三章 静寂の刻


 俺たちはマナのいなくなった日をだらだらと過ごした。ただただテレビを見ていたり、ゲームを一緒にしていたりと、普通の日常に戻ったという感じだ。

 さっきまでマナがいたとは、思えなかった。マナがいた雰囲気などどこにもなくなっている。さっきまで泣いていた二人だが、今は一緒に笑い転げてとても楽しそうだ。

 魔法が本当にあったなんてもう信じられない。魔法が夢なんじゃないかと少し考えたくもなった。

 いつの間にか日も落ちて、二人は帰らなくては行けなくなった。二人を駅まで見送った田後に家へ戻った。

 家の扉を開けると、中はとても静かだった。今までの風景が頭をよぎる。

 おいしいそうに食べるマナの様子。テレビを見ているマナの様子。ソファでくつろぐマナの姿。リビングで過ごした日常の風景が思い出される。しかし、今はいない。静かなリビングのみがそこにある。

 俺は、テレビを付けて雑音を生み出す。静かなリビングにバラエティー番組の笑い声が寂しく響く。

 俺は適当に冷蔵庫の中にあるもので簡単なものを作り、一人で食べた。あるもので適当に作ったが結構味はいいかもな。うん、おいしい。

 だが、感想を言ってくれる人はもういない。おいしいそうにご飯を食べるマナの姿はもうないのだ。俺は黙々とご飯を口に入れていく。食べていくたびに美味しさが減っていくような気がする。みんなと食べればおいしいと聞いたことがあったが本当なのか。

 俺は食事を終え、お風呂に入る。いつもは俺が先に入った後にマナが入っている。マナの後に入るなんて俺にはできなかった。思春期の男子には可愛い女子があとの湯船なんて冷静には入れるわけがない。

 そんなわけで、俺が初めに入るのだがマナのために急いで済ませる。今日からマナがいないので、お風呂もゆっくり入ることができる。俺は鼻歌を歌いながら肩までつかる。

 しかし、俺の頭はマナのことでいっぱいになっていく。

 お風呂に入るとつい色々考えてしまう。

 心の中がだんだんと暗くなっていく。俺はマナのことを考えないようにするために湯船から上がる。

 しかし、マナが頭から離れない。

 寝室にはまだマナが寝ていたベッドが残っている。それを見たらまた目尻が熱くなった。マナがいる間は寝る前に楽しく話をして寝ていたが、今はそれができない。

 俺は、ベッドじゃなく布団のほうで寝る。

 目を閉じるとマナの顔が思い浮かぶ。

 涙がこぼれて枕を濡らした。

 その日、俺はマナと一緒に魔法を使う夢を見た。とても暖かく幸せだった。

 朝日の明るさに起こされる。幸せな夢も覚め、マナのいない虚無が俺を襲う。

 


 マナがいなくなった後の夏休みは、モノクロになった世界のようだった。夏休み前半のキラキラとした楽しい日常と反対に後半はとてもつまらない日常になった。

 俺は機械のように宿題を終わらせる日々。

 愛喜と英季の二人とも週に一回会う程度になり、外に出ることも減った。

 夏休みが終わる三日前の朝。英季から一本の電話が入った。その内容は

「宿題を写させてくれ」

 英季は泣き叫んでいた。あまりの声の大きさに耳が壊れそうになった。

 そして、今日は久しぶりに俺の家に英季と愛喜がきた。

 俺が頼まれたのは英季だけだったが、愛喜も同じ願いを持っているらしい。愛喜は苦笑いをして頭を下げてきた。

 食卓に複数で座るのはいつぶりだろうか。

 二人は、真っ白な宿題を食卓いっぱいに開いた。

 ほんとに一ページもやっていない。あと三日で夏休みは終わるって言うのに。だが、写させたら彼の力にならない。俺は交換条件を提示した。

「俺の宿題を写すのは禁止だ。だが、教えることはしよう。夏休み明けにはテストもあるしそうした方が君たちのためになるだろう?」

「たしかにそうだけどよ。俺じゃ、残り三日じゃ無理だぜ?」

「なんとかやるんだよ。とりあえず、始めようか」

「くそー。去年みたいに写させてくれると思ったのによ」

「去年、俺の写してお前は赤点取ってったよな?」

「ぐね」

 英季は、口をとがらせすねながら宿題を始めた。

 そんな英季とは反対に、愛喜は食卓についてから黙々と宿題を進め始めていた。

「愛喜が一ページもやっていないのは珍しいな?」

「そうね。なんか、のるきじゃなかったのよ」

「そうだったのか。残り三日の間に終わらせるぞ」

「そうね。そのために今日はお泊まり道具を持ってきたわ」

「え?」

「俺も持ってきたぜ!」

 二人は急に声を張り、パジャマを見せてきた。

 泊まるなら先に言ってくれよ。

 俺は小さくため息をついた。

 しかし、俺の口元はにこりと無意識のうちにゆるんでいた。


 初日の宿題を終わらせる会が終わった。

 俺たち三人は、大きなため息とともに背もたれにだれた。

「うわぁ、疲れた」

「私も」

「なんで、宿題なんてものがあるんだよ」

「ほんとそうよね」

 英季と愛喜は愚直を喋り始めた。俺は誰のせいで疲れさせられたのか考えてほしい。俺は立ち上がって夕ご飯の準備をする。急遽泊まることを知ったせいで、夕ご飯も三人分作らないといけない。一人分は昨日作り置きしていたのだが、色々予定が崩れていく。

「俺は夜ご飯の準備するから、お前らお風呂にでも入りな」

「え、英季と一緒に入らないといけないの? そんなの嫌よ」

「俺もだぜ。女子と入るなんて俺にはできない」

 二人は顔を真っ赤にしている。

「なにぼけたこと言ってるんだ。誰が一緒にって言ったんだよ」

「「あ」」

 この馬鹿さに思わず笑ってしまった。

「愛喜は、俺が入ったあとにしてくれ」

「わかった」

「それでは、大塚英季行ってまいります」

 英季は行進をしてお風呂に向かった。その様子があまりにも面白くてまた笑ってしまう。

 

英季がリビングからいなくなり少し静かになった。俺は夕食作りを始めていた。

「蝶夜、やっと笑ったね」

「え」

 愛喜の言葉に、肉を切っていた俺の手が止まる。

「マナちゃんがいなくなってから、蝶夜あんまり笑わなかったから……」

「そうか?」

「そうよ。時々一緒に遊んでるけど、その時もなんか上の空って感じ。私たち心配してたんだから」

「それはごめん」

 俺は止まっていた包丁を再び動かして、料理の続きを始めた。

「私もね、マナちゃんがいなくなった後、結構寂しかったのよ。そのせいでだと思うんだけど、この通り宿題も全く手をつけれなかったわ」

 俺は黙って愛喜の話を聞いていた。夕ご飯の準備も順調に出来ている。

「だけど、私の気持ちはマナちゃんのせいじゃないの。蝶夜のせいよ。マナちゃんと別れた後の蝶夜の様子、おかしかったのよ。ほんとに心配だったわ。マナちゃんのことを考えているというより蝶夜のことばっか考えてた。私、蝶夜が元気じゃないのが嫌なのよ。だから、今日笑ってくれたことがとても嬉しかった」

 愛喜は空のマグカップを眺めていた。

 料理のほうは完成して盛り付けをするだけだ。

「だから、私には元気な蝶夜が必要なのよ。だから、マナちゃんがいなくても元気でいてよ。私がいるよ。蝶夜には私がいるよ」

「え。どういうことだ?」

「言葉通りの意味よ。蝶夜には私がいるの。私がずっとそばにいるの。ずっと一緒に居たいの。だから、私の彼女になってほしいの」

 愛喜は俺の目をじっと見つめている。俺はその目線を見ていることができず、目を逸らしてしまう。

「俺は……」

 なにも言えない。愛喜に対して恋愛感情なんて思ったときがなかった。俺は英季を応援していたい。ここで返事をしたら英季を裏切る結果になってしまう。俺はここで断らなきゃいけないんだ。だけど、どうやって断ればいいんだ。ここで関係を壊すことはしちゃいけない。

「蝶夜……?」

 愛喜はキッチンに入ってきて俺の手を握った。

 どうしよう。パニックだ。どうやって返答すればいいのか全くわからなくなった。どうしよう。嫌な汗が背中をつたう。このまま黙っていても怪しまれるし、愛喜を傷つけるかもしれないなにか答えないと。

「俺は……」

 いい断り方を探さないと。言うぞ。いま俺は断るぞ。

「俺は、」

「あぁ、さっぱりした。次、いいぞ」

 そこにお風呂から上がった英季がやってきた。

「入ってくるわ」

「いや、料理できたし、俺が先でいい?」

「いいわよ。いってらっしゃい」

「ありがとう」

 なんとか逃げれたと、ほっとした。

 俺は湯船に浸かる。

「愛喜があんなこと思っていたなんて。英季に聞かれてなかったらいいけど」

 愛喜はいつから俺のことを思っていたのだろうか。マナといるときからずっと思っていたのか。もうわからないことだらけだ。

 だけど、俺が考えるのは愛喜とこれからも今までの関係で居続ける方法だ。ここの回答次第では三人の関係は壊れてしまう。

 どうしよう。どうすればいい。どうしたらいいんだ。わからない。


「おい、お前いつまではいってるんだよ」

 扉の向こうから英季の声が聞こえる。

 え、もうそんなに時間が経っていたのか。

「ごめん。いま上がる」

「愛喜も待っているんだから急げよ」

「あぁ、うん」

 俺はこれでもかという速さでお風呂から上がった。

 上がると愛喜が腕を組んで怒っていた。

「遅いわよ。あんた一時間半くらい入っていたわよ」

「え、そんなにはいってたか?」

「そうよ。私もはやく入りたいんだから」

 横で英季がうんうんと縦に頷いている。

「ほんとにごめん」

「いいわ。はやくはいってご飯にしましょう」

 愛喜は風呂場に向かった。

「蝶夜っていつも長風呂なのか?」

「いや、そうじゃないよ」

「そうなのか。まぁいいけどな」

 英季はソファでくつろいだ。

 俺は英季に隠し事をしないといけない罪悪感で英季の顔を見るのもつらくなった。はやく答えを見つけなければ。

 

 それからはご飯を食べて、三人でゲームをして寝た。

 愛喜はマナが使っていたベッドを使い、俺と英季は二人で俺が寝ている布団で眠る。男が二人で寝るには狭かった。

 安眠とまではいかなかったがなんとか寝ることはできた。



 次の日、目を覚ますと俺は布団から出されていた。

 英季は大の字になり布団を占拠している。

 ちょっとムカッと来たから、俺は英季を軽くどついてやった。

 俺はいつものように朝ごはんを作る。一人分を作り終えたところで、愛喜が起きてきた。

 あ、泊まってること忘れていた。今から二人分作るのはおっくうだった。大きくため息をついて二人分の朝ごはんを作った。

 今日もまた宿題をやる日になった。

 夏休み終了まで残り二日。

 俺たちは急いで夏休みの宿題を進めていく。休憩は最小限で進めている。一日が終わるころには三人とも疲れ切っている。終わると昨日のように椅子の背もたれにもたれかかってダレる俺たち。

 その後はお風呂にはいったあとはご飯を食べる。昨日と同じ流れだ。

 その後はみんなでダラダラとテレビを見て眠る。

 しかし、今日の俺は昨日の自分と違うのだ。

 昨日みたいに英季に布団を取られるわけにはいかない。俺は一つの作戦を考えている。それは布団を横にして幅を広げれば、床で寝ることにはならないだろう。足は出るけど夏の熱帯夜では足位出しても全然寒くない。

 いい案だと思う。

 俺は早速英季に提案してみる。英季も賛成のようだ。昨日のことを英季は深く反省しているようだし責めることができなかった。俺は布団を横にして寝た。

 膝から下が布団から出てるが窮屈さは感じなかった。

 俺たちは布団に入って目をつぶっていた、

 その後に愛喜が寝室に入ってきて、ベッドで眠った。

俺は昨日のことを思い出してずっと愛喜のことを気にしていたのに、愛喜の様子は普段と変わらなかった。

今日は少し居心地が悪かった。

 ずっと気を張りっぱなしだった。

目を閉じると自然と眠りについた。



「蝶夜、蝶夜。私帰りますよ。待っててください」

 遠くでマナの声が聞こえている。

 あたりは一面の真っ白な無機質な空間に俺は立っていた。出口はなさそうだ。白い空間のせいで距離感がわからない。無限にこの空間が続いているようだ。

 再びマナの声が遠くから聞こえる。

「蝶夜、起きてください」

 マナの声は空間に響きやまびこのようにエコーがかかって消えていく。

「マナ、どこにいるんだ。俺の前に来てくれ」

 マナからの返事はない。しかし、数十メートル先だろうか。人影が浮かび上がった。遠目で長い髪が揺れているのがわかる。それがマナだということに気付くのに時間はかからなかった。

 俺はマナに駆け寄る。

 しかし、マナに近づける気配はしなかった。

 俺がどれだけ走っても、マナは同じ速度でスクロールして動いていく。俺は徐々にスピードを上げていく。息が上がりどんどん足が重くなっていく。足が絡み俺は前に倒れる。俺はマナに手を伸ばす。マナはただ俺を見ているだけだった。俺がどれだけ手を伸ばしても届かなかった。

「マナ! 待ってマナ!」

 叫ぶがマナの反応はない。聞こえているかもわからない。マナはただ一言。

「もう少し、待って。まだ帰れない。だからもう少し……」

 白い空間は急に眩しく光り始めた。俺は目を瞑ってしまう。

 次に目を開けると、俺は寝室にいた。隣ではグースカといびきを立てて寝ている。

 あたりはまだ暗い。携帯を開き時間を確かめてみる。

 四時半。まだ起きる時間ではない。俺は再び布団にもぐり目を閉じた。

 さっき見た夢の空間を思い出す。

 夢にしては五感があってリアルだったな。今も転んだときにぶつけた膝がじんじん痛んでいる気がする。

 不思議な夢だったな。

 ほんとにマナが話しかけてきているようだった。人の夢に入る魔法とかあるのかな?

 俺は魔法のせいにすることで納得して、気にしないことにした。

 俺は再び眠りについた。


 夏休みの終了まで残り一日。今日が最後の夏休みだ。

 二人の宿題の進行度は、今日一日中やり続ければなんとか終われるくらいまで昨日進めていたから大丈夫なはずだ。

 俺はいつものようにご飯を作った。そして、二人を待った。

 しかし、二人は一向に起きてこなかった。時間は八時半を周っている。このまま起きてこなかったら、宿題なんて終わらないだろう。

 俺は二人を起こしに寝室の扉を開ける。

 英季はまだいびきをかいて爆睡している。愛喜はきれいな姿勢で寝ていた。二人とも気持ちよさそうに寝ている。二人とも二日連続で宿題に取り組んでいて疲れているのはよくわかる。起こすことに罪悪感を覚える。

 しかし、ここは心を鬼にして二人を起こさなければ、このあと二人は地獄を見ることになるだろう。

 キッチンからフライパンとお玉を持って来て、その二つを太鼓のように使い、音を鳴らした。よくドラマやアニメで見る起こし方だがほんとに起きるのだろうか。俺は疑問に思いながら全力で、フライパンをお玉で叩いた。

 高い金属音が響く。自分の頭に響いて、キンキンと痛む。

 この作戦はやめよう、自分が受けるダメージが多すぎる。

 フライパンとお玉を片づけにキッチンに戻った。

 片づけていたとき、後ろから声をかけられた。

「朝からうるさいわよ」

「あ、おはよう」

 振り向くと愛喜が不機嫌な顔で立っていた。その眼差しがあまりにも恐ろしい。

「ごめん。いい起こし方がわからなかったんだ。ほんとにごめんよ」

 愛喜は俺の顔をじっと見ている。気まずい。てか、怖い。愛喜はなにも言ってこない。冷や汗をかく。

「プフッ」

 むすっとしていた愛喜の顔がほころぶ。

「なにあの起こし方、蝶夜いつの時代の人よ」

「えっ」

 急な感情の切り替わりに驚く。

「フライパンとお玉って、今の時代やらないわよ」

「え、あ。怒ってないの?」

「ほんとに怒ってるって思ってたの?」

「うん」

「蝶夜は騙されやすいのね。全然怒ってないわよ」

「だって、不機嫌そうだったし」

「演技よ、演技。とりあえず、まだ英季はいびきをかいて寝てるわよ、どうするの?」

「起こさないとね。今日中に宿題を終わらせないと」

「そうね。二人で起こしに行きましょう」

 次は二人で英季を起こしに行く。

 俺は耳元で声をかけてみる。しかし、起きる気配はない。何度か試していると。

 愛喜が俺を後ろに引かせた。

 そして、愛喜は英季を蹴飛ばした。ごすっという鈍い音を立てる。手加減なしのマジの蹴りだろう。

 これには、英季も目を覚ます。蹴られた背中を抑えて起き上がる。

「いってぇな」

 こっちはほんとに不機嫌そうだ。

 

 起きた俺たちは朝ごはんを食べて宿題に勤しむ。

 そこまで英季はご機嫌斜めだった。

 しかし、宿題を始めるとスイッチを切り替えて今までにない集中力で進めていく。

 そして今日も宿題をするだけで一日が終わりそうだった。

 夕方のニュースが始まる時間帯になっていた。

「二人とも明日学校だから、今日は流石に変えるだろ?」

「そうね」

「そうだな」

 二人は見合わってうなづいた。

「ご飯はどうする?」

「最後だから食べていこうかしら。蝶夜のご飯を食べる機会なんて少なくなっているしね」

「そうだな。俺も残って食べていくよ」

「わかった。最後だから豪華に行こうか。確か、冷蔵庫に牛肉が入っていた気がするし」

「牛肉だと!すき焼きとかか?」

「すき焼きじゃないけど、しゃぶしゃぶにしようと思った」

「やったぜ。なら、ささっとこんな宿題終わらせるぞ」

「私も頑張るわ」

 二人は気合いを入れて宿題に向かう。ペンが机を叩く音が早くなる。二人は真剣な表情でペンを走らせる。

 俺はその間にしゃぶしゃぶの準備を開始した。土鍋でだしを作り、具材を切る。とても簡単だ。しゃぶしゃぶを料理と言っていいのかわからなくなるときがある。焼肉も一緒だ。

 俺が具材を切っているとき、家のインターホンが鳴った。

 俺はだしのガスを止める。

 誰だろう。ネットでなにか注文してたっけ?

 宿題をしている二人はインターホンを気にもせず、宿題を頑張っている。

 そんな二人を横目に玄関へ向かった。

 扉の覗き穴を覗いてみる。

 そこには、長い金髪を下げ、軍服を来た少女が立っていた。俺はその人を待ちわびていた。こんなにも早く来てくれるなんて。

 俺は急いで扉を開ける。

「うわ。」

 彼女は急に開く扉に驚いたようだ。

「ごめん。でも会えたことが嬉しくて、つい力んじゃったんだ」

「蝶夜、お久しぶりです」

「マナ。会いたかったよ」

「私もです」

 俺は、マナを家に上げた。

 宿題を必死にやっている二人はリビングに入ってきたマナに気づいてないようだ。まだ、宿題に目を落としている。

 俺はニヤニヤとその二人を見た。マナが来たと知ったらどんな反応をするのだろう。とても楽しみだ。

「あの、二人ともお久しぶりです……」


 マナは戸惑いながら、二人に声をかけた。

 二人はゆっくりと声をかけられたほうを振り向いた。若干、宿題を気にしているようだった。

 しかし、後ろにいる人の正体に気付いた二人は宿題に対する意識は皆無となった。

「え、マナちゃん!」

「え、なんでだ。おい!」

 二人は目が飛び出るほど驚いている。慌てふためく二人を俺はニマニマと見ていた。

「突然ですいません。早く会いたかったので」

「私も会いたかったわ」

 愛喜は愛喜に抱きついた。

「ちょ、愛喜さん苦しいです」

「あ、ごめん。嬉しすぎてついやっちゃった」

 愛喜はペロッと舌を出した。

「マナもはやく席ついてゆっくり話そうぜ」

「はい」

 背中を押すように後ろから英季がマナを食卓の席に案内する。マナは前と同じ席に座る。約二十日間くらい久しぶりにみた光景だ。思わず目が潤む。

「今日は豪華にしゃぶしゃぶだってよ」

 英季がニコニコしてマナをずっと見ている。

「しゃぶしゃぶ? それはなんですか」

「ふっふん。とても美味しい料理だよ。お肉をしゃぶしゃぶして食べるんだけど、お肉の味がとてもおいしくてね。ほっぺが落ちるよ」

「おいしそうですね。楽しみです。私の時代のご飯があんまりおいしくなくて、こっちの時代のご飯を食べたくて仕方なかったんですよ」

 マナはじゅるりと涎をすする。

「もしかして、食べ物目的で戻ってきたんじゃないの?」

「えっと、実は……」

 マナは俺と目を合わせようとしなかった。

 冗談で言ったつもりだったが、ほんとだったのか。

「え? ほんとに?」

「いや、冗談です……」

 マナの顔が真っ赤に染まっていく。マナの新しい一面を見たようだ。冗談とか嘘をつくとき、マナはあからさまに目を逸らすんだな。しかも、ばれると顔が赤くなるんだ。噓がつけない人なんだな。かわいい。

「みなさんに会いたくて戻ってきました……」

 さらにマナの顔は赤くなる。もう耳まで染まっている。微笑ましい。

 三人でその様子をニヤニヤと見た。


 二人の宿題が終わり、俺のほうもあと少しで準備が終わりそうだ。

「あっちの時代はどうなったの?」

 愛喜がマナに質問をする。

「それがですね……」

 俺たち男二人もマナの答えに耳を傾ける。

「無事解決できました。戦争は一旦休戦という形です。みんな魔導書の模写をしています。その各国の言語に訳せる人を探すのに苦労しまして時間がかかってしまいました」

「それはよかったね。あとは時間が解決できるね」

「はい」

 よかった。俺のアイデアがいい方向に進んでくれたことに安堵した。俺の気持ちは軽くなり包丁も軽快にリズムを刻みながら具材を切っていく。

 昆布煮ていただしも、いい匂いがしてきた。完成だ。


 食卓の真ん中に鍋敷きを敷いて、その上に土鍋を乗せる。

 ポン酢とごまだれを用意して、四人全員で食卓を囲む。懐かしい光景のはずなのに、つい先日まで同じ光景を見ていたかのように感じる。

 俺たちはしゃぶしゃぶを仲良く四人でつついて食べた。俺一人じゃご飯をこんなに美味しく食べることはできなかったし、マナが抜けた三人でも違和感があった。やっぱりこの四人が揃わないと完全ではないのだ。俺はそう思った。



 夜ご飯を食べ終わった後、そのまま愛喜と英季は家へと帰った。久しぶりのマナと二人きりの空間だ。なんか、緊張してしまう。

 しゃぶしゃぶは全て完食して、皿だけが机の上に残っている。マナはそれを流し台へと片付けた。俺はその片付けられた皿を洗う。片付けが終わったマナには、ソファでくつろぐように言った。

 マナはテレビを付けて言われた通り、くつろいでいる。テレビではマナが初めてテレビを見た時に入っていたバラエティー番組が流れている。古典的なお笑いで冷たい空気を作り、それを司会の人が面白おかしくツッコミを入れて笑いをとるタイプだった。

 しかし、マナは古典的な熱湯風呂のネタでお腹を抱えて笑った。その様子がおかしくて、俺もつられて笑ってしまう。

 自然とこんなに笑えたのはいつぶりだろうか。少なくともマナがいなくなってから笑う機会はほとんどなかったと思う。この前、愛喜に笑ったって言われたけど、そのときよりも心から笑えたような気がした。

 俺は皿洗いを終えて、お風呂に向かう。マナより先に入る習慣はまだ健在だ。マナはそれを理解し、返事をした後テレビに夢中になった。

 俺はお風呂に入る。マナが後に控えていると思うとお風呂も急いで入ってしまう。上がればマナはもっと入っててもいいのに、と気を使ってくれる。

 そのあとにマナがお風呂に入って俺は寝室でマナを待つ。久しぶりに一緒に寝るのでなんか意識してしまう。

 マナがお風呂から上がって部屋を歩く足音が聞こえる。この待つときにドキドキする感じ。でも嫌じゃない。ワクワクしたドキドキも混ざっている。

 寝室の扉が開けられた。

「蝶夜、もう寝ました?」

 この言葉も懐かしい。

「いや、まだ起きてるよ」

「それはよかったです、私の寝る場所は変わってませんか?」

「そうだよ」

「綺麗に整ってますね」

 昨日愛喜が寝たからもあるが、俺はいつマナが戻ってきてもいいようにマナの使うものもきれいにしていたのだった。

「このふかふかベッドいいですね。天国ですよ」

「あっちだとどんな感じに寝たんだ?」

「そうですね。蝶夜みたいな感じの薄い敷布団がベッドの上にあるだけでしたね」

「そうなのか」

「蝶夜、今日は一緒にこのベッドで寝ませんか?」

「え、いや。それはちょっと」

「いいですよね」

 マナは布団に腕を突っ込み、俺の左腕を引っ張った。

「いいですよね。ね?」

 さらに腕を引っ張る。行ってはいけないという理性が俺の頭の中にはあるものの、本当の心の中では一緒に寝たいという煩悩が、その理性を壊す。

「いや、ちょっと」

 少しある理性で抵抗する。

「私の寝るのは嫌ですか?」

 暗くてマナの顔が良く見えなかったが、声は少し震えているように感じた。それはずるい。俺の理性が崩壊していく。

「仕方ないけどいいよ」

「ありがとうございます」

 俺の心は、喜びと恥ずかしさと緊張でグルグルとしていた。

 頭の中が混沌としているうちに、俺はベッドの中に入っている。

「最後の日もこうやって寝ましたね」

「あ、そ、そうだね」

 やばい、言葉に詰まってしまう。

 マナの体が俺に密着する。ひたっと冷たいものが触れる。真夏の熱帯夜にはちょうどいい。しかし、それがマナだと思うと、俺の心臓は俺の体に大量の血を送って熱くさせる。特に顔が熱い。

「私、元の時代に戻っても蝶夜のことずっと考えてました。会いたくて、会いたくて仕方なかったんですよ」

 さらに俺の体に密着する。俺は恥ずかしてマナに背中を向けていたが、マナの打ち明けてくれた心にしっかり向き合うために、マナのほうに体を向ける。

 マナは俯いて足のほうを見ていた。金色の髪が月の光を反射している。俺は布団と接していない手で、マナの頭を撫でる。

 マナはびくっと体を震わせるが、落ち着いたようにあっちの時代のことを話してくれた。

「あの後、私は本を取った場所に戻っていました。時間は蝶夜の行っていた通り止まっていました。周りでは戦争が行われていました。私はワープで自国に戻って蝶夜の作戦を決行しましたが、賛同者が現れず私は、反逆者にさせられました。私は数日牢屋で寝ていました。寒かったです。でも、上の人の会議で私たちの作戦は決行されて私の身柄も自由になり、今に至ります」

 牢屋に入っていたなんて知らなかった。俺の考えた作戦によってマナはひどい目にあっていたと思うと胸が苦しくなった。

「蝶夜のおかげで世界は救えました。ほんとにありがとうございます」

 自分がひどい目にあったというのに、マナは自分のことではなく周りのことを考えているなんて、いい人すぎる。だが、その優しさが怖さでもある。

 俺はマナを力強く抱きしめた。

 自分よりも他人を大事にするマナは、いつか自分の身を滅ぼすかもしれない。そんな、マナを誰が守るんだ。このまま、一人で傷ついていくのを見ているなんて俺はできない。

「俺がマナを守るよ」

「え、今なんていいました?」

「いや、なんでもない」

 マナには俺の決意は聞こえていないようだった。だが、俺の心の中ではもう決心したんだ。俺に力はないけど、マナを別の形で守ってみせる。

 もう一度聞こうとしたのか、マナは顔をあげる。目元が赤くなっている。

 俺はさらに優しく包む。

 今日は寝よう。

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