第11話 夕日

「な、なんだよ……」


 俺の呼び声に応えることもなく相模原は俺の隣にチョコンと座る。


 すごく近い距離だ。相模原の露出した肩が俺の肩にギリギリで触れている。

 すごく近い距離だ。相模原がこちらを上目遣いで見てくる。

 すごく近い距離だ。普段は前髪で隠れて見えづらいがこいつの目はとても綺麗だ。


 見ているだけで吸い込まれるようなそんな力を持っている。

 そんな相模原の吐息が当たるくらいの距離でこいつは俺を見つめてくる。

 張り詰めた空気がこのピンクピンクした部屋の中を満たしてくる。


「ねえ、町田氏……」


 吐息に交じるような、そんなか細い声が相模原の口から発せられる。

 俺の目線は相模原の目ではなく唇に向かってしまう。


「ななななんだよ……」


 自分でもわかるくらいキョドりながら返事をしてしまう。

 相模原は目を逸らさずにじっと見つめてくる。


「お母さんが言ってたけど町田氏はけいxまつとまつxけいどっちが好きなのかな?」

「いやいやいやいや。あのそれはね君ぃ。先進国のGDPが毎年減少傾向にある昨今、その議論は確かに活発ではあるけれどもね君ぃ」


何言ってんだ俺ぇ! GDP関係ねえだろおがよお!


「私はね、町田氏……」

 目を潤ませながら更に顔を近づかせてくる。前髪が俺の額に当たるくらいの距離だ。


「私はね…」

「お、おう」


 相模原は、そんな俺に向かって……

「けいxまつ!けいxまつ!」


 相模原は左肘で俺の右肩をガツンガツンとつついてきた。


「痛い痛い痛い! 骨当たってるって! ゴリッってなってる!」

「アハハハハハ! 町田氏流石にキョドりすぎ! GDP関係ないでしょ!」


 相模原は俺に笑顔を向けながら立ち上がる。


「きょきょきょきょどっとらんわ!」

「なななななんだよ。きょきょキョドどっとらんわ。町田氏無理あるよ~」


相模原は俺の口調をアヒル口で真似してくる。


 ムキー! なんて腹立つ女だ!

 それになによりも相模原のからかいなんぞに見事に引っかかってしまった自分に腹が立つ!


「ごめんごめん町田氏。お母さんからちょっとからかってみればって言われてさ!」


 プリプリと怒りを表す俺に相模原が両手の手のひらを合わせてウインクしながら謝ってくる。


「もう本当さ、勘弁してくれよ相模原~。それに相模原のカーチャンも~」


 平静を取り戻していくにつれ加奈子さんへの怒りが湧いてきた。

 またあの人の差し金かい!


 あの人は俺をからかう星の下に生まれてきたのか⁉

 俺はあの人のからかわれる星の下に生まれてきたのか⁉


 実はまだ少しどころかめちゃくちゃドキドキしているのだがこれ以上動揺を悟られることを嫌って話を本題に移すことにした

「ほいで相模原。話戻すけどさ。こっちの準備は万端だがそっちのブツは用意してあるんだろうな」


 俺は紙袋に入れたDVDBOXを相模原の前に掲げる。


「もちろん! こ~れ~と~こ~れ~ねッ! お、重い!」


 俺の前にドサッと大きな音を立てて置かれたのはアウトドアの結構本格的な登山に使うような大きめのリュックだった。それも二個


「え? 何この、何?」

「何って……私はただガラスの仮面を目の前に置いただけなんだが? また私何かやっちゃいました?」


「」


 想像以上の多さに呆気にとられてしまった。


「いやいやいや! しゃーないのよ町田氏! ガラスの仮面は四十九巻まで出てんのよ」

「四十九冊……だと?」


 俺は相模原に聞き返す。


「いや~幸せ者だね町田氏! まっさらな状態でこれからガラスの仮面を読めるってのはね、この日本にいる五千万人以上ものガラスの仮面ファンが歯ぎしりするほど羨ましがられるほどのことなんだよ!?」


「大袈裟ぁ!」

「いやこれマジモンよ? ブラックジャック先生に大金積んでガラスの仮面に関する記憶を消してもらってまた一から読み直したいって人はこの日本に沢山いる! 断言するよ」


「えええ……でもこれ、あのこれ、単行本四十九冊ってことはこれ、単行本何冊分?」

「四十九冊分」

「ですよねえ」


 聞き返しても答えは変わらなかった。


「読んでみ読んでみ。私と伊勢原先生がハイテンションになった理由がわかるからさ!」

「んまあそうだな。グダグダしてたらお空の上にいる伊勢原先生に怒られちまうもんな」

「そうだよ。私達がこんなんじゃ先生安心して眠れないよ」


 これで俺が拒否したら伊勢原先生のマンツーマンディフェンスが更に加速すること間違いないだろう。

 先生に目つけられちゃってるし読まないわけにはいかないわなあ。


 俺は単行本がギッチリ詰まったリュックを両肩にそれぞれ一個ずつ担ぐ。


「お、重い! これ結構重いっス! これ何キロ? 何キロあるの!?」

「この手の単行本ってだいたい一冊百六十グラムらしいよ。んでこれ四十九冊あるから、ちょい待って。電卓電卓。うん約八キロだね」


「おごごご。重いって!」

「その重さこそがガラスの仮面が積み上げてきた歴史「そういうのいいから!」


「まあまあ。町田氏までの家の距離を考えればなんとかなるなる」


 なんとかって。こりゃ肩こり必至だな。


「しかし町田氏も難儀だねえ」


 相模原が困ったような表情で俺を見る。


「難儀?どゆことよ相模原」

「いや~町田氏って前から伊勢原先生に付きまとわれてるって言ってたじゃん? 実際にその目で見てしまったわけだけどいつもあんなテンションで追い回されてるわけでしょ」


「そうなんだよ! わかってくれるか。もうね! すげえしつけえの伊勢原先生! 俺にだけ特にしつけえの!」


 俺は相模原に伊勢原先生への愚痴をぶちまける。

 元々暑苦しいし生徒への距離が近い人だってのはわかってたけど俺への距離があの人は近すぎる!


「まあまあ、今回は伊勢原先生へ感謝することになるって絶対! だってガラスの仮面マジで面白いからさ!」

「そう祈るよ。んじゃ借りてくぜ。サンキューな」


「こっちもBOXあんがとね。早めに見るよ。あ、そうだ町田氏~」

「ん?」


 部屋から出ていこうとする俺を相模原が引き止める。

「この漫画ねえ。二十五巻辺りが特に面白いと思うから楽しみにしてるといいよお。どぅへへ」


 相模原はニヤニヤしながら俺にそう伝えてきた。


「二十五巻ねえ。まあ期待させてもらうわ。」

 俺はそんな相模原に別れを告げ、退室する。玄関で靴を履いている俺の背中に声がかかる。


「あら、町田君もう帰るの?まだ来てすぐじゃない」


 加奈子さんだった。俺の中で収まっていた怒りがまた湧き上がってくる。

 そうだよここはズバッと言わねば! このまま舐められたままでいられるか!


「漫画借りるだけでしたから。それより加奈子さん!」

「町田君どうかした?夕ご飯食べてく?」


「いえ、夕ご飯じゃなくて……あの、娘さんに、その、ドキドキさせるっていうか、からかうようなことさせないでくださいよ! 加奈子さんの入れ知恵っていっても限度がありますよ!」


 俺のズバッとした物言いに加奈子さんはキョトンとした表情を浮かべる。


「娘にからかうようなことをさせる? えっと町田君。本当になんのことだかわからないんだけど……」


「か、加奈子さんはまたそんな! も、もういいです! 言いたいことはそれだけですから! 失礼します!」

「えっと。本当に身に覚えがないんだけど、でもごめんなさいね町田君。謝っておくね」


 人からの謝罪を受け慣れていない俺はますます上がってしまった。


「い、いえ。それでは本当に失礼します!」

 俺は動揺と怒りと恥ずかしさで赤く染まっているであろう顔を見られないようそそくさとドアを開け外へと出た。


 家の前に停めていた自転車に乗ろうとした俺の頭上に声が届く。

 相模原だった。窓から身を乗り出してこちらに手を振っている


「ま、町田氏~。じゃ~ね~」

「お~。んじゃじっくり読ませてもらうわ。んじゃな」


 俺は相模原に手を振り返してから自転車に乗って帰り道を急いだ。


 自転車を漕いでく帰り道。

 相模原の顔がやけに頭に浮かんだ。


 二階からこちらに手を振ってきたあいつの顔が赤く、紅潮しているように見えたからだ。

 それはきっと夕日が、夕日があいつの顔を照らしたからだろう。

 だから真っ赤だったんだろう。


 そんなくだらない俺の考えは肩に伸し掛かってきた漫画の重さで一瞬で吹き飛んだ。

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