生きている事さえ奇跡です

 

 『やってもらってあたりまえ』

 『してあたりまえ』


 今日は久方ひさかたぶりに心がすさんだので、この機会にあることを話したいと思います。

 言葉がくだけてしまっていたらごめんなさい。



 取りあえず家に着くなり叫びました。


 「マジ意味わからん⁉︎ ……は? ほんとなんなん!」


 という次第しだいですね。

 それはお仕事で我慢ならない事があったのです。

 私は普段から『怒り』と言う感情はほぼ沸いてこない方なのですね。

 これは考え方一つで色々と変えられることなのですが、それはいずれなにかのときにまた書こうと思います。

 そんな私が大きい舌打ちをしてしまうぐらいにはせないことだったと思っています。

 賛否両論さんぴりょうろんはあると思いますが聞いていただける幸いに思います。

 ……まぁでも、あれですね……当人が自覚していてこれを見ていたら死亡事故並みに私は大ダメージをこうむることになりますね。 

 別にそれはそれでいいのですがね。

 それで話に戻りますが簡単に言ってしまうと、"私の文句を言う前に、もっと大切なことがあるだろ"という感じですね。

 なんのこっちゃ、と思うと思いますのでことの経緯けいいをもう少し詳しく話しますね。

 私は今、幸いにも飲食店で働かせていただいております。(コロナ禍)

 種類別としては、カフェに当たります。

 そして今日のことになるのですが、お客様から、「食後のお飲み物をお願いします」とお声掛けいただきました。

 そこまでは普通ですね。

 こちら側が、「かしこまりました、すぐお待ちしますね」と言葉を返し、お持ちすればいいだけ。

 するとそのときに、「なんでまだ持って行ってないんだ、まわりをよく見て動けよ」という感じのぶつぶつ言う声が聞こえてきたのですね。

 本人はたぶん聞こえないように言ってるのかもしれないのですが、全部まる聞こえでした。

 するとその私は思わず心でこう思ってしまいました。


 「(おいおいちょっと待てよ、なんなんだそれは? まだ食事をしていたから持っていってないんだよ。しかもいっつもそうだよな、お客様に食後の飲み物を催促さいそくされたとき、なにかしらは不満をつぶやいてる。声掛けされてから持っていくのはダメなの? そこここの場所にもよるだろうけど、うちは比較的アットホームな雰囲気な所であってそこまで目クジラ立てる人なんかそんなにいないよ? しかもまわりを見ろって自分もな? 食後って言ってるのにまだ全然食べてる時に持っていってどうするん? 冷めね? というか、その途中でやっぱり飲みたいなって思って「下さい」って言う人もいるんよ? それも私が悪いんか?

自分がそういう風に不平不満ふへいふまんを持つのであれば、自分から動いてもいいんじゃない? できない役割じゃないんだし………)」


 などなど、悶々もんもんとしておりました。

 しかもその場で終わればいいことに、そのお客様たちはお持ち帰りのお飲み物もオーダーしていて下さり念のため、いつごろお持ちしましょうかとうかがい、「帰り際」ということだったので様子は見ていたのです。

 これもタイミングが人それぞれなのでうかがうにしたことはないのです。

 すると私が用意しようとした時に、「準備したの? もう帰るよ、ちょっと遅いんじゃない?」

 という声が降ってきたのですね。

 我慢ならずこのときに離れたところから舌打ちをしてしまったのです。

 平静へいせいを装いながら、心の中ではたくさん毒吐どくついていました。


 「(そう思うんだったら率先そっせんして動いてもいいんじゃない? それか一言「もうそろそろ準備した方がいいかもね」とかいってくれるんだったらまだ分かる。私に色々いう前にやることあんだろ! まじ好き勝手かっていいやがってこんちくしょー!)」


 軽くイラついてしまっていました。

 宗教を信仰していたって、所詮しょせんは私も一人の人間なのです。

 本当に久しぶりにこんな気持ちがふさぐ思いをしました。

 それでも、私もいけないところがあったんだなと思うのです。

 これがこうで……のように、私もちゃんと説明すればいいのですが、なかなかこういったことを口にできないのです。

 よくないことだとは常々つねづね思っているのですがね。

 以前は、私から至極しごくまっとうなことをお伝えしたおり、「◯◯さんみたいにさとりを開いていないんですー」という感じのことを少しおちゃらけて言われたときはブチギレそうになりましたけどね。

 お前おちょくってんのか? は? と思いましたね。


 それで冒頭ぼうとうの話に戻りますが、なんでもまわりが自分にしてくれて当たり前……そんなことはなに一つとしてないのですよ。

 ほんの些細ささいなことであっても。

 自分のためにしてくれたらそれは"感謝"。

 だったら私もあなたのためになにかしたいわと、私であればそうなります。

 初めてこのことを教えていただいたときに、"受け身"というのも一番よくないと知りました。

 これはたぶん、破滅はめつ一途いっと辿たどっってしまうのだろうと。


 生きていて心臓が動いていること、毎日ご飯を作ってくれる人がいてそれを食べられること、仕事に行けること、自分を理解してくれる人がいること……等々とうとう、全て、奇跡に等しいこと。

 なに一つとして、『当たり前』でできていることなどないと思うのです。

 そしてこのさいに少しでも気づいてくれるかたがいらっしゃればそれはとても、幸運なことだなと感じます。

 私の愚痴ぐちばかりになりましたが、なにかを感じとるができましたら嬉しいです。


 

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