シオン加入時
※シオン加入時
***
アルド「さて、ガレク湿原に来てみたけど……どの魔物がそうなんだろ?」
湿地帯特有の肌にこびりつく湿り気を拒むように腕を組み、アルドはその地に立つ。
眺める景色は全てが淡い薄緑色を纏い、混沌とした何者かも分からない生き物の声が今にも響き渡りそうな神妙な雰囲気である。
すると、ガレク湿原の先にあるミグランス城下町の方角から早速と魔物の声が聞こえた。
魔物「……ウギャ‼」
アルド「⁉」
しかしその声は想像していた唸り声でも威嚇でもなく、ましてや誰かに襲い掛かる声でも無い。それを不審に思ったアルドは声のした方向へと急いだ。
そこに居たのは——既に何者かに倒された様子の魔物と、
シオン「……恨みは無いが、牙を剥かれたなら仕方がない。倒させてもらった」
時空を超える旅の最中に知り合い、仲間となった東方の侍、シオンの姿であった。
アルド「シオン‼」
シオン「ん……アルドか。奇遇だな」
恐らく村長が言っていた魔物であろうこの辺で見掛けぬ魔物を先に狩られ、唖然とした佇まいで驚いているアルド。
その姿に気付いたシオンは、アルドの顔を真っすぐに見つめ少し微笑む。
鞘に刃を納める様が美すら擁する強者の証。
アルド「シオンが魔物を倒してくれたのか。流石だな」
そんなシオンに対し腕を組み、腰の剣に手を触れる気が無い事を示しながらアルドは出来る限り温和に挨拶代わりの言葉を返す。アルドなりに強者に敬意と魔物を代わりに討伐してもらった感謝を伝えようとしていた。
だが——、
シオン「……この程度はたいした事では無い。さして強い魔物でもなか——」
アルド「あ、危ない!」
倒された魔物によく似た他の魔物が東方の男の背後に迫っていたならば話は別である。
咄嗟にアルドは、剣を抜いた。
——魔物との戦闘。
トドメの一閃。勢いよく振り抜かれたアルドの剣は、見事に魔物の肢体を捉える。
その一撃によって打ち倒される魔物、やがてガレク湿原に静寂が戻り、アルドは剣を納めて今一度、シオンの方に向き直る。
シオン「……」
恐らくアルドの戦いぶりを観察していたのだろう男は、ただ黙しアルドの強さを再認識する。すると、アルドは開口一番、男に言葉を贈った。
アルド「ごめん、たぶん助けは要らなかったよな」
互いを認め合う強者同士の言葉なき会話の後、こちらには敵意は無いと改めて東方の侍に敬意を示す。するとシオンは静かに首を振った。
シオン「いや、謝ることは無い。流石だな、アルド」
そして言葉を述べながら刀の柄の先に置いていた掌を落とし、戦意を解く動作。
空気に張られていた緊張の糸が僅かに緩み、両者の顔にも目には見えない安堵が浮かんで、普段から湿気に満たされたガレク湿原に温和な雰囲気が混じる。
シオン「なにか礼をしよう」
まるで男は絵物語で見るが如き佇まいでそう言った。義を重んじると伝承に聞いていた通り、ミグランス王国の騎士とは、また少し違う硬さのある深い礼節。
普段からあまり格式張らない生活を送る村育ちのアルドに些かの緊張が走る。
アルド「いや、そんなのいいって‼ むしろ俺の代わりに村を困らせていた魔物を退治してくれたんだ。こっちが礼をしたいくらいだ」
突然の提案に驚きもあったが、本能的にシオンが進呈するという『礼』を拒否するアルドに対し、
シオン「いや……アルドには常々、いつか礼をせねばと思っていた所だ。アレが迷惑をかける事も多いだろうからな……」
東方の侍シオンも頑なな様子ではあった。しかし、単純に義理を重んじているだけではない事はシオンの表情が曇った所を見るに明白であって。
アルド「ん? どうかしたか?」
故に尋ねる。アルドの性分と謳われる人の良さが無意識に漏れ出た形で。
シオン「……いや、何でもない。むっ……‼」
だがシオンは、そんなアルドを一瞥し、そして語る事は出来ないと目を閉じる。閉じたとアルドも思ったのだが——、突然にアルドの背後に歩み寄る存在に気付き、
そして——、刮目したのである。
ヴァルヲ「ナァァ……」
猫——、紛れもなく黒い猫。その鳴き声も、歩き方も、何もかもが猫だった。
アルド「ヴァルヲじゃないか。なんだオマエ、ついてきてたのか?」
東方の男の視線から、その見覚えのある猫にアルドも気付き、声を上げる。
その猫はバルオキーの村にてアルドや妹のフィーネ、村長と共に暮らす一匹の猫、ヴァルヲであった。アルドの言葉の通り、ほんの気まぐれにヴァルヲはアルドの後を追いかけてきたようである。
だが、ヴァルヲもアルドより遅れて気付く。アルドに追いついた先で自分に向けられる熱い視線に——、
ヴァルヲ「ナ⁉」
シオン「……煮干しを食うか?」
本能で生きる猫、ヴァルヲの視点から見れば顔に見覚えのない屈強な男が懐に手を忍ばせ、歩み寄ってくる。そんな光景が目の前で展開され、毛肌が逆立つヴァルヲ。
ヴァルヲ「フシャーー‼」
警戒と威嚇、ヴァルヲは思わず逃げ出した。
シオン「……」
アルド「……」
結果。二人と一匹が、また二人に。
何故だか見てはいけないものを見た気がしたアルドはシオンに気を遣い、背を向ける。
すると——、
シオン「では、私に何か出来る事があれば何でも言うといい。恩を返すのも武士の務め故」
彼もまた何事も無かった様子で話を元の流れに戻し、アルドの視線も取り戻す。
アルド「あ、ああ……そうだな。じゃあ、その煮干しをくれないか? ちょうどリンデ港に魚の煮干しを貰いに行く所だったんだ」
そんなシオンの振る舞いに何処となく申し訳ない雰囲気を滲ませつつ、アルドは頼み事を思案し、そして答えを出す。
しかしシオンには、その答えが僅かばかり意外なもので自分を気遣ったものだと瞬時に理解する答えでもあった。
シオン「……この煮干しでいいのか?」
静かなる疑問符。旧知の仲とはいえ他人に見せてしまった失態に続き、気まで遣わせてしまった負い目が加わり、普段はあまり揺るがないのであろう表情筋が何処となく険しく曇る。けれど、アルドにはそこまで彼を慮る神経も悪意もなく——、
アルド「そうだな。持っていたらヴァルヲ……さっきの猫の分も貰えると助かるよ」
とても朗らかに、肩の力が絶妙に抜けた嘘偽りなさそうな笑みをシオンに贈る。
シオン「そうか……では、少し多めに渡しておこう」
この男は、やはりそういう男なのだろう。アルドの根底に流れる人間の善意に、さしものシオンも頑固比べの勝利を譲り、敬意を込めてアルドの些細な頼みを了承する。
アルド「行く手間が省けたよ。助かった」
シオン「縁があればまた会う事もあるだろう。それではな」
そうして和やかに締め括られる一つの出会いの終結、
アルド「……さて、じゃあエルジオンに戻るか」
残すもう一つの出会いの行く末が自分に何をもたらすかを期待しつつ、アルドは未来へと向かうべく背を伸ばしてガレク湿原の空を見上げるのだった。
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