263話 悪魔の洗脳

  昔、僕は自分の夢を彼女に語った。



  目の前で困っている人を助けたいと思える、優しいギルド職員でありたいと。

  そして、いつかギルドマスターになったらそんな志しをみんなが持つような冒険者ギルドに変えていきたいと——。



  どうしてそんなことを彼女に語ったのかはよく覚えていない。

  まだ彼女と出会ったばかりの頃、会話に詰まって何気なく語ったんだっけな。



  僕の告白に対して、彼女は驚いたような顔をしていた。

  そんな風に考える人がいるなんて思ってもいなかった。

  それも将来、組織の上に立つような人の考えだとはとても……っと。



  そして、その後に彼女が語ってくれた話を僕は今でも覚えている。

  冒険者ギルドは私が考えていたものとはまったく違ったと。

  かつて、自分を救ってくれた組織であり恩義はあるが、そこに愛などはなかったのだと。



  雇われる側の冒険者は金と名誉のことしか考えていない。

  雇う側のギルドも功績と個人の昇進のことしか考えていない。


  目の前に困った人がいるから助ける——。


  そんなのは建て前だけで、現実は儲けの出ない地域には冒険者ギルドは存在しないし、報酬の少ないクエストに冒険者たちは価値を示さない。


  子どものころに信じたその理想は裏切られたのだと彼女は語ってくれた。



  だから、そんな彼女に僕は夢を見させてあげたいと思ったんだ。



  困っている人がいるから助けようとする、本来あるべき冒険者ギルドを……。

  七英雄ハロルド様がかつて創設した、本来あるべきの優しい冒険者ギルドを……!




  ◇◇◇




  傷ついた肉体が回復魔法によって塞がっていく。

  鋭く激しい痛みが傷口に走るのだが、こればかりは何度味わっても慣れないものだ……。


  今度、痛みを伴わない回復魔法は存在しないかとアベル君に聞いてみよう。

  そんなことをふと思った。


  目の前にいるのは正気を失ったラース……。

  おそらく、あそこで高みの見物をしている魔族の女もこの件に絡んでいるのだろう。


  彼女は僕たちと敵対してその剣を突きつけてきた。

  だが、そんな汚い手に僕は騙されたりはしない……。


  「残念だけど、僕はラースを信じているんだ! これは彼女の意思じゃない! 彼女はそんなくだらない理由で悪に屈したりしない!!」


  「悪魔か魔族か……誰が彼女の心を操っているのかは知らないが、僕は誰よりも彼女のことを理解しているつもりだ! こんな卑怯な手は僕には通用しない!!」


  僕は魔族の女に聞こえる声でそう宣言する。

  お前たちの手の内など、すべてお見通しなのだと。


  「ほぉ……」


  すると、僕の宣言を受けた魔族の女は何かに感心したようにそうつぶやいた。


  「私が操られている……? 何を根拠にしてるのですか。私はもうあきあきしたんですよ……。貴方みたいな退屈な男にも、くだらない理想にもね……。だから、ここで殺してさしあげるんです!!」


  ラースが僕に向かってものすごい勢いで迫ってくる。

  剣術ではどうあがいても僕は彼女に勝てない。


  「君を傷つけない……。自分にそう誓ったはずなのに、その誓いを守れなかった……」


  「ならば、せめてこれ以上君を苦しめないのが僕の役目だ!!」


  『いくぞ、ヴァルター! ラースを救ってみせろ!!』


  一人では彼女と対等に渡り合えない……。

  だから、レーナの力を借りて……僕は……!!



  「大精霊の守護エレメンタルプロダクション!!!!」



  レーナの力を最大限に引き出した防御魔法。

  ラースの魔力が込められた一刀が僕に届く直前に、紫色に淡く輝く魔力障壁が出現した。


  これはレーナが持つ最大の防御魔法。

  魔王の攻撃すら防ぎ切れるといわれている最強クラスの防御魔法だ!




  「絶対に君を助けてみせる……!!!!」




  強い衝撃が僕たちを襲う。


  絶大な魔力を持った二つの力は一点で交わり、耐えきれなくなったその特異点からは魔力が解き放たれるように拡散する。


  そして、二つの魔力の衝突によって生まれた爆発に、僕たちは巻き込まれるのであった……。




  ◇◇◇




  意識が飛んでしまいそうな頭の中に、ラースの声が聴こえてくる。


  「クソッ……。なぜだ!? なぜこの身体は動かない……」


  そこで、僕とレーナは融合シンクロが解除されて地面に伏していることに気づく。


  そうか……。

  ラースの一撃と相殺して爆発に巻き込まれてしまったのか……。


  顔を上げると、僕たちと同様に地面に伏して起き上がれないラースの姿があった。


  そうだ。

  彼女は元々セルフィーとの戦闘で傷ついていたんだ。

  そんな身体に鞭を打って好き勝手やれるほど人間は丈夫ではない……。



  ——って、あれ……?



  そういえば、どうしてラースはセルフィーとの戦闘で怪我を負っていたんだ?

  彼女が最初から操られていたのだとしたら、傷ついたフリだけで済んだんじゃないのか……。


  ラースはセルフィーと戦うフリをして、彼女を追い払う。

  本来ならば、それだけで十分のはずだ。


  おらそく、あの襲撃は宝具の盗む目的であったはず。

  だから、ラースは僕に言ったんだ……セルフィーが宝具を狙っていると。

  そして、結果として僕の跡をつけていたであろう者に宝具の隠し場所がバレて、宝具は盗まれてしまい今に至る……。


  あの時からラースが裏切っていたとするならば、彼女が瀕死でいたのはおかしいではないか。

  もしも回復魔法が間に合わず彼女が死んでしまったり、僕へ伝言ができないような状況になれば敵の作戦は水の泡となってしまう。


  つまり、ラースは最初から操られていたのではなく、ギルド街の襲撃時に洗脳されたということ!

  やはり、彼女は本心から僕たちを裏切ってなどいなかったのだ……。



  僕の中で、ラースの洗脳は自信から確信へと変わる。



  だが、そんな安心をしたのも束の間……。

  僕は別の存在のことを忘れていたことに気付かされる。



  「なるほど……。劣等種というのも、案外捨てたものではないな……」



  魔族の女がクスクスと笑いながらこちらに向かってきていたのだ。


  しまった……。

  彼女の存在を完全に忘れていた……!?


  僕の身体はもう動かない。

  レーナも隣でノックダウンしている状態だ。


  魔族の女は左手に魔力を集めてバチバチと音を鳴らしている。

  そして、次の瞬間その手をラースに向けて魔力を解き放つのであった。


  「うっ……!?」


  魔力の衝撃を受けたラースは一瞬、目をかっ開いたと思うとガックリとその場に崩れ落ちるのであった。


  「なっ!?」


  突然の出来事に僕はあっけに取られる。

  だが、その意味を理解したとき止めどない怒りが込み上げてくるのであった。


  そんな僕の感情を察知したのか、魔族の女は僕に向けて言葉を放つ。


  「安心しろ、気絶させただけだ」


  そして、魔族の女は僕たちに左手を向けて優しい光で包み込むのであった。


  その光は不思議と暖かく、傷が癒されていくような感じがした。

  もしかして、回復魔法をかけてくれているのか……?


  どうしてだ……。

  この魔族の女は、悪魔たちと結託して僕らを陥れようとしているのではないのか……?


  僕はこの状況をうまく呑み込めないでいるのであった。

  そして、魔族の女——ハルは倒れたラースにも回復魔法をかけてつぶやく。


  「どうせアタシたちにはコイツの思考支配は解けやしないんだ。だったら、コイツにそれをかけた張本人に解かせるしかないだろう」


  「起きていられてもどうせ暴れるだけだ。だから気絶させた……。何か文句はあるか?」


  ラースに思考支配をかけた張本人だと……?

  僕はその言葉を聞いて、咄嗟にハルに問い詰める。


  「おい、ハルといったか!? あんたはラースを洗脳したやつの正体を知ってるのか!?」


  何とか重い身体を起こして、僕は問いかける。


  「さぁな……知らん。だが、予想はつく」


  ハルはラースに回復魔法をかけながら淡々と語ってくれた。


  「このアタシの眼をもってしても、思考支配をかけられているのかどうかの区別すら付かないレベルだ」


  「今だって、洗脳されている可能性があるという程度しかわからない。これはある意味、芸術の域といってもいいだろう……。だからこそ、予想がつくのだ」


  その時、僕は彼女が何やら楽しそうに笑っていることに気づいた……。


  「上位悪魔ラズとリズあんなまがいモノたちなどではない。《天雷の悪魔》ユリウス——。それに準ずるクラスのバケモノの気配をこの亜空間からは感じる。おそらく、そいつが思考支配をかけたのだろう……」


  《天雷の悪魔》ユリウス……?

  誰なんだ、そいつは……。


  疑問には思ったが、それ以上その人物について聞いてはいけないような気が僕にはした。

  僕程度のちっぽけな存在では、その話題に触れることすら許されない……そんな気がしたのだった。


  そして、ハルは気絶したラースを持ち上げて背負うと僕に向かって命令する。


  「こいつはアタシが観といてやる。あっちの奴らはお前らが責任を持って連れてこい。回復魔法はかけてやったから死んではいないだろう」


  彼女の指差す先にはラースに刺されて倒れていたパトリオットとリンクスの姿があった。

  どうやら、彼女はあの二人にも回復魔法をかけてくれたらしい。


  もしかしたら、僕たちは魔族という存在について誤解している部分も多いのではないか……。

  そんなことをふと思ってしまう。



  そして、ハルは僕に聞こえないような小声でつぶやくのであった……。



  「しかし、ホンモノの強者がたかが劣等種を陥れるためにここまでするというのか……。どうやら、カシアス様たちの戦いとは単なる揉めごとというレベルではないようだな……」

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