第35話

 「チッ、寝チマッタ」


 すぐ近くから声が聞こえる。

 ああ、戻ってきたのか。

 俺は目を閉じた状態で身体の調子を確認する。クイクイと身体の至る所に力を入れて痛むかどうか確認する。うん、一応身体は少しなら動かせそうだ。


 「マァイイカ。サッ、我ノ愛シイ玩具ヨ待タセタナ」


 俺が身体の調子を確認しているうちに『ゴブリオン』がアーリィへと近づいていっているようだ。


 「くっ、この! させません……!」


 その時、満身創痍だったアルマらしき人影が『ゴブリオン』に襲いかかる。


 「ア? 邪魔ダ寝テロ」


 アルマの振るったゴブリンの剣を難なく掴んだ『ゴブリオン』は、剣を掴まれて一瞬硬直したアルマの脇腹に拳をたたき込んだ。


 ボゴォッ!


 「ぐはッ……!? あッ、かッ……ググゥッ……!」


 アルマの身体は宙を舞い、地面を跳ねて転がる。


 「かはッ! ……はぁ、はぁ……! さ、させません……!!」


 地面に爪を突き立てブレーキをかけて立ち上がるアルマ。頭を切ってしまったようでアルマの髪をアルマの血が滴っていた。


 「ア? 下等種族ガ、我ニ何ヲサセナイッテ? エェ?」

 「き、決まって、うっ、く、いるでしょう……!!」


 息も絶え絶えな様子でアルマは強く宣言する。


 「その、人をあなた如きにッ! 汚させないってことですよ!!」


 ピクリと『ゴブリオン』の眉間が動いた。


 「オマエ、面白レェナ。マサカコノ我ヲ『如キ』呼バワリスルトハナァ……」


 『ゴブリオン』の表情が凶悪に変化する。俺は瞬間的に悟った。このままではまずい、と。

 俺は寝転がった状態で『アイテムBOX』を展開する。そしてその中から『濃縮マアルジュース』を取り出そうとするが、予想以上に腕が動かなかった。

 緩慢な動きでプルプル震える腕を『アイテムBOX』に突っ込もうとしている間に残酷にも時は過ぎていく。


 「オマエヲ壊シテヤル」

 「!」


 アルマは武器を無くして無防備な状態だ。アルマはせめてもの抵抗で身構えた。が。


 「マズハ腕ェ!」


 ボキィッ!!


 「!!あ゛あッ!!」


 身体を守るように前に出したアルマの腕から鈍い音がした。


 「モウ一本!」


 バキィッ!


 「うあぁッ!!」


 アルマの悲痛な悲鳴が響く。そしてここでようやく俺の腕は『アイテムBOX』の中に入った。これで後は目的のモノを取り出すだけだ。

 だが『ゴブリオン』の暴力が止む事はない。


 「ドウシタ、何座ッテルンダァ? ホラ立チナァ!」


 グイッ! ベキベキミシィッ!


 「あああぁぁぁぁああああぁぁぁぁぁ!!!」


 『ゴブリオン』は脱力してその場に座り込んだアルマの手を掴み握り潰しながら無理やり立たせた。

 ひでぇ、酷すぎる!! くそっ、早くこいつを、開けて飲まねぇと!!

 焦れば焦るほど瓶の蓋をしっかり掴むことができずに上手く力が入らない。

 ええいクソがッ!!

 俺は瓶の蓋——コルクの部分を噛んで無理やり引っ張って開けた。


 バシャッ


 勢いがつきすぎて『濃縮マアルジュース』が地面に溢れる。

 おい、マジかよッ! ……くそったれ、やむを得ん!

 それほど遠くないアルマの涙の混じった悲鳴が俺に選択の余地を与えない。俺は『濃縮マアルジュース』が染み込んだ地面を舌で舐め、粗方舐めて口に含むと瓶の中に残った液体で土ごと流し込んだ。


 じゃり、じゃり


 口の中の不快感が飲み込むことを拒否するが、吐き出すわけにはいかない。必死の思いで土ごとジュースを胃の中に落とし込んだ。その瞬間、爽快感が全身を駆け巡りじんわりと身体の奥から熱を灯していく。一度経験した『回復の感覚』だ。


 「オラ、サッキマデノ威勢ハドォシタ下等種族ノ人間サンヨォ?」

 「あ、あ……、うぁ!」


 アルマは声にならない悲鳴をあげる。それもそのはずで『ゴブリオン』は潰した手を離さずに折れた腕を持ち上げているのだ。アルマの体は『ゴブリオン』の手によって完全に地面から離されているため、自分の体重分の負荷がダイレクトに折れた腕に伝わっているはずなのだ。想像を絶する痛みに違いない。


 「オオソウダ、コノ状態デオマエヲ犯シタラドウナルカナァ? 痛ミガ勝ツノカソレトモ快楽ガ勝ツノカ……ナァ、オイ!」


 言いながら『ゴブリオン』はブラブラとアルマの身体を揺らした。


 「いぁッ……! あ、うぁ!」


 アルマは目をギュッと閉じて痛みに耐えていた。これ以上もたもたしてられない。ステータスの確認もできた。俺が出来ることもしっかり理解した。後は体が勝手に動いてくれることを願うだけだ。

 俺は行動を開始する。


 「おい」

 「ア?」


 パァンッ


 『ゴブリオン』のアルマの手を掴んでいた腕が弾かれる。不意を突かれたタイミングで俺の拳を受けた『ゴブリオン』の手がアルマの手から離れた。

 痛みから解放されたアルマがその場に崩れ落ちようとするが、俺はその身体を優しく抱き止める。


 「あ……リン、さん、ぶじだったん、ですね……」

 「ああ、ごめんな。こんな辛い思い、させちまった……」

 「いい、え……、私は、リンさんが、無事、ならそ、れで、じゅう、ぶん……」


 そこまで言葉を紡いだアルマの身体から完全に力が抜ける。


 「!? おいっ、アルマ! 『鑑定』!」


 アルマの体力を迅速に確認すると、HPが全体の一割を切っていた。俺は急いでアルマをその場に寝かせて『アイテムBOX』から『濃縮マアルジュース』を取り出してアルマの口に含ませた。

 しかしアルマの喉は動かない。ジュースを飲み込まない。


 「くそッ、頼むアルマ、誰も死なせたくないんだ、飲んでくれよ!!」


 必死に容器を傾けアルマにジュースを飲ませようとするが、口に含まれたジュースはビチャビチャと地面に流れて染みていく。


 「くそッ、くそッ! どうすりゃ、どうすれば……! そうだ、村を出る時もらったポーションなら!」


 そして『アイテムポーチ』に手を触れようとした瞬間。


 ヒュッ、バキィッ!


 「がッ!!」


 くらったことのある拳が俺の顔を殴りつけた。さっきの宙を舞ったアルマと同じように俺も宙を舞って地面を転がった。


 「マァッタク、我ヲ無視シテ何シテンダァ、オイ?」


 地面を転がって停止した俺は無言でむくりと起き上がる。それを見た『ゴブリオン』は楽しげな笑みを浮かべた。


 「オ? ナンダ、歯ガタタネェ我ニ何スル気ダァ、オイ!」


 完全に俺を舐め切った態度で接する『ゴブリオン』に俺は一言告げた。


 「殴る」


 俺の一言を聞いた『ゴブリオン』は一瞬キョトンとすると次の瞬間ゲラゲラと笑い出した。


 「ホォウ殴ル、ネェ、イイゾヤッテミロヨ! ホラココダココ! 殴ッテミロヨホラァ!」

 「分かった、いくぞ。歯ぁ……食いしばれやッ!!」


 俺は大きく振りかぶって渾身の右ストレートを『ゴブリオン』の顔面にぶち当てた。


 ドゴォッッ!!


 「ガブァッ!!?」


 俺よりも、アルマよりも、勢い良く吹っ飛び『ゴブリオン』は地面を野球の打球のライナーの様に転がっていく。俺はその間にアルマに駆け寄って『アイテムポーチ』から『ポーション』をありったけ取り出してアルマの全身にかけた。

 もちろん『鑑定』で回復したかどうか確認する。


 「……よしっ!」


 飲まないと効果が発生しないのか心配だったがHPがしっかりと確認したのを見て安堵する。

 するといつのまにか岩壁にめり込んだ『ゴブリオン』が目を白黒しながら立ち上がったのを確認した。


 「テ、テメェ、ナンダコノちからァ……!」

 「お前がそれを知る必要はねぇ」

 「ナッ、テメェ……! ナメルナヨォ!!」


 悪鬼の如き形相で信じられない速度で迫る『ゴブリオン』。拳を繰り出すが、その攻撃が俺に当たる事はない。

 なぜなら振るわれた拳に繋がる腕を俺の拳が弾いているからだ。


 『ゴブリオン』は打っても打っても当たらない攻撃に段々イライラしてきていた。


 「テメェ! ソンナチッチェエ攻撃ガ俺ニ通用スルト思ッテンノカ!」

 「さぁ、それは後のお楽しみだ」


 俺は『ゴブリオン』の徐々に減っていくを見てほくそ笑んだ。


 〔右腕 241/500〕

 〔左腕 209/490〕

 〔右足 800/800〕

 〔左足 800/800〕


 「何笑ッテヤガンダァ!!」


 再び振るわれた拳の腕を俺の拳で打ち払う。『ゴブリオン』の得体の知れない何かを感じて不安を含んだ顔を見て、瞳を見据えて言い放つ。


 「お前に地獄を見せてやるよ」

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