異世界体験型カプセルホテル

御鷹穂積@書籍7シリーズ&漫画5シリーズ

異世界体験型カプセルホテル

 



 そのカプセルホテルでは、異世界に行くことが出来る。


「これはヒロ様、毎度ありがとうございます」


 ホテル玄関口で靴を脱いでスリッパに履き替え、靴を鍵付きの靴箱に入れてから館内を進むこと数メートル。

 小さな受付がある。


 不思議なことに、いつ訪れても同じ女性がいた。

 自分はここ数週間仕事終わりに毎日来ているから、彼女は同じだけの連勤をこなしていることになるが、疲れは見えない。


 名前を覚えられていることに僅かばかり気恥ずかしさを覚えるが、愛想笑いで応じる。


「それでは、本日もよい異世界生活を」


「どうも」


 靴箱の鍵と交換するように、ロッカーキーをもらう。キーリング越しに、バーコードのついたキーホルダーと繋がっている。キーホルダーの裏面にはロッカー番号。

 バーコードはホテル内での支払いに使用でき、精算はチェックアウト時にまとめて行う。


 ロッカーは荷物を入れる他、ホテル着に着替えたあとに自分の服を入れておくのに使う。

 ちなみに、ロッカー番号と自分の泊まるカプセル番号は同じものだ。


 男は館内のあらゆる設備を無視し、ロッカーへ直行。

 手早く着替えを済ませると、自分に割り当てられたカプセルへと急いだ。


 この世界での生活は、苦しみに満ちている。


 朝は満員電車に詰め込まれて、会社近くまで運ばれる。奴隷のごとく労働し、対価として得た雀の涙ほどの報酬から更に税を支払わねばならない。

 そこから生活に必要な分を引いた時、残る金額を何にたとえればいいのか。先の例にならうなら、蟻の涙、あるいは蚊の涙といえるほど。


 そんな金さえ、使う時間的余裕と体力的余裕がない。

 仕事は忙しく、休みには気力が尽きているのだ。


 このホテルを見つけたのは、何がきっかけだったか。

 よく思い出せないが、、、、、、、、、、とにかく幸運だった。

 そうこう考えているうちに、到着。


 人がすれ違うにも気を遣う狭い廊下に、上下二段のカプセルがずらりと並んでいる。

 男のカプセルは上の段。はしご状の器具が備え付けられており、それに足を掛けてカプセル内に入る。


 シングルベッドより狭い、筒状の空間。テレビやコンセントなどもあるが、そんなことよりも男は睡眠を優先。


 ほどなくして、眠りに落ちる。

 目が覚めると、木の天井。


 上体を起こすと、木製のベッドが軋む。

 小さな宿の一室だ。家具は簡素な机と椅子が置いてあるくらいで、他には今男が眠っていたベッドのみ。


 男は歓喜に打ち震える。

 卓上や椅子に置いておいた装備を身に着け、壁に立てかけていた剣を手に取る。


 ダンジョンに潜り、魔物と戦い、ダンジョン由来の宝を持ち帰る。

 それが、この世界における男の職業・冒険者だった。


 逸る気持ちを抑え、階下の食堂で朝食をとる。

 この世界は非常にリアルで、腹も減るし、疲労感もある。

 それが没入感を高めていた。


 男は宿を出ると、広く高い青空の下、ダンジョンへ向かう。

 この世界におけるダンジョンとは、いわゆる異界のような扱いだ。


 ある日、突如として異界とこの世界とが繋がってしまう。

 そのゲートとなるのは洞窟であったり、遺跡であったり、使われなくなった倉庫の扉だったり、古井戸の底だったりする。


 それらの先には、この世界と異なる理の異界が広がっており、そこで得たものはこの世界に持ち帰ることが出来るのだ。


 男は初めてカプセルホテルを利用した時に、この世界で最高位の冒険者として称えられる『ヒイロ』という青年になった。


 不思議なことにヒイロとしての人生が頭の中にはあり、彼は冒険者という職に嫌気が差しているようだった。


 この設定のおかげか、男がヒイロとして冒険者稼業を再開すると、この世界で関わる者全てが大層喜び、称賛してくれた。


 それは、向こうの世界で厳しい上司に叱責され、私生活でも誰にも必要とされることのない男にとって、大変な快感だった。


 多くが男を尊敬の眼差しで見つめ、どんな美女も声を掛けるだけで嬉しそうにする。この世界で受ける嫉妬の視線さえ、男には心地よかった。妬まれるだけの環境が、確かにあった。


 命がけの戦いも、これが夢の世界であることを考えると大胆になれた。

 ただし注意事項があり、ヒイロとしての死を迎えると、この世界はもう選択出来ない。

 男は他の世界を体験したことはないが、ヒイロとしての人生に魅了されていた。


 もう一つの人生を失うのは嫌なので、いつも準備は怠らなかった。

 その日のダンジョン攻略では、マンションほどの大きさを誇る巨竜を討伐し、その牙や傷のついていない鱗など売却できる部分を回収。


 街の者たちにちやほやされながら酒を飲み、女を抱き、気持ちよく一日を終える。

 男の定宿は、あの簡素な部屋だ。


 そこで眠ると、カプセルホテルで目覚めることになる。

 ずっとこの世界にいる、というわけにもいくまい。


 あちらの世界の自分が死ねば、夢を見るどころではなくなる。

 向こうに戻って金を稼がないことには、再び夢を見ることも出来ない。


 男は酔った頭でそんなことを考えながら、ベッドに倒れ込む。

 次に目覚めると、そこはカプセル内。


 また苦しい労働の時間が始まるのだ。

 だが大丈夫。

 自分には、あの世界がある。


 ◇


「しかし、いまだに信じられない」


 ヒイロが眠るベッドの脇に、二人の人間が立っている。

 二人ともローブに身を包んでいるが、一人が男で、一人は女だった。


 女の方は、ヒイロが『ヒロ』の夢を見ている世界で、ホテルの受付を担当している女と同じ顔をしている。

 半信半疑という顔をしている男に向かって、女は言う。


「成功例は、彼で既に七人目となります」


「いずれも、冒険者を続けることを拒み、引退を試みた者たちか」


「はい。最初は夢や希望を胸にダンジョンを潜っていた彼らも、次第に死の恐怖に取り憑かれ始めます。また、命がけの戦いから生還して得られるのは、空虚な富と名声。無垢な子供を除けば、彼らを称えるのはカネ目当ての俗人ばかり。命を削る戦いと、虚しい人間関係。その連続に精神が参ってしまう者は珍しくありません」


「我々としては、有能な人材には末永く冒険者を続けてほしいもの」


 男は、冒険者に討伐・採取の仕事を斡旋するギルドの長だった。

 今日は、女の仕事を己の目で確認したいというので、連れてきた。


「承知しております。わたくしの魔法があれば、今後もそれが叶いましょう」


 女がヒイロに手を翳すと、紫色の魔法陣が出現し、淡く光る。


「……異界の夢を見せる魔法、だったか」


「彼らが冒険者をやめたがるのは、現状を苦しいと感じる価値観が構築されているためです。であれば、この環境を素晴らしいと感じる価値観を、構築すればいいだけのこと」


「容易ではあるまい。記憶や人格に手を加える魔法は、対象者を壊してしまうことも多いと聞く」


「だからこそ、夢なのです。サキュバスに淫夢を見せられた者が精を吸われることはあっても、人格に異常をきたすという話は聞きません。夢というのは、空想と変わらない。緻密で現実感のある夢を構築しても、同じことが言えます」


「その夢の中で苦しい生活をさせ、それこそが己の現実と錯覚させることで、こちらの世界での冒険者生活を、進んで続けるようになる、か……。やはり私には理解しがたい」


「隣の芝生は青く見える、と言います。危険な生活に縁がなければ、それらの刺激が良いものに見えます。非力な人間には、力ある人間が羨ましく思えます。人間関係に飢えていれば、金によるまやかしのそれにも癒やしを覚えるものです」


「彼らを満たすのではなく、夢を見せることで飢えさせるわけか」


「左様にございます。そうすることで、彼らはこの世界を貪るように生きるでしょう」


「恐ろしい魔術師だ。しかし、一体どのようにしてこのような魔法を編み出したのだ?」


 男の問いに、女は感情を窺わせない微笑を浮かべる。


「叶うなら異なる世界へ旅立ちたいと考える者がいることを、わたくしは身を以て知っておりますので」

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