第2話 見栄と現実


「はぁ」

 新年度を迎えて初めてした仕事。それが部屋の電気の取り替え。

 カチカチと軽く音が鳴った後、その光は灯された。その光を見つめて一瞬視界が遮断される。

 新しい年度の始まり。おそらく街はどこか新しい始まりに高揚感を持っている。

 テレビもつけずにこたつに入り、なんの音も入らないようにイヤホンをつける。ずっと聞いていなかった昔の曲を流してしばらくレースカーテン越しの外を眺める。曲が終わって次に流れ始めた曲を耳にした時、目を見開いて気づけばイヤホンをむしる様に取り外した。

 曲とともに蘇る思い出は時に残酷に心臓の鼓動を早める。


 無音の中でこたつに両手を入れながら頬をつけてレースカーテン越しの外を眺めた。

 薄く白いレースカーテンが俺と世の中との厚い壁を物語っているかの様だった。


 俺は今の現状を誰にも話せずにいた。友人が地元にしかいない俺にとって、隠していても俺が言わない限り気付かれない。そして、気づけば就職活動を初めて一年。ニート生活二ヶ月。そしてここから三ヶ月目の六月になっていた。

 もともと家族とは疎遠。母親からはたまにメールが入る程度。だから親にもこの状況をそんなに追求されずに済んでいた。というか、今思えば聞けなかったのかもしれない。

 金もそんなに使いこむタイプではなく、親からの仕送りはまだすこしだけ残っている。

 地元の友人は就職してすでに働いている。田舎だからこそ仕事を選ばなければすぐに職は見つかり、ある程度の娯楽で過ごしていける。

 だが、俺は大学に入学するときそんな友人に「都会の大学なんてすごい」なんて言われてたもんだから、完全に天狗になっていたと今思う。俺は大都会で過ごしている。あいつらは田舎で時間の流れが遅い。なんて思っていた。

 連休中に地元に戻れば、おかえりと予定を合わせて集まってくれる友人達。本当は、そんな都会の大学なんてのは誰でも行けて、ただ、その都会で自分がどこまでやれるかっていうのが本当に試される場所だった。自分が頑張らなければすぐにどん底に落とされる場所。学生時代は講義があるからなんだかその自分が試される場所とかそんな風に感じたことなんてなかった。ただ、都会で生活していることになぜか優越感を感じていただけだった。

 情報量が多く、日本の経済を回す都市。そんな恵まれた場所でなにも、成果が出せないならその時点でここにいることを拒否される。それがきっと都会なのだろう。それを今現在進行中の就活を通してやっと理解した。


「気づくの遅すぎるよ、俺」


 ひとりごちて、頭を抱える。

 久しぶりにきた近所にあるコーヒー店で外を眺める。一年ぶりに外の空気を吸い、太陽の光を浴びた感覚だった。

 やけに明るい太陽の光がなぜか自分を責めているかのように感じて眩しい。

 貯金は、というか仕送りはもうそんなに多くない。もちろん仕送りはもう頼めない。むしろ、三月以降振り込まれていない。

「どうにか金算出しないとやばい、、、」

 はぁとため息をついて眺めるコーヒーはまだ本当に資金が底をつくと認識していないだろうと感じさせる。安いコーヒーではなく、ちゃんとしたカフェのコーヒー。ゆらゆらと登っていく湯気を目で追いながら息を吹きかける。消えていく白い湯気が一瞬にしてその先の景色を映し出す。

「俺みたいだな。吹けばいなくなる」

一瞬にして現れた感情は、どうしようも無い虚無の世界だった。


「いらっしゃいませ!今日のおすすめは〜…」

そんな虚無の世界に飛び込んでくる明るい声と笑顔。

―楽しそうだな

カップ越しに見るその店員を羨ましく眺める。仕事なのに楽しいのかと、疑問に思う。でも、今見ているあの笑顔は紛れもなく心から楽しいという笑顔ということだけは分かった。


「バイト、やらないとな」


 六月中旬。重い腰を上げて情報誌を広げてバイトを探した。今の時期で正社員の求人があることは何か問題があるはずと見越し、何もやりたいことがない俺はバイトをひとまず探すことにした。

 まずはバイトをやりつつ、それで正社員になれたらいいな。そんな淡い期待。

 申し込んだのは大体十社。だが、正直そんなに興味がなく、志望動機もはっきりとしなかった俺はバイトなのに落とされた。

「バイトでも難しいのか、、」

 今まで自分がなにをやっていたのか、なにもしていなかったその時間を巻き戻したいと何度も思った。


「はぁ、また来てしまった」

 定期的に来てしまう少し高めのカフェ。足を止めてドアに手をかける。ここのコーヒーが好きで、金銭的には厳しいが何かあると来たくなってしまう。こういうところが甘いのだろう。

「我慢してたんだ、あと、なんかわかんないけど、活動し始めた自分にご褒美として飲むということに今日はしよう」

―まだ何も決まってないけど

 何かしら理由をつけて飲みにくるようになったカフェ。その確かな理由もないのに口に運ぶコーヒーの味は、罪悪感を感じさせるかのように苦かった。


 喉を焼くかの様に熱いコーヒーが喉を流れ、香りが鼻から抜ける。

 静かな店内を見渡す。それぞれが思い思いの事をして過ごす空間は、誰も自分を責めたりしていないはずなのに、何故か心は満たされない。

―あれ、なんだ?

 店内に張り出されているポスターに目を凝らす。メガネの縁に手をかけながら細める目。今まで通っていて全く気付かなかったポスター。

―求人、募集…

 鼻から大きく息を吸って気付けば自然と開く目。まだ熱いコーヒーを一気に飲み干し、口の中を盛大に火傷しながら顔を顰め、口から大きく息を吐く。

―これだ、、これだよな、合ってるよな

 空になったカップに目を落としゆっくり鼻で呼吸を繰り返す。まだ熱さの残るカップを両手で包む。今感じているこのカップの熱さは、自分の心の温度に似ている気がした。

―今動かなかったらきっともう動けないかもしれない。いや、動かないかもしれない。合ってるよな、俺。大丈夫だよな、俺!


 何度も何度も自分に語りかける。それでも答えは返ってこない。

 自分で決めなければ、自分の道は開けない。


「すみません!あ、あの!」


 静かな店内に響く自分の声。その声の大きさに驚く自分。人と話すことがずっとなかったせいか、声の大きさを測れなかった。

 店内の視線を一気に集め、顔が熱くなるのを感じながらも握りしめる手と、まだ残る心の熱。その温度の熱を保つように、バイトの募集はまだやっているかということ、自分でも対象になるかということ、今まで得た少ない就活の知識を一気に取り出すかの様に質問した。


 そして、その小さな勇気は今日というこの日を連れてきた。





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