずかしくて言えないのだ。

「そういえば、林間学校のときは髪解いていたよね」

「へぇ、見てみたいな。それと前髪分けたら似合うんじゃない。誰か髪留め貸して」

 音子の動向に関係なくエサに群がる。おもちゃを取り合う。そんな感じで周りが盛り上がっていく。

 背後から肩を押さえられ、母親以外の手がみつあみに触ろうとする。

 友人に求めるものはなんだろう。共通の知識か。新しい刺激か。ずっと続いてきた習慣が気まぐれで壊される。

 母親との縛りから解放されるかもしれない。

 音子の陥った状況、恐れと期待は昼休みの終わりを知られるチャイムに妨げられた。

「アンタたちも教室に戻りな。ここに居座っていたらカギかけられて、使えなくなっちゃうよ」

 千絵がけしかけて不良たちを部屋から追い出す。一人が去り際、まだ雑誌を手にしている音子に声をかけた。

「立花。その本、気に入ったのならあげるよ」

 もう姿の見えなくなった相手に音子は感謝をつぶやいた。


 時の流れは一定じゃない。重さや速さで変化する。

 楽しくて気分が軽いとき、時間は早く進む。悔しくて気分が重いときには遅くなる。これが相対性理論だ。

 音子にとっては長い(物理的には何億分の一秒の差で体感できない)午後の授業が終わり、放課後となった。

 音子と千絵は並んで下校する。

 部活に興味ない音子と、ジムの手伝いをしている千絵は帰り道が一緒だった。クラスの違う二人の出会いはそんな経緯になる。

「家に寄ってかない。妹が会いたがっているんだよね」

 家と言われても音子がイメージするのは、汗と熱気の苦手なスポーツジムだ。苦笑いで返事を先延ばしにする。

 帰宅路を半分過ぎたところで一声上げた音子が立ち止まる。教室に雑誌を置いてきたことに気づいて、それを取りに行く口実で千絵の誘いを断れると思いついた。

 一緒に戻ろうとする千絵に一人で大丈夫だよ。と手を振り、早足で学校へ向かう。


 学校に着いた音子は、運動部でいっぱいな校庭のにぎわいにまぎれて校舎に入る。

 人の気配がない長い廊下は不気味で自由と恐怖の冒険心をくすぐる。一人になることで自身の本質を見直す。

 選択、判断、自分自身を信じれるかどうか。集団になれば多数に反映される。責任を意識して孤独になっていくのだ。

 音子のささやかな選択は誰もいない教室に足を運ぶ。自分の机棚に忍ばせていた雑誌を引っ張り出す。

 あとは帰るだけなのだが他人の視線がない教室で、いらずらな誘惑に駆られて着席するとゆっくり雑誌のページを開いた。普段出来ないことに気分が高鳴る。

 いたずらの心理は手品と同じようなものだ。軽いものならすぐにタネ明かしをしてしまう。手が込んでいれば相手の反応をじっくりと観察したくなる。

 このときの音子の心理はいたずらと違う。誰にも知られたくない手品でイカサマというのが正しい。

「まだ人が居たよ」

 だから死角からの声で音子は追い詰められた犯人になってしまう。

 教室の開いた扉から男子が顔を覗かせていた。音子の知らない生徒だ。先生ではなかったことに安堵するが、不安はぬぐいきれない。

「このクラスの生徒だよね」

 そう言って男子が音子の席前に歩み寄ってくる。自分の空想世界に浸っていた音子には、その男子がテレビ画面の向かうから話しかけているように思えた。

「オレは中江悟。転校生だよ」

 放課後の転校生、不釣合いな響きにつままれている音子の反応は悪い。男子生徒、悟は踏み込んで質問をする。

「本当は来週だけどね。えっと、キミは」

 名前をたずねられていると察した音子はとっさに自分の名を告げる。学校だからこその現象だ。普通、知らない人に苗字は答えない。

「タチバナ、名前はどう書くの。ひらがなとか」

 音子は机からノートを取り出し、そこに書かれている氏名を見せた。こうも素直に応じるのは校則違反をしていた後ろめたさがあるのだろう。

 悟は関心のため息つき、何度もあごを引いてノートの文字を眺める。そして口元を緩めた。

「ネコ、だね」

 目覚めれば忘れている夢の内容を思い出す感じか。音子は驚きで大きくうなずく。クイズに正解したように悟は気合の声と握りこぶしを上げる。その動作で時計が視界に入った。

「っと、そうゆっくりともしていられないか」

 約束の時間が来ていたようだ。悟が音子から離れて教室を出て行く。

「ああ、そうだ。オレは今のままが一番似合っていると思うよ」

 悟は戸口で首元で指先を回す。

 短くも長い時間が過ぎ、教室に残された音子が夢心地から机に目を落とすと雑誌は髪形特集しているページが開いていた。悟の仕草が自分の髪のことだとわかって顔に熱がこもる。

 運任せに埋めていったテストのマークシートがクラスで一人だけ全問正解だとほめられた時の恥ずかしさ。音子はむずかゆい気持ちを抑えるよう、みつあみをつかんで机に突っ伏した。


「最近、クシの通りが良いわね」

 朝の日課で母がつぶやいた。

「なにか良いことがあったの」

 登校のときに千絵が問いかけた。

 そのたびに音子は感情を表に出さないよう勤めていたが、自分でも足取りの軽さを感じていた。

 何年も抱えていた劣等感がたった一言で解消されてしまう。食べ物と違って、髪形や服装は他人の意見で好みが変わっていく。赤いという理由でニンジンやトマトを嫌っているわけではない。

 クラスに転校生がやってきます。音子が悟に会った次の日、担任が一言だけそう伝えた。サプライズなのか、情報が伏せられていたので男子なのか女子なのかとウワサが教室のあちこちで立つ。すでに悟を知っている音子には話題の新商品を発売前に入手した優越感があった。時代を先取り、タイムスリップをしている気分だ。これほどに待ち遠しい月曜日があっただろうか。シャナリ、シャナリとみつあみが浮かれていた。


 昇降口で上履きに履き替えた音子は玄関口から教頭先生に連れられてくる生徒に気づく。それが悟だとすぐにわかった。悟のほうも音子を見つけてすれ違いざまに手を振り、職員室のほうへと歩いていく。

「今の誰だっけ」

 千絵が悟の背に不振な目を向けた。音子はほころびそうな口元をつぐんで階段を駆け上がる。

 教室には新しい机が用意されていた。窓側黒板近くの席から転校生が男子であることが判明、目撃情報もささやかれる。

 始業のチャイムが鳴り、新しいクラスメイトを待ち構えるよう教室は息を潜める。担任に続いて悟が教室に入ってきた。一目、音子を確認すると生徒たちの品定めする視線を一身に受けながらも緊張はなく、朗らかに笑みを返す。

「中江悟です。よろしくどうぞ」

 担任の簡単な紹介に、悟も一言で挨拶を済ませる。

 悟にとっては新しい環境は不安よりも期待を高める。追われてきたのではなく求めてきた。生態系の上位に位置する考えだ。

 人間は群れる動物だ。一人で生きていくことは出来ない。だから敵意よりも好意に敏感だ。融和はわずかな言葉や態度ですぐに伝わる。

 一時限目が終われば隣の席の生徒と談笑し、二時限目の後には数人に囲まれて笑いあっている。アッという間に友達を作っていく悟を音子は自席から盗み見ていた。

 隣の県から引っ越してきたこと、母親の実家から通っていること、前の学校ではサッカーをやっていたこと、音子の耳に悟の身の上話が届く。クラスの誰よりも早く悟のことを知ったはずなのに、今ではすっかり置いてきぼりだ。登校にときの浮かれ具合を恥じてしまう。

 あのときの、放課後の出会いは特別なものじゃなかった。感情もまた物理的な法則に従う。落胆に首筋のみつあみが重くなる。長い時間が音子にのしかかって来る。


 昼休みになった。音子はいつものように準備室へ行こうとカバンを取る。

「ネコ。オレのこと、覚えてるよな」

 不意の声に顔を上げたら、屈んで目の高さを合わせた悟がすぐぞばにいた。

 とっさにうなずく音子を見て、悟は口元をゆるめた。

 平静を装っている音子だけど、内心は散歩の時間になった犬のようにはしゃいでいるだろう。ほえて飛びつきたい衝動に駆られている。

 空腹で飢えていたわけじゃない。幼少のころに読み親しんだ冒険物語のヒーローと悟が重なる。童心に帰る。そんな感傷に浸っていた。

 十数年の記憶、数億年の遺伝、安らぎにゆれていた火が恐怖をまとって燃え盛るよう、高鳴る鼓動で悟の話をうまく聞き取れない音子は、なんどもうなずくだけだった。

 その後の時間は認識よりも早く過ぎていく。音子にとっては楽しい時間であったのだろう。床についてからも胸中で火はくすぶり続ける。心地よいザワつきでなかなか眠れない音子であった。

 

「音子。アンタ、私のシャンプー使ってるでしょ」

 朝、娘の髪を結いながら母親が嬉しそうに怒った。


「ネコ。カエサルのこと知ってたの」

 通学路を歩きながら千絵に問われ、音子は首をかしげた。

「転校生だよ。なカエサとル。昨日、仲良さそうに話してたじゃん」

 昨日、姿を見せなかったのはアダ名を考えていたからか。音子は苦笑いで答えた。

 視線を進行方向へ戻す音子は、前を行く男子生徒の集団に悟の姿を見つけて歩みを緩める。千絵も悟の存在に気づいた。

「カエサルッ」

 そう叫んだ千絵は早歩きで前方の集団に向かう。男子生徒の何人かが千絵の接近に気づく。

「カエサルッ」

 千絵が再び叫んだところで男子生徒たちはチリヂリになって逃げ出した。取り残されて立ち止まっている悟へ歩み寄る。

「カエサルって、オレのことか」

 急転直下、一触即発な二人の雰囲気に音子は距離を置いて成り行きを見守るしかなかった。

 ケンカの仲裁なんて、仕事か家族かの優先順を迫られていることと変わりない。どちらを選んでも下り坂だ。千絵の背後で立ち往生している音子が悟の視界に入った。

「あぁ、お前が江夏千絵か」

 悟に指差された千絵は一歩後ずさる。

「なんでアタシの名前を知ってるんだよ」

「さっき言ってたからな。ネコに近づくときは江夏千絵に気をつけろって」

「ネコォ」

 千絵の声が裏返る。

「立花のことだよ。ほら」

 悟はそう言って指先を音子に向けた。

「人を指差すんじゃない」

 千絵はすばやく悟の指をつかんだ。すると悟は悲鳴を上げて体をそらす。千絵は片ヒザを付いた悟の指先をつまんでいるだけだ。それだけで相手の挙動を支配することができる。その様子を遠巻きに生徒たちが抜けていく。

「ネコに近づくってことはこうなるってことよ」

 したり顔の千絵が指先をひねる。悟はうめきながらますます身をかがめていく。

「やっぱり、ネコって言うんだ」

 悟は一言つぶやき、それで意を決したよう強引に体を起こす。

 今度は千絵が悲鳴を上げ、とっさに手を離して身を引く。そのときの慌てようを音子は見たことがなかった。

「バカッ。指折れたらどうすんだよ」

「そうならないように手を離してくれたんだろ」

「ネコォッ。なんなの、こいつは」

 悟にしたり顔を返されて戸惑う千絵が音子に振り向き、助けを求める。二人に駆け寄った音子が、雑誌を取りに行った教室で偶然に会っただけで面識はないと説明する。

「それだけでネコに目をつけたって言うの」

「オレには、それだけのわけじゃないけどな」

 悟はすいぶんと昔のことを話し出した。母親が音子たちの通う学校の卒業生で、正月や盆休みの長期休暇には決まって実家に帰郷していた。

「墓参りに行くときの河原でみつあみをした子をよく見かけて、それが印象に残っているんだ。だからあのときは、ネコがそのときの子だと思ったんだよ」

 その話を聞いて、音子は釣り好きの祖父と河原へ行っていた日々を思い出す。石ころ並べて生簀を作り、釣った魚を泳がせて遊んでいた。近くには墓地へ向かう橋が架かっていた。

 時間の巻き戻る感覚が訪れ、音子の脳裏で放課後と河原の場面が、みつあみが引き合わせた年月をつなげていく。

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