262話 ヴァルターの過去(6)

  ギルド街で仕事をしていたヴァルターに突然入ってきた父ドルトンが倒れたという連絡。

  ヴァルターはそれを聞くなり、ドルトンが運ばれたという病室へと走るのであった……。


  そして、病室へ到着するとそこには身体を起こしてベッドに座り、窓の外を眺めているドルトンの姿が視界に入る。

  ここの病室は2階にあるということもあり、窓からは綺麗な自然を眺めることができたのだ。


  ドルトンは病室にやってきたヴァルターに気づくと、視線を彼に移して問いかける。


  「どうした……そんな慌てた様子で……? 仕事を放り出してでも来たのか?」


  直接会って話したのはいつぶりのことだろう。

  もう数ヶ月は会っていないように思う。

  特に、母アンナを亡くしてからのヴァルターは仕事以外では家に引きこもり、孤独に過ごす日々を送っていた。

  そんな彼の目の前には、見たことのない痩せ細った老人に変わってしまった男がただ一人いるのであった。


  病に侵され、衰弱している父親。

  初めて会ったときのような獰猛しさはない。

  彼が発する言葉も非常にゆっくりなものであり、当時感じていた威圧感はもう面影すらなかった。


  「当たり前じゃないですか……。ドルトン様は先代のグランドマスターなんですよ。今の私がこうしていられるのは貴方様のおかげです……」


  「だから、とう……さんが……倒れたって

 聞いたから……僕は……」


  ヴァルターの声は段々とか細くなっていく。

  まるで、これから叱られることがわかっている子どものように、彼は言葉を隠すようにそう語るのであった。


  だが、そんな誤魔化しもドルトンには通用しない。

  彼はヴァルターの言葉をしっかりと聞いていた。


  「ふっ……父さんか……。俺はこれまで父親らしいことをしたつもりは一度たりともない……。お前をここまで育てたのも息子としてではなく、一人の後継者としてだ……。勘違いするな」


  優しい口調で語るドルトン。

  今までの彼であれば、『父さん』なんて呼ぼうものならすぐさま怒鳴られていただろう。


  彼はヴァルターの父親であるという事実については否定しないものの、家族という存在については強く否定していた。

  息子であろうがお前はあくまで他人という括りの一人に過ぎないとでも言わんばかりに……。


  だが、そんなドルトンの様子が今日はどこか変であった。

  少なくとも、ヴァルターはそう感じていた。


  「もう俺も長くないだろう……。お前の母さんが……アンナが俺を呼んでいる気がする」


  ドルトンの口からアンナという言葉が出てくることに驚くヴァルター。

  今までなら、彼はアンナのことを『あの女』としか呼んでこなかったからだ。

  そこで、ヴァルターは思い切ってあの質問をしてみることにした。


  「ねぇ、父さん……。前にも一度聞いたんだけどさ……。母さんのこと……どう思ってたの……?」


  ヴァルターは恐るおそる尋ねてみる。

  だが、流石にこれは許せなかったのかドルトンは弱っていながらも不機嫌そうな表情を見せて語る。


  「前に言ったはずだ……。なんとも思っていないと……。そこらにいる人々となんら変わらぬ愛しか感じないと……。だが……」


  だが……。

  そう言って、ドルトンは一度口を紡いだ。


  そして、ゆっくりと周囲を確認してヴァルターの他に誰もいないことを確認する。

  グランドマスターであるヴァルターと先代グランドマスターであるドルトン——。


  いくら彼が病で倒れたとはいえ、ヴァルターの入室に伴って、ドルトンの付き添いの者たちは退出したいた。

  それを改めて確認したドルトンはゆっくりと本心を語るのであった……。


  「だが……本心ではかけがえのない存在だった……。あんな良い女と普通に恋愛できたらどれだけ幸せなんだって、思っていた……」


  「グランドマスターなんていうたいそうな役目がなければ、静かな田舎でお前と三人で平凡に暮らたいと思うほどに……俺は彼女を愛していた……」


  これまで一度たりとも本心を打ち明けてこなかったドルトン。

  しかし、もうすぐ死期が近いこと。

  そして、ヴァルターと二人きりだということもあり本心を打ち明ける。


  「じゃあ、やっぱり父さんも人を愛する気持ちを持っていたんだね……」


  「当たり前だ……。俺をそこらの家畜や虫ケラと一緒にするな。人を愛することもあったさ……。それに……もちろんお前のことも愛しているさ……」


  照れくさいものだ——。

  そんなことを言わんばかりに、彼はそうつぶやいた後にふっと笑った。


  「僕も、父さんのことを愛してるよ……。最近、やっと気づいたんだ……。父さんと同じ立場になって……あれは父さんなりの……愛情表現なんじゃなかったのかってことがいくつも……」


  ヴァルターは思わず泣き出してしまう。


  おそらく、もうドルトンと二人きりで話す機会など何度も訪れることはないとわかっている。

  だからこそ、彼もまた心のうちを語っておきたいと考える。


  同じグランドマスターという立場になってわかったこと。

  父が感じていた苦悩を味わってわかったことを——。


  「お前は……優しいやつだったからな……。この役目を受け入れて、仕事をまっとうするには優し過ぎる……。それだけが心配だった……」


  「最近はマシになってきたと思っていたのに……。何を泣いてるんだ、バカ息子が……。最後は安心させて逝かせるってのが親孝行なんだぞ……」


  彼の涙をみて笑みをこぼすドルトン。

  二人の間にこんな会話をする日が来ることなど、互いに考えたこともなかったであろう。


  そして、ドルトンもまた心のうちをこの機会に語るのであった……。


  「俺はお前に恨まれていると思っていた……。俺がお前に声をかけなければ、お前はずっとアンナと幸せに暮らせただろう……。彼女の最後だって、しっかりと看取れたはずだ……」


  彼はヴァルターの瞳をしっかりと見つめ、そう語る。


  「俺が弱いばかりにお前ら二人を不幸にしたんだ……。すまないと思っている……」


  ヴァルターに謝罪をするドルトン。

  そんな姿を見せる彼に、ヴァルターは黙って話を聞くのであった……。


  「俺がお前ら二人を護れるほど強くあれたなら……本当の家族として暮らすこともできた……。現に、歴代のグランドマスターの中には家庭を持っていた者もいる……」


  「だが……俺にはできなかったんだ……。俺はグランドマスターという役目をまっとするのに精一杯で……愛する人をかばいながら平和の象徴であることができなかった……」


  「アンナを護れるほど強くなれかった……。本当に……すまない……」


  ドルトンは涙を流し、拳を握りしめる。

  その男泣きからは強い悔しさが伝わってきた。


  今のヴァルターならばわかる。

  ドルトンのその決意の辛さが……。


  冒険者ギルドにしても、フォルステリア大陸にあるカルア王国やエウレス共和国にしても、七英雄の血筋であるということが何よりも高いステータスである。


  冒険者ギルドのグランドマスターとはその血を絶やさぬようにと、多くの子を儲けるのが通例だ。

  しかし、グランドマスターになれるのはその中でたった一人だけ。

  つまり、七英雄ハロルドの血を引くギルド関係者もまた数多く存在している。


  そして、その中には隙があれば周囲を蹴落として上へ登りつめようとする不埒な輩も存在する。

  だからこそ、上に立つ者というのは弱みを見せることができないのである……。


  立場が代わり、ヴァルターにもそういった人間たちの存在が見えてきた。

  そして、今までドルトンがヴァルターを自分の側においていたのは、そういった存在からいつでも自分を護れるようにという意味もあったことを知った。


  未熟である自分に気をかけながら、母の存在にも注意を向けることがどれだけ難しいことなのかをヴァルターは理解できている。

  だからこそ彼は、こうやって謝る父親を責めることができなかった……。


  「そして、これは俺からの最後の願いだ……。無理ならばそれでいい……」


  ドルトンは涙を拭い、再びヴァルターを見つめる。

  そして、父としての願いを彼に託すのであった。



  「かつてお前は、俺を見て思ったはずだ……。こいつのようになってたまるかと……。おれはこんなグランドマスターにらならないと……。そうだ、それでいいんだ……」


  「ヴァルター、お前には人を愛す人生を送って欲しい……。俺のように後悔しない人生を送って欲しい……。それだけが俺の最後の願いだ……」


  「お前は俺よりも優し過ぎる……。俺と同じ道を歩めば……きっと耐え難い人生を送ることになるだろう……。お前は、俺よりも強い……。だから……」



  ゴホッ……ゴホッ……



  長時間話していることに身体が悲鳴をあげているのか咽せてしまうドルトン。

  だが、ヴァルターも父の気持ちはしっかりと受け取った……。



  「少し、考えさせてください……」



  「あぁ……。今のお前には重い役目がある。我々が紡いできた800年の歴史の重みがな……」



  「だが、お前は強い……。それだけは忘れるな……。それに、レーナあいつもいる……」



  これ以上無理はさせまいとドルトンをベッドに寝かせ、ヴァルターは部屋をあとにする。


  そして、自分のこれからの生き方について深く考えるのであった……。




  ◇◇◇




  中央司令部の最上階、会議室の一つに彼はいた……。

  そして、窓を開けてヴァルターは夕日の沈むギルド街を見下ろす。


  そんな彼を見つけた一人の部下が、思わず彼に声をかけるのであった。


  「こんなところにいらしたのですか? 探しましたよ、ヴァルター様」


  「ヴァルター様……? どうかされたのですか」


  銀髪の魔剣士ラースはヴァルターの様子がおかしいことに気づき心配する。

  すると、しばらくの沈黙があった後にヴァルターは口を開くのであった。


  「ラース……。僕はね、以前君に語った優しいグランドマスターにはなれないと思う……」


  「僕がなれるのは、父のようにこの役目を仕事と割り切って次の世代に引き継ぐことだけだろう……」


  「そこには愛もなければ、人間らしい人付き合いは認められない……。そんな行動は許されない……。ただ、世界というシステムを崩さぬように、この身を捧げるしかないんだ……」


  真っ赤な夕陽がまるで哀愁を表すかのように彼を染める。

  そんな彼の姿をみて、ラースは彼に何があったのかを尋ねるのであった。


  「何か……あったのですか……?」


  「ドルトン様が倒れられたと聞きました……。そのことと何か関係があるのですか……?」


  あまり彼女にも深入りしない方がいい。

  そうはわかっていても、ヴァルターは心の中で悩んだ。

  そして、長年の付き合いもあるため話せる範囲で彼の悩みを彼女に語るのであった……。


  ラースは黙ってヴァルターの話を聞いた。

  頷くわけでも、口を挟むわけでもなく、ただ静かに彼の話を聞いていた。


  そして、彼が話し終えたタイミングで口を開くのであった。


  「なるほど……。そんなことをヴァルター様は悩まれていたのですね……」


  優しい口調で諭すように語るラース。

  だが、突如として彼女の言葉は厳しいものへと変化する。


  「しかし、お言葉ですが一人で何でもかんでも護ろうなんて、ヴァルター様は傲慢ごうまん過ぎます!」


  「えっ……?」


  初めて自分に見せるラースの態度に、ヴァルターは一瞬固まってしまう。


  「ヴァルター様には私たちが付いているではないですか! なぜ、私たちを頼ろうとはしてくださらないのですか!?」


  「ヴァルター様お一人で大切な人を護れないのなら、仲間を頼ってくださればいいではないですか!」


  彼女の言葉に、ヴァルターは強く胸を打たれる。

  そうだ……自分には父が付けてくれた頼れる仲間たちがいるのだと。


  「ずっと、ドルトン様は一人きりでした……。その性格から、他者に弱みを見せまいとして壁をつくるあまり、だれ一人として周囲に本当の味方がいない状態でした……」


  「でも、ヴァルター様には私たちがいるではないですか!!」


  ラースは自分たちの存在を強く訴える。

  そして——。


  「それでも……。それでも、もし愛する人が傷つくことを恐れてしまうのなら! どうか私を愛してください!」

 

  ラースは彼にその身を寄せて自分の想いを告げる。


  「貴方の理想は素敵なものです……。もしも、愛する人が傷つくことを恐れてしまうのなら、私だけを愛してください……」


  「私は強い女になります。決して、貴方の弱みになどならないように。だから、ヴァルター様は人を愛すことをやめないでください……」


  彼女は祈るようにヴァルターに訴えかけるのであった……。


  「私は貴方が語ってくれた夢を見てみたい……。温かい心を持った貴方が、分け隔てなく人々と心を通わせる未来を見てみたいんです……」


  「共に、その理想の未来を追わせてください……」



  もう彼の中で迷いはなくなった。

  ヴァルターは彼女を強く抱きしめて誓うのであった。



  人を愛する優しいグランドマスターになることを。

  そして、生涯彼女を愛することを——。

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