『慈悲』と『死』

 クリードの手を『慈悲』ことフローレンスは振り払う。

 自分の手をさすり、冷たい目で目の前にいるアサシンを見た。

 フードのせいで顔が見えない。だが、目の前のアサシンが誰とかはどうでもいい。フローレンスの任務は、第三王女ラスピルの暗殺だ。

 すると、フローレンスは口を歪め───消えた。


『ふふ、まぁいいわ。アサシン……あなたの死はもう決定している。第三王女ラスピルと一緒に、この『幻惑』の中で消えなさい』

「…………」


 幻惑。

 それがフローレンスのスキル。

 周囲の景色が歪んでいく。崖下だったのに黒い森に変わり、コウモリが何匹も飛び始めた。

 クリードはナイフを抜き、深呼吸。


「…………チッ」


 出血が多い。

 体力も少ない。全開時の四割程度だろう。

 クリードはナイフを抜き、倒れているルーシアを軽く蹴る。


「第三王女ラスピルに覆いかぶされ。何が来るかわからない、その身をもって守れ」

「りょう、かい……」


 大怪我をしているはずのルーシアは、身体を引きずりラスピルに覆いかぶさる。

 どんな状態だろうと任務を優先。たとえクリードが大怪我をしてルーシアが立っていたとしても、同じようなことをするだろう。

 コウモリが何匹も飛び、足下には何匹もの蛇がウネウネしていた。


「───」


 だが、クリードは惑わされない。

 幻惑。それならば、景色が切り替わる前の光景が全て。自分たちは『転移』したわけではない。景色が変わっただけで、崖下にいるままだ。

 クリードは神経をとがらせる。

 そして───。


「───ッ!? っぐ」


 クリードの左肩に、細いナイフが突き刺さった。

 狙いは喉だった。一瞬の気配を読み取り身体を捻らなければ死んでいた。

 そう、フローレンスの戦術は、幻惑に乗じた暗殺。

 クリードたちは、術中にはまっていた。

 今は、ヘタに動けない。クリードだけなら離脱できる。だが、気を失っている第三王女ラスピルは動かせない。ヘタに動かせばいい的だ。

 クリードは、肩に刺さったナイフを抜く。

 深呼吸し、自らの影を動かす。


『影……ふぅん』


 どこからか、フローレンスの声が聞こえた。

 だが、声は森全体に響くように聞こえてくる。音の位置で探すことはできない。

 そして、大量のコウモリが上空を埋め尽くす。


「ッチ───」


 ほんの一瞬、上空に気を取られた瞬間───クリードの右足にナイフが刺さる。

 クリードはナイフを抜く。血が出るが、ナイフに毒が塗られている可能性を考えれば、多少なり出血してもすぐに抜くのが好ましい。

 どのみち、出血が多く長くもたない。

 なら、やることは一つ。


「ふぅ……」

『あら?……諦めるの?』

「…………」


 クリードは、構えを解いた。

 目を閉じ、全神経を集中させる。

 コウモリが飛ぶ。蛇や百足が足下を蠢く。ネズミがよじ登ってくる。蛾が飛んで頭にくっつく。ドロドロした液体が口の中に入ってくる。

 

「───…………」

『ふふ……さようなら』


 そして───飛んできた。

 ナイフ。狙いは心臓。飛んできた方角。風を切る音。軌道。それらすべてを一瞬で計算。ナイフは躱せずに心臓へ突き刺さる。

 

『───っぎ、やぁぁぁぁ!?』

「見つけた───」


 クリードは、ナイフが刺さると同時に持っていたナイフを投擲。幻惑が解除され、右手を押さえたフローレンスが藪から転がってきた。

 クリードのナイフは、フローレンスの右手を貫通していた。

 

「ぎ、ぎぃぃ~~~っ……い、痛い。この、野郎……」

「…………」


 クリードは、両手の『カティルブレード』を展開する。

 だが、フローレンスは立ち上がり『幻惑』を展開。森が再び闇に包まれる。

 クリードは別のナイフを抜き、投擲した。


『っがァァァァァ!?』

「無駄だ。負傷した時点でもうお前に勝ち目はない。その血の匂いは覚えた」

『な、な……」


 幻惑が解除された。

 フローレンスの右腕にナイフが刺さっている。

 そして、ナイフを強引に引き抜くと、フローレンスは逃げ出した。

 

「…………」


 だが、暗殺者クリードは逃がさない。

 フードを押さえ、口もとを歪め跳躍。一瞬で消えた。


 ◇◇◇◇◇◇


「はっ、はっ、はっ、はっ……っ!!」


 フローレンスは、血だらけの腕を押さえながら逃げ出した。

 逃げる場所は『閃光騎士団』の隠し部屋。この森に隠されている隠れ家の一つ。

 たとえ疑われようが、もう演習場には戻れない。今は命が大事だ。

 フローレンスは、周囲をキョロキョロと見る……森、気配は感じない。どうやらアサシンは撒けた……はずがない。

 

「くそ。くそ、クソ……!! このあたしが、『慈悲』のフローレンスが……このまま戻っても『勝利』に粛清される……こうなったら、逃げるしか……でも、騎士団も教団も追ってくる……ちくしょう」


 フローレンスは歯噛みする。

 とにかく今は、逃げるしか───。


「───え」


 だが、逃げられなかった。

 上空から、黒い影が落ちてきた。

 その影は最初から真上にいたかのように現れた。

 フローレンスの顔面を鷲掴みにすると、右腕の『カティルブレード』を展開。モガモガと何かを言おうとしているフローレンスを無視し、刃を喉に突き刺した。


「ッこふぅーーーーーー」


 ギョロン! とフローレンスの目玉が回転。そのまま静かに倒れ事切れた。

 戦いは、派手である必要がない。

 他者の眼から隠れ、静かに迅速に終わらせる戦いもある。

 今回は、けっこうな騒ぎになってしまった。まだ薪小屋には大勢の生徒がいる。そろそろ、薪係が戻ってこないと他の生徒が薪小屋に向かうだろう。


「…………ッチ」


 クリードは、フローレンスの死体を担いでルーシアたちの元へ戻った。

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