希望の芽

 

 『種蒔き』というとなにを思い浮かべますか?

 そうですね……大方おおかた、"生命いのちを育てる"ということでしょうか。

 もっと簡単に言いますと、実の成るものを植える、ということになりますね。


 突然ですが、私は宗教を信仰している者になります。

 一般的にはこう聞きますと、怪しい目・疑いの目・嫌悪の目……など、多くの負のエネルギーをまとった感情にさらされることも多くないのですね。

 それでも一縷いちるの光、とでもいいましょうか、ごくわずかに"宗教"と言う名を自身の口から出しただけで心から理解をてもらうことや、私の心の奥底からの感情をみ取り理解をられることもあるのです。

 人から人へ、"ものを伝える"ということはなにに置いても容易よういにはいかないことだと思うのです。

 私は仕事柄やそのほかでもそういうことを行動に移す事が多いのですが、理由としてはただ一つ、"一人でも多くの人を救いたい"。

 そこに違うことをしていても、最終的に辿り着く答えはここなのです。

 文字で文で現しているだけなので、なに善人ぜんにんぶってと思われても不思議ではないことは重々じゅうじゅう承知しております。

 私は話すことが大変苦手でもあり、また上手くできないところが本音になります。 

 じゃぁどうやって伝えるの? そう脳裏のうりかすめたときがものを書くことへの出発点でした。

 個人的な見解けんかいになりますが、書いたものというのはその書き手の思いや考えなどが、少なからずと思うのです。

 ですから私もみずから筆をることで、ほんの少しでも多くの人になにかを伝えることができるのではないかと希望を持ちたいのです。



 話がだいぶれてしまいましたが、その種蒔きという言葉は私が大変お世話になっているかた、私の心をいつも救っていただいているかたから助言してもらったものなのです。

 といいますのも、"人の心に種を蒔く"という意味あいのものなのです。

 いま自分が必死にけずり回っているにも関わらず、見向きもしてくれない……そんなことが多々たたあれど、自分が相手になにかをしたという事実は変わらない、すなわちその相手に軽くでもなにかを残せたということ。

 それがいつ芽を出してくれるのかは分からない。

 けれど無駄むだだと思うことは一切なく、多くの人を救う第一歩となる……そう思っているのです。

 ですから、私がものを書いて多くの人に見てもらえること……これも種蒔きとなるのかなと、近頃ちかごろ考えることでもあります。

 見ていただけたかたにどんなことでも感じとって欲しい。

 そしてなんらかのかてとなったのならこれほど嬉しいことはないと、書き始めてからそう思ってくるのであります。

 私はなにかを生み出せる、見出みいだせる人間になりたいと密かにも思うのです。


 

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