さよなら風たちの日々 第11章ー3 (連載34)

狩野晃翔《かのうこうしょう》

第34話


             【7】


  生きている化石、シーラカンス。ぼくはこの言葉について考えていた。

 喫茶店ポールで二度目の再会をしてから、日めくりカレンダーはその年の月日をすべて散らしてしまい、新しい年のカレンダーも無為のまま四月になるまで、その厚みを減らし続けていた。

 高校時代、初めてヒロミと出会った桜の季節は、もう四年前の出来事だったのだ。

 ぼくとヒロミの恋も、これから何年も姿を変えずに、シーラカンスのように地球のどこかで生き続けていくのだろうか。

 喫茶店ポールに通いながらぼくは、ふと何の進展もないこの恋に焦燥感を持つことがあった。

 ぼくがヒロミと会うのは、いつも決まって土曜日の夜、喫茶店ポールの店内だった。

 実はぼくたちは普通のカップルのように、一緒に映画を観たり、海に行ったり、大きな繁華街でショッピングしたり、食事を楽しんだことがない。それはヒロミが喫茶店経営で多忙を極めていて、それにぼくが遠慮していたからだ。

 喫茶店ポールはヒロミが高校を卒業してオーナーになったが、その前は喫茶店コーラスという名前だったらしい。ヒロミは高校在学中に喫茶店コーラスを手伝い、その経営ノウハウを学んだようだ。

 ヒロミがオーナーになった喫茶店ポールは午前八時から午後八時までを営業時間としている。開店準備に三十分。また閉店してからも掃除、仕入れの手配、レジ締めなどの仕事があるため、一日の大半は喫茶店の仕事に忙殺されてしまう。ときどき姉妹店の女の子が応援に来たり、母親が手伝いに来てくれるが、それでも自分の時間なんて、ないに等しい。

 ぼくは喫茶店ポールに通っているうちにだんだんそれが分かってきて、だからぼくは彼女をデートに誘うことを遠慮し、この店で会えることだけを楽しみにしていたのだ。

 その会える時間だけど、ぼくは閉店三十分くらい前に店に行くことにしていた。閉店時間になるとヒロミは店内にいる客に閉店であることを告げ、ドアにクローズドのタグをぶら下げる。その時間はマリさんがいることもあったが、たいていはヒロミと二人だけのの時間を共有することができたからだ。

 ジャズを聴きながら、ヒロミの邪魔にならないよう一人でボックス席に座り、コーヒーを飲む。そしてヒロミの接客姿を眺める。

 ある意味、これがぼくの至福のときでもあったのだ。

 そうして仕事が一段落するとヒロミはぼくと同じボックス席にすわり、二人でたわいもない雑談をしたりするのだった。


              【8】


 たとえばぼくは、ナマラビートルズの紅一点、しぃさんのことを話題にしたことがあった。しぃさんはちょっとヒロミに似ているよ、と前置きしてから写真を見せるとヒロミは、「わあ、ほんとうだ。似てますね」と言って顔をほころばせた。

「世の中には自分に似てるって人が三人いるって言いますよね。もうひとりお姉さんができたみたいで嬉しいな」

「あれ。ヒロミって、ひとりっ子じゃなかったっけ」

 ぼくが訊くと、ヒロミが答えた。

「実は、マリさんもお姉さんなの。それって自分が思ってるだけなんですけどね」

 ヒロミとマリさんは、ほんとうに仲がいい。なんでもマリさんはヒロミが高校生の時からこの店で働いていて、ヒロミに仕事を教えるだけでなく、公私ともにヒロミを可愛がってくれていたようなのだ。

 そのマリさんのことでぼくが「彼女、歌謡バンドの二代目ボーカリストに似てないか。もしかして双子の姉妹か本人じゃないのか」と訊ねるとヒロミは、

「ピンポーン。それ、もしかしてじゃなくて、正解です」と言って、おどけてみせたりするのだった。


「そうそう。わたしが入学する前、学校で屋上灰皿事件っていうのがあったんですってね」

 ヒロミが笑顔のまま訊くのでぼくは、その事件の話をした。どうせまたその話だって、信二がバラしたんだろうな。

 あれはぼくが高校二年のときだった。ホームルームで担任が、

「最近屋上でよくタバコの吸い殻が落ちていて、問題になっている」と言ったとき、ぼくが「先生。それじゃあ、屋上に灰皿を置けばいいんじゃないでしょうか」とが発言。教室中が大爆笑になったことがあったのだ。

 その直後、ぼくにカミナリが落ちたことは言うまでもない。

 ヒロミはぼくのそんな話に声を出して笑うものだから、ぼくはさらにとっておきの事件をヒロミに話すことにした。

「あれは確か、三年生のときだったよ。昼休み、誰かがトイレの個室で頑張っていたんだ。そのトイレの個室に、おれと信二が共謀して上からバケツの水をぶちまけて逃げたんだ」

「で、午後の最初の授業が英語だったんだ」

「その先生。ずぶ濡れで教室に入ってきて、おれと信二、笑いをこらえるのが大変だったよ」

 ヒロミの顔が破顔した。その英語の先生は、ヒロミのクラスの担任だったからだ。

「その先生、田中先生のことですよよね。そういえば田中先生、雨の日でもないのに、背広が濡れてたことがあったの、覚えてます」

 そう言ってヒロミはしばらくのあいだ、何度もその話を思い出しては笑い続けるのだった。


 そういえばヒロミはジャズの話から、以前荒川の河川敷で話した寺下龍二の詩物語そしてもうひとつのピリオドを話題にしたことがある。

「平井橋から落ちた女の子。みずから死を選んじゃったんでしょう。それしか解決手段がなかったって、思い込んだのでしょうね」

 ぼくはちょっと驚いて、

「ヒロミ、ごめん。前に話した《そしてもうひとつのピリオド》の話。あれはあれで終わりじゃないんだ。あの物語は第一章と第二章に別れていて、ヒロミに話したのは、第一章の方だけなんだ」と答えた。

 するとヒロミの目が、ぼくの言葉を待つ目になった。

 ぼくはヒロミに、あの詩物語の第二章のあらすじを話し始めた。




                           《この物語 続きます》





 






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さよなら風たちの日々 第11章ー3 (連載34) 狩野晃翔《かのうこうしょう》 @akeey7

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