第3話

 魔法使いの庭には、あちこち看板が立っていた。『龍がいる洞窟はこちら』とか『薬草園はこちら』とか。


 ―― なんて親切な庭なんだろう。これでは迷わず行けるわ。


 私は魔法使いの課題がすんなりできそうで、内心嬉しくなった。でも、問題は、前を歩くキニイラナイ、ウィリアムと言う名の男の子。私の方を見もせずテクテクと歩いて行く。ほんと、自分勝手だわ!!


「なあ、チビ」

「アンジェリーナです」

「薬草を摘むのは後の方がいいだろう」


 ウィリアムはするっと無視して話を進める。呼び方に腹が立つけれど、ここで頼れるのはこのキニイラナイ男の子しかいない。仕方なく私は頷いた。


 歩いて行く道に『龍がいる洞窟はこちら』という看板がいくつもいくつも立っている。ウィリアムは看板を見るたびに「ちっ……」と呟いて顔を顰めている。看板まで文句を言ってる。変なの。


 ―― 見た目よりずっと子どもじゃない。なんでもキニイラナイ、イヤイヤ期の幼子だわ。


  歩いて行くと、遠くに見える洞窟の入り口に空色の塊を見つけた。少し近づくと、それが空色の鱗を纏っている大きな大きな龍であることがわかった。


―― あれが龍? 


 龍を見たことはないからどんな生き物だろうって思っていたけれど、大きくて顔もぎろっとしていて怖いなぁ。大きな口、私なんて一口でペロリだわ。そう考えると膝ががくがくしてくる。でも、龍の涙を手に入れなきゃ!!


「なあ、チビ」

「アンジェリーナです」

「あれが龍だよな」

 

 ウィリアムが相変わらずするっと無視して話を進める。もう!!って思うけれど、我慢がまんガマン。


「お前、龍の涙って何か知っているか?」

「龍が流す涙じゃない?」

「はん。知らないのか」


 ウィリアムが馬鹿にしたように鼻で笑う。


 ―― もー自分だって知らないくせに!!


「龍がお前みたいに泣き虫だって言うのか。馬鹿か、お前。そうだ。お前が龍を怒らせて、龍と追いかけっこしている隙にオレが洞窟の中を探す。龍の涙はきっと洞窟の奥にある宝石のことだ」


 ウィリアムはいいことを思いついたといわんばかりに、にやりと唇の端をあげた。

ウィリアムの顔を見ていると、私はふつふつと怒りが込み上げてきた。


「チビ呼ばわりをするし、馬鹿というし、もう許せない!!」


 私は、もう我慢できなかった。右手をぶんとふるとウィリアムに大きな声で怒鳴った。持っていた籠を放り投げる。ウィリアムが一瞬ぎょっとした顔をした。


「なにぃ? オレだって、好きでお前といるわけじゃない!! 魔法使いに、『大人になれる薬』を頼んだのに、なんでチビの面倒を見なきゃいけない……」


 もう、こうなると、売り言葉に買い言葉。私とウィリアムは睨み合う。


「そういうところが子どもなのよ!! 同じくらいの年の女の子をチビ呼ばわりするってどういうこと? ジョルジュなら、私のことをちゃんと名前で呼ぶし、馬鹿扱いしない。それに、龍と追いかけっこなんて言う危険なことを私に押し付けないわ!!!」


 私の言葉を聞いて、ウィリアムが顔を真っ青にしたかと思うと、真っ赤にした。両手をぎゅうっと握りしめてわなわなと震えている。目が大きく開いたかと思うと、大声で怒鳴った。

 

「誰もかれもがジョルジュ、ジョルジュって言いやがって。どうせ、オレは叔父上みたいな大人じゃない!!」


 ウィリアムはそう言い捨てると、龍の方へ走って行ってしまった。










―― キニイラナイ男の子だと思っていたけれど……。


 私が龍のそばに来た時には、ウィリアムが剣を抜いて龍の顔の前に立っていた。龍は、ウィリアムの背の倍以上はありそうなくらい大きい。龍は、片目を開けて尻尾を振った。ドンというすごい音と一緒に地面が揺れる。ウィリアムがしりもちをつく。


 ウィリアムは立ち上がると、うわ――と言いながら龍に剣をあてる。でも水色の鱗は傷つきもしなくて、ウィリアムが持っていた剣の刃が折れた。


 龍はぶおんと鼻息をならして、ウィリアムを吹き飛ばす。吹き飛ばされたウィリアムが私の足元に転がってきた。


 真っ青な顔のウィリアムに私は手を差し出した。ウィリアムの手が震えているのがわかる。私もとても怖いからウィリアムの気持ちもわかる。でも、ウィリアムは一人で立ち向かっていた。私一人だったら泣いて逃げ出してしまったに違いない。


―― ウィリアムのことちょっとだけ見直したわ……。


 ウィリアムは立ち上がると、手を繋いだまま私の前に立った。手は緊張で冷たくなっているけれど、とても心強かった。


―― 私を守ってくれるの?


 ウィリアムが振り返って、しわくちゃな紙切れのような顔をしながら笑おうと口角をぴくぴくさせている。私も、ウィリアムの手をぎゅと握って笑おうと口角をあげようとした。ウィリアムが私の目を見て頷いた。私も頷き返す。


「龍よ!」


 ウィリアムが大声をはりあげた。震えていたけど、その声は今まで聞いた声の中で一番かっこよかった。龍の金色の目が私達を捉える。


『ナンダァ』


 龍が口をあけて声を出すと、凄い風と音量で、二人とも後ろに飛ばされそうになった。私はウィリアムの手を離さまいと力をいれて足にも力をいれる。ウィリアムも左足を少しずらして踏ん張っている。


「龍の涙がほしい!」


 龍の金色の目の中の黒い線がすうっと縦に細くなる。龍の口が小さく開いた。今度はそんなに強い風は吹いてこなかった。声もそれほど大きくない。もしかしてさっきのは私達を脅しただけ? そんなことを考えてしまうくらい優しい声が聞こえてきた。


「モノガタリトコウカン」

「モノガタリって物語?」


  私とウィリアムが顔を見合わせる。龍が目をゆっくりと閉じて開いた。


「きっとそうだって言いたかったのよ。物語っておとぎ話のことかな?」


 私は必死でお姉さまに読んでもらった絵本を思いだそうとした。でも、なかなか思いだせない。私が口をパクパクさせていると、ウィリアムが私の手をぎゅっと握りなおした。そして、龍の方を見て話しだした。


「龍よ。これは、ある男の子の話だ。昔、あるところに、ある男の子がいた。その男の子は、勉強も剣術も苦手で、父親からも兄弟からも遠ざけられている存在だった。しかし、一緒に住んでいるおじさんは違った。おじさんは、面白い話をしたり、男の子の剣の相手をしたり、とても優しかったから、男の子はおじさんが大好きだった。ある日、おじさんが言ったんだ。『隣国へ行く』と。男の子は一緒に行きたかった。それを言ったら、『まだ子どもだから連れて行けない』と言われた。だから、今すぐ『おとなになる薬』をもらうために、魔法使いのところにやってきた。魔法使いは龍の涙が……」


―― これって、ウィリアム自身の話よね?なんだわ。

 

 私はウィリアムが話している間、じっとウィリアムの背中を見つめた。キニラナイと思っていた背中がなんか頼りがいのある背中に見えてきた。ジョルジュと同じ栗色の髪が、きらきらしている。どこかで見たことがあると思ったのは、ジョルジュに似ていたからだと理解した。


「ガルルルル」


 ウィリアムが話し終わると、龍は大きな瞳を閉じた。すると、龍の目の縁に瑠璃ルリ色―濃い紫みの鮮やかな青色―のキラリと光るものが現れた。それが零れ落ちて、私達の前に転がってきた。私の手の平くらいもある。



「これが、龍の涙?」


 龍は私達が瑠璃色の塊を手に取ったのを確認すると、顔を前足に埋めた。


「よし、次は薬草採りだ。…… 行くぞ! アンジェリーナ!」

「うん!」


 私とウィリアムは手を繋いで走り出した。

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