羊皮紙に惹かれた三人 6

「こやつの本を読みたければ、探してみるのもいいんじゃないかぁい?」


 陽気なその声が決定打となり、手始めに案内してもらう場所は市場ということになった。

 トウが旅をするなかで書き上げた本。それは打ち切りになってしまったようだが、三巻までは世に出回っているらしい。私が手のひらを合わせて頼み込めば、トウは葛藤した末、最後には渋々了承してくれたのだった。

 私はまだあの本をすべて読んだわけではない。でも続きがあるのならとても読んでみたい。だってそうだろう、エマグレン・リルミムは、私を変えた原点なのだから。いち愛読者として、見逃せない。

 市場へ向かう最中、私はどきどきで胸を躍らせていたのだった。


「……よかったな」


 私を見てか、となりを歩くギンがつぶやいた。

 彼が言っているのは、あの本に続編があったことだろうか。市場でまだ見ぬ本と出会えることだろうか。それとも、視線の先を歩く、勇者と一緒のトウのことだろうか。あるいは、その全てか。

 ギンのことだから、おそらく全てひっくるめての発言だろう。

 私は頷いた。


「ええ。よかったです。この街にきて」


 そう返してから、また朝のことを思い出してしまい、ちらりとギンを見上げた。相変わらず表情の読めない兜で、前を見据えている。

 ああ。

 その顔に、問いただしたい。


 ねえ、ギン。あのメモはなに? と。


 私の平常心を刺激する、あの殴り書きの真相。気になって気になって仕方ないのに、怖くて訊くことはできない。

 私は視線を戻して、すこし下に向けた。

 羊皮紙に書き込まれた、紫の花の絵。スターチス・フラワーの絵。きっと彼が追い求めている、奇跡の花。

 奇跡ってなに?

 どうしてそんなに欲しいの?

 手に入れてどうするの?

 ぐるぐる回る、私の疑問。決して口から出ることのない疑問。それがあたまの奥で渦まいて、雨雲をつくる。

 ……気にしてはいけない。無理矢理聞き出すなんてことはもってのほか。触れてはならないものなんだ。


 そう言い聞かせ、私は逃避した。必至に表情を取り繕って。





「じゃ男どもはあっち。私たちはこっちね」


 市場に着くなり、トウが割り振る。


「待て。スイは契約で――」

「大丈夫。私もそれなりに闘えるし。いいでしょ、ギンはいつも一緒なんだから。それと私の本なんか見られたくないのよ」


 ギンの抗議を一蹴いっしゅうして決めてしまった。結局私はトウと二人で市場を巡ることになる。彼がいなくなるのは少々、いやかなり不安だが、私も独り立ちしなければ、という気持ちからか、すんなりと受け入れる。

 それよりも、今は目の前にひろがる本の山に目を奪われていた。


 あらゆるところから集まってきたであろう商人。

 それぞれの場所で見たこともない本を並べている。客もみな思い思いに吟味していた。

 本好きのためにある空間。市場のなかでも落ち着きがあり、物好きが集うこの区画。ここにあるものをかき集めたら、いったいどれだけの量になるのだろう。城の書庫にある量をこえるだろうか。


「トウ、行きましょう! あっちからおねがい!」

「はいはい」


 ミネルバはすごい街だ。

 ここには知らない本ばかり。それも驚きだし、書庫にあった本が売られていることも驚きだった。見覚えのある本を見つける度に感嘆する。

 同じようで同じではない。

 本には本の顔がある。読んだものの形跡が残り、歴史として積み重ねられるのだ。本として人の手を渡るごとにそれは深く、色濃くなって、やがて味となる。ギンの持っていたもう一冊もそうだ。

 私は人のあいだを縫いながら、露店一つひとつを覗いていった。どこも味のある古本でいっぱいである。

 トウもすぐ後ろをついてきており、私は目移りしながらも、彼女のまだ見ぬ続巻をさがした。


 そんな、心躍る時間がいくらか過ぎたころ。

 とある大きな露店で、山積みの本を漁っていたときだった。


「……ねえ。スイ」

「なんですか?」


 茶色い表紙の一冊をひらきながら、私は耳だけ傾けた。

 目の前のことに夢中だった。

 けれど次に飛んできた言葉はとんでもなく意外で、それでいて真剣な感情がこめられていた。


「ギンのこと、好きなの?」

「あーそうですね――はい?」


 右耳から入り込む言葉をながしそうになり、すぐにやめる。

 言っていることを理解するにつれ、目を見開き横を見る。


 そこには、落ち着いた表情で手にとった本に目をとおす、きれいな横顔があるのみ。何も言ってないけど? という風な涼しげな顔をしている。

 でも、たぶん聞き間違いではない。

 ちらりと向けてきた視線がそれを証明して、私はあからさまに目を泳がせた。


「わ、わかり、ますか……?」

「逆に何で気づかないと思ったのよ」

「む、ぅ」


 恥ずかしくて、でも反論もできなくて、呻く。

 酒場で質問責めした仕返しだろうか。そう思い、びくびくと距離をとる。


「別になにもしない」

「ほっ……」


 なら安心だ。私は胸を撫で下ろした。


「ごめんなさいね。ギンとのデートを奪っちゃって。あなたたちについて、とやかく言うつもりはなかったんだけど――でもこれだけは言っておきたくて」


 手に持っていた本をぱたんと閉じ、トウが視線をわずか下にさげる。そこには山積みの背表紙しかないが、見つめているのはどこか遠くのようだ。細められた瞳に、まつげが微かに揺れた。

 また真剣な、何かをうれうような雰囲気を感じさせ、私は黙って言葉を待つ。

 神妙な面持ちに、前髪がかかる。

 一拍おいて、彼女はようやく口をひらいた。


「スイ。想いだけは、さっさと告げておきなさい」


 ……それは、この長い年月で彼女が得た教訓だろうか。

 どうしても伝えておきたかったと前置きしただけに、とんでもなく大切なことに聞こえて仕方がない。


「旅っていうのはね。楽しいことと苦しいことで溢れてる。毎日が未知で満たされている。だから、想いだけはさっさと伝えなさい。でないと、機を逃すわよ」

「そ、それは、トウの経験則ですか?」

「……ええ」


 トウが寂しげに笑った。

 誰なのかは、訊くまでもない。きっと彼女のなかにある大きな後悔のひとつなのだ。

 もう取り戻せなくて、伝える相手がいなくて、それを彼女はずっと引きずって生きている。私は想像して、思わず眉根を下げてしまう。


「だから、あなたは私みたいになっちゃだめ。言えるときに、ちゃんと言っておきなさい」


 ……。

 ギンの兜が脳裏によぎる。

 彼は、私のことをどう思っているのだろう。嫌い? 好き?

 できれば好きでいてくれると嬉しい。でも、あのメモを見てからなんだかおかしいのだ、私自身が。ギンの隠れている部分がとても気になって、でも怖くて訊けなくて。

 まったく、どうしてミネルバに入国する前の私は、気軽に『そろそろ素顔見せて』などと言えたのだろう。

 想い。

 想いかぁ。

 気づけば私も本から意識を外し、彼のことを思い浮かべていた。

 そのせいだろうか、無意識に名前を口ずさんでしまったのだ。


 それがいけなかった。


「呼んだか」

「ひあっ!?」


 耳元でくぐもった声が響き、飛び上がる。

 背後に見慣れた銀色があって、それを認識した途端に顔が熱くなる。

 聞かれた? 聞かれてしまった? いや、待って待って、トウが言ってたことって、こういうことなんです!?


「……トウ、なにをした」

「はぁ。だめそうね、これは」


 動悸が跳ね上がっていた私は、身構えすぎて、威嚇いかくするネコのように息を荒げていた。それを刺激しないようにか、ギンは両手を向けて沈めようと務める。

 私が興奮をおさえると、ギンは急に改まって姿勢をもどした。

 かと思うと。


「スイ。急だがすまない」

「……?」


 兜の奥に、妙に張り詰めた暗闇を見た。

 トウと私に加え、遅れて合流したおじさんがきょとんとした。おそらく二人も感じ取ったのだろう。ギンの切羽詰まった気配に顔を引き締める。


 三人の視線を受け、ギンはいちど咳払い。

 そして、私たちを見渡して、なんと頭を下げた。



「頼みがある。真剣な話だ」

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