学生になる軍人の少女

 きっと、ここは学校の保健室だろう。俺は保健室のベッドで眠ったが、今日が初めてだ。

「起きましたか。大丈夫ですか?」

 隣にいたのは、マナだった。

「たぶん大丈夫」

 俺の周りはカーテンで覆われていて時間を確認することはできない。

「今何時か、教えてもらってもいい?」

「今は六時です」

「そうか。もう部活が終わる時間か。二人はもう帰った?」

「そうですね。私たちも帰りましょう」

「そうするか」

 布団から出るために、体を起こす。すると、カーテンの一部が勢いよく開けられる。

「桜井くんおきたのね。体調はどうなの?」

 そこにいたのは、保健室の先生だ。そろそろ定年になる女性の先生だ。

「今は大丈夫です」

「そう。一応熱を測ってから行きなさい」

「わかりました」

 保健室の先生は体温計を渡した。それを脇に挟めて待っている。数秒後ピピピと計測終了の音がなる。

 体温計の表示は38.5℃を表示している。

 その表示が信じられなかった。

「何度だったの?」

 保健室の先生は、測り終わった体温計を手に取る。

「ちょっと、これは早く帰りなさい。そして、明日は休んで病院に行くのよ」

「はい。わかりました」

 これは仕方ない。この熱があったら、なんかの病気に違いない。

 とりあえず、早く帰って休もう。

「先生、蝶夜はどうしたんですか?」

「それがね。桜井くん熱があるの。マナさん桜井くんの家まで付き添いいお願いできる?」

「はい。わかりました」

 マナは敬礼してみせた。完璧な敬礼だ。

 俺はふらつく足取りで家に帰る。

 そして、そのまま俺は布団に入った。マナは俺の分の夜ご飯を作ってくれた。前の料理教室から、簡単な料理を作ることができるようになったらしい。

 

 次の日は、保健室の先生に言われた通り病院にいくことにした。

 当初は俺一人だけで行くつもりだったが、マナは俺の看病のために学校を休んだらしい。

 マナと一緒に病院に行くと、風邪だと診断された。

 三日ほど俺は風邪を引いていたのか。風邪に気付かないなんて思いもしなかった。

 家に帰った後に、病院からの薬を飲んでまた布団に潜る。

 一日中、布団に入っていると逆に体調が悪くなっていくように感じる。

「蝶夜、元気ですか?」

 寝室に入ってきたマナは、俺の布団の隣に座る。

「まぁ、大丈夫」

「それならいいんですが」

「別にマナは学校に行ってよかったんだぞ」

「いえ、蝶夜が心配なので大丈夫ですよ」

「ごめんな。俺のせいで」

「私がしたくてしたことなので、蝶夜のせいじゃないですよ。それに私、蝶夜のそばに居たいんです」

 マナは水の張った桶にタオルをつけて、絞った後に俺の額に乗せる。

「蝶夜は前、私にいいました。もっと力を抜いてもいいんじゃないかって。今の蝶夜はなにか頑張りすぎなんじゃないですか?もう少し肩の力を抜いてもいいと思いますよ」

 マナは優しく、俺の手を握る。

「ありがとう。マナ」

 ゆっくりとマナの手を握り返す。小さくて柔らかい女の子の手だ。だけど、この一つの手が暖かく体全体を包み込んでくれるような気がした。

「蝶夜の力になれているならよかったです」

「俺が守るって言ったのに、これじゃあ守られているな」

「そういうところですよ」

 マナは力強く答える。

「私も蝶夜のためになにかしたいんです。一方的に助けてもらってばかりじゃいやなんです。だから、蝶夜だけが抱え込むのは、やめてください」

「うん……」

 力強い声だが、優しさが伝わる。胸がじんじんとしてきて涙がこぼれてしまう。

「ありがとう、マナ」

 俺は涙を隠すために、頭まで布団を被った。


 いつの間にか寝ていたみたいだ。部屋は真っ暗だ。

 隣にマナはいない。

 喉がガラガラで痛い。喉を潤すためにリビングに向かう。

 リビングも暗く。明かりがついていなかった。そういうことは、マナはもう寝ていたのか。気付かなかった。

 俺はキッチンの電気をつけて、一杯の水を飲み干す。

 キッチンには、付箋で「ご飯、冷蔵庫に入れておきます」というメモが残されていた。

 冷蔵庫には、ラップで閉じられた玉子焼きと半身のホッケがある。そして、小さいお椀にご飯が持ってある。それを食べるためにリビングの電気をつけてから、ご飯を電子レンジで温めた。

 静かなリビングで一人、食卓に座る。湯気がたつご飯と玉子焼き。ホッケは湯気が立つほど温めてはいない。

「いただきます」

 マナに感謝をしてご飯を一口食べる。こんなに誰かに感謝してご飯はいつぶりだろうか。昔は作ってくれた人や命に感謝して食べなさいとよく言われていたが、歳が増えていくうちに忘れていたことだ。

 一つの食べ物を味わって食べる。

 風邪で食欲がないはずなのに、ペロッとたいらげることができた。病院から処方された薬を飲んで寝室に戻る。

 カーテンの隙間から漏れる月明かりに照らされたマナは、ベッドで気持ちよさそうに寝ている。

 俺は、マナの寝ているベッドの隅に腰を下ろす。

 赤ん坊のように丸まって寝ている。顔の横に手を握った状態で置いている。

 その手をそっと握ってみる。寝る前の感触と一緒のはずだが、全然心の中の感じ方が違う。

 今は、感謝と愛おしさが心の中を満たした。

 自分の布団に戻って再び眠りにつく。


 目を覚ますと、いつも通りの時間に目を覚ました。身体もだるくはない。風邪は治ったらしい。

 朝ごはんを作る、いつものルーティンを取り戻す。

 朝ごはんができたあたりで、マナが目を覚ましてリビングに入ってくる。一日この光景を見なかっただけで、こんなに懐かしく感じるのか。

「おはようございます。体調のほうは大丈夫ですか?」

「うん。大丈夫だよ。マナのおかげだよ」

「冷蔵庫の中にご飯入れと来ましたけど、食べました?」

「うん。食べたよ。美味しかった」

「それはよかったです」

 俺たちは一緒に登校した。

 俺も調子を取り戻して、ちゃんと授業を受けることができた。

 俺は、日常を取り戻すことができた。

 そして、休む前に提案しようと考えていたことを、放課後の部活動中につたえた。

「今週の土日に、マナにこの町を案内しようと思うんだけど、どうかな?」

「おう。いいな」

「そうだね。でも、蝶夜の体調は大丈夫なの?」

「うん。大丈夫だよ。いつも通り」

「そうなのね。それならよかったわ」

 そして、今週の土日を使い、マナに町を紹介することになった。



 駅前に九時に集合した。九時ではどこのお店もまだ準備中だった。愛喜は俺たちに切符を買わせて、電車にのった。

「私が、友達とよく行く場所に連れていくは、ついてきなさい」

 愛喜が集合して、一番初めに言った言葉だ。愛喜と俺たちが出かける場所は大抵、オカルトグッズが売っているお店か、本屋しかない。だから、愛喜がどんな場所に連れていくのか全然想像がつかない。

 電車の中は、若い女性とカップルがたくさんいた。この空気に俺は居心地の悪さを感じる。

 電車を降りた場所は、大きなショッピングモールが目の前にある場所だ。

 初めに買い物をしたショッピングセンターよりも、はるかに大きく、二倍くらいはあるんじゃないかと思う。

 電車に乗っていた人たちは全員、そのショッピングモールの中に入っていく。ショッピングモールは既に開いている。

「今時の女子高生はここに来るのよ。先月オープンしたばかりのこのショッピングモールはねー。たくさんのファッションセンターがあるの。あとゲームセンターもあるし、すごい便利でいいのよ。早速行きましょう」

 愛喜は楽しそうに、中に入っていた。マナはその後に続いて入ってく。

「おい、愛喜のあんな姿、俺初めて見た」

 英季は目を丸くしている。

「そうだな。俺たちとだったらこんな場所来ないだろうな」

「そういえばよ。あいつは結構、男友達もいるよな」

「そうだな。俺たちと違って、愛喜は人気者だからね」

「くっそー。やばいな。俺頑張るぞ」

「頑張れ」

 英季は、どんどん離れていく愛喜を走って追いかけた。

 俺は大きくため息を入って後を追った。

 

 中は、中心は吹き抜けとなっていて、天窓から差し込む太陽の光で、自然の光を取り込んでいた。全三階建て、一階の一角にはゲームセンターがあり、三階の半分ほどがフードコートだ。そのほかは全てがファッションセンターのようだ。

 俺は、ショッピングモールの全体図を見るのをやめて、周りを見てみる。

若い男女が楽しそうに話しながら歩いている。

キラキラとした洋服を売っている店が並び、俺は慣れてない景色に目がくらみそうだ。俺が浮いてそうで怖い。歩く人も俺より一ランク高いようなイメージを持ってしまう。

 愛喜だけがこの空間に順応している。

 指を指しながら、一つ一つの店をマナに説明しているようだ。俺はその後ろ姿をみているしかできなかった。

 できれば、マナと一緒にその説明を聞きたいと思ったりしてしまう。


 大体のファッションセンターを見終わった

 見て回っているだけなのに、すごく疲れた。特に目が疲れた。すべてがキラキラしていたのが悪い。色覚情報が多すぎる。頭が痛いのはこのせいだ。きっと。

 ファッションセンターを見て説明していただけなのに、いつのまにか愛喜とマナの両手には買い物袋が握られている。

 どんな服を買ったのか俺にはわからない。

 ファッションセンターを見終わった後は、ゲームセンターに行った。俺はゲームセンターでゲームをする人でもない。と言っても家庭内ゲーム機で遊ぶわけでもなく、ソーシャルゲームをやるわけでもない。ただゲームをやらない人っていわけだ。

 だから、ゲームセンターにきてもやりたいゲームが周りを見ても見当たらない。

 しかし、マナは俺の手を引っ張って、あっちこっちのゲームに連れまわした。俺も知らないゲームがあって、思っていたより楽しかった。

「おい、記念に写真撮ろうぜ」

 英季はプリクラ台の前で、手を広げている。

「英季、お前、そんなの撮るやつだったのかよ」

「あんたにしては以外ね」

「い、いいだろ?」

 英季は顔を赤くしている。

「ま、あんたにしてはいいセンスをしているわね。このプリクラは今出たばかりの新機種よ。とても可愛く撮れるんだから」

「はは、だろ?」

 この、英季の反応。絶対、わかってないな。

 俺たち四人はプリクラの台の中に入っていく。

「なんですか? これ」

「これは写真を撮る機械だよ。あの黒いやつを見ててね」

 俺は指を指して、レンズのことをマナに教える。

「写真撮るのに、こんな大掛かりな機械が必要なんですね。私の魔法ですぐなんですけど」

「いや。この機械はちょっと特別なんだよ。そこは写真を撮ってからのお楽しみだな」

 アナウンスの指示に従い、写真を撮る。

 その後に、その写真をデコレーションするところに移動する。

「なんですか。この写真。これが私ですか? 絶対違いますよね?」

「これがマナちゃんだよ。元が可愛いと更に可愛くなるね」

 目が大きくなり、顎がシャープになった俺たち。男の俺と英季の肌の色が白くて気持ち悪い。プリクラってほんとに可愛くなるのか全然信じられない。マナだって普通のほうが可愛いと俺は思う。

「デコレーションは私に任せて」

 愛喜は、付属のペンを持って画面にいろいろ書いていく。俺にはわからないことだから、プリクラの台を抜けて、愛喜を待った。英季も俺についてきた。

「俺、実はプリクラ苦手なんだよね」

「お前がやろうって言ったんだろ」

「いやー。みんなとの思い出を形にしたいと思ったからさ」

 英季が珍しく俯いている。そんな落ち込むことだろうか。

「でも、いい提案だと思うよ。あの二人楽しんでるし」

「そうだな」

 俺はデコレーションを楽しんでいる愛喜とマナを見た。

 ニコニコと笑いながら、プリクラの台から出てくる二人。終わったらしい。

「いい感じにデコレーションできたわ」

「二人とも見てください」

 マナはプリクラを渡してくる。もう切られているみたいで四人分用意されている。

 しかし、そのプリクラのデコレーションは、ふざけているものばかりだった。俺たちに無精ひげを生やしていたり、英季に矢印でバカと書かれていたり、やりたい放題だった。

「おい、なんだよ。これ」

 英季は、自分に書かれたバカの文字を指差している。

「ほんとのことでしょ?」

 この落書きをした犯人は愛喜らしい。英季をからかっている。

 落書きだらけのプリクラの中に、一枚だけほとんど落書きのしていないものがあった。それは四人がピースをしているだけの写真だ。だけど、みんな最高の笑顔で、俺はその一枚を財布の中にしまった。


 ゲームセンターの後は、フードコートに行った。時間は一時で、もうお昼時を過ぎていたので混雑はしていなかった。

 各自、別々のところでご飯を注文して食べた。マナも一人で注文できるようになったようで、しっかりと食べたいものを買えたようだ。

 俺はうどんで、英季はペッパーライス、愛喜はラーメン、マナはハンバーグだ。

「大体、このショッピングモール見終わったけど、次はどこに行くの?」

「次は、集合場所の駅に戻るわよ」

 愛喜はすすっているラーメンを途中で切って、答える。

「え」

 愛喜は、ラーメンを食べるのを再開した。このあと行く場所はまだ秘密のようだ。会話の終わりを感じて、俺もうどんをすすった。

 

 食事が終わり、各自皿を片付けたら、ショッピングモールの出口に向かう。

 そして、さっき愛喜が言ったように俺たちは元来た駅に戻るための電車に乗った。

「次は、駅前のお店よ」

 愛喜はまた俺たちの前をじゃんじゃん進んでいく。

 また、ファッションセンターが多くあるショッピングセンターだ。しかも、ここは七階建て。一階はカフェがあるが、それから上は全てファッションセンターだ。

「これが、女子高生なのか」

俺は独り言つぶやいた。この独り言は、偏見だとわかっているが、今日一日のことを思い出すと、そう感じてしまう。

二人はまた服を見始めた。

「蝶夜、来てください」

 マナは手招きをしている。

 よく店内を見てみると、ここはメンズファッションの店だ。俺は、あんまり服に興味がないから全然気付かなかった。

「これどうですか?」

 マナは、黒い袖が七分丈の服を手にしていた。

「いいね」

「このズボンはどうですか?」

 次は薄青いジーパンだ。俺はあんまりジーパンをはく人じゃない。でも、マナのキラキラした目を見ていたら思わず、首を縦に振ってしまう。

 そうして、次々とマナのオススメしてくれた服が、かごの中に入っていく。

 気付いたら、一コーデできる量の服を買ってしまった。こんなに簡単に買っていいのかと不安になる。

 お店から出ると、英季も大きな袋を手に提げていた。

「蝶夜、お前もか」

「あぁ」

 英季は、愛喜に連れまわされていたようだ。

 そして、ここで一つわかったことがある。マナは徐々に愛喜化していることだ。服をどんどん買う癖は、絶対に愛喜に吹き込まれたことだろう。

 ただ町を案内するだけのつもりだったのに、いつの間にかこんなに買ってしまっている。


 俺たちはその後、駅で別れて帰ることにした。

 俺とマナは、家に帰ると二人だけのファッションショーをやった。買ってきたお互いの服を見て、褒め合った。

 マナは、ショートパンツに白のシャツという、シンプルだが露出の多い服を買ってきたようだ。目のやり場に困ってしまう服だ。

 誰が選んだのと聞くと、マナは愛喜が選んだと答えた。確かに、愛喜が着そうな服だなと納得した。

 そして、俺はマナの選んでくれた服を着た。とても着心地もよくて、おしゃれな服だなと思う。だから、俺は気に行って、明日のバイトはこの服で行こうと決めた。


 その夜、布団に入っていると、携帯の通知が鳴る。

 それは、英季からだった。英季からのメッセージを開いて見る。

『ついに、愛喜に告白しちゃった。どうしよう。どうしたらいい?』

 いや、事後じゃん。どうしょうもないじゃん。

『愛喜からの返事は?』

 送ったメッセージはすぐに既読がついて、また英季からメッセージが届く。

『ちょっと考えさせて、だって。これは脈なしかな』

『うーん。待つしかないんじゃない?』

『やっぱりそうだよね』

『でも、なんでこのタイミングなんだ?』

『え。だって、いつ取られるかわかんないし、蝶夜が応援してくれるって言ったから』

『あぁ、頑張れ』

 もう俺にはどうすることもできない内容で、めんどくさくなったので最後は適当に返した。

『おい、最後テキトーじゃね?』

 ばれた。

『そんなことないよ。俺はいつでも応援してる』

『ありがとう』

 俺は携帯を閉じた。マナはもうぐっすり寝ている。俺も寝ることにした。

 


 休日が終わり、学校に行くと英季が席に座っていた。愛喜はまだ来ていないようだ。

 教室に入ったとき、英季からの強烈な視線を感じた。その後、大きなため息を吐く英季が見ていた。あからさまに愛喜を探しているのがわかった。

 俺は荷物を自分の机に下した後に、英季のところに行く。マナは、クラスメイトの女子に囲まれて話をしている。

「おい。お前、あからさますぎるぞ」

「だって、怖いんだもん」

 女々しいやつだな。なんかイラっとする。

「そんなんじゃ、愛喜にもビビってるのが、バレるぞ。いつも通り、自然にしていればいいんだよ」

「そ、そうだよな。自然、自然……」

 英季はぶつぶつと自然という言葉を復唱し始めた。

「それは自然と言わないだろ」

「俺の自然ってなんだ?」

「お前は、お調子者のバカだろ」

「おい、それは言い過ぎじゃねぇか? 俺はバカじゃないぞ」

「そういうとこだぞ。お前は結構バカだぞ」

「ムキー。勉強ができないだけでばかではないんだよ」

 口でムキーっていうやつがバカじゃないわけがない。

「今のお前は、自然だぞ。そのバカみたいなのがお前だ」

「バカは余計だが、ありがとな、蝶夜」

「ほら、来たぞ」

 愛喜が教室に入ってくる。

「おはよう、愛喜」

 英季は自然に愛喜に挨拶をしている。

「お、おはよう、英季」

 愛喜が不自然だ。結構、英季のことを意識している。どうしよう。

 愛喜はその後、話をすることなく、席についた。そして、愛喜の周りにはマナを含む女子の集団が周りを囲んだ。

「おい、俺、嫌われたかも」

 英季は、机に突っ伏した。

「そんなことはないと思うぜ」

 でも、今の反応は怪しい。ほんとにどうしよう。誰か助けてくれ。

 その日、二人が話している姿を見ることはできなかった。部活でもお互い別のことをしていた。

 ほんとにどうしよう。オカルト愛好会の仲にひびが入るのは避けたいところだ。

 だからと言って、俺にはなにもできない。愛喜への返事をするのも見送っている俺が、なにかできるわけがない。ここで、愛喜の告白を振るのもちがう。

 俺はなにもできないまま、一週間が経ってしまった。

 英季と愛喜は、全然会話をしなかった。マナも異変に気付いて、二人に事情を聞くがどちらも、曖昧にぼかして答えるので、全然解決に進まない。

 嫌な雰囲気の部室は、居心地が悪かった。なんとしてでも解決したい。



 九月二日の朝。

「今日、避難訓練があります。みんないつでも来ていいように、準備しておくように」

 担任の佐藤が朝の連絡事項を話している。

「いつ来るんですか?」

 男子生徒が手を上げて質問している。

「それは教えられない。そして、俺も知らない。本当の災害はいつ起こるかわからないから、秘密にしているらしい」

 ブーブーっと生徒がブーイングを起こしている。

 去年までは、ちゃんと予告されていたので、急な変更に生徒たちも驚いている。

 担任の佐藤はそれ以上の説明をせずに教室を後にした。

 クラスメイト達は、そわそわしている。

「ねぇ、蝶夜。避難訓練ってなんですか?」

「災害時に逃げれるように練習しておくんだよ」

「そうなんですね」

 マナはあんまり気にしてはいないようだ。マナは席を立って、女子の集団の中に混ざっていった。

 英季と愛喜は別の意味でそわそわしていた。一週間経ってもこの二人の関係は変わらず、遠い。

 俺は、本を開いた。

 

 授業が始まると、生徒たちは避難訓練のことなど忘れてしまったようだ。

 一時間目の授業が終わると、避難訓練の話を話している人は一人もいなくなった。そして、俺も時間が経つにつれて忘れていった。

 そして、その時は突然に来るのだった。


 お昼休みも残り七分くらいになったとき、避難訓練用の警報がなった。

 ウォーンウォーンと校舎全体に響きわたる警告音。

「火事です。火事です。一階の家庭科室が燃えています。生徒の皆さんは直ちに避難してください」

 スピーカーから佐藤先生の声が聞こえる。

 クラスは一瞬どよめくが、昨年と変わらないと感じたのか、落ち着いた。みんな、口元にハンカチを当てて、廊下に並ぼうと動き始めた。

「皆さん、どこに行くんですか。外は危ないですよ」

 そんな中、マナの叫ぶ声が教室に響く。廊下に向かっていた生徒たちは一斉にマナに注目する。これはやばい。止めなきゃ。俺が動いたときには時すでに遅かった。

「私が防壁魔法を張ります。Prostatpte」

 マナは、手のひらを天井に向ける。すると、天井には白く発光する大きな魔法陣がくるくると回っている。

 生徒たちはざわざわと騒ぎ出した。これはまずい。

「マナ!」

 マナは振り向いて、俺を見る。その表情はとても慌てているようだった。

「これは訓練だ。だから、魔法を解いてくれ」

「え。あ。はい」

 マナはしまったという様子で、急いであげていた手を下ろした。しかし、手遅れだった。

「今のなに」

「魔法?」

「これは夢?」

「マナちゃんがやったの?」

 クラスはどよめいて、避難訓練どころではない。あちこちでマナの話をしている。マナも下を向いて動かない。英季と愛喜もマナを見ているだけで動くことはできない。俺もマナを見ていることしかできなかった。収拾がつかない状況だ。

「おい。お前らなにしている」

 一人の男の声が響く。担任の佐藤だ。

 クラスのざわめきもすぐに収まり、静かになる。

「これが、本当の災害だったら、お前ら今頃死んでいるぞ。ちゃんとやれ」

 佐藤の怒りの声が、耳に痛い。でも、今回は仕方ないと心の中で反抗する。

「早く避難しろ」

 なんの事情も知らないくせに、怒鳴りやがって。イライラがつもっていく。

 佐藤の指示に従い、俺たちは列になって避難する。

「ごめん、俺がちゃんと説明してなかった」

「大丈夫です。私が悪いので」

 小声で前にいるマナと話す。マナは頭を下げて、長い髪を揺らしている。

「おい、そこうるさいぞ」

 佐藤が俺たちを指差して怒ってくる。

 負の連鎖とはこういうことを言うのだろうか。どんどんイライラしてきた。

 全校生徒がグラウンドに集まり、先生の話をきく。そこでも、俺たちのクラスの話がされる。なんの事情も知らないくせに、偉そうにしやがって、言うことだけだったら誰でもできるんだよ。だから、先生たちは嫌われるんだ。なんも知ろうとしないで、怒ることばかりしてくる。怒っても解決しないことだってあるのに。

 それからの授業は、イライラして手につかなかった。考えれば考えるほどイライラしてしまう。

 そして、周りがヒソヒソと話しているのが目についた。絶対マナのことだろう。がつんと言ってやりたいけど、言えばマナに気を使わせてしまうかもしれない。だから、俺は我慢するしかなかった。

 その日の放課後、部活動に行く前に、マナとよく話している女子の集団に声をかけられてた。俺らの教室からすぐ出たところの廊下に連れていかれた。

「マナちゃんって、何者なの?」

 一人の女が、質問する。なんの質問なんだよ。失礼だろ。

「俺たちと同じ高校生だよ」

「嘘でしょ。普通の高校生は魔法なんか使わないもの」

 別の女が否定してくる。くそイライラする。なんだよ、そんなにマナを仲間外れにしたいのかよ。不愉快極まりない。

「そうよ。詳しく説明しなさい。あんたならわかるんでしょ?」

「早く答えなさい」

 女子たちが俺に迫ってくる。本当のことを答えてしまいたくなる。でも、ここでいったら本当に仲間外れにされてしまうのではないのか。一度冷静にならなくては。俺は一度目を閉じる。

 まだ彼女たちは疑心暗鬼の状態だ。まだ、手遅れではないはず。なにか言いくるめる方法ないのか。考えないと。

「早く答えなさいよ」

「なんも言えないの?」

「なに黙ってるのよ」

 彼女たちはヒートアップしていく。声がどんどん大きなって行く。考えているのに、その声に邪魔されて、全然言いくるめる方法が思い付かない。少し黙っててほしい。

「マナはなにもなのよ。早く答えなさい。あの子は人じゃないんでしょ」

 一人の女がとがった言葉を放つと、同時に教室の扉が開いた。

 俺は顔を上げる。

 そこにいたのは、マナだった。

 マナは今にも泣きそうな顔をしている。

「ご、ごめんなさい」

 震える声で謝り、深く礼をした後に、マナが廊下を走っていった。

 俺は、追いかけようと足を動かすが、進路は女子たちにふさがれた。

「答えるまで帰さないわよ」

 この女共、ふざけるな。なにを考えているのかわからない。マナの正体を知ったところでなにが変わるって言うんだ。どうせ、仲間外れにするのは変わらないんだろ? さっきのマナを見る目でわかった。ひどい言葉を本人に聞かれたのに悪びれもせず、平然としているこいつは嫌な奴だ。

「早くしなさいよ」

「私たちも暇じゃないのよ」

 答える気は俺の中から消えていた。どうやって逃げるかを俺は考える。やつらの顔を見ないように足元を見る。それでも、女たちはがみがみと言い続けている。

「おい、お前ら何をしているんだ」

「なによ。あんた」

 聞き覚えのある男の人の声に俺は顔を上げる。

 そこには、一人の女子の腕を握る英季の姿があった。

「バカの英季。あんたもマナのこと、なにか知っているの?」

「うるさい。お前らには答える権利はない」

「なによ。バカなくせに生意気ね」

「今は、バカとか関係ないだろ」

 英季は女子の腕を投げる。

「痛いわね。退学になりたいわけ?」

「退学にしたければすればいい。俺は友達のほうが大事だからな」

 英季は、俺の腕を掴んで走り出した。横目に教室から出てくる愛喜が見えたが、気にする暇はなかった。俺は引っ張られながら、なんとか英季についていく。走りずらいが、なんとか足を動かして、英季の背中を追いかける。

 そのまま、オカルト愛好会の部室に入っていた。

 二人で膝に手をついて、息を切らしている。

「怖かった」

「無茶しすぎだろ」

「ああするしかなかったんだよ」

「でも、かっこよかったよ」

「はは、それはどうも」

 俺たちは息を整えて、顔を上げた。

 そこには、パイプ椅子に体育座りをして顔を埋めているマナがいた。急いで入ってきたから気付かなかった。

「マナ、大丈夫だって。あんま気にするなよ」

 マナに近づいて声をかける。マナはただ首を振るだけでなにも言ってくれなかった。酷く落ち込んでいる。それ以上、何を話せばいいのか、わからなかった。ただ見守っていることしかできない、俺に無力感を覚えた。

 俺と英季は、今後の作戦を考えることにした。なんもいい案作戦が思い付かずに、沈黙が続く。いたずらに時間だけが過ぎていく。

 俺と英季がここに来てから一時間ほどしてから、愛喜が部室に入ってきた。愛喜が遅く来ることは、結構あるのであんまり気にすることではない。

「蝶夜。あの子たちのことなんだけど。ほんとにごめんね。私からも初めになんか言っておけばよかった。さっき、注意はしておいたから」

「ありがとう」

 愛喜はマナの隣にパイプ椅子を置いて座った。愛喜はマナの肩をさすってあげている。耳元でなにかを言っているようだが何を言っているかわからなかった。しかし、その後、マナが泣き始める。泣きじゃくる声をだし、肩を震わせている。

これ以上になく、居心地の悪い部室。ここ一週間、全然部活動を楽しめていない。前のように戻ってほしいと願うばかりだ。


 部活動の時間も終わった。なんもいい案が思い浮かばないまま、成果もなく、俺は帰りの支度をする。

「英季、ちょっと話があるから残っててもらえる?」

 静かな部室に愛喜の声が通る。

「あ、うん」

「なら、俺たちはさきに帰るね」

 英季は帰りの支度をしようと立ち上がっていたようだが、座りなおした。

 俺はリュックを背負った。

「マナ、帰るけど大丈夫?」

「はい……」

 マナは力なく立ち上がった。右手でカバンを持って、ふらふらと歩き出す。

「ほんとに大丈夫か?」

「大丈夫です」

 マナは顔を上げて、ぎこちなく笑った。目元が赤くはれている。心がズキズキと痛んでくる。

 無言のまま校舎を後にする。

「あんまり気にしなくても大丈夫だよ」

「はい……」

「今日のご飯、何にしようか」

「なんでもいいです……」

「帰ったら何する?」

「なんでもいいです……」

「……ゲームでもする?」

「はい……」

 話は盛り上がることなく、家についた。会話の種を探すために頭をまわしたせいか疲れた。

 家について、早速夜ご飯の支度を始めた。マナはソファに座り、無表情でテレビを見ているだけだった。



 蝶夜たちが帰ってから、十分くらいが経った。愛喜からの話ってなんだろう。すごい待ってるんだけど、これは振られるやつじゃない? だって、ここ一週間全然口も聞いてくれなかったし。これは終わったわ。てか、振られたらどうしよう、今まで通り過ごせるのかな。絶対無理だ。絶対意識しちゃうよ。

 てか、この静寂なんとかしてくれ。振るなら一思いにお願いします。

 背中の冷や汗が止まらない。手汗もすごい。絶対脇汗もすごいはず。この学校は窓を開けておけば、夏でもそこそこ涼しい。だから、この汗は暑さのせいではないはずだ。

「あの、愛喜さん?」

 思わず、敬語になってしまった。絶対怪しまれてる。だって、さっきから愛喜がもじもじして不自然すぎるし。あぁ、心臓が張り裂けそう。

「もう少し待って」

「はい」

 これ以上なにを待ってて言うんだ。もう嫌だよ。早くしてくれ、生き埋めにされる人の気持ちがわかった気がした。

 愛喜は、何度も何度も深呼吸をしている。

「ごめん、待たせたわ。話すわよ。いい? 話すわよ?」

「あ、うん」

「前の告白の話なんだけどさ」

 やっぱり、その話だよな。それ以外の話かもと少し期待していたが、それはやっぱりなかったな。

「こんなに返事を待たせてごめんね」

「大丈夫だよ」

「今日のあんたかっこよかったわよ」

「見てたのかよ」

「まぁね」

 気恥ずかしいな。

「本題に入ってもいい?」

「いいよ」

 心臓が張り裂けそうになるくらい、心拍数が早くなっていく。呼吸がしずらくなる。早く言ってくれ。

「あんたと付き合うことにするわ」

「へ」

 予想外。絶対振られると思ってた。嬉しいけど、聞き間違えかもしれない。

「もう一回言ってもらってもいい?」

「もう恥ずかしいわね。付き合ってもいいって言ったのよ」

「ほんとに?」

「ほんとうよ!」

 信じられない。まじかよ。嬉しい。とても嬉しい。まだ信じられない。

「嬉しい。ありがとう」

 愛喜の手を握ってぶんぶん振る。喜びを表現してみせる。

「ちょっと振り過ぎよ」

「だって、嬉しいんだもん」

「腕もげちゃうわよ」

「ごめん、ごめん。でも。ほんとにうれしい」

「ありがと」

 愛喜はにこっと笑って、優しく手を握り返してくれた。

「なんで、オッケーしてくれたの?」

「え、言わなきゃ、ダメ?」

「別にいいんだけど、気になるんだよね」

「ちょっと恥ずかしいんだけど」

「それなら、いいわ」

「もう少し、あんたを恋人として認めたら教えてあげてもいいわ」

「え、まだ認めてないの?」

「まだ、恋人になったばかりでしょ」

 愛喜は、カバンを持って部室の扉に駆けていく。そして、ゆっくりとドアノブを回した。

「もっと、私をドキドキさせてよね」

 愛喜は振り返って、笑った。窓から差し込む夕陽が、愛喜を照らしている。

 こっちがドキドキしてしまった。心を盗まれたってこういうことを言うのか。俺は呆然と立ち尽くすことしかできなかった。

「なにしているの? 早く行くわよ」

「はい」

 愛喜は廊下に歩いていく。俺は急いで徐々に閉まる扉を開けて、愛喜を追いかけた。

 この後、俺は愛喜のことをドキドキさせることができるのか、わからない。でも、してやりたいと思うのだった。



 夕ご飯を食べ、お風呂に入り、もう布団に入っている。今、マナはお風呂に入っている。帰るときに約束したゲームのことはもう忘れているようだった。帰ってきても、マナは元気になる様子はなかった。だから、なかなか話しかけられずにいた。

 布団でマナを待っている。携帯が鳴った。

『俺ついにやったぜ』

 電話をかけてきたのは、英季だった。

「なにをやったんだ?」

『今日、あの後、愛喜と部室に残っていたんだけど』

「うん」

 英季の喋り方は若干おかしかった。

『愛喜と、付き合うことができたぜ』

「お、やったじゃん」

『おう。蝶夜の、応援の、おかげだよ』

「ありがとう。それはいいんだけど、なんでそんな区切り区切りに話してるんだ?」

『嬉しすぎて、今、腕立て伏せしてるんだよ』

「あぁ、そういうことね。うん、おかしいね」

 確かによく聞くと、言葉が途切れたタイミングで息を吸っているのがわかった。ほんとになんなんだ。バカってこういうことを言うのか。

『お前も、マナと成功するように、俺応援、してるからな』

「あぁ、恋人とかそういう関係になりたいわけじゃないんだけど、まぁ、ありがとう」

『じゃあな』

「おう」

 俺が電話を切る。そのあと、すぐに電話がかかってきた。次は誰だよ。

『もしもし、蝶夜の。話があるんだけど今時間大丈夫?』

「あぁ、大丈夫だよ」

『さっき電話したら、話し中だから心配しちゃった』

 なんだ、このなりたてカップルは、電話をかけるタイミングが一緒とかお似合いすぎだろ。

『本題なんだけどさ。前の告白のこと、忘れて頂戴』

「あぁ、忘れられるはずないだろ」

 俺は、笑いながら答える。

『ちょっと、お願いよ』

 愛喜が焦ってるが声でわかった。からかったかいがある。

「冗談だ。話は英季からも聞いてるよ。おめでとう」

『そうだったのね。蝶夜はいじわるね。まぁ、いいわ。わかっているならいいわ。そういえば、マナちゃんはどうなの? あの後も元気がなかったけど』

「そうなんだよ。家に帰っても全然元気がなくて、話もできてないんだ」

『大変ね。なんか、いい案があればいいんだけど』

「愛喜、あの人たちと仲良かったよね。なにか聞けることない?」

 電話の向こうで、うーんという悩む声が聞こえる。きっと、首でもかしげているのだろう。

『てか、なにかってなによ。なにを聞けばいいかわからないじゃない』

 なにを聞けばいいのか、俺もわからないな。うーんと俺も悩む声を出す。

『あんたもわからないのね。なら、適当に聞いて来るわ。あとでジュースでもいいからおごってね』

「はいはい、わかった、わかった」

『じゃあねー』

「うーい」

 ほんとにどうしよう。このままだと、マナはずっとクラスで浮いちゃうな。

 携帯の時間を見てみる。って、マナがお風呂に入ってもう一時間経ってるじゃないか。マナは長風呂をする人じゃない。もしかしたら、大変なことになってるんじゃないか。

 俺は急いで、布団から出てお風呂場に向かう。まだ、お風呂の明かりはついている。マナが中にいることは確実だ。

「おい、マナ。大丈夫か?」

 返事がない。

「おい、開けるぞ」

 まだ、返事はない。え、やばい。どうしよう。マナが。マナが。

「いくぞ」

 次の返事はきっとなかっただろう。俺は、勢いよくお風呂の扉を開ける。

 そこには、ぐったりとお風呂に入っている。マナが。裸だったが、そんなことは今関係ない。俺は、マナに近づいて、体をゆすって、名前を呼ぶ。しかし、マナからの反応はない。

 俺は、マナを担いで脱衣所に連れていく。しっかりと、マナの体を拭いて服を着させる。どうしよう。何をやってもマナは、反応しない。呼吸を確かめる。息はしているようだ。顔が赤くなっている。のぼせたのだろう。とりあえず、布団に寝せる。

 こういうときって、どうすればいいんだ。

 そうか。救急車を呼べばいいのか。

 携帯を取り、119に電話をかけた。

 救急車は、思ったよりも早く家にきた。俺も付き添いで病院についていくことにした。マナは、やはり湯あたりで、のぼせている状態だった。

 その日、マナは入院となった。俺もマナに付き添うことにして、その夜は病院で過ごした。

 もちろん、俺にベッドがあるわけではなく、椅子に座っている。

 この病室には、俺たち以外いないし、ベッドも余っている。なぜ、使わせてくれないのだろう。

 時間は、もう二十三時半だ。そろそろ眠くなってきて、目が閉じてくる。

「蝶夜」

 閉じていた瞼が、開かれる。

 マナが目を覚ましていた。マナの目は朧気で、今にもまた眠ってしまいそうだった。

「大丈夫か?」

「はい。少しボーっとしますが大丈夫です」

「それはよかった」

 俺は、マナの手を握る。その腕には点滴が射されている。

「また、私、迷惑かけてしまいましたか……」

 マナの声は、震えている。

「ほんとにごめんなさい」

 マナの頬が涙で濡れる。

「大丈夫だよ。なんも迷惑じゃないよ」

「私、元の時代に帰ります」

「え」

 頭の中が真っ白になる。嫌だ。マナと離れるのはもう嫌だ。夏休みの二週間ほど、マナがいなくなった時のことを思い出す。

 あれほど、寂しかった時は今までになかった。だから、またあの時の寂しさを味わいたくはない。

「私、これ以上、蝶夜に迷惑をかけたくないんです」

「迷惑なんて、これっぽっちも思ってない」

「でも、私は、蝶夜との約束を守れなかった」

「それは仕方ないことだろ。マナの時代だとサイレンって結構やばいんだろ?」

「確かにそうですけど。それは言い訳にすぎません」

 マナの目には決心がついたように、力強い意思を感じた。本当に帰るつもりなんだ。俺のせいだ。俺はただマナの楽しく過ごそうとしていただけなのに。俺のせいで、マナはいま苦しい思いをしているんだ。

「今回のことは、俺にも非がある。マナだけのせいじゃない」

「それもいいわけです。私がこの時代に合わせれていれば、こんなことにはならなかったんです」

 マナの目は涙が流れているが、鋭いまなざしを俺に送っている。

「そうやって、また責任を感じてる。そんなに自分を責めなくてもいいんだよ」

「ダメなんです。このまま、蝶夜たちに甘えてばかりじゃダメなんです」

「甘えてばかりじゃない。俺だってマナに助けられていたし、愛喜も英季も、マナを必要としてる。マナといること、楽しいと思ってる。だから、いまは帰っちゃダメだ。だから、明日だけでも、学校に行こう」

 しばらくの沈黙。

「わかりました。明日だけ行きます」

「ありがとう」

 リミットは明日まで、明日までに問題を解決しないと、マナは俺たちの前からいなくなってしまう。

「ちょっと、トイレ」

 俺は、病室を出て、愛喜と英季に電話をかけた。



 私はまた蝶夜に迷惑をかけてしまった。魔法を禁じられていたのに、使ってしまった。全て私のせいだ。それなのに、蝶夜は私に優しくしてくれる。その優しさに甘えたくなる。でも、その優しさに甘えたら、また迷惑をかけてしまう。だから、私は変わらないといけない。もう迷惑をかけたくない。

 しかし、明日でみんなと別れ離れになってしまうと、胸が苦しくなって涙があふれでてくる。

 これ以上、考えても涙が枯れるまで流れてしまう。目を閉じて眠ることにしよう。


 俺はトイレに入り、二人に電話をすることにした。まずは、英季からかける。

 すぐに電話にでた。

『何の用だ?』

 英季は、元気そうだ。

 まずは、マナが倒れたこと、マナが明日でいなくなることを伝えた。

『そうか』

 あからさまに元気がなくなることがわかった。

「でも、まだチャンスはあるんだ。聞いてくれ」

『なんだ?』

「クラスメイトとの関係を戻せばいいんだよ」

『言うことは簡単だぜ。でも、どうするんだよ。なんか策でもあるのかよ』

「いや、まだなにも。英季も考えて欲しくて電話したんだ」

『そういうことか。わかった、考えておく』

 そういって、英季は電話を切った。

 次は愛喜に電話をかけた。七コールくらいなり、切ろうとしたときに電話は繋がった。

『もしもし~』

 でも、元気そうだった。寝てはいなかったようだ。

「いま大丈夫?」

『あーうん。ちょっと待ってて、今、髪乾かすから待ってて。またこっちから電話するわ』

 切られた。

 それから、俺は病院の自販機で飲み物を買いに、廊下にでた。避難経路を示す、緑色の光と、消火器の位置を示している赤いランプのみが光となっている。

 自販機のところだけが異様に明るかった。

 俺は自販機の前にたち、飲み物を選んでいると、携帯電話がポケット中でなった。

 静かだった廊下に、着信音が鳴り響く。

 すごい驚いた。

 慌てて電話にでると、愛喜の声が聞こえる。

『もしもし~。で、電話の内容はなに~』

 俺が結構驚いたっていうのに、能天気なやつめ。

「マナのことなんだけど」

『ん。なにかあった?』

 急に真剣な声色に変わる。そして、俺は英季と同様に、今の様子を話した。

『なんか、策ね。うーん。一日だけだと難しいんじゃない?』

「でも、マナはもう決めているみたいだったし」

『そこをなんとか伸ばしてもらってさ』

「できてたら、やってるよ。一日でも居てもらえたのが幸いとだと思う」

『そうね。私も考えておくわ。明日、朝一で登校して作戦会議をしましょう』

「わかった」

 俺は、電話を切る。

 そして、英季に朝一で学校に来るようにと連絡して、俺は病室にもどった。

 マナはもう目を閉じている。スースーと寝息を立てている。しかし、目からは涙がこぼれていた。俺は、その涙を拭いた。

 座ったまま、俺は眠りについた。

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