10章
旅の結末 1
最初は、マレクシドの暗殺任務などただの建前で、故郷を滅ぼした彼女に会ってみたい一心だった。
騎士団で修行を積み、実力をつけ。運良く拾った勇者の宝剣のおかげで、ボロボロになりながら彼女のもとへと至ったのである。依頼書に従ったのも、単に口実のためだった。
人柄によっては命令どおり殺すことだって考えなかったわけじゃない。だって、依頼書には書かれていなかったが、彼女は紛れもなく『死の森』を創り出した張本人。同じ故郷出身としては仇でもある。
でも、彼女をひと目見た瞬間に理解した。
殺せない、と。
命からがら城にたどり着き、倒れ込むように気絶した俺を、彼女は手厚く介抱した。
数日間目覚めることのなかった異邦からの使者が、己を暗殺する使命を背負っているとも知らずに手当した。きっと何日間も、付きっきりで。
……。
いや、あるいは彼女なら、すべてお見通しだったのかもしれない。
兜もかぶっていなかったころの話だ。素性なんてひと目で明らかになっただろうし、『自分を殺しに来たんだ』ということは容易に想像できたはず。
それでも彼女は、俺を助けた。
俺が目覚めて、はじめて対面したとき。向けられた安堵の笑みは、とてもじゃないが殺せるものではなかった。
一目惚れ、と言ってもいい。「よかった」という言葉には、負の感情を消し去り、剣先を鈍らせるほどのチカラがあった。
恩返しのつもりで旅をはじめてしまえば、さらに彼女が魅力的に映った。
臆病で、どこか偉そうにしていて、助けたのに文句を返す。現実に変な偏見を持っているくせに、本の好みは甘ったるい。印象はそこらの貴族の娘とそう変わらない。
だけど――優しさと後悔でできたその中身は、ひび割れたガラスのように弱々しかった。
世界を知る度に痛みを覚えていたのは見ていればわかる。かつて奪った人の営みを見て、自責を繰り返しているのを知っている。殺した命のぶん、他人に優しく接しているのもお見通し。
そして、それでも海を見たいと願う強さが今ならわかる。
本来ならば、俺は恨まなければならない。家族をみんな失ったのは、彼女のせいでもあったから。
だけど、だけど……目を輝かせる顔を見る度に、復讐心が薄れていく。
後悔に心を痛めるところを見る度に、救いたいと願ってしまう。
『ごめんね』と声をかけられてしまえば、剣を握ることもできなくなる。
優しさを教えられてしまっては、殺す気力もなくなってしまう。
俺は、彼女が好きだ。
旅の過程が、そして旅の終着点の光景が、今でも愛おしい。
海辺を走って、水を蹴り上げて、なびく銀髪。
夕陽で染まった水面に浸けた足と、俺を呼ぶ声。
『裸足で歩いても、誰も死なない』と笑う顔。
びしょ濡れになりながら、呪いに何も奪われない世界を喜んでいた彼女が、好きだ。好きになっていた。
それを自覚したのは、失ったあとのことだが――。
守れず、腕のなかで急激に冷たくなっていく身体。ただでさえ軽いというのに、体重も比例して失われていく。
うっすらと俺を写す瞳は光が消え、最後には、何かをつぶやく前に意識を手放す。彼女は俺の目の前で息を引き取った。
すべてを失った瞬間だった。
銀色の長い髪も、きれいな肌も、小柄な身体も、すべて色あせていく。彼女自身の赤黒い血だけはムダに鮮やかで、死に顔がぐったりとする。
俺という存在が、どれだけ彼女に救われていたのか。それに気づいたときにはもう遅い。声を聞くこともないし、笑いかけてくれることもなくなってしまったのだ。もう二度と、生きているところは見られないのだ。
同じ故郷の生き残り。恨むべき相手でありながら、たった独りで後悔し続ける彼女を、救いたかった。もっと笑わせたかった。
そんな叶わない夢を、俺は手遅れになって抱いた。
あの日、冷たくなった彼女を抱き寄せて、はじめて泣いた。
彼女を失ってから、長い年月がかかった。
俺は騎士団をやめ、ひっそりと暮らしながら花を育てていた。すべてをもう一度やり直すために。
故郷が滅んだ夜、兄に預けられた種。それは、逃げ延びた俺の唯一の
王家に伝わる特別な種で、奇跡の花を咲かせるのだとか。
スターチス・フラワー。
紫のその花は、
魔法があった時代の調合レシピを応用し、使うことを禁止されている薬草も秘密裏に入手して、ようやく作り上げたアレ――ひとつしか完成しなかった禁薬を飲んで、俺は確信している。
記憶はちゃんと、過去の自分に引き継がれたようだ。
少量しか飲めなかったからか、故郷が滅ぶ前に戻ることはできなかったが……それでも十分。縁であるエマグレン・リルミムの本も手元に残っている。帰還先の時代に、彼女はまだ生きている。
鍛えて、備えて、それで――俺は今度こそ、守る。
優しく微笑みかけてくれる、可憐な笑顔を。
もう、失いたくない。
過去に戻った俺は、なぜか種を持っていなかった。つまり一度だけのやり直しになる。後戻りはできない。
なら。
俺はこの命を引き換えにしてでも、生かしてみせよう。
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